1月1日

 3時のおやつを食べてしまう。こんなことはあってはならない。おかしい。
 とにかく、食事後、少しの間をおいて後食べたくて食べたくてしかたがないのだ。これはニセモノの食欲だ。
 嫌になる。太る。頭は満たされたが嫌になる。本当に嫌になる。
 夕食止まらない。食べても食べても止まらない。恐ろしいことに。始末が悪い。ひさしぶりに一日の総カロリー3000楽に越えたと思う。今日は動く気がせず一日中家のなか。最悪。口に入れたすべてが身につき太るのかと思うとゾッとする。またこのところ落ちついていた過食に走るのではないかと恐ろしくなる。怖い。たんなるこのところのストレス疲れからくる一時的なものでありますように。どうか。
 たすけてください。どうか。何故食事することに恐怖心をもたなければならないのか。私はみにくい。これ以上みにくくはなりたくはない。いや、そう思うことが恐ろしい一歩だ。みにくいと思うことにすがりバランスをなんとかとろうとする精神状態。大丈夫。大丈夫なんかじゃない。何故自分は体重がこんなにもあるのか。何故30キロ代ではないのか。身体に脂肪があるのか。食欲がなくなってしまえばいいのに。思ってはいけないことだ。

1月3日

 自由に生きるってなんだろう。
 新年の挨拶に、実家と独立している妹にそれぞれTELした。
 妹から云われる。もう良い子でいることはないんだよ、自由に生きていいと。

 書く。
 今日最後のピースをうめる。
 最初の一行から最後の一行まで書いた。書けた。ただし完成はない。推敲ができないから。文を研磨するにはいたらず。
 1ヶ月以上の期間のうち製作実質日数およそ10日程。インターバルが長い。1日2時間というところ。作業が終わると大概自動的に眠る。消耗するらしい。原稿用紙に換算すると何枚だろう。おそらく10〜20というところ。
 最後に書いたネーム、趣味の短編、どちらももう三年も前のことだ。
 長かった。

1月6日

 新宿にてお茶する。
 前回、次回までに書けるところまででいいから書いてみてくださいという課題を与えられていた。7対3でできるかできないかという感覚だった。最後まで書けたものをみせることができて嬉しい。かえってきた反応が思っていた以上に良くて嬉しい。
 一歩歩みだす。少しずつ積み重ねていけますように。

1月13日

 昨日は一日中うたた寝状態。どこか疲れているのだろうか。
 今朝体重計に乗る。予想以上の数字に血の気が引いた。動揺する。精神的に不安定な自分を再認識させられてしまう。昨日の夕食、歯止めがきかなかったのだから仕方がないのだと自分にいいきかせつつ、体重元に戻るのか不安。今日も食事のブレーキかなりかかりにくい状態。嫌だ。
 部屋の掃除したい。ざっとでいいから。自分をみているようで嫌だ。けれどまわせる余力なし。座っていること。ぼうっとしていること。これでしばらく一杯一杯だったりする。
 耳鳴り。
 原稿、書けないかな。書く気力なし。気持ちはあってもエネルギーがない。精神力も体力も、どちらのエネルギーもないのだ。それでも目の前には用紙、ハイユニのHB、辞書。

1月18日

  狂言「磁石」
  能「梅枝」  シテ:梅若六郎
 今日の舞台は、演じる側にとっても観る側にとっても厳しい舞台だった。観客側に問題があった。前シテの途中で、突然話しだす年配の女性客がいたのだ。となりの連れらしき男性客が制止しようと努めてはいるが収まる気配がなく、数分続いた。
 話しだされた瞬間、私の緊張感がブツンと切れた。ぴんと張った糸にハサミが入ったような感覚だった。舞台上の緊張感も気のせいかゆるんだような気がした。ことに前シテを案じた。そこまでの緊張感集中力がすごかったので。この状況下で立て直し演じていくのは大変だろうと思いながら観る羽目になってしまった。
 次に、再び緊張感が戻ってきたとき、会場に響きわたるイビキ。眠ってしまうことに私はとやかく云わない。が、これは厳しい。またこちらの緊張感が切れた。がっかりだ。
 が、それでも終了後の感想、良かった。
 謡、良かった。ことに後シテの面の表情にとても魅せられた。

1月21日

 昨日深夜、TVにて藤臣柊子氏の密着ドキュメント番組をぐうぜん観た。ウツ、それから変遷した新たな病名。それをかかえながらの生活の様子。共感。また、一部うらやましくもあり。仕事ができている。仕事の場がある。病と共にありながら、自立できている。
 自分がダメな人間に思えてしまう。落ちこんではいけないとはわかってはいるのだが。
 体重に、少々ピリピリ気味。べったりと身体にはりついている肉が気になって仕方ない。
 書くことについて。
 1月6日のお茶以来、ずっと二話目にチャレンジしている。一話目もそうだが、完成は考えない。とにかく、最後まで書ききること。それだけを考える。
 出だしを書き、ラストのおおまかな文章を書き、それからの作業が思うように続けられず…の日々のなか、普通に書くことをやめ、分解書きすることにした。ネームをつくる要領。それでも思うように進まない。少し書いては長いインターバルをくりかえし、昨日ようやくセリフのみラストまでたどりつく。見直さなくても出来はわかる。ひどいものだ。ジグゾーパズルでたとえるなら、ああこんな感じの絵か、とわかるが、実ははめられたピースは正確なものではない。どうしてもみつからないから、とりあえず似た感じの色・模様・ピースの形を探しだし、無理矢理ねじこみ絵の形をつくった風だ。いびつ、でこぼこ、色だけ合わせりゃいいってもんじゃないだろ…等があきれかえるくらいある。
 が、直さない。とにかく、あげることだけを考える。これからセリフとセリフのあいだに、みえる情景、彼らの動き、感じる感情のうねりを書いていく。
 といいながら、今日はできない。用紙さえ用意できない。また書けるまで待つしかないのだ。書かなくてはとは思うのだが。
 昨日はひさしぶりに入った。泣きっぱなしの二時間だった。前半は押し寄せてくる感情に唯泣き、後半は泣きながら書いた。それでも制度は良くない。感情は入ってしまっても、文字までそれをうまく落せない。彼らが感じていること、話すこと、聞こえること、みえるもの、それらを実際文字になったものとのあいだにズレがある。すわりの悪さ。
 もういちど入りたい。入っているときのあの感覚。物語の世界とシンクロしている恍惚感。離脱した直後のえもいわれぬ幸福な虚脱感。忘れられない。

1月22日

 体重増加がとまらない。信じられない数字に軽いパニックに陥りかける。どうしようどうしようどうしよう。醜くなる。太る。怖い。首括りたくなる。ストッキングが頭に浮かぶ。パニックになってはいけないと必死。
 朝から胃が重く気持ち悪い。

1月25日

 妹から電話があった。掲載漫画に意見をしたいのだが、どこに電話をすればいいのか教えて欲しいと云う。普段そういうことを考えたり実行しようとしたりする妹ではないので、少々驚いた。
 きいてみると、某大手出版社の低学年向け漫画雑誌だった。そのなかのひとつ。
 これまでもかなり気になる言葉や目にあまる表現(たとえば脳ミソが飛び散るようなもの)があったのだそうだが漫画の表現なのだと気にしないようにしてきた。だが、今回は1ページ全部が”死ね死ね”という言葉になっていて、これは許容できないとのこと。息子がこれを笑いながら読んでいたのがとても悲しかったと云う。
 妹自身漫画を読むし、もしかしたら絵がおもしろかっただけなのかもそれないと理解しようともしている。それでも子供への影響を考えこんなものはみせられないと反応するのだから、よほどの内容表現だったのだろう。低学年向け漫画の責任、表現の難しさを少々考えさせられる出来事だった。

1月30日

  「新・雨月物語」
  脚本・構成・演出:鐘下辰男 出演:月影瞳
 演出良かった。月影さん、良かった。
 男性出演者共通、セリフで早口になると何を云っているのかとてもききとりにくかった。

1月30日

 20日以降、まったく書けない。器用はなんとか集中できそうな気がする日があっても、けっきょくどこかエネルギーが漏れたような感じになってしまい書けずに終わる。何故かわからない。悪い方向ばかり考えてしまう。先月書けたのは、まぐれだったのではないか。そう考えるのはまだマシだ。ここ数年の過去の嫌な記憶や感情がおしよせる。今後の不安にかられる。それらと戦うのがしんどい。自分はやはりもう単なる怠け者、堕落した人間になってしまったのではないか、そんな気持ちになるとたまらない。先がみえない。
 今月も本まったく読めず。かろうじて数冊買うことは買ったが。書店による気力物色する気力もなし。立ち寄ってもセンサーが働かない。家にある本にも手が伸びない。たまにぱらぱらめくるのみ。まいったな。
 大丈夫。まぐれだったのなら、それはそれで仕方ないじゃないか。まったくのふりだしに戻ったわけではないのだから。また書く気持ちになるまで待つしかない。ここまでそうしてきたのだから。信用信頼を失うのが怖いのだ。とても。
 自分でも働けばいいのにと思う。けれどそこまでの気力ない。以前よりは良いのだけれど。働き者ではないが、怠け者は嫌だ。何もしないまま時間が過ぎる日々。昔の自分はどこへ行ってしまったのだろう。