3月1日

 仕事に行くために朝、鏡に映った自分をみたとたん、思い出してしまった。
 事件が起きてからの毎日の自分。自分を保つためにしていたこと。パバロッティの衣装をつけろをききながら、なんどもくりかえした。こんなことはなんでもない。私は平気。大丈夫。こんなことはなんでもない。私は平気。大丈夫。感情がおしよせおさえられない。
 家をでる前に、せざるを得なかった。
 パバロッティの衣装をつけろをかけながらいいきかせた。こんなことはなんでもない、私は平気、大丈夫。こんなことはなんでもない、私は平気。平気。
 思い出してしまう。こびりついた血をぬぐえないまま放置された心。何かのはずみで縫った糸が切れてしまいそうな心。

3月3日

 朝から不快。
 唐突にあの女の顔を思い出し、脳裏から離れない。なんども頭のなかで刃物を突き立てたい気持ちでる。
 外にでるのが怖い。あの女に似た髪の女、顔立ちの女、体形の女。また、たとえばホームから突き落としたいような心地に襲われるのではないかと…。
 どういう名かはわからないが、あの者への感情吹きだし、ぐるぐると渦巻いている心地。不安定。気味?
 たまらなく不快。消し去りたい。何故思い出したのだろう。
 心の肉片を縫い合わせていた糸が、ぶつんとどこか切れた音がするような心地。地割と傷口がひらく心地。とろりと血がにじみででくるような心地。

3月5日

 食べたくて食べたくて仕方ない。
 浮かぶ物はお菓子お菓子お菓子。買い物カゴがいっぱいになっていく。買い物をしながら、気持ちは食べたいのに食べるのが怖くて怖くてたまらず、足がかすかにガクガク震えている。
 食後、少しの後、もう食べたくて仕方ない。食べたい気持ちと食べたい物でいっぱい。

 3月6日

 食べても食べても満腹にならない。腹部はパンパンにふくれせりでているのに、もっと食べたい。もっと食べたい。
 お菓子食べたい。ケーキ食べたい。バームクーヘン、ホールで食べたい。お菓子食べたい。食べたいのはお菓子。
 この一週間、もともと胃腸の働きの良くないのが、ひどくあった。
 夜の固形物は消化に負担がかかり、口にできる食品限られてくる。
 食べたい食品が減ってきた。数年かけて口にできる野菜等増やしてきたが、現状厳しくなってきた。食べたいのはお菓子。あまいもの。お菓子食べたい。納得するまで延々と詰め込みたい。菓子袋欲しい。お菓子食べたい。

3月12日

  演劇「マクベス」 野村萬斎
 マクベス。上手。上品。整ったマクベス。私的には、生々しいマクベスが観たかった。
 マクベス夫人。上手とは思う。が、もっと、欲望に忠実な女、男の女神、妖女、母性、尽くす女、様々な女の顔、女の深さが、その声音、抑揚、緩急、口調の速度でもっとはっきりと観たかった。
 他三人の役者、すばらしい調和。おいしいハンバーグをつくる、みごとなつなぎ。でしゃばることなく、ほどよく役割をこなしていく。

3月13日

  なかのーRERO NOH
  蝋燭能「紅葉狩」他。
 気合の入った舞台だった。

3月のこと

 本格的なカウンセリングによる治療が始まる。
 記憶のフタをあけ、閉じ、帰宅するをくりかえすのだ。
 夢をみることが多くなった。とても疲れる。内容を忘れても感覚が残り精神的に不安、負担がかかる。
 過呼吸をおこしそうになること、又、おこすことがでてきた。
 過呼吸からパニック症状もでる。フラッシュバックだ。
 食事内容、一時期お菓子になる。又、胃腸への負担大きく消化能力低下続く。
 フラッシュバックを起こしパニックにおちいった場所は、怖い場所になる。にどと行けない。行きたくない。怖い。だが、そのままにしておけない。恐ろしいのを我慢して足を運ぶ。その時の感覚、感触を思い出すのではないか、またパニックになるのではないか、とても怖い。大丈夫、大丈夫とこんなことはなんでもない、私は平気だとなんども自分にいいきかせながら足を運ぶ。クリアできた時はホッとした。体中に力が入っていることに気付き、固まった手をゆっくりとひらく。爪が手のひらにくいこんでいて、爪痕がくっきりと残っていた。
 カウンセリングの後は不安定なのか…?
 いちどどうしても家に帰りたくなくて、だが帰る場所はそこしかなく、バスに乗ることができず歩いて帰った。夜の道、涙がボロボロこぼれた。がまんできず時折声をあげながら泣きながら帰った。どんな感情で泣いているのかはわからない。ただ涙がボロボロででしまう。
 カウンセラーの談。カウンセリングによって、記憶の扉があきやすくなっているとのこと。
 事件がしめくくられてからのここ数年。
 後遺症との闘い。やっと治療に目をむける気持ちができ、始まった。やっと、治療という単語が浮かぶだけの自分に自分をもってこられた現状。かえしていえば、それにいたらないほどのひどい状態だったのだとも云える。少しずつ乗り越えていくしかない。
 カウンセリングでは、時に泣きたいわけでもないのに涙がボロボロこぼれる。言葉がうまくでてこず、言語障害にもおちいる。パニックにおちいった時もある。皆こうなのだろうか。
 心療内科を思いきって受信した時、はっきりと云われた。
 私の症状は、いわゆる一般的な精神的症状を治療する病院では治療できない、私に対しできることはない。
 専門的なカウンセリングが必要と診断され、紹介され、始まった。
 長い時間がかかるとのこと。
 事件の後遺症だけではなく、婚姻時代のDVもあるとみられている様子。