外見と真実


見かけ(外見、話し)で人の真実が分かるものでしょうか

間接政治の基本、選挙の欠陥は外見、言葉、業績を見て命の次に大切な主権を他人に預けなければならないことでしょう。

環境ホルモン汚染世界一、債務世界一、日本は出口の見えない不況に沈んでいますがその根本的な原因は 間接政治という「見かけ」即ち、「公約」、「顔」「話術」が代議士を選ぶための資料であり、主権を委託するためには十分な資料ではなかったこと、もし当選すれば選挙に投じた数億の回収が第一の関心事にならざるを得ないこと、このために族化やバック狙いの公共事業に精力のほとんどを注ぐのです、又許認可で行政の世話にならざるを得ないことから行政には遠慮せざるを得ない事、このために効果的な行革を本気では取り組まないこと等でしよう。  

主権(個人の政治的な考え)は誰かに預けるというものではなく本来は個々人が直接、議案の議決で行使すべきです(ただ多忙な人は預けてしまいたいと考えられるでしょう。参政員制度は主権をそのどちらで行使するかを選べます)

そもそも数億を投資して議員になろうとする人の資質、能力を検証できるものでしょうか。さらに彼の深層にある意図が見抜けるものでしょうか。

例えば選挙のために数億の借金をして議員になったとすれば、彼はダイオキシンの原因物質塩化ビニールに環境税を付加すべきだと思っていても、業界が数十億の工作金を用意するのではという期待から、積極的に動かないという事も有りうるでしょう。人間を外見や言葉だけで信じていいものかどうかは毒カレー事件が暗示しています。

「弁舌」の巧みさがウリモノの人々が心の底で考えていることは我々並の人間には押しはかることはできません

さて、選挙や制度に欠陥があるなら、なぜ立候補しないのか、と言う質問を何度も聞いてきました。

しかし個人が自分一人の政治意思を表現したいが為に立候補までするというのが現実的でしょうか、即ち、仮に数万の支持者を得て議員になれば、自分の意思、主権を表現できるでしょうか。数万の支持者を無視した行為、言論が許されるはずはありません。

ではどのような人が立候補しているのでしょうか。金持ちの人、親が議員の人、組織の代表、タレント、高級官僚が大半ではないでしょうか、しかも既成政党組織には一定のサポートがなされていますが個人には一切ありません、一般人が自己の政治意思を表現するために500万円以上のお金(立候補の供託金)を投じなければならないというシステムが真のデモクラシーと言えるでしょうか(米英ほか諸外国は20万円まで)。

被選挙権はあると言っても現実には出馬に大きな障壁が築かれているのです。(しかし直接間接並存政治であれば費用をかけずに、個人が政治意思を直接権力的な場に投入できるのです)

視点を変えて、現実に我々は並存政治構想実現のために立候補すべきではないかという問いの場合には、今だ時期は熟していないと言うほかありません。

なぜなら、憲法改正の必要性さえある間接政治の修正構想ですから、国民の過半数の賛同、容認が必要です

webが国民の半数に普及し、多くのメディアのアンケートで並存案が半数を超す容認、支持を得られるような時代に入れば、一挙に議会の過半数を制する事が出来るでしょう。

それまではあらゆるスペースに啓蒙専一するよりありません。 

参政員制度(旧称直接間接並存政治制度)

政治意識の高い人は選挙権を返上して参政員となり、重要な5-7の議案の一つ毎に政党を選択、多忙な人の主権は議員が得票数を代行する(選挙区議員の平均得票数を行使)並存政治こそが環境と国民の福利を実現できるのではないでしょうか

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