浦賀と久里浜
2008年10月
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京急久里浜駅前 |
京浜急行を京急久里浜駅で降りて、東口の駅ビル前に出て来ました。今日は、この駅ビル前バスロータリーからスタートです。 |
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駅前商店街 |
まずは正面に見える、駅前商店街を進んで行きましょう。 |
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国道134号線 |
100m余りの商店街が途切れたところにある、歩道橋の見える交差点を左折し国道134号線、通称「尻こすり坂通り」に入ります。 |
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夫婦橋 |
間もなく前方には、平作川に架かるコンクリート製の橋が見えてきます。この橋は夫婦橋と言って、神奈川県が選定した「かながわの橋100選」のうちのひとつになっています。そして案内板によると、江戸時代初期からの歴史があると言われるこの夫婦橋には悲しい伝説があるとか。 |
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夫婦橋からの風景 |
川の洪水で度々流されてしまうこの橋を守るために、ある時貧しい人夫の愛娘が犠牲になり、人柱となって橋の下に埋められました。すると神の怒りはおさまり、以降はどんな大雨が降っても橋が流されることはなくなったと言うことです。 |
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県道210号 |
夫婦橋で平作川を渡ると、その先の道は国道134号線から県道210号線に変わります。そのまま県道を道なりに進みましょう。 |
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古い石蔵 |
暫くすると道の右側に、ポツンと建っている古い石蔵を見つけました。浦賀周辺には、幕末から明治にかけて造られたこの様な古い石蔵がいくつか残されています。 |
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浦賀港交番前交差点 |
京急久里浜駅前をスタートして約45分。県道を歩いて来ると、T字路の正面に浦賀港が現れました。この交差点は浦賀港交番前交差点。今日はここを右折する予定ですが、ちょっと寄り道。ひとまず左方向へ歩いて行きましょう。 |
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浦賀港 |
黒船に乗ってペリーがやって来た事でも知られる浦賀港。幕末に想いを馳せながら、右手にその浦賀港を眺めつつ、海沿いの道を進みます。 |
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浦賀ドッグ |
10分足らずで右側には何かの工場らしき白っぽい大きな建物が、煉瓦塀の向こう側に隠れる様に見えて来ました。ここは住友重機械工業横須賀製造所の浦賀艦船工場、通称浦賀ドッグです。 |
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浦賀ドッグ |
現在は閉鎖されているこの浦賀ドッグ、明治29年に当時の農商務大臣榎本武揚の提唱で操業を開始し平成15年に操業を終えるまでの長きに亘り、数多くの艦船を造り続けて来ました。 |
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浦賀ドッグ |
貴重な産業遺産でもあるこの工場、イベント開催時などの他は通常内部に入ることは出来ません。しかし一部の建物は、近隣で営業をするスーパーなどが客用の駐車場として使用しているので、ご覧の様に中に入って行くことが出来ました。 |
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工場内に残されたクレーン |
上を見上げたら、工場操業当時に使用されていたクレーンを発見。昭和39年1月製造と記されています。 |
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浦賀港 |
浦賀ドッグをあとにして、来た道を戻りましょう。浦賀港を、今度は左手に眺めながら歩いて行きます。 |
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西叶神社 |
やがて通りの右側に見える丘の中腹に、小さいながら荘厳で存在感のある神社を見つけました。1181年の創建になる西叶神社です。 |
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拝殿の彫刻 |
現存の社殿は1842年に再建されたもので、案内板によれば社殿に施された沢山の彫刻は、安房の名工後藤利兵衛の手に依って彫られたものです。 |
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拝殿に施された獅子の彫刻 |
総数230を超えるこれら彫刻の数々は、1902年(明治35年)に88歳で亡くなった後藤利兵衛弱冠28歳の時の作品です。 |
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浦賀港交番前交差点 |
ちょっと寄り道をしましたが、さっき通り過ぎてきた浦賀交番前交差点までまた戻ってきました。Y字路を左へ、そのまま海沿いの道に進みましょう。 |
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浦賀の渡し船 |
左手に見えるのは浦賀の渡しの渡船場。浦賀は南北約1.5kmに亘る長い湾が入り込んでいるため、向こう岸まで行くには渡し船の利用が最良の手段となります。そんな訳で、この渡し船は江戸の昔から今日に至るまで、数え切れない人たちの往来を助け続けてきました。 |
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陸軍桟橋 |
渡し船の渡船場から少し歩いた先の左側には、通称陸軍桟橋と呼ばれる昭和10年代に作られたL字型の桟橋があります。そしてここは太平洋戦争の終戦直後、外地からの多くの引き揚げ者たちが、祖国日本へ歓びの帰還第一歩を踏んだ場所でもあります。 |
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燈明堂入口バス停のすぐ先を左へ |
陸軍桟橋から10分ほど歩いてくると、トンネル(川間隧道)の手前に「燈明堂入口」と記されたバス停があるので、このすぐ先の道を左折。 |
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燈明堂 |
道なりに進んで行くと、やがて草むらの向こうに縦長の建造物が現れました。燈明堂です。 |
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燈明堂 |
燈明堂は、1648年に江戸幕府によって建造された和式の灯台です。その後明治5年に廃止され、建物も明治の中頃には石垣を残して崩壊してしまいました。そして現在の燈明堂は平成元年になって、残った石垣の上に当時と全く同じ建物を復元したものです。 |
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散策路 |
燈明堂の周りには、眺望抜群の散策路が整備されています。ゆっくりとひと回りしながら小休止。
因みにこの場所は、嘗て浦賀奉行所が処刑場として使用していた「首切り場」だった所だとか。 |
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3基の石碑 |
その為かどうか定かではありませんが、燈明堂の近くには石碑が3基建立されています。「南無妙法蓮華経」の題目が記された中央にあるいちばん大きなものは、1840年建立のもの。 |
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右側の石碑 |
向かって右側にある石碑は、地蔵菩薩像の供養塔。こちらも1840年の建立です。 |
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左側の石碑 |
そして一番左側にある石碑は、千代岬瘞骨(えいこつ)志碑。碑文には、千代岬台場の建設工事中に見つかった人骨を供養したと記されています。1849年の建立。 |
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川間隧道 |
燈明堂での眺望を味わったら、先ほどの「燈明堂入口」バス停まで戻ります。そしてバス停の先に見えているトンネル(川間隧道)を抜け、先へと進んで行きましょう。 |
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久里浜港 |
暫く歩くと左手には久里浜港の眺めが開け、そして海沿いに道が続いて行きます。ジャパニーズウエストコーストと言ったロケーション!!
正確には三浦半島のイーストコーストなんですが・・・ |
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ペリー上陸記念碑 |
燈明堂をあとにして、30分ちょっと歩いたでしょうか。通りの右側にある公園の敷地内に、巨大な石碑を見つけました。ここはペリー公園、石碑はペリー上陸記念碑です。
ところで、大むかし私が学生の時に学校の授業では、「ペリー率いる黒船は浦賀港にやって来て開国を迫った・・・」と教わりました。 |
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マシュー・カルブレース・ペリー |
だから、ペリー提督と御一行様はてっきりそのまま浦賀へ上陸したものと思っていました。でも本当はちょっと違っていて、いちおう黒船は1853年浦賀に「入港」はしたものの、1週間近く船上で待たされた後、やっと幕府から上陸許可が出たのでした。そして幕府が指定をした上陸場所が、ここ久里浜でした。
と言う訳で明治34年、当時活動していた米友協会によって、ここ久里浜に上陸記念碑が建てられたのでした。因みに石碑に記された碑文は、米友協会の名誉会員でもあった伊藤博文の筆に依るものです。 |
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大浜交差点を右折 |
ペリー公園を過ぎたら次にある大浜交差点を、「くりはま花の国」への道標に従って右折しましょう。 |
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次の信号は左折 |
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くりはま花の国駐車場入り口 |
やがて通りの右側には、くりはま花の国の駐車場が見えてきます。 |
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くりはま花の国東側入口 |
駐車場内を歩いて行くと、くりはま花の国の東側入口に到着です。一部有料施設を除き、入園無料。 |
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くりはま花の国 |
くりはま花の国は17万3千坪もの広大な敷地の中で、季節ごとに四季折々の花々が咲き乱れます。丘陵の斜面を上手に利用して整備されているので起伏が多く、園内の散策は結構な運動にもなります。 |
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展望台から久里浜港を望む |
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コスモス園 |
取材時は10月中旬、ちょうどコスモスの季節です。スケールの大きなコスモス園はご覧の様に大迫力! |
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コスモス園 |
コスモス模様の絨毯を敷き詰めたように、あたり一面コスモスのはな・ハナ・花・・・・ |
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コスモス園で |
このほか施設内にはつばき園やハーブ園、アスレチック広場、パターゴルフ場、レストランなどもあって、年齢を問わず1日中楽しめます。 |
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第一駐車場近くの入場門 |
そろそろ陽も西に傾いてきました、秋の日はつるべ落とし。この辺で花の国をあとにして、ゴールへと向かいましょう。 |
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突き当りを左へ |
コスモス園に隣接する第一駐車場の入場門から出て来ました。まっすぐの道を進んで行くとT字路の突き当り。ここは左折です。 |
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国道134号線 |
すぐに国道134号線と交差するので、右に折れて国道に入ります。この道はスタートの時に歩いた「尻こすり坂通り」です。 |
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次の信号を左折 |
前方に歩道橋が見えています。この交差点を左折して、京急久里浜駅前の商店街に入りましょう。 |
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京急久里浜駅前 |
商店街の正面は今日のゴール、京急久里浜駅です。朝10時にここをスタートして、いろいろな場所をゆっくりたっぷり見てまわって、夕方4時半にゴールイン。 |
★交通 |
京浜急行線 京急久里浜駅下車 |
★歩行距離 |
約 11~12 km |
周辺地図
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