百物語


  ――これで蝋燭の灯は、残すところふたつとなりました。
  まだ物語していないのは、貴方と私のふたりだけですね。
  今宵の締めは、初めて催しに参加なさった貴方にお譲りするとして、まずは私が話しましょう。
  お集まりの皆さん、皆さんは椿はお好きでしょうか?
  そうですか、それは良かった。と云いますのは、私がこれから語るのは、椿にまつわる事柄なのです。
  昔から椿は、その花の散る様から、ぽっくり死ぬに通じると申しまして、縁起のよろしくない樹であるとして、庭に植えるのを好まない人が多うございます。ですが千年も齢を得た大樹となりますとその扱いは別物で、他の大樹同様、霊木して尊崇されるのであります。
  私の家と申しますのがまさにそれで、家の裏庭にある椿の大樹を御神木として、代々祀っているのでした。
  この、私の家の、御神木への信仰の起源はかなり古く、源平の御世にまで遡ります。
  平将門亡き後、平家一門は衰退の一途をたどり、源氏との戦に敗れてのちは、都落ちの憂き目と相成りました。
  その平家方の或る一家が、都からこの地へ落ち延びて参りました。主とその妻、そして十五の長子を頭に、四人の子連れでありました。
  先頃まで栄耀栄華を誇っていた身が、一転いまは流浪の身。落ち延びたとはいえ、これからの行く末を思い、皆悲嘆に呉れずにはおれませんでした。
  一行はしばらく山の中をさ迷っておりましたが、やがて樹齢千年はあろうかという椿の大木にたどり着きます。昔から大樹には、霊力が宿ると申しましょう。皆、椿に額づき手を合わせ、主が願を懸けたのです。
「椿の霊樹よ、われらを護らせ給え。栄耀栄華は望みませぬが、子々孫々絶えることなくわれらに加護を」
  椿は応えました。
「その望み叶えたり。但し、われは枯れゆく老木故、糧を必要とす。月のさわりは不浄にて、男子を望むなり。糧となる贄の続く限り、血は続き、栄えるであろう」
  椿の言葉に、主は上の子にむかい
「和子よ。すまないが、其方、はじめの贄になってはくれまいか。其方の命ひとつで、母や弟妹が救われるのだ。
  其方は、これは家長たる父の役目と思うかしれないが、いかに椿の加護が約束されるとはいえ、これから皆で生きていくには、やはり父が必要と思われるのだ」
  和子は頷き、
「もっともな仰せです。家長たる父上の次に家を守るのは、長子にございます。父上が生きて務めを果たすとあらば、私が贄の役を負うのは当然でありましょう」
  そう云うがはやいか、和子は守り刀の鞘をはらい、自ら喉を突いて果てたのでした。
  主は涙しながら、温みのありありと残る和子の亡骸を椿に捧げ、
「自ら願を懸けたとはいえ、わが子を贄に致すのは、やはり心の臓の潰れる心地です。どうかお情けを。どうか首だけわが手元に残し戴けませぬか。菩提を弔ってやりたいのです」
  椿は
「我儘なことだ。しかし、さもありなん」
と応え、首だけ残し、和子を贄としたのでした。
  以来、代々わが家に生まれくる最初の男子は、十五の年をむかえると、はじめに贄となった和子が自ら命を絶ったように、自ら椿の贄となるべく、ぽっくりと亡くなるのだそうです。
  私が子供の頃は、ちょうど今宵のような蒸し暑い夜など、吊った蚊帳のなかの布団のうえで、双子の兄と共に眠れずにおりますと、よく寝物語にこの話をきかされたものです。その恐ろしさといったら例えようもなく、夏の暑さなどいっきに吹き飛び、代わりに背中の筋がぞくぞくとしてくるのでした。兄と私は、たがいに手を取り身を寄せ合い、涙を浮かべて震えておりました。
  そんな私たちを、母はさもおかしそうにころころと笑い、ただの物語だとなだめるのです。
  ですが実際、奇妙なことに、わが家の家系図をひもときますと、逸話のあたりの代から父の兄弟に至るまで直系の男子は、ひとりの例外もなく若くして亡くなっているのでありました。その齢は皆すべて十五歳。事故あるいは病死と記されております。
  逸話の真偽のほどはともかく、兄も私もこの事実は知っておりましたから、寝物語されるたび、話はまさに真に迫り、怯え震えずにはいられなかったのでした。
  ――そうして迎えた十五の夜。
  ことは現実となって、兄と私の身に降りかかってきたのです。
正確には、六月八日の誕生日から、十日過ぎた梅雨入りの晩のことでした。
  その日は朝から激しい雨が降り、草も木も冷たい雨に身をすくませ、死んだように動きませんでした。
  湿った大気が、古い日本家屋のどこかしこにも重く垂れ込めていて、どんよりとした灰の色一色に塗りつぶされたような、重苦しいそして寒々とした雰囲気が、家のなかを支配しておりました。
  その夜。
「どうして雨なんか降ったんだろう」
  床の上で、おもわず私が深いため息をついたのを、もううとうとしはじめていた兄が聞きつけ、おや、という顔を私にむけてよこしました。
「孝ちゃん、めずらしいこと云うね。いつもは雨の音が好きだってよろこぶのに」
  兄はちいさく笑い、それからすぐに、ひどくむつかしい顔をして床から起きあがると、私のまえに膝を詰めて正座するのです。そうして私に、こう切りだしてきたのです。
「ねえ孝ちゃん。いずれ孝ちゃんから話してくれるだろうと思っていたから、いままで気付かないふりをしていたけど、孝ちゃん、なにか悩み事あるんじゃないの?」    その瞬間、私は、心臓を素手でぎゅっとつかまれたような錯覚を覚えました。私は兄の云う通り、悩み事と云うにはあまりにも重い苦しみ事を、ひそかに抱えておりました。そして万一兄に知れるのを、ひどく恐れていたのです。
  兄と私のあいだでは、これまでただのいちども隠し事などしたことはありませんでしたから、兄がどんな気持ちで私を気遣い見守っていたのか、察するに余りありました。
  そんな私の手に兄はそっとじぶんの手を重ね、ぎこちなく伏せた私のこわばった顔をのぞきこみながら、
「誕生日の翌日からだよね、孝ちゃんのようすがおかしくなったのは。僕、よっぽど訊こうかずっと迷っていたんだけど、孝ちゃん…おこらないでね、なんだか近寄りがたい異様な雰囲気だったから、訊くに訊けなくて…。でも今日なんかもう、朝からずっとうわの空で、ぜんぜん食欲なくて、夕食なんかひとくちも食べなかっただろう?  僕、もう、孝ちゃんのこと心配で、気が気でないんだ」
  切々と訴える兄は、ひどくねむたげでありました。眠気にすこしはれぼったくなった瞼が、ともすればふっと落ちてきて、兄を眠りへといざなうのです。兄は、いつもと勝手の違うこの強引な睡魔とたたかいながら、私とむきあっているのでした。そのようすが私を追いつめるのを、兄は知る由もないのです。
「ね、話してよ。僕ら、いままでずっとそうやってきただろう?  それなのに、急にこんなのって、おかしいじゃないか。ね、」
  兄はどこまでもやさしく、私をうながすのでした。
  私はもう、いまにも泣きだしてしまいそうでした。
  云えない。云えるわけがない!  あんなこと…!  ――でも…!
  裕ちゃん、あのね、………。
  喉元まで言葉はおしよせ、でかかっては飲み込み、云わなければと再び胃から口のなかいっぱいに嘔吐する。この十日間くりかえしてきた作業を、私は再び兄を前にくりかえすのでした。
  石のように固まった私の躯いっぱいに、早鐘を打つ心臓の音ががんがんと響きわたり、だらだらと冷たい汗がしたたり落ちていきます。そうしてながい沈黙のあと、緊張のきわまった私は、とつぜん奇声をあげ、兄の手を振り払いざま、兄をつきとばしたのです。
「ゆるして裕ちゃん!  云えない!」
  必死の面持ちでそう叫んだ私に、兄はひどく傷ついた哀しげな顔をし、そうして兄は、払われつきとばされた反動そのままにぐらりと上体を反らし、床に倒れ、倒れたときにはすでに深い眠りへと落ちておりました。
  私は、恐ろしさと後ろめたさに固まったまま、床の上の兄を凝視し、ぶるぶる震えておりました。
  やがて固まっている私の横で、音を忍びながら襖が細く開き、その襖のむこうにひろがる闇にまぎれた母が、歌うように
「孝ちゃん、裕ちゃんねむった?」
  そう囁く母のうしろには、気配をひそめ、なかのようすを窺う祖父と父の姿がありました。
  ――それが、悪夢のような、ながい夜のはじまりでした。
  私の家に伝わる椿の逸話が、ただの昔話ではないと私が知ったのは、十五の誕生日を迎えたその真夜中のことでありました。
  いつものように兄とふたり床を並べてねむっていた私は、ふいにひとりだけ母に揺り起こされ、居間に呼ばれ、打ち揃う祖父、父、母の三人から、やがてこの家を受け継ぐ者として、逸話に秘められた裏事を教えられたのでした。
  あろうことか、わが家の代々の長男の早死には、皆、故意につくられたものだったのです。遥か古に取り交わされた椿の御神木との契り事の為に、贄とするべく、実は家人の手によって殺められていたのでした。
  この事実を聞くなり私は、すぐ兄に知らせなければと、いてもたってもいられませんでした。一刻も早く兄を、この家から逃さなければ…。
  すると、それを見透かしたように母が
「孝ちゃん、おかしなことをかんがえては駄目よ。このことはくれぐれも裕ちゃんには内緒にしておいて頂戴ね」
  そうしてこれまでの、贄となる当人に話の漏れた場合の過去のたとえを、綿々と私に語って聞かせるのです。例をあげますならば、喉を潰し手足の筋を切り、時が来るまで土蔵に押し込めたとか…。
「ね、孝ちゃん、あなた、裕ちゃんによけいな思いをさせたくはないでしょう?」
  母の顔には、穏やかな笑みが浮かんでおりました。
  祖父も父も、代々わが家が、戦や飢饉、疫病といった歴史の厄災に左右されず栄えてこれたのは、これみなすべて御神木の加護によるものだと、この契り事、儀式の重要性を得々と私に申し聞かせるのであります。
  私はあまりの衝撃に、憤りとか恐怖とかそういったすべての感情を通り越し、深閑とした思いで、それらを聞いておりました。ただ、兄にこの事実を話そうと話すまいと、兄を失うことには変わりないのだとそのひとつの事のみを、呆然と思っておりました。
  兄と私はどこへ行くにも何をするにも常に一緒で、たいそう仲の良い兄弟でありました。快活で賢しい兄と、おっとりとした私。おたがいがおたがいの、もっとも大切な宝物。そして安らぎでありました。
  夜布団のなかで、たがいの躯の隅々に手を唇を這わせ、猫のようにじゃれあうのは、幼い時分からの兄と私の常でした。
  その、おのれの半身とも思う兄が、いま、葬り去られようとしているのであります。
  雨は朝から屋根を刺し土を抉るような勢いで、どど、と降っておりました。激しい雨は、家の外に音の漏れるのを防ぐのにうってつけであります。
  十五を迎えてのちの最初の雨の夜が、儀式の日…決行の日と打ち合わせられておりました。
  夕食に一服盛られた兄は、ゆっくりと躯の隅々にいきわたった薬によって、何も知らぬままぐっすりと眠っております。
  儀式は、この兄の息の根を止めることからはじまりました。