12月7日

 Y氏とTELする。感謝。有難うY氏。

12月9日

 舞台「ビューティ・クイーン・オブ・リナーン」
 モーリーン 大竹しのぶ
 マグ 白石加代子

12月15日

 合唱団の団員、某氏の葬儀告別式に参列する。彼のパートナーも団員で、団員同士の結婚だった。かける言葉みつからず。
 参列は自由参加だったにもかかわらず、多くの団員が集まった。彼女の希望で、団の歌「あたらしき友」そしてモーツァルト「レクイエム」より「ラクリモーサ」で送る。
 心からのご冥福を祈ります。

 午後遅く、知人の人形作家の合同展に行く。
 合唱練習が続き、又、今日急な予定が入ったこともあり、疲労がかなりピークに近い。状態を考えた時、葬儀告別式への参加もかなり迷ったが…。
 やはりぎりぎりまで迷い、人形展に行くことに決めた。行ったかいはあったと思う。彼女の作品をみた瞬間、印象がとても良かった。

12月18日

 小林研一郎先生を迎えての練習。
 限界近いのだと感じる。どこかで調整しなければならない。
 帰り、電車内で発作を起こしそうになる。途中、ホームのベンチでしばらく休む。発作にまでいかずおさまったのでホッとする。が、そこから恐怖心に襲われる。
 時間を恐怖する。帰宅時間が10時30頃と予想したとたん、食事をすることへの恐怖心にみまわれる。
 食事をすることが怖くてたまらない。怖い。怖い。怖い。すさまじい恐怖感。食べはじめたら止められる自信がない。こんな時間に食事になることへの恐れもでる。太ることが怖い。わかっている。現実の体重は適正で、私は太っているわけではない。だが、自分でデブに思えて仕方がない。やせなければ、みにくくなりたくない、そればかりがぐるぐる頭のなかをめぐる。40キロを切らなければみにくい、普通でない気がしてならない。強迫観念。危険な思考だと理解できているのに止められない。これは危険な兆候だ。わかっている。はまってはいけない。とても危険だ。自分をみにくいと思ってはいけない。みにくいと思ってはいけない。みにくいと思ってはいけない。食事をすることが怖くて家に帰りたくない。
 電車に乗っているあいだ、恐怖との戦い。泣きそうになるのを必死でこらえる。食事することが怖い。怖い。怖い。怖くてたまらない。思わず誰か殺してくれとさえ願う。
 最寄り駅で迷わずコンビニへ。この頃落ちついていたというのに。シュークリームとプリン購入。なんとか2個におさえる。貪る。外出前に、キャベツと春菊と豆腐のコンソメスープを大量につくっておいてよかった。でなければ、何をがっついて口に入れたかわからない。恐ろしい。
 殺してくれと思わず願ってしまうのは、まだまともな方なのだと思う。発作的にあるいは無意識に、凶器を握っていたり飛び込もうとしていたりするよりは。あの時よりははるかに良い方向をむいている。けれど、今、メンタルな部分だけで手一杯だったものから今後の生活という現実的な問題がようやくみえはじめ、それとも戦わなければならない。正直、いや、みつからない。まだ何も。強くありたい。書いていけるのだと自分を信じてあげたい。

12月19日

 疲れた。

12月20日

 練習、途中で歌うのをやめる。続けられなかった。後は座って見学。練習終了後、突然吐き気に襲われトイレにかけこむ。吐きはしたが、だせるものがない。
 最寄り駅でコンビニへ。甘味、2日前の倍の量を買う。
 太りたくない。怖い。食事量が増えてきている気がする。これを呼び水に、また暴食がはじまるのではないかと不安。
 食後腹痛。

12月24日

 ここ数日、昼近くまで起きられない。又、午後うたたねをして過ごしている。

12月27日

 本番。サントリーホルにて。
 指揮:小林研一郎
 日本フィルハーモニー交響楽団。
 ベートーヴェン交響曲第9番合唱付

12月31日

 本番。東京文化会館にて。
 指揮:小林研一郎
 イワキオーケストラ(コンサートマスター篠崎史紀)
 ベートーヴェン交響曲第1〜9番合唱付

  両親へ
 トラブルに見舞われ攻防の一年、その後体調を崩し仕事ができないまま2年が経過しました。いろいろ思い云いたいことは数あるでしょうに、それを口にすることなく静観していてくださることに深く感謝いたします。

  私のために時間をくださる方々へ
 お会いすること。電話。メール。
 あなた方がいなかったなら、今日ここまでの回復はなかったと思います。
 心から感謝申し上げます。
 残念ながら、私にはあなたがたに感謝申し上げる他かえすものがありません。もういちど書けるようになることを信じてくださる皆様のお気持ちに、少しでも沿うことのできる自分でありたいと思います。

 第一線にいた頃から、私に足りないものは自信だとよく云われていた。
 そして現在、この状況下にあっても、これまで積み上げてきたものに自信を持って良いのだと云ってくださる。自信を持つということは、とても難しい。私には到底できそうにない。けれど、自分を信じようとしなければこの場所に立っていられないのも事実だ。
 トラブルに見舞われた3年前、ある人に私はもしこの件を書けといわれたらどうすると訊かれたことがある。私は迷わず書きますと答えた。即答だった。あの時の私が、私の信じようとするもの。そして書けると云ってくださる皆様の言葉。
 書けるようにならなければ。どんな稚拙なものおはなしにならないレベルのものであっても来年こそは書けますように。そこからひとつひとつ積み上げていけますように。支えてくださる皆様の気持ちにこたえられますように。
 2年前体調を崩したとき私はこれほどの長いあいだ回復しない状態になろうとは思ってもいなかった。それほど自分が傷つき疲弊していたのだと、いまようやくわかりはじめている。がんばろう、私。そう思えるところまでようやくきたんだよ。後どのくらいの道のり月日がかかるのかわたらないけれど、がんばろう。