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平成22年(ネ受)第531号 損害賠償請求控訴事件
(原審 大阪地方裁判所平成22年(ワ)第6195号
(控訴審 大阪高等裁判所平成22年(ネ)第2298号

        上告受理申立理由書

 最高裁判所 御中                       

平成23年1月12日

    相手方 国             

 申立人 o 峯 弘

上記当事者間の損害賠償等請求控訴事件の上告受理申立の理由は以下の通り
である

       目次


第1   はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・1


第2   本件が法令解釈の「重要な事項を含む事」・2


1 控訴審判決について  ・・・・・・・・・・・・3

2 上告受理理由について・・・・・・・・・・・・・

3「法令の解釈が当該事件を超えて一般的に広く影響する問題に関連」する事


4 法令解釈の統一の為に必要であること

5  小括

第3 主位的主張について・・・・・・・・・・・・


    1 当該判示が高度の蓋然性を伴う憲法第3章 第13条

、第19条の解釈の誤りを含むものであること

第4 原告の主張と似た主張をした世界平和研究協会について


    第5  予備的主張


    1 損害の発生の有無

2 具体的な想定金額について

ーーーーーーーーーーーーーーーー

第1 はじめに 

本書面においては、本件が法令の解釈に関する「重要」な事項を含んでいる事件で

あることを述べる。続いて、いかなる法令の解釈が問題となるのかについて述べ、、

主位的主張(損害の有無)、予備的主張(被告国のとるべき方策)について述べてい

くこ ととする

第2  本件が法令解釈の「重要な事項を含む事」・・


    1 控訴審判決について  ・・・・・・・

第3の2のように、この提訴の主位的主張に関して一審二審判決では考課せずに、

「それは抽象論だ」と断定している。即ち「このような具体的紛争を離れて、抽象 的

に法令等の違憲に関する判断を裁判所に求めることは裁判所が行使する司法権

の 性質上許されない」とした。原告が真摯に各政治テーマの是非について考察し、

白 紙投票しかないと、提訴に至ったことを無視し、これを抽象論として原告の苦しみ

に一顧もしない判決は憲法の基本的人権を蹂躙している。即ち憲法第13条、「す

べて国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権

利 については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊

重を 必要とする。」とあるように訴状の「政策毎に賛否の意思を持つ事」は「幸福追

求 に対する権利」であり、これを抽象的として一顧もしないのは原告の基本的人権

を ないがしろにするものである。


 2 上告受理理由について・・・・・・・・・

民事訴訟法第318条1項に定めがあるところ、「法令の解釈に関する重要な事項が

含 むものと認められる事件」について上告受理することができると定められている。

原告の政治的選択が、抽象論であり取るに足らないものか、憲法の認める主権の

発 露であり、侵す事のできない個人の自由であるのか、参政権どころか、まさに基

本 的人権にも関連する。最高裁判所がこうした個人の政治的意思をどのように考

える か、憲法解釈の統一のために必要であることも意味する

3「法令の解釈が当該事件を超えて一般的に広く影響する問題に関連」する事

判決では、原告の主位的主張について「原告独自の見解」としている被告国の言わ

んとすることを推量すれば、「選挙では、政党の公約を見比べて、有権者にとって

最も良さそうな公約を並べるところを選ぶべきであって、同意できない公約を含む

としても、それは甘受すべきだ」であろう。

原告独自の見解か、そうではなく多くの有権者が考えるところかについて インター

ネットリサーチ会社による第43回総選挙に関するアンケートは重要である。

(http://www.macromill.com/r_data/20031112election/)

投票に行かなかった理由、「投票したいと思う政党、候補者がいなかった」42.7% 。

要するに棄権する人々の半数近くが、自分の政治意思に沿った立候補者が見つか

ら なかったとのこと。一方、平成16年参院選挙での選挙管理委員会の世論調査で

は 、投票した人の49.4が「投票は国民の義務だから」という義務感から投票している

仮に投票率が60パーセントであれば、義務感で投票した人が有権者全体の30パ

ーセント、そして、棄権した40パーセントの内の42.7パーセント、即ち全体か ら言え

ば17パーセント、両方をあわせれば47パーセントの人が「自分の政治意思を 満足さ

せてくれる立候補者はいない」と感じていることになる。言い換えれば、お よそ国民

の半数が現在の代表民主主義に満足していない状況といえる。国民の言葉 をネッ

トから拾ってみよう。

「候補者は通常はいろいろな公約を乱発する、有権者はパッケージすべてに賛成し

て特定の政党を支持するという考えは疑わしい。パッケージの中身を見て、ある部

分は気に入らないが、他の部分が気に入ったから投票するということは大いにあり

うる話である。」

「選挙の度に思う。投票すべきか否か。妥協すべきか否か。一応投票はしている。

しかし罪悪感が残る。有権者は候補者の全ての公約に賛成して投票してい るのだ

ろうか。私は違う。賛成できる公約と賛成できない公約があり、賛成できな い公約

を無視して投票している。賛成できない公約があるからと言って、他の候補 者を選

ぶわけにはいかない。その候補者にもまた、賛成できない公約があるからで ある。

妥協するしかない。そして、自分が投票した候補者が当選した後は、賛成で きない

公約が実現するのではないかとはらはらすることになる。実現してしまった ら、投票

した自分にも責任がある」

「投票をする際、有権者は、その公約のすべてを支持してある候補者に票を投ずると

いうことではない。公約のうちの一つ、あるいはいくつか、自分にとってもっとも関 心

のある項目について賛同できれば、その候補者に投票するのであって、投票したあ

と、すべての問題についての決定する権利を、議員に与えてしまったわけではない。

しかも、前回の市議の投票のとき、すべての候補者が、合併についての賛否を明ら

かに して立候補したわけでもない。とすれば、合併のような重大問題に際しては、改

めて、 全有権者の意思を問うことが必要だ。」

「特定の一候補の公約などに全てに賛成な有権者は少なく、X候補のこの公約と、

Y候 補のこの公約に賛成と考える人が多いと思う。現在、日本で採用されている方

式では 、一番意見が近い、または、一番ましな候補者に投票することになる。つま

り、完全 に支持していないのにそれが投票に反映できない」

「先の衆議院選で民主党が大勝しましたが、よく考えれば民主党に投票した有権

者の ほとんどは、この政党のマニフェストを全てを支持したわけではないと思います。

例えば 「官僚指導の政治からの脱却、それにガソリンの暫定税率の廃止や高速道

路の 無料化には賛成だが、子ども手当や公立高校の無償化には絶対反対!」 ・・・

こん な人も結構多かったのではないでしょうか?。実を言うと、私の周辺の人間で民

主党 に投票した人は全てこの意見でした。ところが、一旦政権を握るや否や、「国民

の信 託を得た!」 とばかり・・・」以下省略。

ーーーーーーーーーーー以上ネットより転載ーーーーーーーーー

4 法令解釈の統一の為に必要であること

個別の有権者の政治意思は、投票行動を通じて立候補者ー議員に一任するもの

とする従 来の憲法解釈では 本訴訟の原告の訴えは特殊なものとされる。しかし

社会の複雑化な どにより政治的選択肢は増大する一方であり、有権者は到底

一票で政治意思を表現でき ない、「実は代表民主主義は補正を必要としている」と

いう解釈も有力である。この訴 訟を通して最高裁判所は憲法の「議員へ自由委任

」が真に憲法の精神に沿ったものであ るのか、さらに新しい制度を必要としている

のかについて統一した解釈のためにも必要だ

5  小括

憲法では、議員は「国民の厳粛な信託」によって選ばれたとされ、例え公約に反し

た行 動でも「国全体を考慮した」と言えば許される。勿論選挙制度は違憲ではなく、

曲がりな りにも機能しているのは誰もが認めている、しかしこのように国民の半数

近くが満足でき ず大勢の棄権者を生むシステムは、憲法の解釈上は間違っていな

いとしても、議員が信頼 されず、国としても世界に恥ずかしい地位を占めるに至った

ことは、憲法の精神に違背するものではないだろうか。

原告は「支持しない公約を、支持されたとして使われることは主権の侵害に当たる

」と具 体的な体験を主張した。(そして現在の選挙制度ではこの不条理に関して全

く解決策がない、それを補完するために世界に国民投票制度がある)。

1995年8月31日朝、東京の文化放送で慶応大学の神谷不二教授が「国民投票は

国会の権威を 損なうか否か、皆さんの賛否をお待ちします」と呼びかけ、30分の間

に来た電話が524本、 「国民投票賛成505本、反対19本」であったとのこと(誕生!国

民投票 上田哲著より)。

2006年5月26日当時野党であった民主党は「日本国憲法の改正及び国政におけ

る重要な問題 に係る案件の発議手続き及び国民投票法案」(国民投票法案)を衆

議院に提出していた。

党憲法調査会長(当時)の枝野幸男議員はじめ、法案提出者の園田康博、鈴木克

昌各議員が議 長室に河野議長(当時)を訪ね手渡した。 枝野会長は「戦後最大の

、最も重要な法案の審議で ある」と述べている事実がある。

  第3   主位的主張について・・・・・・・・・・・・・・


1、この訴訟の主位的主張は既に述べたように以下の通りである

1.第45回衆院選挙において原告松峯弘は投票に当たり各党のマニフェストにより、

支持する政策を定め、それをもとに投票しようとした

2.その結果、外交、安全保障政策、税制の抜本的改革、道州制の導入、高速道路

無料化反対などについては自民党を支持した。しかし特別会計、独立行政法人、公

益法人をゼロベースで見直す、企業団体献金の禁止、衆院定数の8 0名削減につ

いては民主党を支持したいと考えた。

3.上記のように自民党、民主党のマニフェストを比較検討した結果、両党の評価に

甲乙が付けられず、原告は選挙権行使において白紙投票、、言わば放棄せざるを

得なかった。何となれば、今回原告がもし民主党に投票したとすれば、原告が不同

意の政策についても民主党を支持したものと見なされ、また、自民党に投票した

とすれば原告が不同意の政策についても自民党を支持したものと見なされること

になるからである。   

2 当該判示が高度の蓋然性を伴う憲法第3章 第13条、第19条の解釈の誤りを含

むものであること

「憲法第3章 第13条すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追

求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国

政の上で、最大の尊重を必要とする」とある。

そうであるのに有権者は、選挙で主張される政治公約と、人物などを極く短期間の

内に検証し、一票に収束することを要請される。それ自体が難題であることは衆知

のことである。

にも関わらず、この訴訟のように厳粛に検証し結論した結果を「抽象的」で片付け

て、制度の見直しの必要性に言及しないのは法を教条的に解釈したもので遺憾

である。選挙制度のみでは民意は吸収できないとして世界に国民投票があり、原

審の準備書面に書いたように現内閣の有力者も前向きである。

さらなる法解釈の誤りは「かかる立法を積極的に命ずる明文の規定があるような場

合はさておき、原則として国会の裁量に委ねていると解するのが相当である」とある

しかし例えば「一票に格差があるのは違憲か否か」の訴訟では、8高裁・1高裁支部

の判断では、違憲判断が4件、違憲状態という判断が3件あり、司法としての価値

観を明示している。臓器移植の問題については議会内部で定見が出ず、司法の

判断が必要となっている。

以前の「一票の格差」裁判は、圧倒的な強みを持っていた自民党への配慮から、「

選挙制度は国会の裁量」と、国会に丸投げしていた。

三権分立とは、相互に監視し、憲法の精神を実現するにある。

原則として国会の自由裁量に委ねられるべきものであることに異論はないが、その

裁量権の行使が著しく合理性を欠き、憲法の要請に反するような事態に立ち至つた

場合は、司法による判断を免れないとすることが、三権分立の基本構想に沿うも

のであると考える。

裁判所がこの種の問題について、高度に政治性のある国家行為であるからとか、

立法府の自由裁量に属する事項であるからとかの理由により、たやすく司法判断

適合性を欠くものとすることは、国民の信頼にこたえる所以ではないと思う。

なにしろ日本の現状はまさに「憲法の要請に著しく反する事態に立ち至っている」

のである。そこで「司法による判断が免れない事態」と原告は主張する。

地方政治も破綻に近づきつつあるが、H23.1.10の報道では、片山善博総務大臣の

肝いりで「重要課題の是非を問う住民投票制度」を法制化すべく通常国会に提出す

る。片山大臣は「選挙はオミクジを引く作業に等しい、知名度や肩書き、経歴ばかり

が先行し政治理念や品格、行動力などは殆ど未知数・・・中略・・・演説や討論を聞

いても本人の言葉をどこまで信じていいのか分らない・・・中略・・・このままでは有

権者の不信感はいつまでたっても払拭できず政党離れを加速させるのは必至だ」

という「選挙オミクジ論」のご本人です。

住民投票制度の法制化は「地方だけではなく国政にも国民の意思を参加させよ」の

声が高まるのは必然と思われる。


半数の国民が選択に困惑する基本的な制度(選挙制度)に関して、最高裁が、偏

らず、主権在民を基盤とした改善策(一般的国民投票や参政員制度)容認の判断を

下すことは、三権分立の意図からして「不適法」どころか、司法の責任の行使である

財政健全化の目処も立たず、若者は減少するばかりという衰退国家を指摘される時

にあたり、「国会の裁量に委ねる」とせず、一切の法律、命令、規則又は処分が憲

法に適合するかしないかを決定する権限を有する最高裁判所は蛮勇を奮って判決

に権限を行使すべき時ではないだろうか


第4  原告の主張と似た主張をした世界平和研究協会について

    国の重要課題について、創造的かつ建設的な提言を内外に広く発信する、政

策研究提言機関、(財)世界平和研究所(代表中曽根康弘、1988年に総理府、防衛

庁、経済企画庁、外務省、大蔵省及び通商産業省の6省庁を主務官庁として創設

)の主任研究員:西垣淳子氏は論文「我が国の統治機構の再考察」の中で、

「解散総選挙を経て争点が明確にできないが、国民の判断を問いたいと考える場

合に、内閣提出法案について、国民投票を求めることを可能とする仕組み」を提案

した

西垣氏は論文「議院内閣制の理念と実態―憲法学と政治学の間で」の中で、三権

分立的な構想の下で議院内閣制の制度を設計してきた我が国の憲法規範の問題

点を指摘し、そうした憲法規範の下での議論が、実際の議院内閣制の運用にあた

って必要な検討課題を見過ごしてきた点を指摘する。そして、そうした課題は、国

会法や内閣法という憲法付属法の改正によって対処できる範囲を超えつつあるこ

とを指摘し、憲法学が改めて議院内閣制の構造を検討する必要性を提示しておら

れる。

同論文では、現統治機構は欠陥を持つ事を指摘し、国民の常識の政治参加という

革新的提案をしている。司法は裁判員制度という歴史的進化をした。今、三権分立

の意思を体して、司法府は立法府に対して歴史的進化を教唆する判断判決をすべ

きであろう。この論文 www.iips.org/bp/bp321j.pdf の一部を付属資料として添付

する。   

 第5  予備的主張


 1 損害の発生の有無

各党の公約を厳格に検証した結果が、現在の選挙を制度の下では意思を表現で

きないこと、即ち「白紙投票」でしか参政権が行使できない。

「選択は凡そのところで妥協するほかない」とする考えもある、これは基本的人権を

損なうものであるのは明らかである。なぜならこうした不条理の解消の為に世界各

国に国民投票制度があるのである。

       2  具体的な想定金額について

本来国民が政治意思を選挙で表現することは無料であり金銭に換算できるというも

のではない。原告のように検証した挙句「白紙投票しかない」と判断したことについて

も本来金員は算定できない。

しかし求償訴訟でなければ原告の遺憾さ、無念さを表せないことも事実あり、この

程度の金額を呈示することは経験則上当然である。尚損害については憲法13条を

適用すべきであったと考える。

裁判員制度により国民の常識を参加させるという歴史的改革を成し遂げた司法府

として、日本の政治制度にも同趣旨の改革の必要性を裁定する事で、歴史的な蘇

生に日本を導くことが期待される

第6  付属書類の表示 世界平和研究所、主任研究員西垣淳子氏の論文の一部

                 以上