足利史跡散歩
2010年1月
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東武線足利市駅北口前 |
栃木県は足利の街へやって来ました。玄関口は二つ。東武伊勢崎線の足利市駅と、JR両毛線の足利駅です。そして今日は、東武線の足利市駅北口前からスタート。 |
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中橋 |
駅前ロータリー沿いの歩道を歩いて行くと、間もなく見えてくるアーチ橋は中橋です。 |
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渡良瀬川 |
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踏切を越えて |
JR両毛線の踏切がありました。これを越えて更に先へ。 |
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交差点を右へ |
そして踏切のすぐ先にある交差点を右折して、足利大通り(県道67号線)へと入って行きましょう。 |
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足利大通り |
足利大通りの両側には商店が並びます。大通りと言っても、片道1車線ずつのふつーの通りなんですがネ・・・。 |
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孔子像発見! |
足利大通りに入っておよそ200m。通りの左側に、大きな白い孔子像と「足利学校遺跡」と刻まれた石柱が現れました。このふたつに挟まれた道へ入って行くと、その先には今日のお目当ての場所の一つ、日本最古の学校と言われる足利学校があります。 |
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足利まちなか遊学館 |
・・・ですが、その前にちょっと寄り道。孔子像の傍ら、足利大通りに面して建っている足利まちなか遊学館を見て行きましょう。入場は無料。 |
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施設内の展示物 (撚糸機) |
この施設では、織物の街としても知られる足利の歴史や観光情報を、展示物や資料などを通して知る事が出来ます。地図付きの観光パンフレットはここでゲット。 |
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足利学校へ |
足利まちなか遊学館で足利の街を予習したところで、足利学校目指して再出発。白い孔子像が建つ通りを歩いて行きましょう。 |
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入徳門 (1668年創建) |
間もなく正面に見えて来た門は入徳門。足利学校の入口です。 |
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学校門 (1668年創建) |
受け付けで参観料400円を支払った後ふたつ目の門、学校門をくぐって足利学校の中へ。 |
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孔子廟 (1668年創建) |
儒教の始祖、孔子がまつられた孔子廟がありました。中には孔子坐像や小野篁(おののたかむら)像などが安置されています。 |
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孔子坐像 (複製) |
これが安置された孔子坐像で、室町時代の1535年造立になる寄木造の木像です。・・・が、案内板に依ると文化財保護のため、現在公開されているこの像は複製なのだとか。どうも、文化財としての価値が高いので盗難されない様に、と言う事らしいんですがとっても残念・・・
ところで足利学校とは、日本の中世期に創建された我が国最古の学校です。創建の詳しい時期は明らかではありませんが、平安時代とも鎌倉時代とも言われ、儒学や易学を中心に教育を行っていました。 |
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小野篁像 (1746年造立) |
こちらは小野篁(802~852)像。平安時代の公家にして学者で、足利学校の創建者との説もある人物です。江戸時代の1746年造立になる寄木造のこの木像は、孔子坐像とは違って複製でなく、オリジナルのものです。 |
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南庭園 (復原) |
中世から連綿と続いてきた足利学校は明治5年に廃校となり、残念ながら多くの建物や庭園などは撤去されてしまいます。そして一部の文化財が保存されたまま時を置いて、昭和57年の「史跡足利学校跡保存整備事業」により江戸中期の姿への復原が決定し開始され、平成2年にこの様な一般公開に到ったのでした。と言う訳で施設内には以前から保存されていたオリジナルの文化財と、新たに昔の姿を復原したものとが混在しています。写真は当時学校内の南北に庭園が築かれていた物のうちの、南庭園を復原したものです。 |
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方丈と庫裡(復原) |
写真左奥の建物は方丈手前は庫裡(くり)。方丈は言わば校舎で、庫裡は食堂です。 |
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方丈の内部 |
方丈の内部は、ご覧のような広く明るい部屋です。こういう環境の下で当時の学生たちは、日々勉学に励んでいたんですねぇ。 |
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仏殿 |
方丈内には仏殿があって、たくさんの位牌が安置されています。一体誰のものなんでしょうか?
徳川家康はじめ、三代から十一代までの徳川将軍と、五代綱吉の生母桂昌院の位牌でした。 |
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徳川幕府歴代将軍の位牌 |
案内板に依ると足利学校第九代目の庠主(しょうしゅ=学校長)は、関ヶ原の合戦では徳川家康に従い、戦いを有利に導くために易学で戦況を占うなど徳川家康との関係が深く信任も厚かった事から、以降学校は江戸幕府からの保護を受け続けたのだとか。 |
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衆寮(復原) |
この衆寮とは、学生たちが寝泊まりして生活をしていた学生寮のこと。 |
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衆寮内部(復原) |
衆寮内部の様子です。一部屋は6畳間に土間が付いていて、これが当時は数部屋続いていました。 |
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木小屋と土蔵(復原) |
手前の木小屋は物置で、食糧なども保管されていました。そして奥に見える白い土蔵は耐火建築、学校にとって大切なものを納めていました。 |
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庠主(学校長)の墓 |
学校裏手にひっそりと並んでいたのは歴代庠主の墓。足利市内にある小中学校の校長先生たちは、今でも新任・退任時にはここへお参りに来るんだそうです。 |
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遺跡図書館 |
明治に入って足利学校が廃校になった後、この地に遺跡図書館が建てられて、多くの貴重な書物が保管されました。現在使用されているこの建物は、大正4年の建築になります。 |
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入徳門を抜けて右折 |
学校内をゆっくり1周して、入口の入徳門まで戻って来ました。そろそろこの辺で足利学校をあとにする事に。門を抜けたら目の前の通りを右へと進みましょう。 |
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突き当りを右へ |
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足利尊氏像 |
通りの左側に室町幕府を開いた初代征夷大将軍、足利尊氏の石像を見つけました。ここ足利は街の名からも分かる通り、足利氏ゆかりの地です。 |
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鑁阿寺山門 |
通りの正面に見えているのは足利氏の氏寺として知られる鑁阿寺(ばんなじ)と、室町時代の建立になるその山門です。 |
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本堂 (重文・国) |
山門を抜けるとその先に控えるのは、1196年建立の本堂です。現在鑁阿寺があるこの場所は元々足利氏の邸宅だった所で、その一角に仏堂を建てたのがこの寺の始まりとされています。 |
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大イチョウ |
高さ31m余りのこの銀杏の大木は、ご覧のように根元近くから二股に分かれていてまるで夫婦の様。その為かどうか分かりませんが縁結びの御神木とされているそうで、もう既に大木に育っていた江戸時代には、この木の下で盛んにお見合いが行われていたんだとか。 |
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経堂 (重文・国) |
鎌倉時代の創建と伝えられるこの経堂は国の重要文化財に指定されています。現在の建物は1407年に再建されたもの。 |
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鐘楼 (重文・国) |
1196年建立のこの鐘楼も国の重要文化財です。創建以来現在まで寺院が火災にあっていないため、境内には他にも国や県の重文をはじめ数々の貴重な文化財が残されています。 |
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境内周囲の濠 |
鑁阿寺の境内はご覧の様な濠に囲まれています。これは既記のように、この場所が元々は足利氏の館であった当時の名残でもあります。 |
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山門を抜けて直進 |
たくさんの貴重な文化財を見て廻ったところで、鑁阿寺を離れ先へと進みましょう。山門を抜けて参道を直進します。 |
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参道を外れて右へ |
参道を100m余り歩いて来たところで、通りの右側に「大正館(松村記念館)」と記された指導標を見つけました。ちょっと気になるので寄ってみる事に。指導標に従い参道を外れて右折。 |
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松村記念館 |
すぐ先の右側にありました、松村記念館。入館料は大人300円です。 |
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玄関から邸内へ |
この建物は、かつてこの足利で生糸商を営んでいた大地主にして有力者の松村半兵衛が、大正14年に邸宅として建てたものです。 |
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邸内・書院造の和室 |
邸内は当時のままの状態で保存公開されていて、松村家に代々伝わる江戸末期から昭和初期にかけての書画や工芸品、生活用品などを観る事が出来ます。 |
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景色が揺れる手作り窓ガラス |
ダメモトで記念館の係の方に邸内撮影を申し入れたところ、ナ・ナントにっこり笑ってふたつ返事でオーケーしてくれました。良い人だぁ!!
案内板によると、松村家は江戸時代に代々名主を務め、松村半兵衛はその4代目。大正末期に司法大臣を務めるなど中央政界で活躍した横田千之助は義弟にあたります。 |
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邸内には貴重な品々が |
邸内では多くの貴重な品々が公開されています。写真の部屋の壁面に掲げられているのは、東郷平八郎直筆の書。 |
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西園寺公望(左)と山形有朋(右)の書 |
このほか邸内には西園寺公望、山形有朋、伊藤博文、板垣退助、高橋是清、そして佐久間象山などの書も掲げられていました。 |
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松村家に伝わる調度品も公開 |
この有田焼は12代酒井田柿右衛門作。
一度でいいからこんな徳利とお猪口で、美味い地酒でもきゅっと1杯できたらシアワセなんだけど・・・ |
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松村記念館をあとにして |
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突き当りは左折 |
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足利大通りとの交差点 |
今日初めに歩いた足利大通りとの交差点が、前方に見えて来ました。ここは通りを越えて直進。 |
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再び中橋を渡る |
そしてこちらも今日初めに渡った渡良瀬川に架かる橋、中橋です。
・・・そろそろ陽も西に傾いて来ました。 |
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足利市駅北口前 |
今日の散歩のスタート場所だった、足利市駅北口の駅前ロータリーに到着です。 |
★交通 |
☆ 東武伊勢崎線 足利市駅
☆ JR両毛線 足利駅 |
★歩行距離 |
約 3.5 km |
周辺地図
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