日本橋と人形町

2005年6月




日本橋  東京メトロ東西線の日本橋駅近くには、駅名の橋日本橋があります。1603年に初めて架けられた日本橋、現在のものはアーチ式石橋で、明治44年に架け直されました。
日本橋


 橋のたもとにある4つの橋銘板に刻まれた文字は、江戸幕府最後の将軍徳川慶喜の筆によります。 橋銘 橋銘
橋銘


麒麟  橋の中心にある、青銅製照明灯の装飾の麒麟。当時の東京市の繁栄を祈念したもので、国の重要文化財となっています。
麒麟


 日本橋は東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道などの、五街道の起点となる場所。いわば日本の中心地点です。その証しが道路元標。写真はオリジナルのもので、橋のたもとの小さな広場に保存されています。 道路元標
道路元標


道路元標複製  昭和47年には、プレートで作られた新しい道路元標が設置され、同時に作られた複製が広場に置かれています。プレートの文字は、当時の総理大臣佐藤栄作の筆によるものです。
道路元標複製


 日本橋界隈にはその昔、魚市場が集まり繁盛していました。これは、江戸初期に佃島の漁師たちが、捕った魚を幕府へ納め、残ったものをここで売りだした事が起源と言われています。 魚市場発祥の地
「魚市場発祥の地」の碑


三越本店  日本橋と聞いて連想されるもののひとつに三越本店があります。1673年創業になる、この老舗百貨店のアールデコ調の建物は、設置された案内板によると、昭和10年の改築時からのものだそうです。
三越本店


 入口に鎮座まします日本橋名物のライオン像は、大正3年に作製されました。必勝祈願の像だそうで、受験生が背中にまたがると必ず合格できるとか。 三越のライオン像
三越のライオン像


人形町のレストラン  日本橋の北詰から日本橋川と並行に、金座通りと呼ばれる大通りを東方向へ歩き、人形町へと向かいましょう。昔、この辺り一帯に、江戸幕府から金貨の鋳造を請け負う「金座」があった事から、この通りの名が付きました。江戸橋、小舟町と過ぎ、金座通りを700m程歩くと人形町交差点。
人形町の洒落たレストラン


 交差点を右へ入ると人形町通りです。通りには和、洋食レストランや菓子屋など、食べ物の店がぎっしりと並び、お昼時などはあちこちに行列が出来ています。 食べ物の街 人形町
食べ物の街 人形町


甘酒横町  通りを歩いて行くと間もなく、左側に見えて来る並木道が甘酒横町です。名前の由来は、昔この通りの入り口付近に尾張屋という甘酒屋があって、賑わった事からです。
甘酒横町


 ここにも、メディアなどによく取り上げられる様な、人気の食べ物屋や雑貨屋が集まっています。 柳家は人気の鯛焼き屋
柳家は人気の鯛焼き屋


甘酒横町の公園にある弁慶像  甘酒横町を進んで行くと、中程にあるのが浜町緑道。入口には、勧進帳の弁慶像が立っています。江戸時代の頃、この界隈には芝居小屋が集まり、歌舞伎や人形浄瑠璃を上演していました。それと同時に、人形づくりの職人もこの地に集まっていた事から、人形町の名が付いたそうです。
浜町緑道の弁慶像


 甘酒横町を、更に先へと歩いて行きます。清洲橋通りを渡り、劇場の明治座を過ぎた先の突き当たり、隅田川沿いにあるのが浜町公園。ここで一休みです。 浜町公園
浜町公園


水天宮  甘酒横町の商店街を引き返し、人形町通りまで戻ったら左へ。その先、新大橋通りとの大きな交差点を越えた左側にある神社が、水天宮です。
水天宮


 水天宮は安産の御利益がある事で有名。境内には産着や腹帯など、出産グッズを売る屋台が並びます。

 帰りは、すぐ目の前にある地下鉄の水天宮前駅や、人形町駅などの利用が便利。
境内では初着を販売
境内では産着も販売







★交通 東京メトロ東西線日本橋駅下車
★歩行距離 約 3.5 km


周辺地図
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