7月6日

 さびしい。
 突然さびしいと思った。
 体の中心にぽっかりと穴があいた感覚。そこに何かつめ込みたいと思った。
 さびしくてさびしくて、私なんで生きているんだろうと思った。
 他者からみれば怠惰で何の努力もしていないようにしかみえないであろうが、自分なりにひとつひとつこなしているつもりだ。けれど、いったいそれは何のための努力なのか。何故私は生きているのか。
 ぼろぼろぼろぼろ涙がこぼれてとまらなくなった。
 6月に両親が来た時、父に云われた。要はあと二年でどうにかしろということだ。どうしていいかわからない。現状からぬけだせるとは思えない。二年後自分だけの力で生きていける自分を想像できない。二年後をめざして設計をたてられる自分がいない。だが、父から告げられた期限が時折心のなかに浮かんでは私を揺らす。
 私、何で生きているんだろう。
 木になりたい。石になりたい。大気になりたい。細胞ひとつ残すことなく無になってしまいたい。
 眠りたい。体を丸めてただただ眠りたい。記憶いらない。目が覚めなければいい。たとえ覚めても、私でなくなっていればいい。私を忘れてしまっていればいい。
 なんにもしたくない。疲れた。
 平気だ。こんなことは何でもない。私は大丈夫。こんなことは何でもない。平気だ。
 疲れた。消し去りたい。私なんか消えてしまえばいい。いなくなれ。はじめからなかったことにしてしまいたい。この世界に私ははじめから存在しなかった。
 眠りたい。にどと目が覚めなければいい。消えてしまえ。私はいらない人間だ。
 マイナス思考。誰かと話した方がいいのだろう。誰とも話したくない。会いたくない。仕事辞めたい。行きたくない。でも辞めるの怖い。自分を保つの疲れる。
 大丈夫。ちょっと今日は疲れていることをいつもより実感してしまっているせいにすぎない。平気。こんなことは何でもない。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫なら何で私は泣いているのか。でも大丈夫。大丈夫。大丈夫。私は平気。こんなことは平気。なんでもない。平気だ。大丈夫。私ここでなにしているんだろう。どうして呼吸をしている。どうして心臓が動いている。どうして泣いている。どうして私ここにいる。
 平気。平気。平気。私は平気。こんなことは何でもない。書くんでしょ。できもしないくせに、いまそれしか思いうかばない。どうして涙がこぼれるんだろう。どうしてとまらないんだろう。こんなことは何でもない。私は平気だ。平気だよ。平気。平気。平気。明日がこなければいい。平気だ。こんなことは何でもない。大丈夫。私は大丈夫。
 いまちょっと、ベランダから飛び降りたいと思っている。視界からはずせない。こんな感じは大丈夫。部屋にちゃんと自分がいるから。気持ちがいましんどいんだなと感じるのは、頭のなかで細い刃物をなんどもなんども何かにつきたてている自分が、その想像をふりきれない状態であることだ。
 何もしたくない。書ければいいのに。
 ひとつゆっくり呼吸しよう。
 なんにも食べられなくなればいいのに。なんで私食べたいんだろう。食べるの嫌だな。食べる気持ちなくなればいいのに。

7月7日

 何かひどく自分を傷つけたい気持ちになった。切り刻んでしまいたい。腕から血が流れるってどんな感じだろう。自分をなくしてしまいたい。消えてしまえばいいのに。
 同時に何か自分の穴を埋めたくてならない。
 食べたくないのに…食べられなくなればいいのに…食べる行為そのものが何か疲れる行為の心地がしてなくなってしまえばいいのにと思っているのに、まるで反対のことをしてしまう。買って、食べてる。おいしいという感覚、どんなものだっけ。食べてる。食べるのは怖い。食べるのは疲れる。食べてる頭は無思考に近い。黙々だ。
 私、何故生きているんだろう。何のために、どうして。
 仕事に時は無理矢理スイッチを入れる。仕事をする。何のためにそうしているのか。
 心に棘がある。チクチクチクチク心が棘だらけで、私はなんて嫌な子だろう。
 淀んでいて、それ以外何もない。私は汚く、嫌な人間だ。
 死んでしまえ、おまえなんか。おまえなんかいらない。死ね。死ね。死ね。

7月8日

 文庫をとばし読みする。唐突に自身をみているような感覚。主人公ではないが、つきつけられ、ざっくりと傷を抉られた心地。フタをしたはずの感情がふきだし、ふさいだはずの傷がバックリと割れる心地。色のついていた現実が実は必死で自分が色があるようにみていたのだという現実、本当は世界は灰色の世界で自分はいまだにそこにいる現実。涙がこぼれてこぼれてぼろぼろ泣いた。声をころせず泣いた。

 歌ったのは二〇代のときだ。ひさしぶりに楽譜をひらく。オケ合わせは一ヵ月後。ざっと目を通すが音があやしい箇所がぽろぽろとでる。まにあうか。

7月10日

 少々ひとの気配動きに対し過敏気味になっている。
 私の側をすれちがう通り過ぎていく時、側近くに立たれる時、全員とはいわないが、少々気持ち悪いとか怖いとかそういう感覚に襲われ、心が強ばり体が緊張する。
 今日もまた唐突に体にぽっかりと穴があいている感覚を味わう。何かで埋めなくてはと思う。埋めなければ、立っていられないとか辛いとかそういうものではないのだが、このぽっかり感がとても心もとない。とても空虚だ。私はどこにいる?私はどこにある?埋めなければ…そんな気持ちだ。

7月11日〜13日

 家から一歩もでたくない。だが、家のなかでおちついていられない。
 家から一歩でると、今度は家に帰りたくない。
 食べたいのはひたすらアイスクリームとプリン。恐ろしいのにおさえきれず、ガンガン買い物カゴに入れていく。口に入れる食物のほとんどがアイスとプリンになる。とまらない。食べているときは何も考えられない。

 13日、半ば無理矢理合唱練習に行く。練習会場が初めての場所。駅から少々距離があった。歩いて行く。会場に着いたものの三〇分たっても呼吸がもどらない。立っていることも思うようにできず、歌える状態にもっていけずあきらめて途中で帰る。

 衝動買い。おかしい状態。何かでつなぎとめなければ。私をつなぎとめておかなければならない。
 体のなかの穴、とても空虚。ぽっかりと体に穴があいているのを、一日のなかで突然感じてしまうときがある。ぼろぼろ泣いてしまう。どうしようもない。
 仕事、ぎりぎりこなしている。何かほんのはずみでぶつんと切れそう。

 6月両親の訪問があってからというもの、時々、わりとひんぱんに思い出される。父の言葉がうかんでくる。
 あと二年、ついに進退を決めなければならないようだ。
 こうひんぱんにうかぶところを思うに、自覚があるわけではないが、かなりプレッシャーになっているらしい。

 細いひとばかりが目につき、たまにぼってりした女が目に入ると、自分もこんなに醜いのかと感じてしまう。

7月14日

 今日も穴を突然認識してしまい、ぼろぼろ涙こぼれてしまう。
 家からでたくない。
 PM4:00すぎ。食べたくない。食べるの怖い。突然吐き気に襲われシンクで吐くが、何もでてこない。怖くて泣く。食べるのが怖い。
 夕刻、どうしても食べたい食べ物我慢できず外出。今度は家に帰りたくない。
 夜シャワーをあびている最中、突然事柄関連の記憶や感情に襲われる。そして、突然思った。自分は、破壊されたのだ。その人物によって破壊されてしまったのだと。いっそ殺してくれればよかった。
 破壊されたままここにいる私はなんなのだろう。何のために食べ眠り生きようとするのか。
 破壊されてしまった自分に気付いてしまった。どうして立ち直れないのか、わかってしまった。私は、破壊されてしまっていた。数年かけて気付いてしまった。
 バラバラになった自分の体が洗濯機のなかでまわっている。
 ぐるぐるまわっているそれを、少し距離をおいて自分が冷徹な目でみている。
 そのふたつの光景を、もうひとりの自分がただ涙をボロボロこぼしながらみている。
 そんな感覚。

7月15日

 10代の頃は、両親に壊されまいと必死だった。壊れるか壊れないか毎日ぎりぎりのなかで生きていた。両親にとっての幸福、両親の考える私の幸福というものは壊れた私であり、私にはとても耐えられなかった。それを理解できない両親との関係に疲れ果て、なんどの自分の心を殺してしまおうと試みたがどうしてもできなかった。
 このまま両親の元にいればいずれ狂ってしまうであろう恐怖。自身を捨てきれず必死であがいていたのは、いつか自身をありのままに受けいれてくれるひとがいるのではないかという愚かな望みのためだ。私は私でありたい。私というものがどんなものかも知らずに。
 限界状態になった時、進学を機に両親の元を離れた。
 ボロボロ状態だったのを二年かけてたてなおし、社会人になり、出会った。
 私を初めて認めてくれたひと。
 結婚し、仕事を共にし、時間を過ごしてきた。
 私はおそらく、そこで私を構築してきたのだと思う。
 事柄があって、そこから時間がたって、ようやく私は自分が破壊されていたことに気付いた。
 今日のカウンセリング時に、そのことを話す。
 不安でしょうし怒りもあるでしょうと云われるが、そんなものはない。不安だとか辛いとか苦しいとか、そんな感情はひとつも、なんにもない。ただ破壊された感覚だけだ。時間がたてば感情がでてくるだろうと云われる。
 話しながら、どうしてだか泣いてしまう。
 10代の頃と違うのは、10代はそれでもいつかあるいは自分を…という愚かな望みがあったが、現在はそんなもの、なにひとつないことだ。みごとに打ち砕いてくれた。
 そのひとはまるでわかっていないだろう。そのひとが私にしたこと。私を破壊したこと。

 夢をみた。そのひとの夢だ。だが内容はまったく覚えていない。

7月16日

 この頃特にずっと感じていた。
 ぐず、のろま、役立たず。言葉の端々、語られる会話の裏側に、そんな気持ちが感じられる。
 このあいだから、誰々さんはこうだと比べられることもでてきた。
 今日は決定的。
 もっとできるかと思っていたのに。役立たず。ぐず。のろま。雇うんじゃなかった。彼女じゃなくて本当はあなたに辞めてもらいたいんだけど…。辞めると云ってくれないかな。言葉の端々に、とても強く感じる。
 色々アドバイスや注意をするのは、私のため、仕事として普通にあること、わかっている。
 だが、うまく、そう、素直に、気持ちが受けとれない状態の自分有り。
 どこまで耐えられる。がんばるしかない。
 上司の会話からもうひとりシフト一緒のひとも私をそうみていたのかと衝撃。どうすればいい。
 共にやっていくのが怖い。普通に接触されながら、その裏でぐず、のろま、今まで何やってきてたんだ、いまだにこんなこともできないのか、そう思われているのかと思うと、とても怖い。
 ひとが怖い。

 無能であることは恐ろしいこと。
 役立たずであることは恐ろしいこと。
 怠け者であることは恐ろしいこと。
 全部自分。
 ひとからいらない子にされるのは恐ろしい。

7月18日

 昨日オムニバス講座最終回。
 時間最後での内容に衝撃を受ける。
 被害者の母親の言葉が紹介された。
 教授が、一枚の紙を手にそれをぐしゃぐしゃにした。それを広げ、私達に見せた。
 これが、被害者の母親の心なのだと云う。どんなにシワをのばしてもシワのなかった一枚の紙にはもどらない。
 自分のそのものを形にしてみせられた心地。涙がこぼれれてこぼれておさえられなかった。まわりに大勢ひとがいるのに、どうしようもない。しばらくそのまま泣いていた。涙がようやくとまっても、手が強ばり震えている。しばらく動けなかった。係のひとが、おちつくまで休んでいいですよと声をかけてくれ、おさまるまで座り込んでいた。
 これを書きながら私は声をあげながら泣いている。どうしようもない。なんで泣いているんだろう。わからない。コントロールできない。

 何故崩壊したままにしておくのか。どうして殺してくれない。破壊するなら殺して欲しい。
 明日がこなければいい。息したくない。
 居場所がない。

7月21〜22日

 本を読んでいる。それも、これまで読んだことのある本、家にある本ではなく、書店で買った文庫本だ。
 軽い吐き気に、少し休みまた読む。そのくりかえし。何をやっているんだか。
 本に逃げ込みたいのか、自分をもういちど再構築したいのか、そのどちらでもあるような気がする。
 胸がむかむかする。何故読んでいるんだろう。
 一分でも一秒でもはやく死にたい。
 死ね。おまえなんか死んでしまえ。まだわからないのか。ムシケラ以下のおまえに生きている価値なんかねえんだよ。息していていいと思ってんのか。死ねよ。おまえなんかいないほうが世のなかのためになるってのわかってんだろ。死ねよ。死ね。死ね。死ね。
 どこかでちくりと意識が動いている。”書かなければ”。書けないくせに。
 気持ち悪い。
 ”書くことそのものは息をするのと同じくらい自然なこと”と云えるのはとても羨ましい。ものを書く世界に生きているひとは皆そうなのだろうか。
 私にとってはそれは閉ざされた扉だ。そのむこうに麻薬のような世界があるのに、どうすれば入れるのかわからない。入ってしまえば、入り込めば入り込むほど現実が逆転していく。
 ぐちゃぐちゃな世界。エネルギーをすさまじく吸いとられ抜け殻になる。
 入りたい。抜け殻になって機を失うほどに。

 死ね。ゴミだよゴミ。クズ。役立たず。死ねって云ってんだろ。わかってんだろ、テメェが生きていることじたいがメーワクなんだよ。死ね。死ねよホラ。死ねってんだろ。死ね。
 気持ち悪い。
 世界に入りたい。ぐちゃぐちゃに入り込んでぼろぼろになりたい。力尽きたい。

7月23日

 最悪。こんなことは初めてだ。
 仕事先にて。着いたとたん、机の上に仕事内容一部変更のメモが置かれていた。今日から一部をシフトを組んでいる相手にまかせるようにとの指示だ。
 とたんに心のなかで自分への追い込みが始まった。役立たず。グズ。死んでしまえ。おまえなんかいらねぇんだよ。死ね。何度も何度もくりかえしくりかえし延々と続く。体が覚えていることは体が動いてくれる。が、表情がどうしてもつくれない。自分で能面のようになっている、これではダメだとわかっていてもどうしようもない。動かない。心に頭にふきだす感情に追いつめられないよう、抑えるのに一杯一杯だ。
 シフトが一緒のひとが来、挨拶をひと言かわすのがやっと。
 とにかくミスをしないようにと仕事をこなす。おもいっきりして、助けられたが。
 帰り、今日は朝とても怖い顔をしていたと云われた。このごろ情緒不安定なのだと説明する。云っておいた方がおそらく良いと判断した。
 今後ないとは云いきれない。今日は本当に申し訳ありませんでした。今後ともよろしくお願いします。本当に、そう思う。

 夕食の買いだし中やその帰り、とにかく他人にガンガンぶつかられる。足を引っ掛けられる。気分良くない。
 お惣菜買いながら、本当にこの量食べるのか?と思う。が、とまらず。

7月のこと

 扉が目の前にあるのに入れない。固く閉ざされたままだ。いや、この表現は正確ではない。扉のむこうに入る時、その方法は、扉が開くのではないからだ。私が、扉をすりぬけられる。この方が正しい。扉を通り抜けてむこうへ入る。なのに、手は扉にあたり、通っていかない。難しい。
 扉は閉ざされたままだ。