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1618年江戸幕府は、箱根湯本から元箱根に至る山道を整備し、街道を作りました。この区間を含む旧小田原宿から旧三島宿の間は、特に当時は箱根の八里越えと呼ばれ、東海道の中でも難所中の難所と言われていました。今回は、この旧街道沿いのハイキングコースを歩きます。 |
| 旧街道石畳 |
| 最高で700m有る標高差を、元箱根へ向けひたすら登って行くため、時間には余裕を持って、朝8時前に箱根湯本駅前を出発。 | ![]() |
| 箱根湯本駅前 |
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駅前の地下通路を抜け、早川に架かるあじさい橋を渡ります。突き当たりを左右どちらに行っても旧街道へ至りますが、左はなだらかな回り道、右は急坂の近道です。 ここは右の近道を選び、急で長い階段を上りきり、道標に従い早雲公園を経て早雲寺へ。 |
| あじさい橋 |
| 早雲寺は北条早雲の命により建立された寺で、小田原城を居城として関東一円を治めた戦国大名、後北条氏五代の墓があります。 | ![]() |
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| 早雲寺 | ||
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早雲寺の目の前を走る県道732号線に出たら、これを右へ進みます。この県道とはこの後もずっと、長い付き合いになります。 |
| 県道732号線 |
| 10分ほど歩くと左手に、正眼寺が見えてきます。この寺には、源頼朝の側近を父親の敵として討ち取ったとされる、仇討ち話で有名な、曾我十郎と五郎兄弟の供養地蔵があります。 | ![]() |
| 正眼寺 |
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県道の長い上り坂を更に上って行くと、やがて右側に「石畳入り口」との道標が立っているのが見えます。道標に従って右の道へ。 |
| 猿沢石畳へ |
| 箱根旧街道と言えば、なんと言っても山道に敷き詰められた石畳が有名ですが、今回のハイキングで最初に現れる石畳が、この猿沢石畳です。これは、やがて後で何度も歩く事になる石畳の道の予告編とでも言う感じで、全長255mと短めです。 | ![]() |
| 猿沢石畳 |
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石畳から続く猿橋で猿沢を渡り、さらに先へと進みます。再び長い登りの続く県道に出て30分程歩いて行くと、左手には霊泉の滝とそれに続いて鎖雲寺が見えてきました。 |
| 猿橋 |
| 鎖雲寺の墓地には、正眼寺の曾我兄弟の様な、又また父親の仇討ち話として語られている飯沼勝五郎、初花夫妻の墓が並んで建っています。 | ![]() |
| 霊泉の滝 |
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飯沼勝五郎、初花夫妻は、それぞれの兄や父親の敵を追って箱根の山に入ります。しかし勝五郎は病に倒れて歩けなくなってしまい、初花は必死の看病と願掛けをします。その甲斐あり勝五郎は元気を取り戻し、見事に仇を討つというお話です。 |
| 飯沼勝五郎と初花の墓 |
| 鎖雲寺の少し先に左へ分かれる道があります。須雲川自然探勝歩道と記された道標が立っているので、それに従い左の道へ。 | ![]() |
| 須雲川探勝歩道入り口 |
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自然探勝歩道をしばらく歩くと、須雲川に架かる丸太の橋が現れます。橋を渡り、東京電力畑宿発電所を横目に見ながら、一旦県道に出ます。 |
| 丸太の橋 |
| 県道を横切り、割石坂を上って行きます。案内板によると、昔この辺りで、曾我兄弟の弟五郎が刀の試し切りをし、巨石を真っ二つに割ったところから、この坂の名が付いたとの事。 | ![]() |
| 割石坂 |
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割石坂を上って行くと間もなく、山の中の道は石畳となり、傍らの案内板には「これより江戸の石畳」と記されています。この道を少し歩き、一度県道に出た後「箱根旧街道」への道標に従い、すぐにまた県道から左の道へ逸れます。そして、小さな橋を渡った先が石畳の坂、大澤坂です。 |
| これより江戸の石畳 |
| 江戸幕府がこの街道を整備して石畳にする以前は、雨や雪などが降ると大変な悪路になり、旅人は膝まで泥につかりながら、大変苦労して旅を続けたという事です。しかし、舗装された道を当たり前の様に毎日歩いている私たちにとっては、そんな石畳の道さえとても歩き難く感じます。箱根旧街道を歩くには、転んでケガなどしない様に、トレッキングシューズか履き慣れたスニーカーなどで歩く事をお勧めします。 | ![]() |
| 大澤坂 |
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