4月3日〜4日

 ひさしぶりに書店。そして本を買う。吐き気まではいかないが、少し気持ち悪くなる。これもひさしぶりの感覚。
 文庫本は、買ったものの読めない。買えたのもひさしぶり。買えただけよしとしよう。だが、本音は読めないのはやはり負担が大きい。何故読めないのか責めるまではいかないが自分をつついてしまう。
 漫画雑誌、ざっと目を通す。どうしても自分と比べてしまい、おちこむ。おちこめば、不安になる。不安になれば、不安定になる。不安定になれば、自分を追い込み始める。
 ダメだダメだダメだ。
 やっと書けるようになったのだ。自身の足元だけをみていよう。大切。そこを見失わないように。大丈夫。大丈夫。

4月5日

 二話目、手直しできるだろうか。
 できるかどうか、明日からやってみよう。
 できなかったら仕方ない。気持ちを切り替えて、新しいものを書いてみよう。
 本当は、できなかったらどうしようかと不安。できないのは自分に力がないから。それを認めるのが怖いのだ。できますように。どうかできますように。できますように。
 微妙なバランスで立っている自分。ほんの少しのさじ加減で危うい方向にころがるのがみえるから、注意。みえるということ…その状態がわかるのは良いこと。大丈夫。大丈夫。ここまできたのだ。がんばろう。
 自分にプレッシャーをかけすぎないこと。追いつめないこと。できて当然と思わないこと。自分で自分に求めるレベルを上げないこと、ハードルを高くしないこと。最後まで書くことが目標。これだけを考える。これができることをキープ…ああ、それも”絶対できる””しなければならない”となってはいけない。ほんの少しの意識の違いが自分を追いつめる。
 書けなかったら、書けるところまででいい。それもできなかったら考えられればいい。最後まで書くことを、できて当然と思わないこと。今年の目標。
 ヘンな目標だな。けれど、とても重要。
 とても重要。
 できて当然と思わないこと。

 休息きちんととれていない様子。少々心配。
 とても忙しいなか時間をいただいている。

4月7日

 「ヴァンパイア騎士」
 疲れてこの時間まで起きていられず。みられなかった。

4月8日

 「RD潜調査」
 世界観と謎を大切にするのはいい。だからといって、説明不足なのは話が別。
 ついてこられる人だけが楽しめればいいというのは違うと思う。
 惹かれたアニメだったのでもったいなく思う。

4月10日

 「秘密」
 あざとい演出はいらない。
 その仕事をシビアに、かかわった事件をドラマチックに。そしてそこに生きる男たちをきちんとえがいてあげれば、あざとい演出をしなくても、男の生き様や男性同士のつながりを感じ取って楽しんでくれると思うのだが。
 もったいない。非常にもったいない。原作がとても良い作品名だけに。もったいない。

4月10日

 「図書館戦争」
 後半しかみられなかったが、すんなり入った。おもしろかった。
 今後も期待。

4月11日

 「ゴルゴ13」
 予想していたより。出来が良かった。
 製作スタッフ、もしかしたら”ストップモーションバージョン”を観たかもしれないと感じた。
 「アト ピンホール」はゴルゴのなかで好きな作品のひとつ。次回の「RoomNo.909」もだ。今後どのストーリーをとりあげてくるのか…。

4月14日

 「ヴァンパイア騎士」
 オープニング、エンディング共、雰囲気良かった。本編も雰囲気有り。だが、大きなストーリーじたい(世界観?)はつかみにくい。一話目をみ損ねたのが大きいのか。もし”この作品の原作を知った上でみる”というのを前提でつくられているのだとしたら、残念。

4月14日

 「モノクローム ファクター」
 結構好き。こんなのをみると、少年誌やりたいなーと思ってしまう。

4月15日

 「RD潜脳調査」
 良かった。今後も期待。

4月18日

 狂言「御茶の水」
 能「歌占」

4月20日

 ここ数日、不快。とても不快。気持ちがおちつかない。じわじわと嫌なモノにどす黒く侵食されていくような心地。たまらなく不快。
 かつて共に生活をしていた人物の嫌な思い出があとからあとからぶつぶつと浮かびあがり、その時々に不快な気持ちを抱いている自分、そしてそういう自分を嫌悪している自分、それらを止めることができないのだ。
 いやらしいと思う。
 汚らわしいとも思う。
 何故自分はこういう人間なのだろう。
 いろいろな不快なものが、ぐるぐるぐるぐる身の内頭のなかをめぐる。
 誰かに吐きだせたなら楽になれるのだろう。けれどそれはしてはならないことだ。
 何がトリガーとなってこの状態に陥ったのかわかっている。
 まだふりまわされている。
 自分につけられているみえない鎖を必死で振り解こうとしているのに、ことあるごとに他所から新たにつけられる心地だ。
 何故?
 私はすべてを清算したい、零にしたいと云った筈だ。
 清算し、自分とむきあい整理する。どういう生き方であれ、今後のことはそれからでなければ考えられない。
 なのにどうだろう。この現状は。
 私は、思い出にしたいのだ。
 仕事面でその能力は評価していても、ひとりのひととして恐怖感不信感は消えない。それを相手にも周囲にもどうすれば理解してもらえるのか。この課題は大きい。

4月26日

 オムニバス心理講座「あなたと家族のメンタルヘルス」より、”トラウマとは何か?”

4月のこと

 二話目の直し、できずに終わる。
 昔は、書きたくなければ、どんな手を使ってもモチベーションをあげる。どんな最低な状態でどんな最低なものしかできなかったとしても、とにかく原稿はあげる。そういうものだった。
 それがどうだろう。
 いまは、書きたい気持ちの他、書けそうな気持ちが必要なのだ。それも、どちらも自然に上がらなければどうしようもない。いや、上がるというより、溜まる、という表現の方が正確だ。からからにひからびていた大地が気がついたらしっとり潤っている。それが透明な器へと変化し、気がついたら水が溜まっている、その溜まり具合で、ある日突然、書けそうな気持ちになるのだ。そこまで、静かに待たなければならない。待つ以外に方法がない。
 過去の自分と比べても仕方がない。いまは、いまできる方法で書いていこう。
 自分のペースで書きたいものを書きたいように書けるのは、貴重な時間だ。ゆっくりいこう。
 来月は直しができますように。

 Y氏O氏へ。感謝を。