クロアチアトップ 
広島→羽田→成田→
ウィーン→ザグレブ
ザグレブ→
プリトヴィッツエ 
プリトヴィッツェ
→トロギール→
スプリット
 
スプリット→コルチュラ
コルチュラ→
ドブロヴニク 
 ドブロヴニク
 ドブロヴニク→
ウィーン→成田
→羽田→広島

スプリットからコルチュラへ


スプリット→ストン→コルチュラ
        
2009年9月22日(火)
  スプリットで宿泊したDALMINA HOTEL

 周りは工場地帯といった感じ。
 

旧市街「ディオクレティアヌス宮殿」の南門(青銅の門)

かつてはこの手前まで海で、ここから船に乗った。
 
   宮殿入口
宮殿内部

 中世にはこの上に一般住居が構築されており、天井にそこに住んでいる人がゴミを捨てるための穴が開いている。
 
  宮殿建立当時の図
 
 右下の門が青銅の門。すぐ海です。
玄関広間でアカペラの男声コーラス

素晴らしい歌声です
 
  皇帝住居の玄関

 ディオクレティアヌス皇帝は、奴隷の出身だったが3世紀の終わりに皇帝にまで登り詰めたけど、4世紀初頭に自ら引退し、スプリットに宮殿を建て移り住んだ。
ディオクレティアヌス皇帝時代のローマ帝国領土

地中海沿岸全てやイギリス・アイルランドも 
 
  玄関前広場にあるルクソールという名前のレストラン
 
 エジプトにちなんだものも色々あります
鐘楼                   

一番上まで登りました。      
入場料は10クーナ(200円)
 
  鐘楼内部の階段

 結構スリルがあります。
 鐘楼からの眺め

   北方面
 
    西方面
  南方面

    アドリア海の色々な島へ向かう船が発着している。






 
    東方面

    手前は、大聖堂の屋根
 大聖堂と鐘楼
 
 大聖堂は元々ディオクレティアヌスの霊廟として建てられたもの。
 ディオクレティアヌスは、キリスト教を迫害してきたが、ローマ帝国はその後キリスト教を公認し、この建物もキリスト教の大聖堂として改築された。
 ディオクレティアヌスの棺はどこに行ったか不明とのことらしい。
 
    金の門(北門)
 西門(鉄の門)

  
 
    東門(鉄の門)
 
 
     
 青空市場

  東門の外にあります。
    青空市場には花屋さんが沢山
     スプリットでのガイドのマリアさん 

 
        スプリットには美しい方が沢山います。
        この街はミスユニバースの常連だとも・・・

        マリアさんも素敵でした。
 
   海岸通りでアコーディオンを弾いているおじいさん

  肩にも頭の上にも鳩がとまっています。

  映画「メリーポピンズ」の「2ペンスを鳩に(Feed the Birds)」のシーンを思い出しました。
海岸通りでは、UEFAのイベントも

   優勝カップのキャラバンをやっているようです。
 POLJUDサッカースタジアム
 スプリットからアドリア海を南下すると、ボスニア・ヘレツェゴヴィナに一旦入国します。

 入国審査はありません。
 ボスニア・ヘレツェゴヴィナの街(ネウム)のスーパーマーケット


  クロアチアより安いので買い物に国境を越えてくるそうです。 
  ただ、品数は少なかったです。
 再びクロアチアに入国   
ストン
 
 ペリェシャツ半島の途中にあるストンの街。
 昔から塩田で栄えた町です。
    ストンの街は長城で守られている。

       14世紀にドブロヴニクによって造られました。
 現在も塩田で塩を作っています。
  オレビッツの港

     ここからコルチュラ島へフェリーで渡ります。
 オレビッツの砂浜

  水がきれいに透き通っています。
  アドリア海は、潮の香りがあまりしません。
  日本のように海藻が海岸に流れ着いているという風景が無く、そのため潮の香りがしないということのようです。
  海中にも海藻が少なく、魚にとっては少し住みにくい海のようです。
ウニは沢山あります。
このフェリーで島に渡ります。
   我々のバスも乗り込みます。


     フェリーは波止場の先端に直角にとめているので、
    大型車はハンドル操作が大変
 コルチュラ島が近づいてきます。

  聖マルコ大聖堂の塔が見えてきました。
いよいよ上陸です    
ホテル(HOTEL LIBURNA)から見たコルチュラ旧市街


色々な国への旅行記
があります。



ヨーロッパ各地を歩
いた様子を中心に
アップしています。