「竜爪山九条の会」2周年のつどい 講演録


 講師  小林豊子さん
       あすなろの家・ケアハウスしみず施設長/医師  
 

 はじめに
 私も「条の会」に入っていますが、たぶん日本一小さな会だろうと思います。会員の数も正式には分からない。多すぎて分からない訳ではなくて、誰が会員なのか?規約も無ければ、会員の拡大もしていない。それでも全国千何箇所のひとつに数えられているのだからいやはや。それに比べ、「竜爪山条の会」は会員数も多く、きちんとニュースを出したり、講演会活動や、ホームページづくりなど本当に立派だと常々感じていました。その会の周年記念のつどいでこうしてお話をさせていただけるなんて、とても光栄に思います。
 一昨年には、私の亡くなった娘が残していった冊子『13歳私が見たもの・自衛隊はあって良いのだろうか』を貴会のホームページにアップしていただき、多くの方々に読んでいただけて、本当に感謝しております。今日、私がここにこうして立っているのはこんなご縁からだということをまずお知り頂きたいと思います。
 さて、今日は、憲法をどう生活に活かしていくかについて、一つの具体的な提案をさせてもらおうかと思っています。この案内のチラシにも載っていますが、映画『いのちの山河・日本の青空U』づくりを通じて、命を守ることにおいては、憲法条とは表裏一体の「25条」をも生活に活かすことの大切さについて、私の考えをお話させていただこうと思っています。
 『いのちの山河・日本の青空U』
 まず、私がなぜこの映画づくりに関わったのかについて少しお話をさせていただきます。
 32〜3年前、無医地区だった岐阜県の東白川病院に夫と二人で勤めていた頃、岩手県の沢内村は老人と子供の医療費が無料で、以前ひどかった乳児の死亡率も劇的に下がり、村人も皆健康になって、村の医療費も減ってきているということで、有名でした。
 当時、東白川村も、人口3000人ほどの、山間の、小さな貧しい村でした。村唯一の医療機関だった村立病院の医師が退職してしまい、無医地区となってしまったため、夫の出身大学である「岐阜大学医学部の公衆衛生学教室」の教授からの白羽の矢が立ったのは、医師になってやっと45年が経過したばかりのころでした。村人は、ペーペーの私たち二人を熱烈に歓迎してくれました。村当局の医療に対する姿勢もとても良く、確か、中学生までの子供の医療費は無料だったように記憶しています。保健婦活動も盛んで、食事の改善や、小児の予防接種の徹底などはなかなか立派だったと思います。しかし、乳幼児の死亡率はまだ高いし、働き盛りの人が脳卒中で倒れるなども多かったように記憶しています。同じような条件にありながら、なぜ沢内村はそんなにうまくいっているのだろうかと不思議に思っていたことを思い出します。当時は、疑問は抱いてはいたものの、もっと詳しく調べてみることはしてはいなかったのです。
 ところが、昨年になって沢内村のことが映画化されるとの事で、その制作委員にとの話が飛び込んできましたので、お受けすることにしました。
 不思議に思いながらも、よく分からなかったことが、シナリオを読ませてもらって明らかになりました。「そうだったのか」この感動を、自分だけのものにしてはならない。ぜひ多くの人に見てもらいたい。いや映画を創る喜びから味わってもらいたいと思いました。

 今、世の中がだんだん暗く、行き詰ったような感じになってきてしまっているように多くの人が感じているのではないでしょうかこんな状況から抜け出すにはいったいどうすればよいのか? 多くの人が、真剣に考える状況が生まれてきているように私は思います。
 日本は、世界は、どこでおかしくなってしまったのか
? 
このまま同じ方向に進んでいったらどうなってしまうのか?誰もが不安を抱いているのではないでしょうか? ただ、多くの人が、このような状況の本当の原因を認識できないまま、ただ不安と、心配の日々を過ごし、時には、絶望のあまり、自らの命を絶ってしまったり、自暴自棄に陥って、善悪の判断もできなくなって、犯罪を犯してしまったりもしているのではないだろうか?
 こんな中で、私達が、この危機的状況を打開する良いヒントを与えてくれる内容の映画だと私は思ったのです。人間は、もう後がないというような状況に立たされた時、原点に戻って考えてみたり、開き直りや、発想の転換や、死んだ気になってやってみること等によって、思いもかけず良い方向に進むも事があるようです。
 この映画の制作、普及が、何かそのようなもののように私の直感を刺激したのです。ここで、映画のストーリーを、映画制作委員会のパンフから引用させてもらいます。
 “豪雪・多病・貧困”とてつもなく大きな問題を抱えていた、山間の小さな村・沢内村。長く無医地区であったこの地で、父親から医者になることを期待されながらも村を離れていた中沢良雄はある日、妻と帰郷する。昔と変わらず悲惨な村の状況を前に良雄は、なんとか村を良くしたいと立ち上がった。自分達を苦しめている問題を打破しようと村民に語りかけ、自らの信念である「生命尊重」行政のあり方を説き、いよいよ村民の医療無料化に踏み切ろうと決意するが、国民健康保険法違反という壁に突き当たってしまう。良雄は、村民のいのちのため、全国に先駆けてなんとしてでも実現させようと「少なくとも憲法違反にはならない。国がやらないから、村がやるんです!」と憲法25条を盾に、老人・乳児医療費無料化を推し進めていく。やがて、全国でも最悪の乳児死亡率だった村が、全国初の乳児死亡“ゼロ”という記録を生み出すまでになる。しかし、そこに辿り着くまでには、良雄と村民達の奮闘の日々と、数々のドラマがあった…。
 ざっと、このようなあらすじなのですが、この中にも出てきましたように、誰が考えてもとても良いことだと思えるようなことが、法や、規則によって禁じられたり、制限されたりしている現実があるのに気づきます。そんな時こそ、“憲法にもどれ”と教えてくれているようです。
 ところで、「豪雪・多病・貧困」を克服するためにはいったい何をしたら良いのか? 何ができることで、何が受け容れなければならない事だろうか
 豪雪自体は受け容れざるを得ないことなのだろうと思いますが、その害をいかに減らすかは人の力でできることでしょう。また、多病・貧困も何とか人の力の及ぶものだと思います。この三つの困難は、互いに深く関係しあっているため、いったいどこから手を着けたらよいのかを考える時の基準をどこに置くかで、その後の経過はぜんぜん違ってきてしまうでしょう。うまくいくというより、状況は一層悪化してしまうこともしばしばだと思います。それが、政治の良し悪しと言えるでしょう。貧困からの脱却を目指して、まずは経済優先で、工場などを誘致しようとした自治体も多かったと思います。時には、村の収入をどう確保するかの観点から、見返りの国からの補助金目当てで、原子力発電所の誘致や、米軍基地の受け入れや、時にはダム用地として村全体の水没を決断したところもあったのではないだろうか?同じ状況におかれても、その解決策は違います。その違いは、時の指導者の根本姿勢によることが大きいのではないかと思いますが、さらに言うならば、住民の意識とも大きく関わっていることは明らかです。このことは、地域に密着した施策に限らず、国のレベルでも同じことだと思います。国全体がどうしようもないほど行き詰った状況にある中で、まず、何をすべきかを、過去の経験から引き出す事の重要さは、ますます高まっています。
 後期高齢者医療制度
 沢内村の先駆的経験から学んだ多くの自治体がお年寄りや、子供の医療費を無料にしました。引き続き、昭和48年には国の制度にも取り入れられて、お年寄りと小さな子供を持つ親達がどんなに喜んだことか、私の脳裏にもくっきりと焼きついております。「あと何年で医者代がただになるからそれまで元気にがんばろう」と指折り数えていた人達をがっかりさせる出来事が起きたのは、10年後のことでした。無料になる年齢が1年づつ先に延ばされ始めた時、「自分達はなんと運が悪いんだろうか」と本当に嘆き悲しんでいる人たちがいました。初めはそれでも老人は一律割負担でしたが、そのうちにいつの間にか人によっては、3割にもなってしまっています。「今のお年よりはお金があるから、増え続ける医療費の負担をしてもらい、働き盛りの若者の負担を軽減してもらおうじゃないか」との事のようですが、本当のところは、国民のための医療にかける国の支出割合を減らした結果、保険料の値上げを招き、さらには、このままでは国民皆保険制度が存続できない。老人の医療費の支出で国の経済が破綻するかのごときデマ宣伝をし、とうとう昨年からは、あの悪名高い「後期高齢者医療制度」を始めたというわけです。
 この制度は、皆さん既にご承知のように、75歳になったら一斉に有無を言わせず加入させられて、保険料を強制的に支払わされる。年金から天引きする。年金が少なすぎて引ききれないような人に対しては、自分で納めろという。今まで、息子さんなどの扶養家族として直接保険料を納めなくてもよかった人達からも、今度は漏れなく徴収する。もしも、保険料が納められなかったら、病院にかかった時全額自己負担をせよ。自己負担分以外は、後ほど請求されれば返してやるから。もしそうなりたくなかったらきちんと保険料を払っておくことだ。平たく言ってしまえばこういう制度というわけです。
 しかし、保険料も払えない状態の人の多くは、いくらかかるとも分からない医療費を窓口で全額払わなければならないとなると、医者にかかりたくてもかかれない。早く治療すれば治る病気も手遅れになってしまう。時には、そのまま命を落としてしまう人もいる。何とか医療費を工面して医者にかかったとしても、治療費は本来の何倍にも膨らんでしまう。その結果、家族の負担も増すし、突き詰めて言えば、結果的には保険財政も悪化させる。
 それはやはり避けなければいけないと思い、きちんと保険料を支払っている人にとってもこの制度には大きな問題が隠されていました。それは、いざ、医者にかかろうとすると、なんだか難しい仕組みになっているらしく、今までのようにどこでも自分が好きなところに自由に行けるという雰囲気でもなくなってしまった。いわゆるかかりつけ医を決めて、その人のことを一番知っている医師のもとで治療をしたり、ほかへ紹介してもらったりするという制度が始まったわけですが、年をとると、病気はひとつということは少なく、いろいろな診療科にまたがっていることが多い中、かかりつけ医を一人だけに制限した制度に反発が集中したと思います。

 この制度が出てきた発想は、もともと、国民の命をいかに守ろうかということではなく、いかに医療費を減らすか、もっと言えば、お年寄りの医療に対して、いかに国の支出を減らすか。ここにあったのは明らかですので、国民の圧倒的多数の感情とのずれが生じて当たり前だと私は思います。多くの人たちが反対しているのは、政府の言うように、説明不足だったためではなく、もともとどうしようもない、とんでもない制度だったからだと思います。
 ただ、この制度も、昨年急に始まったわけではなく、既に平成186月の小泉内閣の時に、構造改革の一環として決定されていたのですが、法律が制定されるずっと前から医療関係者はじめ多くの見識ある人達からは熱心にその問題点が指摘されていました。反対運動も行われ、署名活動などもなされ、たくさんの反対署名が国会に届けられたりしていたのですが、悪法の成立を食い止めるまでには至らなかったのです。郵政民営化という目の前にぶら下げられた問題に目を奪われていて、圧倒的多数の国民が気づかぬうちにこの制度は決まってしまっていたのです。
 このように、私達は、なかなか先のことはいろいろ言われてもぴんとこないもので、それまで言われていた事が現実のものとなって現れた時、はじめてあたかも青天の霹靂のごとく感じ、右往左往してしまいがちですが、もう少し早く、声を上げている人たちに耳を傾け、目を向けていたなら、未然に防げることも多々有ったのではないかと思います。
 国民の目がむけられにくい状況
 特に、一般マスコミの取り上げ方によっては、多くの国民の目が向けられにくい状況にも問題があるように思います。
 今又、私達を取り巻く情勢は、まさしくこのような状況ではないかと私には思えてなりません。私が一番気がかりなことは、世界的な不況、経済問題に多くの国民の目が集中している最中に、日本の主権が大きく脅かされている。いわば、日本丸は羅針盤を失い、舵取りが不可能になっている状態で、とんでもない方向に浚われて行こうとしている。
 先日、新鮮で、ソフトなイメージに包まれたアメリカからの使者が、どのような要求を掲げて日本に真っ先にやって来たか
 日本が最も重視されているなどと良い気分になっている多くの国民に対して、それはとてつもなく恐ろしいことだ、大変な事だという事に気づいている人たちが、必死で警鐘を鳴らしている。でも、その警鐘は、まだまだ、全国民には届ききれていない。そのことが、既に気づいている多くの人の、精神的ストレスとなっている。正直言って、私自身にとっては今、一番のストレスとなっています。
 それは、今までお話してきましたように、国民のいのちと暮らしを守る政策において、財政が苦しいことを理由にこれ程までにぎゅうぎゅうに切り詰めている一方で、多くの国民に気付かれないところで莫大な税金が浪費されて来ていたし、今後、さらに、気が遠くなるような額で費やされようとしている。ここにお集まりの皆さんはきっと、それが何かはご存知と思います。そうです、それは、軍事費です。特に、この2月、在沖縄米海兵隊のグアム「移転」経費の一部として2700億円もの支出をするとの取り決めが国会の議論もされないままなされてしまったことです。この計画は、総額では3兆円にも上る日本の支出が見込まれている計画のようです。今までにも日本全国に居座っている米軍に対するいわゆる思いやり予算は、通算で2兆円にも達しています。米軍兵士一人当たりに対して、年間840万円の税金が使われているのです。
 私は今、従業員100人の老人福祉施設の経営に携っていますので、この額がどうかということに敏感にならざるを得ません。当施設の職員達が毎日大変な思いで、お年寄りの命を守っているわけですが、皆さんも新聞、テレビなどで既にご存知とは思いますが、福祉労働者は、その仕事の大変な割りにお給料は大変安い。私のところでも年間の総支給額が、200万円から最高でも500万円ちょとにしかなりません。何とか、もう少しでもお給料を上げたいと思っても、そうする事により、施設そのものの経営が成り立たなくなってしまったら、困るのはお年寄りと、その家族だということも事実ですので、何とかその額で働いてもらっています。今は、働きたくても働き口がないことが問題となっていますが、一方、福祉の分野では、求人してもあまりの労働条件の悪さに、人が集まらないような状況となっているのです。まさに、ワーキングプアの現実がここにもあるのです。
 医療分野に加えて、福祉の分野でも、直接的に、現に国民の命を守り続けている人たちのおかれている経済的環境がこのような中で、在日米軍にこれだけの税金を投入することに対して、率直に言って私は納得いきません。
 この10年間、自殺者が毎年3万人を超し続けています。自殺防止対策と称していろいろやってはいますが一向に減らない現実をどう受け止めたらよいのでしょうか
 在日米軍は私たちの暮らしを守ってくれるでしょうか?
 私は、皆さんにぜひお聞きしたい。米軍が、本当に私達日本人の命や暮らしを守ってくれると本気で思っていますか
 日本国民の命を守る方法として、現在の自衛隊や、米軍が存在していると本当に思っていますか
 私はどうしてもそのようには思えないのです。思えなくなった原因のひとつに、ある痛ましい事件があります。皆さんも憶えておられるかもしれませんが、昭和52年夏の日、横浜市緑区の小高い丘の上の団地に米軍厚木基地から飛び立ったファントム戦術偵察機が墜落して、幼い二人の子供とそのお母さんを含む9人が犠牲になった事件です。あの時、地域住民が必死の期待をこめて迎えた自衛隊のヘリコプターが、パラシュ−トで脱出した二人の米兵を真っ先に助け出し、そのまま、火の海の中で助けを求めていた日本人犠牲者を助けずに飛び去っていった。しかも、二人の飛行士は何の罰も受けずにアメリカに帰っていったあの事件は、決して忘れるここができません。いや、日本人として忘れるわけにはいきません。米軍と自衛隊の存在意義を象徴する出来事だったように私は思います。
 私の亡くなった娘がとても大切にしていた本が、この、早乙女勝元作・「パパママバイバイ」でした。これは、この事故を基にしたアニメ絵本ですが、大人が読んでも読み応えがありますので、まだお読みでない方にはぜひ読んでみていただきたいと思います。確か、映画にもなっているようです。
 その後にも、数々の米軍による痛ましい事件や、事故が繰り返されてきました。米軍の潜水艦によって、沈没させられた「えひめ丸」の事件も、決して忘れてはならないと思います。さらには、坂本九が亡くなったあの、昭和608月の日航ジャンボ機の墜落事故の時にも、米軍は、ジャンボ機の航路を認知していたとの報道があったように記憶しているのですが、(このことは、常に、日本の領空の飛行機の動きを監視しているのだから、常識的にいって十分考えられることだろうと思います。)もしもあの時、その情報を基に自衛隊との連携の下、もっと早く救助活動が行われていたならば、どんなにか多くの人が助かっていただろうかと非常にもどかしい思いをしたものでした。墜落場所の特定までに非常に時間がかかっていたと記憶していますが、その日のテレビでは、墜落1時間後には米軍は墜落場所の特定ができていたとの報道があり、後にその報道は誤報だったとされましたが、いまだに私は「誤報だった。」というのは嘘だと思っています。
 今頃そんなことを言ったって仕方がないと言われるかも知れませんが、「何かのときには、私達日本国民の命と暮らしを在日米軍が守ってくれるに違いない。だから、いってみれば、保険のようなものだ」と考えて、今の状態を認めているという人も多いのではないかと思いますので、さっきの質問をしてみたいのです。
 実は、この疑問は、娘・朱実が中学一年生の時に抱いた疑問でもあるのですけれども、多くの中学生の疑問でもあるということを、中学の社会科の先生から聞いたことがあります。
 多くの子供達が、この疑問を持っている時に、大人達がこころの片隅に同じ疑問を抱きつつも、こんなものかと諦めて口にしなかったり、行動しなかったら、子供達はいったいどう思うでしょうか
 「そういう難しい事は、私達庶民にはどうしようもない事」等と考えてしまっていると、いずれは、かわいい子供達や、孫達の世代にまたあの7〜80年前の恐ろしい時代が戻ってきてしまわないとも限らないなどと感じるのは私だけでしょうか
 現状を少しでもよい方向に変えるために
 実は、私は戦後生まれですが、子供の頃、戦争の爪あとの残る時代に生きてきました。そして、戦争の悲惨さを見聞きしてきました。子供の頃、私は、生意気にも、なぜ、その時代に生きていた大人たちは、そんな戦争を食い止めることができなかったのか、苦しい思いをするのは自業自得ではなかったのか・・・なんて思っていた頃がありますが、今は違います。
 あんな時代にあっても、まさに、命がけで戦争を食い止めるために戦った人たちがいた事、真実を知ろうにも知らされなかったこと、また、真実を知っている人が、それを知らせようにも弾圧されて命まで奪われてしまったこと、などの事実を知った今、今度は、私自身がその時責められた大人の立場に立たされていました。これはまずい。澄んだ目で世の中を見ている子供たちにかつて私自身が抱いたと同じような思いを抱かせたくはないと感じました。
 私は、同じような思いを抱いている人たちと力を合わせて、現状を少しでも良い方向に変えたいと思っています。そのためにはどうすればよいだろうか
 私達は、日常的には、自分では気づかないけれども心のどこかにそっと眠っている思いがあります。そんな思いも、誰かの言葉や、行動や、出来事に出会った時に、急に目覚めることがあります。
 人は、自分の心に抱いている思いを実現するために、その体を使うのではないだろうかと私は考えています。何も考えていなかったり、望んでいなかったりだと、なかなか、体は動きません。
 本当は、心の片隅にちゃあんと有っても、眠った状態だと自分自身では気づかず、行動に移せないけれど、ひとたびそれに気づく時、まず、喜びを感じることができます。その喜びは、自分と同じ考えの人がいた喜び、仲間がいた喜び、自分の気持ちが分かってもらえた喜び等などです。
 そうなると、今度はそのこころが自分の体に働きかけて、体が動くのです。そして、それがまた周りの人に影響を与えて行くのです。ここで、動かすといっているのは、手や足ばかりではありません。
 人間とほかの動物との一番の違いである、言葉を使ってこころを表現するということは、立派に体を使うことだと私は考えています。自分の思っていることを、いかに正しく相手に伝えるか。それは、単に、言葉を並べれば良いという訳にはいかないのです。まず、相手が何を感じ、考え、心の奥底にそっと抱いているかを想像しながら、もっとも適切な表現を選ぶのです。人の心に響く話をするという事は人間だけがなし得る事なのではないだろうかと私は思います。
 したがって、人間は、ほかの動物達のように、自分の要求を、腕力で表すのではなく、相手の心の中に共通に存在しているものに、言葉を使って働きかけて、互いに分かり合い、分かち合って、納得し、喜びを感じる手段を獲得したのです。(戦争の放棄)
 憲法を暮らしに活かすことの大切さ
 ここで、圧倒的多数の人に共通する思いとはいったい何かを考えてみたいと思います。
 「この世で幸せに生きていきたい。」
 「そのために必要な条件を満たしたい。」
ということではないかと思います。全ての人に共通するものを、全ての人が認め合って生きていく。これが、人間が到達した生き方だろうと思います。(基本的人権の尊重)
 自分だけが、あるいは、自分の身内だけが、自分の種族だけが…と、行動をとるのは人間以外の動物のすることではないでしょうか人間が、ほかの動物と同じようなことをし続けている限り、既に絶滅していった動物と同じ結末を迎えるだろうと思います。この観点からみて、日本国憲法は、単に日本国民にとってのみでなく、人類にとって画期的なものだと私は考えています。
 62年前、日本人が失意のどん底から這い上がろうとして手にしたもの、それは、「人類の英知の結晶」だったのではないかと私は思います。私達日本国民に、人間として生き続ける希望を与えてくれたものではなかったでしょうか
 憲法が発表された時の感動を、今でもしっかりと覚えていると言われる方々も多いと思いますが、その経験を知らない人が圧倒的多数を占めている現在、私たちは、この宝物の有難さが実感できないでいる。それはなぜだろうか
 私の想像では、この憲法が大事なものとして神棚に祭り上げられたままの状態になっていたのではなかったか?
 日ごろの生活の中で使われないものは、次第にその存在感が薄れていってしまうものです。あるから安全というものではないのです。これは、人の体でも同じことが言えます。親からもらった丈夫な体、使わずに、大切に大切にしているうちに、使い物にならない体になってしまいます。これを、廃用症候群といいます。寝たきりになってしまう原因の一つとなっていますが、私達は、日本国憲法をそのようにしてきてしまったのではないだろうか?
 憲法は、日ごろから活かしていてはじめてその真価が発揮されるものだったようで、現に、日本より遅れはしたが、同じような平和憲法を持つ国、「コスタリカ」の国民生活の中の憲法の存在については学ぶべきものが非常に多いと思います。詳しいことは、この本伊藤千尋著 『活憲の時代・コスタリカから条へ』に載っていますので一読をお勧めします。
 活かしきれないでいる内に、「この憲法はもともとマッカーサーから押し付けられたものだから、われわれ自身の手で、現状にあった自主憲法を創る必要がある」などと言い出し、「人類の英知」将来は「世界遺産」に登録されてもよいような私達の憲法を廃棄処分してしまおうなどと考える憲法違反の政治家集団が現れて、さまざまな画策を続けてきています。既に、平成19518日憲法改正国民投票法が公布され、発効の日が来年5月に迫っています。私は、この法律がなぜ、どういう目的で、どのようにしてできたかということを国民にはっきりと知らせるべきだと思いますが、そのようなこともされないまま、月日は過ぎていってしまいます。
 そのようななかで、今の憲法の平和条項を変えて、また、戦争のできる国に逆戻りさせようとしている人たちの企みに警鐘を鳴らし、何とかみんなの力でそれを食い止めようとしてできたのが条の会」なのです。
 憲法9条と「九条の会」
@日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
A前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 これが、日本国憲法第9条です。憲法前文で、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力を上げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」こう、世界に誓ったのです。

 今、この国で、多くの政治家達のやっていることは、これで良いのだろうか?純心な子供達には答えが出ているのではないでしょうか
 この状態を放置するならば、私達大人は皆同罪になってしまいます。なぜならば、私たち大人は、この状態を変えることのできる手段としての選挙権を持っているからです。
 今、まさに、海賊対策と称してはるかアフリカ沖まで自衛隊(軍隊)が出かけていくなどを許していいのだろうか
 日米安保条約のもと、アメリカの軍事政策の中にどこの国よりもしっかりと組み込まれてしまっている日本の現状をそのままにしておいて良いのだろうかこういう時こそ、憲法に戻って、その善悪を考えるべきだと私は思います。今、押し流されたら、どこまで押し流されていくか分かりません。もっと、真剣に考えて、一人ひとりがきちんと行動を取るべき時ではないでしょうか
 今は、居眠りをしている場合ではありません。気がついたときには、取り返しのつかない大変な時に既に来ています。もうとっくの昔から着々と準備され、国民投票で決まれば、後でいくらそんなはずじゃなかったと地団駄踏んでももう遅いと思います。後は、いつか来た道に連れて行かれてしまうでしょう。大袈裟かもしれませんが、今、まさに、人間が人間らしく生きていくための「武器なき戦い」が繰り広げられていると私は思っています。後の世の人たちから見て、「その時歴史は動いた。」という時に差し掛かったと思います。
 全国津々浦々にできている「条の会」は、条を守るという一点で、自分達ができるあらゆるやり方で活動を続けています。
 映画『いのちの山河〜日本の青空U〜』の制作・普及活動も、映画界の「九条の会」の運動のひとつとして多くの国民に呼びかけられた運動なのです。今、私達は何をなすべきか。それは「憲法に戻り」「憲法を活かす」事。

私は、この呼びかけに応えて、できる限りのことをしたいと考えています。できることならば皆さんとご一緒に。

私のつたないお話を最後までお聞きいただき、有難うございました。


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