どう書けば良いのだろう。

事柄が起きてからずっと苦しめられ、そしてこれからも苦しめられ苛まれ続けられるのだろう。

事柄が起きてからずっと、今でも、そのひとを良い方向にとらえ云う人達がいる。そのひとは、対等な者自分より上の力のある者自分の意に沿う者には、大変好人物だ。その面だ けを知る者達にとっては、起きた事柄はまったく信じ難いことであろう。
けれど私はそれ以外のそのひとの顔を多々知っている。

知っていてもなお、事柄が発覚する前のおよそ7ヶ月もの間、私のみせられていたそのひとの顔、裏でとある人物にみせていた顔、それまで私の知っていたそのひとの顔、それらがどうしてもひとりの人物としてひとつに統合できないのだ。
私は苦しめられ続ける。
そのひとは私を大事と慕い、これを公言する。まわりの者もそのひとの言葉通りに受けとめており、私に云ってくる。
私はそのひとの情を知っており、それを疑うことはない。けれどそれは、事柄が起きていた以前までの話だ。
いまの私は、そのひとの私に対する情をその言葉をどこかそのままに受けとれないのだ。そういう自分がとても苦しい。自分自身が嫌な人間になった気もし、又、このうずまいている様々な感情を表現することのできないことにもだえるばかりだ。
とある人物におぞましい顔をみせながら、同時にそのとある人物と私に対し大変親切で情け思いやりある者であった。その二面のおぞましさ理解しがたさ、他になんと語れば理解してもらえるのか。いいや、どんなに必死に語ったところで理解してもらえないのかもしれない。
苦しい。とても苦しい。私は苦しめられ続ける。
苛まれ続ける。その時の忌まわしい記憶。私の脳に心に刻みつけられた記憶、感情、感覚。
私にいまむけられている言葉は顔は感情は本物だろうか。隠しているもの潜めているものはないのだろうか。信じたい気持ちと疑惑と恐れ不安迷い。たとえいまみせられているものが言葉が真実だとしても、絶えず頭から離れないだろう。その瞬間信じたとしてもその先は?とよぎるだろう。考えるだろう。苦しむ。悩む。疑惑に惑う。思うだけで、ギリギリと胸が引き絞られるようだ。
それらを内に抱えながら対峙する勇気はない。自身を保てる自信がない。
又、それらうずまく私は、かつてのそのひとでさえ揺らいで来、とてもあやふやで頼りなく、瓦解していくような気持ちさえする。はたしてそのひとは私に、自身を語りみせていたのか。何か巧妙に隠し、つくろったそのひとをみせられていたのではないか。思いたくない。迷路に嵌っていくよう。
自分がおそろしい。
私に何故、私の脳に心に何故、忌まわしい記憶感情感覚を植えつけた!どうして!
私は一生苦しめ続けられるだろう。
みせられた顔に。




 もう夫婦としてやってはいけないと離婚を申し出たあの日、夫婦としての某との関係は終わった。
 今後某をひとりの人間としてみた時受け入れられるかどうかわからない、まったくのゼロから考えると通告した。

 私はいまでも某の良いところをあげろと云われればあげられると思う。何故なら私は共に過ごしてきた年月のなかでそれを知っているからだ。
 と同時に、某の悪い点もあげられる。

 私は、某という人物・人間について、たくさん考え悩んだ。

 私の見方には、3つの方向性がある。
 ひとつは、同業者として同業者をとらえる目。
 ひとつは、ひとりの人間として某という人間をとらえる目。
 ひとつは、ひとりの女性として某という異性をとらえる目。
 それら3つで、某という人物・人間をとらえる。
 (他の要素として、かつて近親者として積み重ねた年月のなかで育った身内としての好悪の感情。  ただし、※戒める。私にとってその立場は”かつて”である。故に、これを同等の席にすえてはならない。その声が大きかろうと小さかろうと混乱を避けるため、あくまで外席あつかいとする。)
 注意点。
 どうしても判断する際に、甘い評価をつけがちな目がでてくる。目を曇らせることなく惑わされることなく、正確に正直に。
 人生の大切な岐路起点に立っているのだから。

 今後の某との関わりあいの可能性は? 是か否か。もし是であるならそれはどの見方の自分でどの程度許容できどの距離感を考えるのか。
 絶えず考えてきた。

 私は同業者として、某の可能性を認めている。方向性立ち位置は不明。
 私はひとりの人間として、某の良い点悪い点をあげることができる。良い点は認められるし悪い点は大変残念に思う。みる角度距離感によってとらえ方はあるだろう。
 私はひとりの女性として、某という異性をとらえた時、私は激しい恐怖感とおぞましさ、不信感を感じる。こんな感情でしかみられない自分を修正できない。

 この3つのパワーバランスのなか、ひとりの女性としての私がついに悲鳴をあげたのだ。考えて考えて悩んで苦しんで、ギリギリまで耐えた挙句の声だった。
 ひとりの女性としての私に、他のふたつがいくども接触し話しあうけれど、どうしてもダメなのだと身も心もボロボロなのだと壊れそうなのだと生理的にどうしても受けつけないのだとボロボロと泣きながら訴えるひとりの女性としての声に、他のふたつが折れ頷いた。他のふたつの一喝に、外席が沈黙する。
 結論がでた。私は決断した。
 私はこのひとりの女性としてのこの思い感覚が強くある限り、某とはやっていけない受け入れられない。

 この3つの見方、心の葛藤のありようこの決断の仕方を、どれだけのひとに理解してもらえるだろうか。難しいだろう。
 皆は某をどうとらえているかによって、私に対する反応も様々になるだろう。願わくば理解してもらいたい。

 この結論をだすのに、長い長い時間がいった。
 かつて事柄が発覚してからの数年の間、私は自身が”辛いということ”にまるで気付いていなかった。自分が、ほんとうに辛くて辛くてたまらないのだというのに気付くのに数年かかった。
 そこからあらたな苦悩苦痛葛藤が始まり、混沌とした感情のなかでのたうち這いずりまわってきた。たくさんの感情、たくさんのせめぎあい。
 私はほんとうに不器用だ。やっと、私はこの地点にたどりついた。
 どんなに意見を戦わせ葛藤しようと、女性としての私の選択が、生理的なものに根ざしている以上、いまの私にとって、これが最も優先される言葉なのだろう。

 私は打てば響くような回転のはやさも頭の良さももっていない。行動力もない。とても不器用で、石橋を叩いて叩いて考える。踏みだす一歩一歩がとてもドキドキ不安で、おっかなびっくり頼りなくて、そして重いものだ。はたからみれば、私はたいそうもどかしい人間であるだろう。
 その道その答えにたどりつくのに、たいへんなまわり道をしているらしい。

 今後も私のなかでは、この3つはせめぎあい続けるだろう。
 それでも、この決断を私は信じよう。立ち直るために。前に進むために。強くなりたい。がんばれ。一歩が無理なら半歩。半歩が無理なら1センチ。1センチがだめなら踏みとどまって、うしろにだけは下がらないように。下がってしまったらせめてそれ以上下がらないように前をむいて。しゃがんでもいいから、泣いてもいいから。がんばれ。がんばれ。がんばれ。

 再び書けるだろうか。
 書けるようになるだろうか。
 どうか書けるようになりますように。
 どうかどうか書けるようになりますように。

10月上旬のこと

今年初めて直接私宛に手紙が届く。
気持ち不安定。
内容にひどく落胆する。
12月上旬の事を思えば気持ちを察するものの、わかりたくない。ここ数ヶ月得に喜びばかり。あいかわらず自分のことばかり。他者を思いやる気持ちがひとつもない。これまでの数年の手紙と同じ。間近に迫った手紙なら、せめて最後くらい起こした事柄についてふりかえり、傷つけた人々迷惑をかけた人々に対しての懺悔謝罪、それらに対し今後どうあろうかとしているのかという思い、もういちど事柄に対しむきあい反省等、書かれていて欲しかった。
何ひとつない。要求ばかり。
ここにいたり、大変情けなく思う。このひとに対し、大変情けなく思う。このひとは、何ひとつ変わっていないのだ。というより、何か根本からわかっていないのだ。悔恨反省する気持ちなどないのだ。
いや、反省する気持ちはある。けれどそれはたとえるなら、自分の歴に対して失敗した汚点をつけたうまいことやれなかったしくじった等、自身のことに対してのみにであり、他者へはもちあわせていないのだ。それがとてもよくわかる。感じる。この数年間はこの人に何の実りももたらさなかったと実感する。
このひとはそうなのではないかと思いつつ、どこかでいや違う、与えられた時間のなかで、起こした事柄を自分の都合のいいようにとらえず客観的に的確に自身のものとしてとらえむきあい思う時がくるのではと期待もしていた、望んでもいた。
けれど今回の手紙でもうダメなのだと思った。このひとにとり、この数年は単なるしくじった時間でしかない。
できうる限り義母を支えこのひとの気持ちを支えることがきっとこのひとにより良い時間を与えられると思いがんばってきたが、すべて無駄だったような心地。私のこの数年間は何だったのかという心地。

10月14日

義母から、手紙のコピーが届く。
出てきたその日に私に会いに来るつもり、近くで一泊する希望等が書かれてあった。
読んでいる最中に過呼吸発作を起こし、それがおさまりかけたところからパニック発作を起こす。
手紙の主に対し、まるでアレルギーの極度のショック症状でる。もう限界なのだ。心が。思い知らされる。
義母にTELし、正直に発作のことを告げ、改めて再度やり直す気持ちのないことを告げる。
義母から、甘えていることはわかっている、やり直す気持ちがないことがないこともわかっている、けれど、数年後数十年後立ち直ったときに万万が一やり直すことがあるかもしれないという希望が今の自分の心の支えであり、手紙の主にもそういう気持ちを残しておいてやりたいと云われる。
義母の希望にそって、やり直す気持ちのないことを出てくるまで知らせないことになっていたが、義母はもしかしたら私のやり直す気持ちのないことを告げる気持ちがないのではないかもしれないと、手紙の主にうまくにごしてやっていけはしないかと考えているのではないかと、恐怖を感じた。
私はこれが最後のつもりで電話をした。これまでありがとうございましたと終わらせたのに、義母は切り際”又電話する”と云って切ってしまった。 もうどうしようもない。
義母は、とことんまで甘やかすだろう。それが母の勤めであると。それでは立ち直れはしないのに。
何度かこれまで忠告をしてきたがダメだった。私にできることはもうない。義母が覚悟しなければ。
私は限界。もう限界。

食事しんどい。食べなければ、食べる気力を失ったらおしまいだといいきかせながら、泣きながら口に運ぶ。とにかく口にできるものを、飲み込めるものを。
かつて、以前にもこんな思いで食したことがある。数年前事柄が起きた直後のことだ。頭の隅で、眼の片隅で、キッチンの包丁を追いながら泣きながら食べる日がもういちどこようとは思わなかった。

10月16日

どうすればトラブルなくできるのか。
事柄を担当した弁護士にTELする。

ここ数日、口にできるものが限られてしまい、体重落ちる。

心が臓器なら。ザクザクに刃物で切られた傷を荒く縫われた痕のたくさんある丸いもの。傷痕にはひからびた血がべとべとにこびりついている。いま傷痕は変形し、!と何かで打ちつけられ鋭い谷間になっている。
谷間になったどす黒い傷痕がいっぱい。それがいまの私の心という臓器だ。 いっそのこと踏み潰してしまいたい。ザクザクに刃物を突きたててとどめをさしてしまいたい。
私はきっと、いないほうがいい人間なのだ。誰にとっても害でしかない人間。そういう生き方しかできないのかもしれない。迷惑をかけたくないのに、どうしてこうもダメなんだろう。

どうやって生活していこう。
考えただけで心臓が苦しくなる。バクバクなる気がする。呼吸が浅くはやまる気がする。
不安で不安でしかたない。
立っているのが辛い。けれど座ってもいられない。
おちつきなく、何も考えられないまま、ただどうしようと不安ばかりにとらわれうろつくばかりだ。

10月20日

昨日、市の無料法律相談の予約をとる。
がんばろう。とにかくがんばろう。
くじけてはダメだ。まだ。大丈夫。しっかりしよう。
10月25日

このところずっと午後うたた寝多し。夜も眠くなるのはやい。
仕事のない日は、午前中は起きられない。

気がついたら、10月に入ってから包丁を使って切るようなことほとんどしていない。お湯を沸かしてすむ程度でつくれるものばかりの食事。食材も、そのままか手でちぎれるものばかり。
あるいは9月もそうだったかもしれない。
ガムをかむ回数もいつのまにか増えている。

10月27日

とても嫌な夢をみる。 その嫌な感覚だけが心と体に残り、夢の内容は覚えていない。

 その人物像に対し、様々な思いが押し寄せ、おそらくとても混乱しているのだと思う。良いこと辛いこと様々あった。
 共に過ごした時間のすべてが悪いわけではない。いまでも出会ったこと過ごしたことに対し、後悔の気持ちはやはりないのだ。ただ、辛いことは辛く、苦しいことは苦しく、どうにかしてきちんと立ちたいと思うのだ。何をどうすればよいのか正しいのかわからないが、少なくとも、ひとつは心をしっかりと保たなければならないと思う。
 それは私自身のためでもあり、又、これまで私に手をさしのべてくれた方々に対しいまできる精一杯のことでもある。
 それから、思うのは、その人物との思い出を嫌なものだけのものにしたくはないということ。その人物との長い時間のなかで、私は確かに二十歳の頃より一歩二歩と成長したことはあるはず。やさしい思い出はやさしいままに、あるがままの姿でしまえたらと思う。
 混沌とした思いは、きっと混沌としたままなのだろう。
 しかたがない。どうしようもできないものなら、それだけにとらわれず、のみこまれそうになることは多々あるだろうけれど、私は私のままに立っていけるようにならねばならないと思う。
 これまでかかわってくださったたくさんの方々に感謝します。そしてこれからも助けを必要とする私であるでしょうが、どうかよろしくお願いしますと深い感謝と共に心より願い頭を下げる私であります。

10月28日

 市の法律相談を受ける。
 件の弁護士さんと同意見、同指示。決意する。又、警察へも事前に話を通しておく事とのこと。
 本日警察へ行く。
 受付で教えられた課へ行こうとした時。数年前某の件で何度も行った場所の近くを通らなければなかったのだが、発作を起こす。どうしても通ることができず、足が動かなくなり、体が硬直し、震え、血の気が引いてくる。呼吸するのが辛くてたまらない。当時の辛かった思いきつかった感情がおしよせ涙が零れてくる。必死でこらえ、自身をなだめ励まし、発作を起こしかけながら必死の思いで通過する。
 とてもショック。
 こんなにも自身に爪痕が残されていたとは思ってもいなかった。こんなにも深く傷ついているのだとこんなところで思い知らされるとは思ってもみなかった。とてもショックなできごと。あんまりだ。
 自身が感じている以上に心がズタズタなのだ、おそらく。回復してきているようで実はまだどこか麻痺していて、痛みを痛みとして辛さを辛さとして認識しきれていないのかもしれない。自分をみたくないのかもしれない。まだ混乱のなかなのだ。あるいは事柄のなかに私はまだいる?

10月29日

 手紙を書く。

10月30日

 郵送。コピーを義母にも郵送。
 某より直接手紙届く。パニック起こす。ぼろぼろ涙零れ声をあげて泣きながら壁を叩きすがり続ける。
 やさしい思い出が私を責める。酷いことをしようとしているのではないか。だが、やらなければ私はこのままでは壊れてしまう。ダメなままだ。立ち直らなければ。
 恐ろしいおぞましい記憶感覚もよみがえり悩ます。忘れることできない。私がなんと口にしようと、このときの思い感情、某が私にみせていた顔など、わかってもらえはしないだろう。某とやり直せないと強く思うのは、まさにこびりついているこのおぞましい記憶感覚が最も大きい。
 かつて”どうすれば有利になるのか教えて欲しい。その通りに反省し行動する”と弁護士さんに云ったことを知らされたときの哀しい感覚を思い出す。残念なことだが、某は、ひとの気持ちがわからないのだ。その人物を追いつめる叩き潰すときはとても相手の心理を読むことに長けており、的確に徹底的に突いていくことができるというのに。痛みとかそういう思いやる感覚をもちあわせるのに乏しい。理解しがたいようだ。
 だからといって冷たいわけではない。自身が味方身内と思う者に対しては大将気質というか情篤い。だからとても難しい。
 どちらの顔をみせられているかによって、某に対する人物像評価はとても変わる。
 どうか事柄を忘れず謝罪の気持ちを真にもちあわせ忘れることありませんよう、心から祈るのみだ。
 心配なのは、某が出直すのにあたって、物質的環境的にとても恵まれているということ、そのことを真に理解できているのか。自身に限っては普通の事ととらえている気がしてならない。
 また、事柄について、某の責を軽くとらえている、ないしは責がないととらえている者が多かれ少なかれ存在すること。とても憂慮する。某のためにならない。
 義母にも強くなってもらいたい。
 よく”一から出直す”というが、皆の思うその意味と、某の考えているその意味に隔たりのないことを願う。真に一からであって欲しい。某、わかってる?
 あなたは私のもっていないものをたくさんもっている。こんなことになってしまったけれど、尊敬する部分認める部分それらに対する評価は変わらない。かつ、私はあなたの欠点をおそらく最もよく知り得ている者のひとりであると思います。故に憂慮する。
 うまく云えない。
 他人が読んだら未練があるように感じるかもしれない。そうではなく、女ではない自分の声思考とらえ方。言葉にするのは難しい。理解できる者にしか理解できないかもしれない。女である部分とそうでない部分の思考を混同されたくはない。