佃島

2010年2月




月島駅6番出口  東京メトロ有楽町線を月島駅で降車して、6番出口に出て来ました。今日は隅田川河口のウォーターフロント佃島を、ぶらぶらと歩いてみる事にしました。先ずは駅出口の背後に見えている都道473号線の高架に沿って、右方向へ進んで行きましょう。
月島駅6番出口


 高架を左手に見て150mほど進んだ先に、ガードが見えて来ました。そしてガード脇の五差路を右手前方へと入って行くと現れる小さな公園は、佃公園。さあ、隅田川沿いの小さいながらも癒しいっぱいの一角、佃島徘徊のスタートです。 ガード脇の五差路
ガード脇の五差路


佃公園よりリバーシティ21を望む  佃公園前方にある船だまりの、のどかで懐かしい風景と妙に調和して見えているビルたちはリバーシティ21。集合住宅を中心とした超高層ビル群です。
佃公園よりリバーシティ21を望む


 佃公園に隣接して建ち並んでいる住宅の路地入口付近に、何やら気になる看板が掲げられています。 気になる看板発見!
気になる看板発見!


佃天台地蔵尊入口  近寄って確認すると、どうやら路地の奥には地蔵堂があるようですが、それにしても興味をそそるこのロケーション。身体は自然に路地裏へと吸い込まれて行きます。
佃天台地蔵尊入口


 それにしても佃島は路地がとっても多い。古くからの民家もまだたくさん残っているし、こういう路地裏を歩いているとワクワクしてきます。 路地裏を進む
路地裏を進む


佃天台地蔵尊  とても狭く長い路地の、ちょうど中ほどに現れた佃天台地蔵尊。地蔵堂そのものはまだ新しく現代的な、和風の小さい建物です。
佃天台地蔵尊


 なんと、地蔵堂内に銀杏の大木の幹を発見。視線を上に向けると天井が上手に丸くくり抜かれていて、木の先端は屋根の上に突き出ています。元々あった大木をそのまま残す様にして、上手く地蔵堂を造立したという感じです。 大イチョウの幹
大イチョウの幹


大イチョウ  表に廻って地蔵堂のある辺りを眺めてみるとこんな状況。いやあー、やっぱりかなりの大木だったんですねー。

 それはそうと、佃島に到着した頃からやたら食欲をそそる甘い匂いが街中に充満しているのが気になっていたのですが・・・

 歩いていてやっと突き止めました。
大イチョウ


 発生現場はここ。老舗佃煮店に隣接する佃煮工場の、ちょうど写真右端に写っている換気扇から、甘い香りが街中に溢れ出ていました。 佃源 田中屋
佃源 田中屋


天安本店  小魚や貝などの海産物を醤油で煮た佃煮は、その名前からも分かる通りここ佃島が発祥の地。そう言う訳で今でも3店舗の老舗佃煮店が営業し、味を競い合っています。
天安本店


 もともとは江戸時代、佃島の漁民たちによって考え出された保存食が佃煮のルーツだとか。 佃 丸久
佃 丸久


住吉神社  住吉神社にやって来ました。摂津国佃村の住吉神社(現・ 田蓑神社 大阪府)から分霊され、1646年現在地に創建された佃島の鎮守さまです。
住吉神社


 神社の鳥居に掲げられた扁額は珍しい陶製で、明治15年の制作。額字を書いたのは、当時の皇族で書道の達人だったと言われる有栖川宮幟仁(たかひと)親王です。 陶製扁額
陶製扁額


本殿  ここ佃島は、17世紀に入るまでは隅田川の河口に自然に出来た、ただの寄洲だったのですが・・・

 1582年本能寺の変で主君織田信長を自刃に追い込んだ明智光秀は、今度は清州同盟で信長と形の上で同盟関係にあった徳川家康を追います。
本殿


 その時、少数で堺を見物をしていた家康一行は、明智の軍に退路を断たれた事を知り狼狽しますが、家臣の進言により伊勢を経由して海路で領地三河へ帰るルートを選んで堺からの脱出を図り、無事成功します。途上、摂津国を流れる大河に差し掛かった時、近くの佃村(現 大阪府大阪市)の漁民たちが船を集めて一行の渡河を手助けしました。この事を後々まで恩義に感じていた家康は1590年関東へ国替になった時、佃村の漁民33名と住吉神社の神職者1名を江戸に呼び寄せました。

 その後1644年には隅田川河口の三角洲を埋め立てて島が造られ、漁民達はそこへ移り住み、これが現在の佃島の起こりと伝えられています。

 そう言う訳で江戸幕府は佃島の漁民達に、江戸近海で優先的に漁が出来る様な特権をも与えて保護したと言われます。
水盤舎(おみずや)
水盤舎(おみずや)


水盤舎の欄干  そして漁獲されたものは、将軍や御三家などにも献上されました。そんな当時の漁民の姿が、この住吉神社にある水盤舎の欄干の装飾にも彫り込まれています。
水盤舎の欄干 漁をする漁民


 隅田川の川岸に出て来ました。目の前に見える橋は佃大橋。昭和39年にこの橋が竣工されるまでは、同じ場所を渡し船が往復していました。佃の渡しです。 隅田川と佃大橋
隅田川と佃大橋


佃の渡し跡  渡船場跡に建っている案内板に依ると、江戸時代から始まった佃の渡し舟は、昭和30年には1日の運航が70往復にもなっていたとか。それほどこの周辺地域の重要な足となっていた訳です。写真の石碑は昭和2年に建てられたもの。
佃の渡し渡船場跡


 隅田川沿いには遊歩道が整備されているので、水辺の散歩を楽しむには格好な場所です。 川沿いの遊歩道
川沿いの遊歩道


石川島灯台モニュメント  現在の佃島の一部はそのむかし石川島と呼ばれていました。1853年、江戸幕府に命じられた水戸藩によってこの地に石川島造船所が造られます。明治に入って民間に払い下げられた造船所は石川島播磨重工業に引き継がれ、昭和54年(1979年)まで操業が続きました。そして造船所跡地はその後再開発されて、現在のリバーシティ21となります。

 その石川島には周辺を航行する船舶のために、江戸時代末の1866年に作られた灯台がありました。という事で、今は無き石川島灯台を記念して、隅田川沿いの遊歩道脇にはそのモニュメントが建てられています。
石川島灯台モニュメント


 川沿いの散歩道をぶらぶらと歩いて来ると、やがて遊歩道は中央大橋と交差します。 中央大橋
中央大橋




石川島公園
石川島公園


 中央大橋をくぐると目の前には、晴海運河と高層ビルの織りなす大パノラマが迫って来ました。リバーシティ21のちょうど足元に作られた、ここは石川島公園。大都会の喧騒もこうしてロングショットで眺めると、癒しの妙薬になるから不思議です。




佃小橋  佃島と言うと思い浮かぶのがこの風景。朱塗りの佃小橋と船だまりに繋がれた小船です。佃島散歩の締めくくりにはやっぱりこの風景を眺めたくて、佃公園近くのこの場所にまた戻って来ました。
佃小橋








★交通 東京メトロ有楽町線月島駅下車
★歩行距離 約 2.5 km


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