11月15日

 エチカの鏡で、死ぬときに後悔する25というのをやっていた。
 私はそのタイトルがでた瞬間、即答、何もないと口をついてでた。何故なら、私はいまからっぽだから。たったいま死んでも一年後に死んでも後悔はない。
 むしろ恐ろしいのは、十年後、その先、時がすぎていく先で死ぬことの方が恐ろしい。とても恐ろしい。恐怖といってもいい。妹達や甥姪に負担をかけるのではないか、そのことによって疎まれ嫌われているのではないか、そのことがとても恐ろしい。
 そういう状態を、私は子供の頃からみてきている。
 離婚し、時折親からそのことに触れられるが、云われなくても、私はみてきている。故に、とても恐ろしく感じる。たった今死んでいけるのなら、ある意味どれほど幸福だろう。
 見終ってからひとつだけ希望。作品をつくりたい。なにかひとつ、書いて残したい。
 もしいま病気になったら、治療はいらない。痛みだけとっていつもと変わらない日常を過ごす。猫と暮らす。日記を書く。話したい時、電話で話せる相手がいる。それが現在の希望。とても幸福だと思う。
 子供は生んでみたかったと思う。けれど、私は親にはむいていないと思う。私はきっと子供を追いつめる愛情でしか接することができないと思う。私は親の愛情を感じ、同時に通じることのない理解してもらえないモノとの戦い。子供にもそれと同じ思いをさせるか、又は、親から愛されていることさえわからない子供にしてしまうか。私は自身を不幸だとは思わないが、子供は不幸にしてしまうだろうと思うのだ。
 それでも時折思う。
 体の内で命を感じるというのはどういうものだろう。
 ”産み育てる”という言葉がある。”育てる”という言葉には…わからない、私にはないもの、妹達には流れているが私には欠けている何か。そういうものだ。”産む”という言葉は、あこがれ。人としていびつで欠けていて、うまく表現できないが、とにかくそういう者でも命を産みだせる機会があったなら…。器の役目をはたしてみたい。

 暴食止まらず。腹部パンパンにふくれ、胃腸薬必要になったが、満腹感満足感なし。
 気持ち悪さ続く。

 子供の頃から、自分の居場所が欲しかった。
 どこにもなくて、休まらない。
 誰かたったひとり、自分をありのままに受け入れてくれて必要としてくれるひとがいたならと。
 それは夢であり、あこがれであり、自分にはけして訪れないものであろうと子供の頃から、成長しても感じていた。
 いまひとりになって、泣きたくなる。
 やっぱり自分には過ぎた夢だったんだなあ。
 自分の居場所をみつけたと思った。必要としてくれるひとがいた。全部夢だったんだなあ。私には過ぎた夢だったんだ。贅沢な望みだったんだ。どうしてそんな夢をみてしまったんだろう。
 平気だ。ひとりは慣れてる。だけど孤独。ひとりであることを、とても感じる。
 夢をみてしまったから。
 この地上にたったひとりありのままの私を受け入れてくれるひとがいてくれたら。必要としてくれるひとがいてくれたら。私が側にいることで、ささやかな幸福を感じてくれるひとがいてくれたら。
 居場所が欲しいよ。
 夢だ。夢だ。夢だ。そんなことは夢だ。夢をみなければ悲しいことは何もない。居場所が欲しいよ。みつけたと思ったのに。私には一生ないものだと思っていたのに。みつけたと思ったんだ。過ぎた夢をみたんだ。愚かな夢をみたんだ。夢をみるから、こんなことになったんだ。
 朝なんかこなければいい。眠ったらそのままにどと目が覚めなければいいのに。
 お願いです。どうか死なせて下さい。眠らせてください。自分が生きていることに何の意味があるだろう。ひとに負担をかけるだけの人生。
 がんばれ。もう少しがんばれ。
 書こうよ。何もなくて、ほんとうにひとつも良いところのない私だけれど。読んでくれるひとがいる。
 拙くて、ほんとうに拙いものでしかないけれど、書こうよ。
 からっぽだ。ほんとうにからっぽだ。私には何もない。

 こわい。

 ひとりで生きていく力のない自分。
 どうすればいいのか。
 できるところから、でも、それでは生きていけないのも事実。さしせまっている現実。

 書いていけるのか。
 まっしろ。
 神様。勇気を下さい。強い人間になりたい。
 ばっきり折れて死んでしまいたい。強い人間になりたい。

 幸福なこと。ありがとうを云えるひとがたくさんいること。ありがとうと思った時、そう伝えたいひとたちの顔が、ぱーっと浮かぶ。それは幸福なことだと思う。
 今後自分がどうなるかわからないけれど、ありがとうを云えるひとたちを失いたくはないと思う。

 がんばれ。がんばれ。がんばれ。ありがとうを云えるひとたちのために。
 これまでたくさんのありがとうが、私の心のなかに積もっている。少しでもありがとうに羽をつけて空に飛ばしてあげたい。届けたい。がんばれ。

11月17日

 ここ数日、胃腸薬を服用しながらの暴食止まらず。コントロールできない。
 両親の来訪、心身ともに疲労困憊状態で受け入れられる状況でなかったのを断りきれず受け入れたツケの模様。チョコレートチョコレートチョコレート、甘い煮豆のパックパックパック、そういう物類の内容。ひどいありさま。目の前にカラが積まれていく。ココアココアカップスープ、ココアココアかっぷすーぷ、ハチミツハチミツハチミツ。満足感満腹感なし。ただ腹部がぱんぱん。

 昨日するりと詩がでた。まずいと感じた。詩が書けるときは良い状態ではない。上中下の下、下の上から中というところ。良くはないが、書くことによって不安定幅を小さくする作用はたらく。

11月18日

 T先生が亡くなられる前のことだ。
 何の話の流れかは忘れたが、子供の頃から精神的にしんどいとき詩のようなものを書いてはある程度たまったら捨てていた話をした。
 T先生が云った。捨てないでとっておきなさいと。作品をつくる上で何がどんなアイディアヒントになるかわからないからと。
 そういう考え方をしたことはなかった。
 たまったものをそろそろシュレッターにかけて捨てようと思いながらそこまでの余力がなく、ずっと放りっぱなしだった。
 なんとなく思いつきの話。
 整理してみようかとふいに思った。三つに分けよう。ポンポンポンとそれぞれのタイトルが浮かぶ。
 黒、闇、白。
 何かの区切りになればいい。整理できればだが。

 夢をみた。短大生の私だ。内容は覚えていないが、目が覚めて、留年してしまった卒業できなかったとひどく動揺した。時々こんなことが起こる。実際は私は留年することなく卒業し齢も重ねている。短大生の私ならまだいいが、小中時代の私であるときはもっときつい。もっとぐちゃぐちゃだ。
 夢は恐ろしい。内容は覚えていないのに感覚が残る。夢のなかの自分から現在の自分を認識するあの独特の時間。

11月19日

 暴食とまらず。数日で体重いっきに増加。
 疲れた。眠っても休まらず。ずっとこんなだ。
 がんばれ。

 好きな歌
 中学時代、二学年上までの卒業生の歌。
 とても好きで、合同練習で耳で覚えた。
 いまも時々歌いたくなり、こっそり歌う。

  ─旅立ちの歌─
 語ろう
 語ろう 美しい旅の日を
 思い出はあまくやさしく
 思い出ははかなくさびしく
 思い出は心の傷を
 くりかえしなでる友
 行こう(ゆこう)
 行こう ふたたび旅立とう
 われらのまなかいに白雲流れて
 われらの心は希望にもえたつ
 ああ未来はあかるくかがやき
 行こう ふたたび旅立とう
 ああ いまこそ旅を思う
 ああ未来はあかるくかがやき
 行こう 美しい旅に行こう
 行け 旅に いまこそ
 あこがれにになわれて