9月1日

 エンジン、かろうじてかかっている。いや、熱をはらんでくすぶっている状態。体力と気力が尽きて、2日、ほとんど眠っている。まあいいだろう。
 現実との境界が曖昧。一日中、世界の中にいる。世界が疲労感で、映像からスープのような液状になっている。ぬるま湯にひたったまま、とろとろといねむりしているような感じだ。感覚が去っていない以上、大丈夫、まだ書けるはずだ。その証拠に、脳内キャビネットにありながらも、タイトルのついたこの世界の引き出しはあけられっぱなし、熱をはらんだまま息を潜め待っている。感じる。目で唇で立ち上る気配で誘われてる。逸らせない。彼らが待っている。
 ”セリフが主”なシーンから”皮膚感覚”のシーンに入った時、身も心も炙られどろどろに溶かされたのはいいが、いびつなシンクロ状態というか、溶かされ尽されたのに反し、言語変換はフリーズ状態に陥った。言葉がひとつもみつからなかった。すさまじい消耗。これが痛かった。…書けるか、このシーン。紙面まで落せるか。ボロボロでもかまわないから。空欄にしたくない。液状から映像にたちあがるまで休んで、再チャレンジだ。
 最後までたどりつきたい。ざっとでいい。荒書きで。まだ半分まできていない。


9月2日

 ストレスが食に直結している人間はよろしくない。
 しばらくぶりに体重計に乗った。
 生まれてx年、人生最大の重量に暫し固まる。…あ、みなかったことにしよう。英断。即決。いま、それどころじゃないし。──しかし。
 体重計からは逃避できても、日に日に肉付く現実からは逃避できない。鏡が服が無言で訴えてくる。立てば肉詰め座れば肉まん、歩く姿は埴輪君。ああ…。ドンガメの未来やいかに。


9月3日

 ひたすら眠る。
 昼前に目が覚める。朝兼昼食。その後睡魔に襲われ、かろうじて枕を用意。床にころがって眠る。おそらく二度、水分補給に起きる。すぐ眠りへ引き戻される。目が覚め、”あ、身体が動く”と自覚し、時刻を確認するとPM6:00。買い物ついでの軽い散歩。就 寝までの、普通の人の睡眠時間にあたるわずかな時間が、本日の活動時間となる。…。


9月4日

 せっかく”降りて”いる最中にもかかわらず、体力気力がついてこない。やはり何をするにも体力は必要なのだなと痛感。
 数日前、起床後、水を身体がうけつけず飲むことができなかった。買い置きしておいたDAKARAを代用。少々ショック。もちなおしかけていた食生活がいっきに逆戻りし、主食にご飯をうけつけなくなって約2ヶ月。コントロール不能状態に陥っていたからなぁ…。O氏より、食生活の再度立て直しにむけ、週に二度、O氏宅にての夕食の申し出有り。有難く受けることにする。
 半ば強制的に、新しいフラグをたてる。
 日常に、エクササイズをとりいれることにする。
 そーとーな昔はしていたことだから、まあなんとかできるだろう。というより、書きたかったら待った無しという現状だろう、これは。書架をみたら、昔使用していたテキストがなくなっていた。なんとなくは覚えてはいるが、うる覚えでやるのは危険だろうし、なによりあれらをやるのかと思うとげんなりした。無理。いまの私には無理。で、まったくの別メニューを選択。全エクササイズでおよそ1時間。
 現状、一日のなかでふたつ以上の事項を行うことはまだ無理な為、エクササイズがある程度日常化するまでは、物書きは中断。大丈夫、まだ”降りている”状態はのべーんとキープできているので、なんとかなるだろうと判断する。
 他、サプリメント使用。夕食後に、香酢のカプセルとマルチビタミン&ミネラルのカプセル。最後のひとくちをやめる。甘いものはやめられないので、ココアとチョコレートはよしとする。


9月13日

 5〜8日。エクササイズをすると汗をかく。その汗が百年の恋もさめるような異様な汗だ。とにかく臭い。とてつもなく臭い。もろ、毒素出してます、というような汗だ。部分的にだる重い感じがあるものの、全体的には身体が軽い。筋肉痛は無し。
 9〜11日。汗の臭いがぐっとやわらぐ。代わりに、喉が痛い。9日朝眼が覚めた時には一瞬風邪をひいたのかと思ったが、それ以外は昨日とかわりない体調なので、ああ、おもいっきり滞っていたリンパがまわり始めたせいかな、と思い至った。以前にもいちど経験があるからだ。
 12日。喉の痛みはだいぶやわらいだ。が、身体がだるく、どうしてもエクササイズをする気になれない。思いきって休む。午前中は眠りっぱなし。夜入浴中、肌の感触が変化していることに気付く。エクササイズのせいか季節の変わり目のせいかはわからないが。油分がかなり落ちた。といって私の感覚ではかさついている感じはしない。
 13日。喉の痛み、まだ少々残っている。通常通り、起床後水分補給。身体が起きたところで、エクササイズをする。30分後、朝兼昼食。
 エクササイズをするようになってから、姿勢を意識するようになった。上半身。腰に乗る位置が、ああここなのか、と実感。
 気温が下がった為か、下半身の冷え。上半身は問題なし。上半身と下半身の流れのバランスが悪い。


9月24日

 エクササイズをはじめてから約三週間。私の場合、週に1〜2回完全OFF日を入れる必要を感じた。これを情けないととらえるか、3月からみればとてつもなく前進したとみるべきか。まあ、あせっても仕方ない。少しずつ、カメの歩みでがんばろう。


9月26日

 ここしばらく調子が良いので、午後思いきって某作業をしたところ、夜になって精神的にどっときた。こういう時あらためて、自分が思っている以上に深手となっているのだと痛感させられる。本当に、たとえば記憶というものが心臓等の臓器であったなら、ざっくりとメスを突きたて抉りだし、きれいさっぱりなくしてしまえるのにと思う。それとも、もっと自身に衝撃的な負荷をかければ、記憶障害を起こしなかったこととして脳が処理してくれるのだろうか。…何を考えているんだか(嘲)。
 自分が弱いといえばそれまでだ。──落ちつこう。頭をからっぽにしよう。愚かしいことは考えない、努力をしよう。現状メンテナンスができないのなら、蓋をし、鍵をかけるしかない。…疲れる。いつまでこんなことをくりかえすのか。


9月27日

 気分は昨日の続編状態。
 人を憎みたくはない。罵るのも嫌だ。怨みたくもない。そんな感情に時として嵌りそうになる自分を蔑む。そういう自分が嫌でたまらない。いつからこんな卑しい自分に成り果てたのかと泣きたくなる。過去にできない。いつまでも生々しい傷のままだ。
 いったい私は何をやっているのだろう。昨年は対処に手一杯だった。今年に入り、静かな時間のなか、自分がどれほど傷ついたのかを実感させられ、過ぎたことに翻弄され苦しめられている。…そうではない。他者には過ぎ去ったことでも、私にはまだ過去ではないのだ。まだ現在形なのだ。裂かれたのではなく、いまなお裂かれ続けているのだ。泣きたくもないのに、涙がこぼれる。いまなお囚われ続ける私は、ほんとうに愚かだ。記憶をバラバラにしたい。何も考えたくはない。私を裂いておきながら、平然と笑い、忘れた顔で暮らす彼らが時として許せなく思う。許せない自分が許せない。いっそ壊れてしまいたい。
 人は誰しもが傷を抱えて生きている。だから、こんなことはなんでもないことだと呪文のように自分に云いきかせる。いつ、その呪文なしに暮らせるようになるのか。
 さいわいなのは、私は自分を不幸だとは思っていないことだ。辛いが、不幸だとは思わない。私のなかには、”幸せポッケ”なるポケットが存在する。私はそこに、時々、ガラスの欠片のような金平糖のような”幸せの粒”を他から与えられ、そっと入れる。たとえば夕暮れの空であったり、私に時間を与えてくれる人達であったり、与えてくれる者達は様々だ。
 辛いときはあっというまに消費する。意図して補充できるものではないから、からっぽになるときつい。はずみでポケットからなかみが零れ、からっぽになってしまった時はなお辛い。
 いまポケットは空。だから余計に泥沼に嵌ってしまうのだろう。