2012年~2014年



山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く
春夏秋冬
あしたもよろし ゆふべもよろし

山頭火




[狩猟日記] [伊能ウォーク] [言葉の十字路] 「風よ、雲よ、人よ」

「食いしん坊」 「猟場2006」 「2007~」 「2008~」 「2009~」

「20010~」 「2011~」 [2012~]




二人の苦役

前々日、巻き狩りて゛私を含めて迷射手2名が6頭の牝鹿に翻弄される。
小春日和の八日、Yさんと二人で再挑戦。

あまりにも、最重量級の牡じかに、車まで引き出すのに
古代ローマ時代の奴隷さながらに、ロープを肩に苦役の作業。
老いの実感に圧し潰されそうな日
やっと、六頭目の自然からの恵みに感謝。



猟期始まる

2015年の猟場に立つことが出来た。
いささか感慨あり。
今年も、仲間もワン君達にも事故のないことを願いつつ。

勢子のYさんが茸(くり茸)の群生を見つけて大きな袋に一杯の収穫。 4名で分けても驚きの量。
鶏肉、油揚げ、永源寺の蒟蒻、無農薬の牛蒡、人参、そして栗だけの煮込みご飯。
栗だけ、堅豆腐、無農薬の葱たっぷり、出来上がりに、大根おろしの味噌汁。
極めつけは、獲れたての牝猪の三枚肉と、自生の栗だけ、柚、、たっぷりの鍋料理。
もう、「天上天下の栄華何するものぞ」の美味なるご馳走。



辺野古!!

「殺す側の論理」を持つ者たちに対して
炎のような怒りで、 熱く煮えたぎっていた反戦への 私の季節も茫々たる彼方。

時は流れ、あの日から、いつしか数十年、、、
「沖縄を返せ」を燃え上がる思いと共に歌いながら歩き続けたあの日が
今再び、
植民地奴隷の売国奴達への地鳴りのような怒りと共に甦っている。
民族の誇りもかなぐり捨て、国の主権をも売り渡す輩は、
それこそ「粛々」と退場すべし!!

かたき土を破りて 民族のいかりにもゆる島 沖縄よ
我らと我らの祖先が 血と汗をもって 守りそだてた沖縄よ
我らは叫ぶ 沖縄よ 我らのものだ 沖縄は
沖縄を返せ 沖縄を返せ

■「沖縄を返せ」(作詞:全司法福岡支部、作曲:荒木栄)

(写真の二人の男性の間に小さく写っている若き日の私)



今猟期、、、ワン君たちも事故なく終わる

猪、鹿、それぞれ、相当数獲る。
三名で、五百キロ程の肉に、狩に傾注するエネルギー以上に
食べて下さる方にお配りする気苦労に疲れる日々。
でも、美味しかったと言ってくださる、その一言が嬉しい三ヶ月間の猟期
さあー。消えかかっている心の奥底の熾き火を、火吹き竹で煽ぎながら来季に向かって、、、

水面に漂う牝じか
勢子のYさんと二人での狩の土曜日、作戦通り私の待ち場へ疾走してきた牝じか
かなりの距離に、素早くスコープの倍率を上げ狙う
その初矢を足に被弾し、川に飛び込み懸命に逃走を図るが
追跡して来た俊足の「ナナ」と鈍足の「私」との「鬼ごっこ」に破れ命運尽きる。
それにしても堤防上を100メートル○○秒の世界記録並みの快足で走った、
「黄昏人」の雄姿よ!!(憂姿かな?)
ああー、少年未だ老いず「笑い」

100キロ超級の大猪
これ程の重量の猪と対峙するのは文字通り命懸け
一瞬の判断を誤ると、よくて重傷、、、まずは命を失う事になる
その究極の緊張感が男の生き様を呼び起こしてくれるのかもしれない
そして、また私は銃を背に自然の中へ分け入ってゆく。



クリスマス、ご馳走の贈り物

少し早起きして、市の有害駆除に限り許可されている猟場へ、、、。
また、120キロ(30貫)の牡猪を仕留めた。
いつもの様に仲間の二名が、急ぎ駆けつけてくれた。
今度も三名では軽トラックの荷台に載せることが適わず、小型のチェーンブロックでの作業となる。
解体作業も夜まで掛かり、疲労困憊、、、風呂で疲れを癒し、そのまま朝まで爆睡、、,
今日は電話を片手に、食べて下さる奇特な方探しの電話魔の一日と化す
考えてみれば贅沢な悩みかもしれないが、、、、、

猪を前にした応援の解体統括責任者のYさん



またまた、今度は牡じか

何時ものように、仲間に連絡し手伝ってもらい処理
今朝はレミントン30.06にリューポルドVX2スコープを載せた銃で撃つ

それでも、二発発砲、、、、やはり腕も衰えつつあるのかな 、、、。



また、獲れた60キロ[15貫」の猪

昨年の猟期は猪に、あまり恵まれずに嘆いていたが、
今年は早々と、二頭めの猪が獲れて仲間も心の中で「にんまり」、、、
何しろ、三名で配分するので、もう、すでに冷凍庫が満杯で嬉しい悲鳴。
猪肉、いりませんか、、、、鹿肉、いりませんか、、、
現在、生業(なりわい)は、ジビエ肉の無料押し売りやに変身中。



小春日和の三連休、、老いた「腕白少年」達の奮闘記

山の頂上付近にある猟場での狩に完全に冬装束で臨んだが、
汗ばむほどの陽気に戸惑いながらの仲間と巻き狩り。
大きな角もちの牡じかと、角が少し生えかかった牡じか、二頭を仕留めた。
心は少年でも、身体は黄昏人、、、三名での引き出し、、、解体作業はさすがに辛い。
でも、頂いた「命」に感謝しながらご馳走になろう。



久しぶりの大猪(130キロ.33貫)



何時もの有害駆除の猟場へ出陣
数日前から複数の猪の足跡を確認していたので、今日は連射の効く「ブローニング308」を携行、
読みが的中!!!、、、最近では珍しいほど大牡猪を撃った。
倒れて、断末魔の状態だったので、血抜きのため、ハンターナイフを手に近ずくと、
流石に「森の王者」、、もの凄い勢いで起き上がり突進してきた(猪突猛進)。
何時もの事ながら、充分に警戒をしていたので、とっさに小脇の銃を構え、止めの発砲
でも、一瞬、肝を冷やす。

猟友に携帯連絡、、3名で引き出し、軽トラの荷台に載せるのも大変な力作業だった。

水の出ている私達の解体作業の定位置で、ご満悦の名勢子のY氏。



人の味覚は独断と偏見の最たるもの、、、それでも本物の味。!!



よき時代の日本をそのまま体現されているような「翁(おきな)と嫗(おうな)」のご夫婦が二人だけで、
早朝からもち米を蒸し上げ、臼と杵で見事な呼吸で小手取りしつつ、搗き上げておられます。
近頃では殊更に「老舗」であることをひけらかし、
出店舗の数を声高に吹聴、、、肝心の味は、、、
そんなお店が闊歩する嘆かわしい風潮に苦々しい思いをさせられていたが、
心の中に爽やかな風が吹き渡るようなお店。

「草餅の黄粉落せし胸のへん」
虚子

小学生児童の30パーセントが味覚障害の世の中とか、、、
こんな真っ当な食べ物を作ってくださるお店が増えるといいなー

杵で搗いていることをうたい文句にしながら
実体は機械の先に杵じょうのものを取り付け 動力で搗き、
手作りと言いながら最終の包装だけが手作業、、、、
、 こんな「羊頭狗肉」詐術的な「店」はゴメンだ。
「食品」と「食べ物」、、、似て非なるもの、全く別物である。

食べもの屋は支店が増える度に味が堕落するのは鉄則

追記
営業は土曜日曜で店頭販売のみ。



奥山に 紅葉ふみ分け 鳴く鹿の、、、、

思いがけない全治二ヶ月の負傷に、しみじみと人生の暮秋を感じさされていた数ヶ月。
やっと、傷も癒え、秋の気配の漂いに誘われて再び銃を手に山歩きへ。
スコープを載せた「サコー」で若い牡じかを射止めた。
早速、一番の美味といわれている秋の鹿肉を切り分けて、
知人、友人に自然からの恵みのおすそ分け。
美味しかった、と言ってくれるかなー、、、、笑い。



重要文化的景観、、、歴史の里、菅浦

青春の残り香のような襤褸を心に纏ながら、この街に移り住んだころ、
夜も眠ることのない喧騒な都市に住んでいた反動からか、
なにかに憑かれたように、奥琵琶湖や余呉湖周辺、、、辺境な山峡の村々、、、
時間の流れから取り残されたような漁村などを、車で風任せの旅を繰り返していた。

そんな訪れた所の一つに菅浦があった。
ふと、眼に留まった遠藤周作氏のエッセイに小さな旅心が誘われ、車を走らせたのが、最初。
爾来、いく度も、幾度も、ぼんやりと過ごす時間に恋して足しげく通った。
その内、忘れたように、それらが遠い風景になって十数年が過ぎっていた。

ある日、何げなく見た市の広報に菅浦が貴重な歴史的景観遺産として、登録されたとの記事を眼にし、
各地の多くの素晴らしい伝統のある風景、風物が、観光による地域の活性化という美辞のもと、
無残にも変貌してしまった事例のようになる前に、(単なる懸念に過ぎないと思いつつも)
最後に記憶の奥深く留めて置きたいと訪ねて行った。

お住まいになって居られる方々の、揺るぎない信念と、これまで以上のご尽力により、
いつまでも遠藤周作氏が喩えられた「北欧のフィヨルド.菅浦」であり続けますように。

須賀神社。  葛篭尾岬と菅浦の集落の遠望

中世の名残の四足門。   琵琶湖水上交通の主役であった「丸子船」



集団自衛権、、、戦争をするという事は、どういうことか知っていますか、!!

国士気取りの暴走坊や、そして、進軍ラッパを吹き鳴らし
太鼓をたたき、権力に擦り寄るマスコミ産業の人々、
電子箱紙芝居で、したり顔して、愚にもつかぬ言葉を撒き散らしている人々に、
薦める一冊

「一銭五厘の旗」
著者.花森安冶 発行所.暮らしの手帖社」

君主国への媚からか、やたらと横文字を使いたがる「A」には敬遠したい本かもしれないが、
本当の日本の言葉で書かれた的確で鋭い文明批評、社会批評、時事批評、、ぜひ、一読を。



再掲載
「徴兵は命かけて阻むべし 母.祖母.おみな 牢に満ちるとも」

この短歌は1978年頃、当時の首相福田赳夫の元で「有事立法」なる危険な法律が 議論されていたとき、
東京にお住まいの「石井百代」さんが詠まれたものである。
この歌にふれたとき身体が震えるほどの感銘を受けた。
このような女性が世の中の主流である限り
この国は二度とあの悲惨な愚かしい戦争への道を歩み出すことはないと信じていた。
きっと、戦争指導者の振る旗の下で「軍国の母」よ「靖国の妻」よ、などと 踊らされて、
父.夫.恋人.息子.学友.知人.友人、、多くの愛する人達を 戦場へと送り出し
、二度と、逢うことが叶わなかった悲しみの
あの痛恨極まりない血を吐くような慟哭の中から生まれた反戦への決意だったと思う。
いざ!再び起てよ、今こそ大和撫子!

「マッチするつかのま海に霧深し 身捨つるほどの祖国はありや」
寺山修司

若者達へ
愛国心について声高に言いつのる人物が現れるとき、
貴方達は注意を払わなければならない。
戦争屋は、いつも愛国者の仮面を付けてやってくるものなのだ

紛争が勃発すれば、真っ先に戦場へ駆り出され、殺し殺されるのは若者世代。
戦場は劇画の世界ではない。地獄図そのもの。

往時においては、
祖国の為に死ぬことは心地よく、ふさわしいものと書かれたが
近代戦争では、戦死が心地よく、ふさわしいものは何もない。
諸君は犬のように死ぬだろう。
ヘミングウェイ



迷った愛犬を捜しておられます

家人が通りで、ご婦人に話しかけられました。

大阪から琵琶湖湖畔の我が街でネットの情報をもとに、
行方が分からなくなっている愛犬をホテルに宿泊しながら捜しておられるとの、事でした。
大阪から二.三百キロ離れた、それも見知らぬ街で、
必死に愛する犬を捜し続けておられる姿に思わず涙が溢れそうになりました。
行方が分からなくなったのは比良山(琵琶湖西岸)に所有されている山荘付近とのこと、
目撃情報の長浜市とは琵琶湖を隔てて相当距離がありますが、
かなりの方から情報が寄せられていると言う事です。
もし、見かけられた方や、心当たりのお有りの方がいらっしゃいましたら
警察等へ連絡してあげてください。

犬種、ポインター 年齢、9歳 名前、ジョー  人懐こい優しい性格だそうです。

似たような犬を目撃された方は「ジョー」か、どうか確定するために
携帯ででも、スナップ写真を撮っていただけると有り難いです
確認できれば、その地域を友人達と集中的に捜索して上げたいと思っています。

きっと、奇跡が起こりますように



牝猪背ロースの味噌漬け

素晴らしい肉質の牝猪に料理心を触発されて、
TOMOKI流.手作りの味噌漬けを作る。

★三歳雌猪の背ロース800グラム(牛乳で血抜きしたもの)
★奥伊吹山家の田舎味噌適量
★菊姫吟醸酒、白扇酒造味醂、それぞれ適量
★奥琵琶湖産実山椒、多目に
★農家自家用栽培の、大粒大蒜、香り付け程度
★冷蔵庫で一昼夜静かに眠らす

★手間を惜しまず、卓上コンロに備長炭を赤々と、、、

★キリリと冷えた吟醸冷酒、山深い猟場の谷川の山独活、秘密の場所で採った蕨の和え物を添える

消えかかっていた「心に紅をさしたような日々の時間」がよみがえって来た。

さあー、今宵は思い出と一緒に酔いしれて、、、

「ふとめざめたら  なみだがこぼれていた 」 山頭火



「遠くへ行きたい」の名案内人.渡辺文雄氏の存在感が漂うようなご馳走の頂き方には
賞賛と憧れをもって拝見させて貰っていた
あの境地には遠く及ばない私だが
、最近、氾濫している目を背けたくなるような食べ歩き番組には辟易



四月の猪



旧知の猟友(わな名人)が60キロほどの牝猪を捕獲した。
暖冬で、えさが豊富だったのか、四つ葉バターのような芳醇さ。
三名で分けたが、それぞれ10キロ余の肉に、思いがけない春のご馳走にニッコリ、、
全員、破顔一笑

某月某日、
散り始めた桜と、水面を渡る湖風の下で、
自然からの贈りもの、猪のジビエ料理を一緒に楽しみませんか、、、
参加者募集、、持参するもの、箸とお皿だけ。
書き忘れました、あと一つ、、、「とても、美味しい!!」という素敵なウソもお忘れなく

「山ふかくして白い花」 山頭火



猪、、渓流で遭難

記紀伝説で有名な「日本武尊」所縁の渓谷がある
神々の剣で一文字に切り裂いたような急斜面で、
奔流が、飛沫を上げて渦巻くようにに流れ下っている
その下流に本当に小さな小さな「水力発電」の設備があり、
その取水口には流木や雑多なゴミを取り除くネットが設けられており、
毎朝、担当者が除去作業をされているそうだ
先日、一度に七頭の猪が流れ着いていたという
よく、プールの排水口に吸い込まれての痛ましい事故を時折見聞きするが、
あれと同じ現象で、水泳ぎを得意の猪も脱出不能で遭えなく遭難!

古い昔の知人に処理を依頼され、腰痛の身ながら断りきれずに
半日掛かりの苦役で、ご奉仕、、、背中はシップ、ベタベタ、、オブジェ模様。

そのご褒美に(笑い)超美味で有名な北の国の猪肉のご相伴に与った。
ご馳走になった感想は、、、こんな苦役なら今後大歓迎!!



日本のトナカイ

当地で屈指の名射手として名を馳せているK氏が、
23日の朝、集合場所に来る途中、山の斜面で鹿を発見、
素早い身のこなしで下車、正確に照準し射止めた大きな牝じか。
餌さ豊富なのか猪の枝肉と見間違うほどの脂身の「イブの贈りもの」日本のトナカイ

数時間前まで縦横無尽に山を駆け巡っていた一つの命が、
いま、私の冷蔵庫で静かに眠っている。



猪狩り

市の保護区に指定されているが、
私達会員のみに狩猟許可されている猟場で、三歳程度の牝猪を撃った。
予期せぬ遭遇であったのと、今猟期、初めての猪ということで三発も連射。
肉を荒らしたくないので、頭部を狙ったのと、逃げられては、、、という意識が働き
少し緊張しつつ、引き金を引いた。
急な斜面を転がり、木に引っかかり宙吊りで止まったので、
すぐ、何時ものように猟友に携帯連絡、、、YとM両氏が程なく駆けつけてくれた。

今日、頂き物の「水菜」で「ハリハリ鍋」風でご馳走になる。
なんという美味しさ、、、、
魯山人曰く「猪は食肉の王者」それも牝の当歳仔か、三歳までの未経産牝猪、、、
まさにその通り、、、最高の美味!!!



スコープの威力

集中力が切れると、ついつい居眠りしそうな暖かい猟場、
自然の中で過ごせる幸せを噛みしめながら、仲間と狩り
いつもの「チコ」が、急な体調不良のためお家でお留守番
「クロ」が孤軍奮闘で大車輪の活躍
一ランド目は開始早々10分ほどで親子連れの鹿がKさんの待ち場へ飛び出してきた
残念ながら失中、、、 すぐ2ラウンド目へ
程なく、一番高い待ち場の私の処へ逆から鹿が走ってきた
不意をつかれたが、身体が条件反射で射撃体勢、、スコープの十字にきっちり捉える
銃声、、、一発、、、命の終焉、、、
すぐ近くまで勢子の吉川さんが来ていて、他の二名にロープを持って上がってくるように指示
一頭の獲物に恵まれたら、それ以上は狩をしないとグループの暗黙のルール
全員で昼食をしながら、談笑、、、そして解体作業,、今日も事故もなく、いい一日
「オトコ」としての感情が溢れて、過ぎてゆく「時」が抱きしめたいほど、いとしい



満身創痍の心身に鞭打ちながら!

平成25年狩猟解禁、、、継ぎ接ぎだらけの重い心を抱いて再び山へ、、、

身も心もすっかり黄昏て、猟友たちの足手纏いになる危惧もあり、
長い狩猟生活に終止符を秘かに決意していた。
そんな時、勢子で活躍してくれている吉川さんが「チコ」の後継として、
生後、数ヶ月の子犬(ゴン)を育てる意気込みに燃えているのに触発され、
自然の中で燃えつき、行き倒れてこそ「腕白悪童」として本望と、
銃とナイフを手にした。
そして、初猟三連休、、快晴の猟場で、いつもの仲間と巻き狩り。

17日、吉川さん三発、、、Kさん10発(笑い)、、Mさん1発、、、私、2発、、、
さながら、冬の到来を告げる遠雷の如く凄まじい銃声が山々に木霊し
牝鹿と、大きな角持ちの牡鹿が倒れた。
今猟期、初めての自然からの恵み、、、丁寧に料理をして心しながら命を頂く。



川合さんと

猟友の川合さんが一ヶ月に渡るキャンピングカーでの「、風の吹くまま、北海道の道の旅」から、帰ってきた。
お互いに「有害鳥獣駆除従事者証」を交付されているので、
エゾ鹿の群れに遭遇した思い出話など聞きながら、久しぶりに一緒に保護区へ。
熱く燃え滾っていた「心の炎」も気がつけばいつか微かな熾き火。
「そろそろ潮時かなー」と、日々つぶやきながら暮らしているのに、
すこし華やいだ気持ちで「銃やナイフ」を取り出している自分に苦笑。
そして、今の季節の猪とは思えないほど脂ののった牝猪に
いつしか、以前のように全てを忘れて谷川でナイフを振るった私。

あと、ふた月ほどで狩猟が始まる。
揺れ動く「心の中」を見つめつつ、、、、一日一日が流れてゆくのだろう。



輪禍

お盆が近いので犬達のお墓に出かけようと国道を走っていたら、
歩道に大きな牝鹿が倒れていた。
早朝にでも車に撥ねられたのか、すでに息絶えていた
時刻はすでに10時過ぎで、もう、炎天下、、
あっという間に腐敗が進むだろうし、そのまま通り過ぎるのはしのび難い。
隣の市の区域なので、その市の猟友会員に連絡して二人で埋葬。
それにしても、近くの山までは三キロ以上離れているし、田圃の中を朝の散歩でもしていたのかな

終日、不慮の死を遂げた鹿のことが心の中に重く沈殿して「暗い日曜日」



安国寺 恵瓊

信長之代、五年、三年は持たるべく候。明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申候。
左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候。藤吉郎さりとてはの者にて候」

長州.毛利藩の外交僧であった「安国寺 恵瓊」が情報収集のため上洛中に
国許に送った歴史上有名な報告書簡の中の一節。
天下統一の野望をほぼ手中にし、公方はおろか、天皇家さえしのぐ権勢をもつに至った信長と、
織田家きっての重臣に上り詰めた藤吉郎(のちの豊臣秀吉)に対して、
鋭い洞察力で後世の我々を驚嘆せしめる的確な人物分析の内容。

平成の現代、民度の低年齢化と無責任扇動テレビが生み出した、
ある「駄々っ子」そのままのような「三百代言」の言動を見聞きするたびに
その都度、この安国寺恵瓊の報告書を思い出していた
「その人物」と、「信長公」と重ねあわすのは
「メダカ」と「クジラ」を同一視して論じるような愚だとは思うが、、、、

さてさて、出でよ、、、、「平成の藤吉郎」!



衛星写真を駆使して

新しい猟場は地形を掌握しなければ猟果は望めない
狩猟の世界では昔から「一犬.二足.三鉄砲」という格言がある
猟をする者は山を隈なく歩き、そして地形を完全に自分の頭に叩き込む
そのためには大変な労力と長い歳月を要する
そこで注目したのが、ウェブサイトの写真衛星(多分)による俯瞰地図である
地名を入力すれば即座にその場所が開ける
まるで昔の偵察機による航空地図さながらの克明さで、あっと驚かされた
それにより、飛躍的に調査が進み、従前の数分の一のエネルギーで地形を熟知できた
その結果、シーザー風に言えば、、、、、
「見た、、撃った、、倒した」

特別保護区での有害駆除による狩猟であることを割り引いても
一名か二名での流し猟でこの成果には、、、うーん!!!



雪中の微笑み.河合さん

特別に許可されている有害駆除へ朝早くから出陣
我々が重点的にマークしている地点を車で流して歩く
程なく、前方の斜面に二頭の牝鹿を発見し、私が30.08で発砲したが失中
すぐ後ろの河合さんが軽やかな発砲音でホーワ.カービンを連射して、カバーしてくれた
三発とも見事命中の凄腕でした。脱帽の私、、、、
かなりの積雪の中も、なんのその、、、すばやく処理を済ませ、今年初めての猟果。



2012年の狩り、無事に

早くも猟期前半が終了する
年間を通して有害駆除に従事しているので、
年中、狩猟期間の感覚なので、特別に思うこともなし
ただただ、チコやクロ、そして私も含めて仲間達に事故が無いことのみ思い続けての日々

大晦日も快晴の中、三名で狩り、、勢子も河合さんも素晴らしい大鹿に発砲したが、、、
幸いにも、彼、彼女達に2013年の元旦を無事に迎えさせてあげることが出来た。笑い

真相は、
生来心優しき両氏はわざと狙いをはずし、空に向けて撃ったようだ
鹿君たちに、すこし少ないが八発の除夜の鐘の代わりだったのかな、、

画像の大鹿は 河合さんが一人で小谷城址近辺でクリスマスに射止めた日本のトナカイ



杞憂

最近では、あまり耳にすることも、目にすることもないから、死語に近いのかも、、
勿論、この言葉の語源は中国の杞の国の住人が天が崩れ落ちて来るのではないかという、
現実に起こり得ることなぞ、ない出来事を日夜、憂い、心配したという故事に由来する、
我々も空が落ちたりするとは毛頭考えもしないで暮らしてきた
それと同じように、高速道路のトンネルの天井が落ちてくるとは夢想だにしたことがない。
そのトンネルの天井が崩落し大惨事になった
人災とはいえ「杞憂」が「杞憂」でなくなり、
突然、人生を断ち切られた方々の無念は如何許りか、、、言葉に尽くし難い。
全ての価値観が大きく変化し、生活の決まり事してとして、あり得ない現象としてきた事なぞ、
すべて反故となり、虚妄の時代、、、、、
空からは、小惑星、、、ミサイル、、、五感に知覚できない降り注ぐ放射能、、トンネルの天板、、、

ふと、次の句を読み直す

天穹の 剝落のごと 春の雪

大道寺将司全句集 棺一基より

落ちてくる筈のない、いや、落ちて来てはいけないものを作り、
科学の進歩の成果なとどと妄言を吐き、得意然としている人間と、
虚空のかなたより、零れ舞い落ちてくる「雪」を
幽閉三十数年の身で、高々と、この様に詠んだ詩人との、
両者の精神の在りよう、、、心の距離の絶望的な遠さよ!



流し猟

発砲が許されている日の出の時刻と同時に猟場に入るのには、
かなり早く起きることになる。
いつの間にか、寒い朝、寝床から離れがたくなった。
エィ!と掛声と共に未練を断ち切り、布団を蹴散らし、いざ、、、
朝靄が漂う冷気の中、林道を車で流してゆく。
「男のロマンの世界」は何と厳しいものかと(笑い)、一人ごちながら、ほの暗い木立の中へ、、
雪が近い所為なのか、麓に降りてきたらしい鹿を連続で仕留めた。
いずれも、小ぶりの鹿だったので何とか一人で処理を済まし、
写真も三脚を使ってセルフタイマーで撮影、猟友を煩わせずに済む



24年度.猟期始まる

それなりに日常を律し、禁欲的な生活を過ごしながらの、この一年
今年も無事、猟期を迎えることが出来た。
再び下界生活に別れを告げ、三ヶ月有余の杣人暮らし。

老躯に拍車を入れ少年の日々へ、、、いざ!

初猟日は三十年ぶりの雪の中での狩となった。
吹雪の中、雪だるまの様になりながら二人で作戦開始
最初に勢子のYさんが大きな牝鹿に発砲したが半矢となる
続いて私の待ち場に雪を蹴立てるように三頭の猪が走ってきたが、
パーカーのフードを被りなおしている一瞬の隙をつかれ、あえ無く失中
地団駄を踏むほどに口惜しく、、、残念、、、残念、、、

そして、昨日、昔の猟場へ遠征し、今年最初の二頭の獲物に恵まれた。



史跡。小谷城址での有害駆除



★.姉川の戦いの前に浅井方の援軍として越前から駆けつけた朝倉勢が布陣した本陣跡
眼下に決戦の場となった姉川周辺が広がり、それが一望できる。

★.木立の中の小径を進むと浅井家累代の重臣達の屋敷跡が左右にあって
台座に埋め込まれたプレートの案内文を読んでいると、歴史小説のなかの人々が
薄暗い林の中から、ゆらゆらと立ち上る様に現れてくるような気がする。

★.その重臣屋敷に護られるかのように一番奥に浅井長政の家族が暮らしていた
屋敷跡が残されている。
其処に佇んでいると「お市の方」や、浅井三姉妹で知られる「茶々」「初」「江」、、「万福丸」「万寿丸」との
幸せな在りし日々の団欒の暮らしが偲ばれて、時空をこえて、笑いさざめく声が遠くから聞こえてくるようだ。
戦乱の時代に生きたとはいえ、栄耀栄華すべて茫々たる歴史の時間の彼方へ、、、、
今は、ただただ、ほの暗い木立が広がるだけ、、、、人の世は全て無、、、消え去るのみ、、合掌。

★.お市の方達の湯治場として知られている温泉場の近くの山裾で早朝に倒した鹿

150メートルほどの距離を朝日を浴びながら早足で駆けていた鹿に
すばやくスコープの倍率を上げ、膝撃ちの姿勢で十字に捉え一発
サコー.フォレスター308、リューポルドVXーⅢ.スコープの凄さを実感。

側には豊臣家重臣で「桐一葉、落ちて天下の秋を知る」という句で有名な片桐且元の生誕地がある

★.小谷城の大手通りと言われていた林道で清々しい一人の「若武者」が130キロ超の「猪武者」を
見事に討ち取っていた。
さすがの一騎当千の勇者も、近年見かけたこともないほどの重量級の猪の引き出しには悪戦苦闘中。
見かねて「武士は相身互い」ならぬ「猟師は相身互い」,、、老武者の身を省みず少しだけ助太刀。

★.私が射止めた鹿も大きくて一人ではビクともしない。
そこで何時ものように猟友が遠い距離を駆けつけてくれて、谷川で処理作業をしてくれた。



明治.大正浪漫を駈け抜けた人力車

店の前に「腹掛けどんぶり」姿の鯔背(いなせ)な若者が人力車で客待ち

一世紀前には現在の高級車並みの乗り物だった
政財界の要人、上流社会を形成する人々、富裕層、格式高い花柳界の芸妓、
勿論、外国からの賓客も利用した。
当時の社会的立場、拠って立っている地位の証明の一つでもあった。

わが国の歴史上の「大事件」にも立ち会った。
明治24年、国内外に大きな衝撃を与え「大津事件」と呼ばれた
ロシアの皇太子「ニコライ二世」が警備の警察官にサーベルで、
斬り付けられ負傷したときも人力車に乗っていた。

時は流れ流れて、平成の時代、いまでは観光地を巡る優雅な「エコーカー」

思わず歩を止めるような爽やかな雰囲気の若者
しばし、おしゃべり
彼の身に着けている「腹かけどんぶり」も「地下足袋」も、今では消えつつある言葉
昔は印半纏に腹かけどんぶの粋な職人姿も、ごく当たり前の風景画、
地下足袋という履物もあまり見かけないが
この地下足袋はブリジストンの創業者(石橋氏)が、
炭鉱や、港湾の荷役、山林作業などに従事する労働者のために考案したもの
それで財を成し、今では世界のブランド「ブリジストンタイヤ」に発展
最近では、日常的にはあまり目にしないが非常に足に馴染んで歩きやすい。
第二次世界大戦中、大陸出兵の兵士達はは軍靴より地下足袋を好み、履き替える者が多かったとか
狩猟の世界でも、私たちの先輩は
地下足袋と、スパッツの代わりに巻きゲートルや脚絆の愛用者が多かった,

考えてみれば、このウォーキング.シューズ、兼、ワーキング.シューズの優れものの
地下足袋が無かったら、「鳩山由紀夫.邦夫」両氏の現在は違ったものだったと思うし
「民主党」創立時の「鳩山資金」の捻出も不可能
という事は、いまの「民主党」の存在もあり得なかったから、
民主党の執行部議員は、くだらない権力争いにうつつを抜かしているより、
地下足袋を履き、腹かけどんぶりで被災地の後片付けに汗を流したら如何
そして、その地下足袋を議員事務所の神棚に奉り、朝夕、礼拝すれば
甘い蜜を求めて寄ってくる「有象無象」達の馬鹿馬鹿しい「推薦状」なるものを
ベタベタと張り巡らすより霊験あらたか、、再選、間違いなし

源流をたどれば「地下足袋」のお蔭で民主党で国会議員に成れたようなものだから
片時も「地下足袋様」のご恩を忘れてはならない

因みに、「ブリジストン」の社名は「石橋」を逆からの英語読みで命名したとか,、本当かな





水無月、、紫陽花、

「紫陽花や 昨日の誠 今日の嘘」
子規

酔芙蓉と同じように日によって色が変わる
昨日は何色,、今日は、、、そして明日は、、、
花言葉は「移り気」「心変わり」「高慢」、、、七変化。
私の心模様も七変化。

昨日の自分が本当なのか、今日の自分は偽りなのか、、明日の自分は虚々実々



今は昔

真相を読み取る能力が必要な情報(?偽?誤情報ともいう)を垂れ流す人々列伝

{昔}、 大本営海軍報道部「平で.ひで夫大佐」
{今}、 菅内閣官房長官「枝の.ゆき男」

{昔}、「ジョウユウ」 当時、ある教団の広報責任者
(ああ言えば、こう言う「ジョウユウ」と揶揄されつつも、ディベートでは敵なし)
{今}、「ハシモト」 ある地方都市の市長
(議論家としてはジョウユウには程遠く、子供の口げんかレベルだが、なぜか、虚像が一人歩き)
(国民の民度の低年齢化により、テレビが生み出した「オブツ」の内の1つ)

{昔}、 退却を転進と言い(不敗神話の大日本帝国軍部発表)
{今}、 撤退を一時撤収と言う(帝国陸軍の遺伝子を濃厚に受け継ぐ、傲慢東電の国民向け目眩まし用語)

{昔}、 全滅を玉砕(大本営発表)
{今}、 水素爆発で壊滅状態を、直ちに影響を及ぼす事のない程度の損傷という(内閣府用語辞典)

{昔}、仲人口
{今}、婚活コンサルタント

{昔}、 株屋
{今}、ファイナンシャル.プランナー

{昔}、幇間(太鼓もち)
{今}、テレビの寄生虫的コメンテーター

{昔}、神がかり預言者
{今}、地震予知学者

昔は毒ガスの原料
今は農薬と言う

昔は人類滅亡の破滅兵器を「原爆」と呼び
今は人類文明のため必要な平和利用の「原発」と言う

「げんばく」と「げんぱつ」の違いは「は」の濁点と半濁点だけ。
決して我々人類が手を出してはいけない「神の火」ならぬ「悪魔の火」




幾たびかの春

凛とした香りを漂わせて梅が咲き、、、

爛漫と咲き零れるように桜咲き、、、

そして散り初める花びらを肩に乗せ、さまざまに人が行過ぎてゆく

街は宴のあとの物憂いような気だるさが流れる日常へ、、、、

そんな春宵、
曳山祭りの町内出番山に出務し、
歴代の若衆筆頭(統括責任者)の方々と「春」と「祭り」を飲み交わす
先輩方は由緒あるわが町内の長老でもあり、それぞれに幅広く事業を営まれている有力者
この街に移り住んで以来、異端の生き様の私を程よい距離でお付き合いくださった厚情の人々

そして、私の残り少ない時間とともに2012年の春が去る

「梅は匂いよ 桜は花よ 人は心よ 振りいらぬ」
山家鳥虫歌



政治

「仮装して行う利害得失の争い」
アンブローズ・ビアス著.「悪魔の辞典」



哀れ.有害駆除の「カラス」

農作物を啄んで被害を与えるとして駆除される「カラス」
作付けの春は彼たちにとっては受難の季節
平成の時代では「童謡」など口ずさんでいる子供たちは、あまり、見かけない。
しかし私は童謡「七つの子」の歌詞を思い浮かべながらカラスに向けて発砲する。

私と、もう一人の私が矛盾なく同居している心の深層の不思議

からす なぜ鳴くの からすは山に
可愛い七つの子があるからよ

可愛い 可愛いと からすは鳴くの
可愛い 可愛いと なくんだよ

山の古巣(ふるす)に行って見て御覧
丸い眼をした いい子だよ

作詞:野口雨情



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