6月1日

 もうずっとパソコンを起動させる気持ちになれずにいた為、HPも放置。ようやく今日、更新用のデータをつくる気になり、作業。1月下旬から4月の日記は、メモから起こす。

6月3日

 ここ数日体調が悪くなく、ひさしぶりに布団がほせた。ほしたとたん、いつもはたたんである布団を寝場所にしていた猫が、”布団がないっスぅ〜”とついてまわり、いっこうに眠らない。こちらがすわれば膝にのっかりご休憩。けっきょく彼が眠ったのは、布団をとりこんだ後だ。”あ、ほしたての布団っスね!”とさっそくのっかりぐーすかぴー。私の布団だというのに。ほしたてに私より先に寝るか。べつにかまわないが…。だが複雑だ。

6月4日

 ここ数日、時々午後、なんとなくだるく眠気に襲われることがあるが、今日のは強烈だった。あ、眠いと感じたときには、もういっきに睡魔にひきずられ、あー待てせめてマクラーっっ、と思い、マクラをつかんで床にころがった。目覚めると、三時間を過ぎていた。
 それでも体調悪くないので、延び延びなっていたレンタルカードの更新にでかける。特典を使い、DVDを無料レンタルする。

6月5日

 たとえば心に丸いガラスの金魚鉢がある。ふいに気付くと、透明な水がちゃぷりと音をたて溜り揺れている。飛沫が星屑のかけらのように闇にきらめいて、それが心にコトリと落ちた。ひとつの光景。
 ちいさな一軒家。
 私は十四歳の少年。
 玄関に佇んでいる。
 僕がそこで感じたこと。
 それが最初の一文だ。
 以前のとは別口でいくつかイメージを追っていたモノのひとつの出だしだ。こんどこそ書けるか?つかみきりたい気持ちと、まだ自分は書けないという感覚がある。どちらがより強いかといえば後者のほうだ。だが、ぽつりとひとつのシーンをつかまえると、なんとかならないかと足掻いてしまう。
 いくどもそれのくりかえし。失敗し、失速をくりかえしてきたが…。また失敗するかもしれない恐ろしさ。けれどやはり私は光景をみつめる。他のシーンには今だ移らないのに、そのシーンの僕の心がひたりひたりとおしよせ不安に押しつぶされそうになる。私は僕のたどる末路を知っている。僕になればなるほど、耐えられるかそれも不安。あくまで、つかめ、書ければの話だが。

 歯科検診の帰りの電車。乗降の度、背後に立った人がぶつかる。その男の体温、体の感覚に、おぞましさに全身が硬直し、小さな震えがとまらない。かすかな吐き気。大丈夫。こんなことは何でもない。大丈夫だ。必死で自分に云いきかせる。よほど途中で電車を降りようかと思ったが、休んで気持ちをおさえられるか自信がなかった為、やめる。むしろ、ひとりホームで何度も何度もリプレイし発作を起こしかねない不安のほうが大きかった。
 怖い。おぞましい。気持ち悪い。そう感じる感覚。どうしようもないのか。ごくまれに大丈夫な者もいるのだから、何が違うのか。

6月6日

 もう何ヶ月も、同じジャンルの本しか読めない。そんななか、観られるかどうかわからないが資料としてレンタルしたDVDを観ることができた。そして、参考となりそうな箇所を書きだせた。おおっ!

6月18日

  国立能楽堂 能楽鑑賞教室
  狂言「仏師」
.   能「葵上」
 おそらく招待された学生で客席が埋めつくされ、一般客はわずか。
 私は、学生にこういう機会は大切だと思っている。が、鑑賞するにはそれなりのマナーが必要になる。課題有り。こちらが鑑賞しにくく、おもわず「葵上」のときは頼むから寝てくれ寝ていてくれ、と心のなかで念じた。

6月23日

  国立劇場小劇場 6月民族芸能公演
  宮崎祓川の夜神楽 −霧島修験が伝えた荒舞ー
 三部通しで鑑賞する。

 電車内。故意で鞄がぶつかったり体が接触したりしているのでないことは頭ではわかっているのだが、心理的感覚的なものがついていかない。おぞましくておぞましくてたまらない。そのたびおもわず悲鳴をあげたくなるのを必死で自信に云いきかせ、こらえ続ける。悪寒が走り、体が硬直し、微かに震え続ける。大丈夫だ。大丈夫。何も起こらない。大丈夫だ。こんなことは何でもない。浅くなりそうな呼吸を意識的にゆっくりに変える。頭を掠めるものは必死で追い払う。大丈夫。
 私は大丈夫。

6月下旬

 夕刻の買い物。食品売り場にて。
 トマトフェアで足が止まる。
 脳内での会話。
 「ん?どうした?」
 「トマト」
 「トマトですね。もうそんな季節ですか」
 「だな。食いたいのか?」
 「ん」
 「そういえば、うけつけなくなってしばらくたちますね」
 「買うか。ためしに一個。」
 「それ、や。」
 「どれがいいんです?」
 「これ」
 「お試し買いとしては、少々割高ですね。一口サイズがいいのなら、プチトマトがありますよ」
 「や。これ」
 「うーん」
 「ま、いいんじゃねの。食う気になってんだから」
 「ま、いいでしょう」
 「ん、このトマトなら食べられそう」
 かくして、トマト復活。