本郷から谷中へ
2009年9月
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地下鉄春日駅出入口 |
今日は都営地下鉄三田線春日駅のいちばん北側に位置する、A-6番出入口の前からスタートです。目の前の通りを右方向へ、広い白山通りを背にして歩いて行きましょう。 |
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Y字路を右折 |
200m程進むと道は二手に分かれます。ここは右の道へ。 |
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本郷・菊坂 |
すぐに、なだらかな上り坂になりました。この坂は本郷・菊坂、そしてこの道は菊坂通りです。その昔、あたり一帯が菊畑だった事からこの名がついたとか。その菊坂の中ほど左側に、いわく有りげな木造家屋と蔵を発見。 |
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伊勢屋質店 |
現在では既に廃業してしまっている、伊勢屋質店の建物です。明治の中頃この界隈に住んでいた樋口一葉が、一家の生活費を金策するため足繁く通った質店です。 |
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通りに面した階段を下りる |
ではその樋口一葉の旧居跡を、ちょっと覗いてみましょう。
伊勢屋質店を通り過ぎて菊坂を上り切るとすぐ、通りの右側に下り階段が見えます。 |
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突き当りを左折 |
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前方右側の路地へ入ると・・・ |
そのまま50mほど進んだ先の、右側に分かれる路地へと入って行きましょう。 |
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一葉の旧居跡付近 |
すると目前に、木造3階建ての家屋が現れました。このノスタルジー溢れる路地裏あたりが樋口一葉の旧居跡。一葉がここで母親や妹と共に居を構えたのは明治23年です。
そして写真では右下の植物にかくれて見えませんが、ここには古井戸があります。 |
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一葉の井戸 |
この井戸は、当時一葉の一家も使用していたとされる一葉の井戸。
・・・と言うところで、注意事項です。この場所は入り組んだ路地裏にあるにも拘らず、メディアなどでも時折紹介されている比較的人気のスポットではありますが、一般の民家が集まっている真っ只中です。見学にはマナーを忘れない事! |
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階段を上って菊坂通りを進む |
一葉の旧居跡を後にして、先程の階段のところまで戻って来ました。この階段の脇にも立派な木造3階建てが・・・。そんな訳で、この界隈にはまだ素晴らしい木造建築物が沢山残っていて、独特の風情があります。
階段を上ったら右へ。菊坂通りをそのまま進んで行きましょう。 |
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目の前の国道を左へ |
やがて菊坂通りは国道17号線の広い本郷通りに突き当るので、ここを左折して国道沿いに歩きます。 |
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本郷通りを渡る |
300mほど歩いた先の国道を隔てた右側に、何やら立派な切り妻造りの門が見えています。横断歩道で通りの向こう側に渡ってみましょう。 |
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赤門・東京大学 |
これは国の重要文化財にも指定されている赤門。あの東京大学の代名詞的な門でもありますが、元は加賀藩前田家が1827年に築いた建造物です。 |
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東大本郷キャンパス構内 |
江戸時代この周辺には前述の加賀藩を始めいくつかの大名屋敷があって、ここ東大の本郷キャンパスはその跡地に造られたものです。 |
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三四郎池(心字池) |
一般でも自由に出入り出来るキャンパス内を歩いていたら、いつの間にか林の中に入っていました。遠くでは、池に架かった橋の上から子供が何かを釣っている様に見えます。この池は心字池と言って、加賀藩上屋敷時代の日本庭園の名残です。 |
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三四郎池 |
この心字池、夏目漱石の小説「三四郎」の中にも記されている池である事から三四郎池とも呼ばれますが、こちらの名の方が広く親しまれています。 |
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安田講堂 |
赤門とともに東大の代名詞的な建造物になっているのがこの安田講堂。旧安田財閥の創始者安田善次郎の寄付によって建てられた物で、大正14年の竣工です。 |
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正門・東京大学 |
安田講堂を背にして銀杏並木の構内を歩いて行くと、東大の正門に突き当りました。 |
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本郷通り沿いに歩く |
正門を出たら右へ。東大のレンガ塀を右手に眺めて、再び国道の本郷通り沿いを進みましょう。 |
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本郷弥生交差点を右折 |
間もなく、言問通りと交わる本郷弥生交差点が見えてきました。ここを右折して言問通りに入ります。 |
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弥生式土器発掘の碑 |
そのまま言問通りを300m程歩いて行くと、通り沿い信号機脇の右手に大きな石碑を発見。碑には「弥生式土器発掘ゆかりの地」と記されています。
明治17年、この辺りの貝塚から土器が発掘され、当時の町名だった向丘弥生町(現在は文京区弥生)から名前をもらって弥生式土器と命名されます。更にこれらの土器が使用された時期を弥生時代と呼ぶ様になったもので、これらの事は全てこの土地の名に由来しています。 |
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言問通りを横断 |
弥生式土器の碑のすぐ前にある横断歩道で一旦道の向こう側へ渡り、言問通りを更に進んで行きましょう。 |
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通りを渡り、最初の角を左折。 |
50m程先には言問通りから左へと分かれる狭い道があるので、ここを入って行きます。 |
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サトウハチロー旧居跡 |
すぐ右手にあった何の変哲もないこの貸し駐車場。ここは童謡「ちいさい秋みつけた」などの詩人サトウハチローの旧居跡なのですが、現在ではその事を知らせる案内板が残されるのみです。 |
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突き当りを左折 |
そのまま歩いて行くと突き当り。ここは左へ折れて、その先はくねくねと曲がった狭い通りを道なりに進んで行きましょう。 |
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お化け階段 |
行く手に下り階段が現れました。この階段は人呼んでお化け階段。下りる時と上る時とで階段の段数が違うからと言うのがその名の由来だとか。タネ明かしをすると下り最後の1段がとても小さな段差なのでかぞえ間違いをし易いというのが本当のところらしい。 |
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お化け階段を下から望む |
ところでこの階段、以前は幅が狭くもっと古めかしかったので、辺りのロケーションと相俟っておどろおどろしさがあったのですが、のちに幅員を広げる整備工事が施されたので、今では不気味さも薄れました。
と言う事で、これが段差の小さい最後の1段です。まぁ、如何にも間違えやすそうな感じですかねぇ。 |
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根津教会 |
お化け階段を下り、そのまま道なりに歩いてきました。右手に見えている協会は根津教会。ごらんの礼拝堂は大正8年に建てられてのち、震災・戦災にも耐えて今なお現役で使用されているという、その意味では都内でも稀有の木造洋館です。 |
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目前の不忍通りを左折 |
根津教会を過ぎて直進すると間もなく、広い不忍通りへぶつかります。ここを左折。 |
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根津神社入口交差点を左折 |
50mほど先にある小さな交差点は根津神社入口交差点。これも左折します。 |
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根津神社 楼門 (重要文化財・国) |
右手に根津神社が見えてきました。境内へと入って行きましょう。 |
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唐門 (重要文化財・国) |
神代の昔、日本武尊が創建したと伝えられるこの根津神社。元は現在地よりも少し北に位置する千駄木の地にあったとか。 |
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拝殿 (重要文化財・国) |
時は下って江戸時代、五代将軍徳川綱吉が社をこの地に移して1706年に大造営を行い、現在に至っています。 |
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透塀 (重要文化財・国) |
写真の桜門、唐門、拝殿、透塀などは全てその時に造られたもので、国の重文に指定されています。 |
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根津神社入口交差点より谷中方向を望む |
根津神社の境内をぐるっと一回りしたあとは、先程の根津神社入口交差点まで戻りましょう。目の前を走る不忍通りを越えた向こう側は谷中になります。 |
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坂の上のT字路を右折 |
不忍通りを横断して谷中に入って来ました。そのまま藍染め大通りと呼ばれる通りを真っすぐに進み、なだらかな坂を上って行くと突き当りT字路になります。これを右へと入りましょう。 |
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すぐ先の路地を右へ入る |
すぐ先にある大谷石の塀に囲まれた家屋の前に、「大名時計博物館」への指導標が立っています。これに従い右側の路地へ入って行くと・・・・ |
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大名時計博物館 |
古い蔵を利用した大名時計博物館が現れました。その名の通りここには江戸時代に作製され、大名などに使用されていた和製の時計が多数展示されています。・・・・が、なんと今日は博物館の門がかたく閉ざされています。この博物館、不定期な休館が結構多いようで、私もここへ過去4回訪れて、中に入る事が出来たのはたったの1回だけ。(涙) |
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路地を戻って突き当りを左折 |
因みにこの場所は、美作(みまさか 現岡山県)勝山藩の江戸下屋敷跡になります。
まぁ、そう言う訳で今日のところは、古めかしくて妙に趣の漂うこの蔵、門、塀をじっくり眺めた後おとなしく退散する事に。博物館の大谷石造りの塀を右手に見て路地を戻り、突き当りを左方向へ進みましょう。 |
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Y字路を右へ |
やがて道は二手に分かれます。ここは右方向へ進みましょう。 |
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次の角は左折 |
100m程進んで行くと、右方向から左方向へと下って行く坂に交わります。これを左折。 |
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三崎坂(さんさきざか) |
この坂は三崎坂。なだらかな坂道を下って行きましょう。 |
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いせ辰 |
坂の途中の左側に、浮世絵風の看板を掲げた小じんまりとした構えの店舗を見つけました。ここはいせ辰谷中本店。 |
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いせ辰の千代紙 |
いせ辰は江戸時代末の1864年創業になる、老舗の江戸千代紙専門店です。 |
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横断歩道の向こうは千駄木駅 |
いせ辰を過ぎて三崎坂を下り切った先、不忍通りと交わった団子坂下交差点を横断歩道で渡ると、東京メトロ千駄木駅の出入り口前に到着です。 |
★交通 |
都営地下鉄三田線 春日駅下車 |
★歩行距離 |
約3.5km |
周辺地図
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