佃島

2001年1月




佃島大橋  佃島は元々、隅田川の河口に自然に出来た寄洲でした。徳川家康は幕府を江戸に置くにあたり、本能寺の変の時にひょんな事から世話になった、摂津国佃村(現在の大阪市西淀川区)の漁民約30名を江戸に呼び寄せました。

 その後1644年には、隅田川河口の三角洲を埋め立て島を作り、漁民達はそこに住む様になったと言われていますが、経緯には色々な説があるようです。
佃大橋


 江戸幕府は佃島の漁民達に、江戸近海で、優先的に漁が出来る様な特権を与えて保護したと言われています。そして漁獲されたものは、将軍、御三家などにも献上されました。 船溜り
隅田川を分けて作られた船溜り






佃公園
佃公園よりリバーシティ21を望む


 営団地下鉄有楽町線を月島駅で下車し、6番出口に出ます。目の前を走る大通りを右方向、佃大橋へ向かって歩いて行くと、間もなく右手に佃公園が見えて来ます。震災、戦災を辛うじて免れた古い下町の面影と、真正面に立ちはだかる高層マンション群との迫力有るコントラストは、絵になるアンバランスです。そしてこの辺り一帯には、醤油とみりんの、食欲をそそる甘い香りが漂っています。





天安  香りのもとは佃煮です。小魚などの海産物を醤油で煮た佃煮は、元々佃島の漁師達が、舟で食事をする時の保存食として考案されたものです。写真は、1837年創業の老舗佃煮屋、天安
天安





住吉神社 扁額
住吉神社 扁額 (拡大)


 住吉神社は、摂津の住吉神社から分霊され、1646年に現在地に創建された佃島の鎮守です。3年に1度開かれる大祭は有名で、この時は大変賑わいます。神社鳥居の上にある1882年制作の扁額は、大変珍しい陶製です。






 隅田川沿いには、佃島渡船跡の碑があります。今でこそ、佃大橋を利用し、簡単に隅田川を渡れてしまいますが、昔は、渡し船が唯一の対岸との交通手段でした。佃島の渡船は1645年に始まり、1964年まで続いていました。 渡船場跡
渡船跡の碑


灯台  同じく隅田川沿いの川を見下ろせる場所には、沖を通る船のために1866年に築かれた石川島灯台の、モニュメントが建っています。
石川島灯台


 隅田川の川面でも眺めながら、のんびりと散策が出来るように、遊歩道やベンチなども整備されています。 隅田川
遊歩道







子育地蔵看板 子育地蔵入り口
案内板 (拡大) 佃天台子育地蔵への入り口


 路地裏で気になる案内板を見つけました。案内板が示す先は、民家と民家の切れ間が作ったかなり狭い路地です。半ば身体をすぼめて路地へ入って行くと、その先にあったのは地蔵堂でした。






子育地蔵 子育地蔵
地蔵堂 地蔵尊像



正面入り口  佃天台子育地蔵の地蔵堂は、小さな狭い部屋になっていて、割に現代風な造りになっています。そして、奥まで入って行くと、地蔵尊像が姿を現します。案内板がなければ、まさかこんな所にお地蔵さんがいるなんて、誰も、思ってもみないでしょう。
こちらが正面入口




佃小橋 佃島の路地
佃小橋と、佃島のメインストリート 路地裏で


 佃島を散歩する時には、お隣の月島や築地も一緒に廻る事が出来ますが、どうせならブラブラと1日ゆっくり、佃島を隅々まで歩いてみるのも良いと思います。









★交通 ・鉄道 営団地下鉄有楽町線月島駅下車。6番出口。


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