11月16日

 7日〜13日。
 数日前、ふと、部屋の乱雑さが気になった。それからなんとなく落ちつかない。本を購入しても収納する場所がない。結果、気がつけば床に積み上げられている。
 引越し時、ダンボールから出し適当に収めた状態のまま生活をしてきた為、いまひとつどこに何があるのか把握しきれていない。クローゼット内も雑。
 これまでの人生のなかで最も乱雑な部屋だ。
 これまでは”気になる”ゆとりが自分になかった為、何も感じずに暮らしていたが、なんとなく気になり始め、7日、ついに我慢できなくなった。一週間かけて整理をする。
 二日間はパワー全開でできたが、3日目からは疲労を蓄積させた状態で必死だ。休みたのは山々だが、いったん休息を入れたら最後、動けなくなることは必至。その時点で整理整頓も頓挫するであろう事は目にみえていた為、もう、どろんどろんになりながらやり遂げた。おおっ!
 人生最大の乱雑部屋からの脱出、やっと自分本来の空間になった。
 だいぶ無理をしたが、かなり、相当、とんでもなくひさしぶりに一週間丸々活動することができた。おおっ!
 一週間労働するということが、こんなにも体力気力を必要とし疲弊するものだというのをつくづく感じさせられた。これを皆普通にやって暮らしているのだ。すごいのひと言だ。以前は私もしていた事。少しずつ良くなってきてはいるのだ、あせらずがんばろう。
 12日〜15日。
 ダウンする。12日、丸々寝る。15日、夕刻、少し活動。
 回復が早くなった。よしよし。
 16日。
 疲労が抜けず、かなりギリギリまで迷ったが、合唱団の練習に出る。

11月17日

 新宿でお茶する。いつもと違う席。景色が少し変わる。良い時間を過ごす。

11月22日

 月曜、母から電話有り。普段は考えないようにしているが、突然現実に我にかえる。その、正気の一瞬が怖い。自分が、薄氷の上を、あるいは薄い刃の上を歩いているのだと思い出させられる。思い出した瞬間に、足元でぴしりと氷のひび割れる音を聞く。すっと足裏が切れ、生暖かい感触に身が総毛立つ。
 体調のことも仕事のことも話していないが、仕事面では親なりに推察している。まさか、その推察以上の状況下だとは思わないだろう。触れられるのは、やはりきつい。心配されているのはわかるのだが。
 追い込まないようにと、自分で自分に何度も言い聞かせる。できるところから、少しずつ積み上げていくしかないのだと。何年か分の疲弊、その後の打撃と疲労、そのすべての結果がこれなのだ。身体を起こすことさえできなくなったところ、書くことはおろか何も手につかなくなった状況下から、ここまできたのだ。だいじょうぶ。あせらなくていい、ゆっくりでいいと、何度も自分に言い聞かせる。散歩ができるようになった。春にはできなかった深呼吸が、夏にはできるようになった。吐き気がして入れなかった書店に入れるようになった。本が読めるようになった。TVを見られるようになった。書けないが、時々ぼんやりと考えている。趣味の方しかまだ無理だけれども。それでも、考えられるようになったのだ。それでも、ほんの僅かずつではあるけれど、前進していると思いたい。
 だいじょうぶ、もういちど書けるようになると云ってくれるひとがいるのは、ほっとする。あせらなくていい、がんばっているのだからがんばれとは云わない、と。忙しいなか泣き言につきあってくれてありがとう、Y氏。
 出口のみえないトンネルにいるのは、ほんとうに不安で恐ろしい。

11月24日

 突然、なかに入ってきた。
 書けなくなる直前にあがっていたプロットのラストシーンが。
 AとB、ふたりの親友。ふたりの情景。ふたりの感情。
 涙が零れしばらく止まらなかった。
 たがいに思いやりあい…。この結末、だからこそのこの結末なのだ。
 ああ、だからこその、このラストシーンなのだ。このシーンの為のストーリーなのだと痛感させられた。
 …あせらない。ほんの一瞬の出来事だったが、仕事の方のシーンが下りてきたのだ。それだけでも、進歩だと思おう。もういちど書けるようになると信じたい。信じたい。

11月30日

阿木燿子プロデュース「HLAMENCO曽根崎心中」