2月2日

 昼食を外でとる。ボロボロの食生活、ひとと一緒の時はコントロール可能。ひさしぶりに、ごく普通の、まともな食事内容。食事後、場所をかえてお茶する。自己嫌悪から脱出。

2月3日

 O氏宅へ。食の状態から、コントロール補助のため、2月、週に1〜2日O氏宅で夕食をとることになる。

2月4日


 10年ぶりくらいに、友人K女史とTELする。
 31日ほどではないが、2日から今日まで、人と会話をしていて、やはりどこか自分に違和感を感じる。O氏に感謝。

2月5日

 どうも身体が音をあげたらしい。まったく食べたくない。起きがけにDAKARA、昼食にホットココア、それ以外口にできたのは、お茶と白湯のみ。まあいいか、そんな日もある。

2月6日

 起きて、DAKARAを飲む。後は白湯とお茶が続く。体温がいつもよりあがらず、頭がひんやりとしている。熱を下げるために、氷嚢をあてっぱなしにしているようなかんじだ。
 午後2時過ぎ、本を読むのを放りだす。視界に入っても読めなくなった。頭に霞がかかったたようで、思考がいまひとつ。夕刻、頭は食糧補給を訴えているが、内蔵は拒否の意。うーん…。悩んだ末、インスタントのポタージュスープとブルーベリーヨーグルトを食す。

2月13日

 国立劇場会場40周年記念人形浄瑠璃文楽「摂州合邦辻」
 文楽初体験。死んだ役の人形は舞台上に置きっぱなしになるときいていたが、本当だった。
 特に、玉手御前(の人形)が本当に生きているような動きで、すばらしかった。
 玉手御前:吉田文雀

2月16日

 狂言「財宝」
 能「野守」

2月17日

 龍谷大学講座「尊厳死と安楽死をめぐって」

2月中旬から下旬

 食欲もどる。副菜食べられるようになる。が、主食は御飯、パン、麺受けつけず。口にできるのは、スナック菓子かおせんべい。
 メンタル面、あまり良くない。
 人との会話、どこか自分でない自分が口をつかっている感じ。コントロールがいまひとつきかない様子。
 時々、すさまじい暴力衝動。甘えたり食事をねだってくる猫に怒りを覚え、罵声を浴びせて何度も蹴り殺したくなる。猫の、ささいな行動が、とにかく癇に障る。発作のように唐突に沸きおこるたび、必死で押さえ込む。へとへとになる。それだけで神経がすり減っていく。幼児虐待をしてしまう親の心理状態もこんな感じなのかと思った。
 何日か必死で戦っていたら、ある日突然自分で自分を殺しそうになった(あるいは自分に殺されそうになった)。”死にたい”という感情ではない。自分のなかの自分に”死ね、死ね”となんどもなんどもくりかえしあびせられながら、追いつめられていく。自分が3種類の感情に分裂し、それらに支配される。”猫を殺せ、殺してしまえ””死ね、死ね、はやく死ねよ”と激しく責めたてられる。逃げる場所がない。頭をかかえ身をちぢこませ残ったひとつが”たすけて”と助けを求めくりかえし叫んでいる。
 3つの感情のせめぎあい。
 それらすべてを必死で押さえ込んでいく。すりきれ、ボロボロだ。
 同じ”死”でも、”死にたい”と思うことのほうが、より正常な気がする。自分が自分を殺そうとするのは、あまり良い状態ではないと思う。
 一昨年にもいちど自分に殺されそうになったことがある。ある記録をつけている最中、”死ね”といくども責めたてられた。逃げ場がなく、ブツンと頭のなかでなにかが切れる音がし、気がついた時には、なんだかひどく頭がぼんやりとし座り込んでいた。記録をつけていたノートは閉じられていて、そのノートに、ひどく恐怖心を覚えた。”絶対に開けてはならない”、それが、いちばん最初に思ったことだ。
 自分を殺そうとしたこと、自分に殺されかけたこと、それは記憶にあるが、その原因がわがらない。思い出せない。ノートのなかにそれが書かれているのだ。けれど、私の記憶にはない。そして、現在も失われたままだ。
 なにがトリガーになったのか、思い出そうとすりと恐怖心でいっぱいになる。パニックを起こしそうになる。このブラックボックスは、開けてはならないのだ。全身が警鐘を鳴らす。こうして書いている今も。触れてはならないと。