8月1日〜2日

 何もしたくない。なのに無理矢理動いているか、ぶつんと切れたようにひたすら眠っているか。
 先月に続き、凶暴とまではいかないが、食欲コントロール厳しい。体重どんどん増えていく。どうすればいい?

8月2日

 自分はもういい大人で、いつまでも子供の頃の記憶にこだわるのはおかしいとわかっているのだが、どうしようもならないときがある。
 その思いがわきあがり、悩み、苦しめられ、どこかでどうにかなるのではないか、救われたい、解放されたい、理解されたいと思いながら、それはどうしようもないことであること、相手に求めることは不可能なこと、万が一の希望を捨てきれず行動すればするほど自己を否定され絶望的な思いだけが積もっていくこと、それが益々自身を苦しめるであろうこと、すべてわかっていると。
 自分なりに自分を納得させ、底のみえない暗い淵へと記憶も思いも沈める。
 こんなことは何でもないことだ。私だけでなく皆それぞれに有り、皆それぞれが折り合いをつけ生きている。わかっている。こんなことは何でもない。こだわるのはおかしい。
 わかっている。なのに何故、子供の頃の記憶に思いに、時折こんなに苛まれるのか。今なお絶望的な思いにとらわれるのか。
 私は両親の私に対する愛情を疑ったことはない。むしろ過度な愛情を受けて育った。それなのに、たくさんの愛情を受けながら、何度も刃を突き立てられ心が殺されていくような思いで生きていたのは何故だろう。
 心が壊れそうで、毎日怯えていた。心が脳のように幾億という細胞でできているとしたなら、その細胞が愛情を受けながらひとつひとつ砕けていくのを恐怖した。砕ければ砕けるほどより良い娘より良い人間に育っていくと信じて疑わない両親を、愛しもし尊敬もしていたけれど同時に絶望も抱えていた。
 私の言葉は、両親には伝わらない。
 どうすれば両親は、私自身を愛してくれるのだろう。
 私を縛るたくさんの鎖、枷。私を幾重にも取り囲む鉄の檻。
 私自身をみているようでみようとしない。認めているようで認めない。
 私をありのまま映しているようで、変換されている目、脳、思考。変換された私に近づけようと奮闘する両親。そそがれるたくさんの愛情。
 …きっと私は、贅沢な人間なのだ。とても子供なのだ。愛情を受けながら、期待にこたえられないくせに理解されたいと願うのは。私自身をみてほしい。否定しないで欲しい。そんなことをいつまでも思うのは。
 もう両親に何かを欲する年ではないのだ。
 時折、それでも思い出す。あの頃の私、あの頃の記憶、思い、痛み、苦しみ、絶望感。全部暗い淵に沈めたはずなのに、時折その手が底からでてきて、触れてくる。子供の頃の私は、今でも変わらず真っ暗ななかたったひとりで苦しみ泣いている。それは私自身にもどうしようもない。
 私の体には、変わらず鎖と枷がついている。両親はとうに鎖の端を彼らの手から放しているというのに。私は自身からはずす術をもたない。どうすれば…? それらはとても重く、ひきずりながら私はホフク前進しているようなものだ。
 私はあまりにも幼い。あまりにも生きる術をもっていない。稚拙な、大人という形だけをした子供だ。

 私は誰かの役にたっているだろうか。誰かに私自身を必要とされているだろうか。いらないのは怖い。

 時折思う。誰かに側にいてもらいたいと思う。同時に、誰かの側にありたいと思う。たくさんの不安のなかを泳ぐ私にちいさな勇気とやすらぎを与えてくれるひと。同じように、私が側にいることでほんの少し肩の力を抜ける…そんな心地を与えられたら…。
 …幸福な夢だ。とても愚かしい幸福な夢。

8月16日

夏コミにて知り合いのサークルに挨拶に行く。
昨日まで体調よろしくなかった為、行けるかどうかというところだったが、当日なんとか行けて良かったと思った出会いの数々。

8月17日〜

夏コミの疲れとストレスがでる。ひどい食事。頭のなかは甘いものと菓子袋のみ。コントロールできず。

8月19日

非通知2回入る。2回でてみる。”もしもし”と名をなのらずに応じてみる。相手、一拍おいて無言のまま切る。”某さんのお宅ですか”等きくことをしてこない。 事柄があってから、年に数回非通知の無言電話これまでもあった。くるたびにとても不安にかられた。今回思い切ってでてみたが…。
とても不気味。とても不安。たまらなく不安におちいる。過呼吸おこしそうになる。一歩手前で抑えたものの、不安で不安でたまらない。消そうと努めるも、あとからあとからおしよせる。

8月のこと

書くことにチャレンジしようとする気持ちと、絶対に嫌だという拒絶感との戦い。
まるで子供のすさまじいだだこね状態。心のなか、用紙をひろげた机を前に椅子に座らされ、あちこちから力ずくでおさえつけられ書けと強要させられるのを、手を机の端にかけ、脚をふんばり、腕脚でめいいっぱいつっぱって拒絶している自分がいる。その姿が感覚が、とてもリアル。何故。書こうとする自分は確かにいるのに、対してこれほどまでに拒絶するのは何故か。
一日中どこかピリピリしており、又、どこかおちつかない。
毎日毎日何もしないまま終わっている気がしてならない。
私、なにやってんだろう。
みせたいひとがいるのに。読ませたいひとがいるのに。
私、なにやってんだろう。
死んだほうがいい人間じゃないのかと思う瞬間がある。
逃げているのだきっと。
集中力なし。
逃げているのか?それとも自滅したのか。ダメな人間になったのか。

元気そうだと云われるとおしつぶされそう。
元気でいなければ、まともでいなければとひどく意識させられる。つぶれてしまいそう。
何を叫びたいのかわからないけれど、笑顔で応えながらまわりにはそうみえるのかと驚きと衝撃を感じながら何かを違う違うと否定している気がする。体の内でやわらかくほぐれかけようとがんばっていたものが或いはなりかけていたものが、ぎちぎちと内へ内へと固まっていく感じ。
私は元気なのか?
私は元気になってきたのか?
これは元気なのか?もう大丈夫ととらえられる状態なのか?
ちがう。前よりも良いカンジになっただけなのであって、元気なのでも大丈夫なのでもない。すごいプレッシャー。元気であらねばならないとあがく自分に対し、逃げ場がない。 まわりから元気だろうと、烙印を押され、元気という形の箱に押し込められていく心地。 のっぺらぼうに口だけが笑っているたくさんの顔。手には先の鋭く尖った長い棒。それで小突きながら私を格子のついた箱の隅へと追いつめる。逃げ場のない心地。元気だろうとわらってる。顔、顔、顔。

自分の心臓はどうしてこんなにつぎはぎだらけなのだろう。