8月5日

 オケ合わせ。
 最寄り駅に着いた時、体どこかふらふら、呼吸浅い。駅員に声をかけ休ませてもらう。会場までわずか歩5分。その5分が歩けないからだ。
 休んでから、5分をゆっくり歩きながら、オケ合わせのスイッチを入れていく。
 オケ合わせが終わったとたん、目の前がほんのりとかすみかかり体中の力が抜けた。次の瞬間にはしゃがみこんで浅い息をくりかえしていた。終わったとたん集中力が切れたらしい。
 元々体力的に問題があり、前々から本番にでるかどうかリーダーと話し合っていた。私は今日のりきれるかどうかで判断すると決めていたので、8月の本番は参加しないことにした。
 けれど、情けなくて情けなくてたまらなかって。何故私は皆が普通にできることができないのか。トイレで気持ちを静めたはずなのに、心配してくれていた入団した20代の頃から一緒だった団員の顔をみたとたん、思わず泣いてしまった。どうして私は皆と同じことができないのかくやしいとポロリと口走っていた。本音なのだと思う。
 皆それぞれキャパがちがう。私は私にできるところでがんばればそれでいい。わかっている。

8月12〜13日

 ずいぶん疲れていたらしい。眠りっぱなし。あとは食事と水分補給。


8月13日

 30分だけ、書く。B5の用紙一枚分。
 すさまじい疲労感。書いたとたん眠る。

8月14日

 続き書く。およそ一時間足らず。すさまじい疲労感。
 集中力が切れたとたん、心臓がバクバクいっているような感じ。実際にそうなっているわけではないのだ。これは感情の揺れ動きに心が心臓のようにバクバクしているのだ。眠る。
 何かひとつ行動しては眠る。行動しては眠るのくりかえし。そうしなければ活動できず。
 ここ数日、麻目が覚めても動けない。また眠りにひきずられるのくりかえしで、体を起こし活動始めるのは昼近くだ。
 ドラマ「帰国」。ひとつひとつのエピソードは良いが、ドラマじたいはいまひとつの感。
 長く生きすぎたと思う。私は長く生きすぎた。

 書ききることは高いハードルだ。
 ひどい文章。小学生でも書ける。考えないようにしよう。いまは書ききることが目標。パートが夏休みのうちにラストまでいきたい。そうでなければ初稿完成は難しいだろう。

8月16日

 続き書く。頭に映像や文章があっても書くのが困難。紙の上におとすという作業ができないのだ。気持ちが拒絶するのか体が拒絶するのか。集中力なし。逃げたい気持ちと書きたい気持ちぶつかる?
 軽く気持ち悪い。

8月17日

 続き書く。書いたが、終えて目を通したのち今日の分すべて削除することにする。ペンで文章の上からバツをつける。

8月18日

 リンパの流れ、とどこおっている模様。ところどころ重だるく苦しい。
 とにかく疲れている。だるい。しんどい。
 神経も体もへとへとでどろどろでふらふらでパンパン。その反面一部アンテナがたった状態であり、休まない。両方の状態が入り乱れ混じり、時としてどちらか一方が強くバコンととびだし、それが決定事項となる。
 休みたいよ。
 けれど休めない。アンテナがたっている。扉をすり抜けられるいま、それに反応し…えっと、とにかく、扉があいているいま書かなければ閉じる前でみえるもの、心が感じるもの、全身で体感するもの、全部書き取らなければ。表現もなにもない。文章を選んでいられない。ボロボロの単語の羅列かろうじて文としてつながっている程度。ひどいもんだ。でも書かなきゃ。扉が閉じる前に。次に開く保証はない。
 限界が近い。
 最後まで書けるか。がんばれ、がんばれ、がんばれ。
 誰かに励ましてもらいたい。大丈夫だ、きっと書ける、最後まで書ける、がんばれ、励ましてもらいたい。背中をぐっと押してくれる支えてくれる言葉がほしい。
 今日。
 夕食後は意識はきちんとあるけれど、すわっていることができない。動けるようになるまで休む。
 なんとかシャワーをざっとあびて部屋に戻る足元はふらふらで微妙ひきずりぎみ。
 疲れたよ、とっても疲れる。しんどい。でも神経の一部がピリピリと働いていて休めない。がんばれ。疲れきって全身のブレーカーがおちるまえに。書くんだ。
 明日はいよいよきついシーンに入る。これまで以上にエネルギーがいる。がんばれ。

8月19日

 続きを書く。
 どこまでが自分で、どこまでが主人公かわからない。おたがいの気持ちが重なり合いどろどろにとけあっていく。くたくただ。疲れた。ふらふらだ。いつ完全におちてもおかしくない。
 誰かにがんばれって云ってほしい。大丈夫だ、最後まで書ける、絶対書ける、がんばれ、最後まで書けるからと自信をもたせてほしい。ふんばらせてほしい。がんばれ私。がんばれ。
 24時間エンストしかけながらエンジンをまわしっぱなしの状態が続く。一瞬でもとまったらおしましだ。がんばれ。書ける。
 世界が閉じられるのが先か、私の体力気力が尽きるのが先か。同時がいい。がんばれ。

8月20日

 Y氏にTELする。
 限界。ふらふら。後押しがほしくて、現状を話し、がんばれ書けると云ってほしいと甘えを承知で頼む。それからいろいろ話す。頼まれたからではなく書けると云ってくれる。
 エネルギーを補充してもらった感じ。
 続きを書く。感情がまじりあって最後には声をあげ泣きながら書いた。
 私が限界なのに呼応して世界が閉じていく気配。
 あと一日もってほしい。ラストまで。シーンがふたつみえる。どちらが本物か。どちらも本物でありどちらもそうでなく、実はまだみえていないようでもあり。
 最後のエピソード、選択するシーンによって、”私”の感じようが微妙にちがう。ラストはひとつ。これは確信あり。みえるラストカットはひとつのみ。”私”を修羅鬼にするトリガーはなんだ?

8月21〜22日

 続き書く。
 今日は遅々として進まない。
 昨日最後目一杯シンクロしたせいか、疲労ピーク。映像が止まる。世界が閉じたわけではない。私が限界に達し、受けとれないのだ。なによりの原因は、最も迷っているシーンでもある。
 ラストカットにいたる最後のエピソード、いくつかみえる。どれもアリのようであり、どれもちがうとどうしても思え、書けないのだ。男の本性はシーンによってどれも微妙に違うようで、自分のなかでは、そのすべてのエピソードがあるのだ。同じような事柄が起こるのだけど、わずかに、だが確かにちがう別のものが。私がまだみえないだけで。
 もういちど考える。自身に問う。”私”は”この男”と10年以上つれそってきたのだ。言葉で表現できなくても、意識としてとらえていなくても、みえるはず。わかるはず。この男の本性がむきだしになる瞬間は、どんな瞬間だ?
 疲れているけれど世界は閉じない。映像のないコマがからまわりしているような感覚というところか。
 疲れきってシャワーも使えない。気付いたら眠っていた。
 目が覚めたのは、みえたからだ。
 頭クリア。
 外は夜明け前、書きだす。
 たとえるなら、音もニュアンスもまちがいない、あっているのに、ここだと求めハマる針先の一点をとらえた感じ。
 すべてがクリア。納得できる心地。ラストまで書く。

 Y氏にあらためて感謝。あの時の後押しは、とても大きかったと思う。
 パートが夏休みでまとまった時間があったことは大きい。ずっとずっとプロットができてから自身で締め切りをつくり、最悪ここで書くという気持ちでいたけれど、本当に書けるとは不安で思わなかった。まだ、私はできるらしい。書いていていってもいいらしい。
 書くのが精一杯で、書くこと以外で切れるものすべて放棄した。まわす余力なかったから。
 他のひとが読めるよう整理するのに目標二週間。明日からまたパートが始まる。今度の作業は両立の形だ。がんばれ、一稿目完成まで力尽きませんように。
 いま、どっときている。まだ神経は高ぶったままだけど。どんどんトーンは下がっている。
 今日は休もう。でないと、明日、そして明日からずっとなしくずしにボロボロだと思う。パートはきちんとこなさなければ。お給料をいただいている責任がある。