日本民家園・生田緑地
2008年9月
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向ヶ丘遊園駅南口ロータリー |
今日は小田急線の向ヶ丘遊園駅南口から出発です。まずは、駅前ロータリーから真っすぐに伸びる道をそのまま歩いて行きましょう。 |
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生田緑地入口交差点 |
やがて突き当る府中街道を越えて道なりにそのまま進んで行くと、行く手はご覧の様に前方三方向に分かれます。ここでは一番右側の道へ入りましょう。 |
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日本民家園入口 |
向ヶ丘遊園駅前から歩くこと15分足らず、川崎市立の日本民家園に到着です。この辺り一帯は生田緑地と言って、多摩丘陵内に整備された緑あふれる広大な自然公園になっています。
それでは、日本民家園の中をゆっくりと散歩する事にしましょう。 |
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本館内展示室 |
入園料大人500円を支払って本館内に入ると、すぐ展示室があります。ここに展示されている資料や展示物で、先ずは予習をしてからスタートです。 |
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原家住宅 |
ここ日本民家園は、全国から移築された国の重文などを含む貴重な古民家20軒余りが建ち並ぶ、昭和42年開園の野外博物館です。 |
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原家住宅(内部) |
先ずはプロローグ。本館の建物を出ると目の前に現れるのは、同じ川崎市内にあった明治後半期の民家、原家の住宅です。見るからに豪華な木造建築です。 |
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鈴木家住宅 |
原家住宅を過ぎると、その先は江戸期の古民家が続きます。この鈴木家住宅は福島県にあった19世紀初期の馬宿。馬方が泊まる宿なので、馬も繋げておく事が出来ました。 |
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井岡家住宅 |
奈良県奈良市にあったこの建物、写真いちばん右の部分は油を商っていた商店のスペース。17世紀後半~18世紀初めの建築と考えられています。 |
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佐地家の門 |
こちらは19世紀初期に作られた、尾張の武家屋敷にあった門。入口の両脇には、提灯を吊るすための小屋根もあります。 |
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三澤家住宅 |
信州の伊奈にあった薬屋です。農業の傍ら製薬・売薬を行っていたとか。石置きの板葺屋根が印象的な、19世紀中期の民家です。 |
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江向家住宅 (重要文化財・国) |
ご存じ越中五箇山、合掌造りの住宅です。豪雪にも耐えられる様、屋根の傾斜は急角度に作られています。18世紀初期。 |
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山下家住宅 |
こちらも合掌造りで有名な集落、飛騨白川郷にあった山下家住宅です。ここの1階部分は現在蕎麦処になっているので、食事や休憩が出来ます。19世紀前期。 |
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作田家住宅 (重要文化財・国) |
千葉は九十九里の漁村にあった、17世紀後期の網元の家。写真ではわかり難いのですが、手前と奥の二棟が合体した様な造りになっていて、分棟型と呼ばれます。 |
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作田家の便所と風呂 |
写真左部分が作田家の便所、右が風呂場。便所と風呂場が屋敷に付属しているのは今では当たり前の事ですが、当時としては富裕な家だった事の証しです。 |
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六地蔵 |
民家以外にも多くの貴重な文化財が移設、公開されています。これは山梨県塩山市にあった六地蔵。ひとつの石から六体の地蔵を掘ってゆくのは、甲信地方の特徴だとか。 |
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広瀬家住宅 |
こちらの住宅も山梨県塩山市にあった、17世紀末期のもの。屋根は二面の傾斜面を持つ、シンプルデザインの切妻造。 |
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広瀬家の居間 |
この住宅の居間はムシロ敷き。土の地面を固めた上に茅の束が敷き詰められ、その上にムシロを敷いています。 |
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太田家住宅 (重要文化財・国) |
茨城県笠間市にあった17世紀後期のこの民家は、さっき見てきた作田家住宅と同じ二棟合体型の分棟式です。 |
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太田家住宅 |
ここが二棟を合体している部分。境い目には大きな丸太を割って作った雨樋が設けられています。 |
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太田家内部 |
それぞれの棟は、丸太の雨樋を中心に頑丈な縄によって、内部でしっかりと括り付けられています。 |
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北村家住宅 (重要文化財・国) |
この北村家住宅は、四面の傾斜面から成る屋根を持つ寄棟造です。神奈川県秦野市からこの地への移築作業時、珍しい事に解体した材料から、建築年代を表わす貞享四年(1687年)と記された墨書きが発見されました。 |
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北村家内部 |
戸や窓が大きくて開放感あるこの住宅、竹製のスノコが敷かれた内部へは沢山の光りが入ってくるため、ご覧の様にとても明るい感じです。 |
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清宮家住宅 |
北村家住宅と比較すると好対照なのがこの清宮家住宅。家の正面以外の三方を厚い土壁で囲んだ、極めて閉鎖的な造りです。 |
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清宮家内部 |
比較的プライバシーは保てそうですが、窓も小さく内部はやはり暗い感じです。
神奈川県川崎市、17世紀後期。 |
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馬頭観音と庚申塔 |
左ふたつが馬頭観音、右ふたつが庚申塔で、どれもこの民家園の近く、川崎市の登戸にあったものです。それぞれ18世紀初頭から19世紀後期までの間に建立されたもの。 |
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伊藤家住宅 (重要文化財・国) |
こちらも川崎市にあった民家で、17世紀末期~18世紀初期に造られた名主の家です。屋根の上部は切妻造、下部は寄棟造という、二種類の屋根の合体型になる入母屋造の民家です。 |
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船越の舞台 (重要有形民俗文化財・国) |
三重県は志摩、船越と言う漁村の神社の境内にあった舞台です。1857年に建てられたこの舞台では、歌舞伎芝居が演じられていました。 |
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舞台の回転装置 |
この舞台は回り舞台になっているので、奈落に回転装置が設置されています。 |
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西門 (伝統工芸館) |
日本民家園の西の端にある建物は伝統工芸館。藍染め体験ができる施設で、同時に民家園の西門にもなっています。この建物 = 西門を通り抜けたら左方向へ。そろそろこの辺で民家園をあとにしましょう。 |
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木の門を出て左へ |
伝統工芸館を抜けたすぐ先にある木の門を出たら、ここも左へ。この先は生田緑地のハイキングコースを進んで行きます。 |
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尾根道を右へ |
枡形山への指導標に従って歩いて行くと、すぐに舗装された尾根道に突き当るのでここは右へ。 |
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指導標 |
以降も枡形山への指導標に従い、ハイキングコースを歩きましょう。 |
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生田緑地ハイキングコース |
なだらかな丘陵内に整備されたハイキングコースなので高低差は少なく、道も概ね舗装されていて歩き易くなっています。ハイキングと言うより、散策路と言う感じ。 |
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枡形門 |
日本民家園をあとにして15分、大きな木の門(枡形門)の先に広場が見えて来ました。生田緑地の最高所、標高84mの枡形山山頂に到着です。 |
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枡形山展望台 |
その昔ここ枡形山には、源頼朝の側近だった御家人の稲毛重成が築城したとされる枡形城がありました。 |
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展望台からの眺め |
そのためか、山頂にある展望台は城の天守閣をイメージさせるデザインです。 |
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枡形山を下山 |
枡形山山頂でひと休みしたらそろそろ出発です。枡形門とは反対側の場所にある同じデザインの小振りな門をくぐり、未舗装の山道を尾根づたいに歩いて行きます。 |
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飯室山山頂の展望台 |
下りの道を5分程進んで行くと、小さな広場がありました。標高80mの飯室山山頂です。ここにもちょっとした展望台がありますが、眺望は枡形山の方が遥かに素晴らしい。 |
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ハイキングコースを下る |
展望台のすぐ右脇から伸びる道に入って、丘陵を更に下って行きましょう。 |
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横穴古墳 |
やがて左側の斜面に大きな穴を発見。この辺りは長者穴横穴古墳群と言って、7世紀の後半頃に築かれた横穴墓が多く見られる場所です。そしてこの穴もその内のひとつ。 |
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住宅地に出る |
飯室山の山頂から下って来ること5分余り、正面には住宅地が見えて来ました。突き当りの舗装路を右に折れて、生田緑地を離れます。 |
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すぐに左折 |
すぐにT字路の突き当りになるので左へ。この通りは最初に歩いた、向ヶ丘遊園駅から日本民家園へと通う道です |
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向ヶ丘遊園駅前 |
そのまま通り沿いに歩いて行くと、間もなく向ヶ丘遊園駅が見えて来ました。 |
周辺地図
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