<挨 拶>
私どもは新松戸にある松風館道場の中にあります、信武会という「居合道」の会です。全員が別々に職業を持って居ますし、年齢も・始めた年齢も・動機も・目的も違いますが基本的には趣味で「居合道」をしています。
「居合道」は、実際に斬れる日本刀を使用して「居合道」の稽古をし、修行を積み重ねることによって剣の理合い考え、知り、そして人間形成を目指すことを目的にしています。
<居合とは>
居合とは立ち合いに対する言葉で、「敵の不意の攻撃に対して直ちに抜き合わせて抜刀し、鞘放れの一瞬に勝負を決める武術として創始されたもので抜いた後は剣道である。」と言れています。
居合の「居」は「体の居る所」という意味で立って居ても、座って居ても走って居ても、無念無想も恐怖も喜怒哀楽も心身の実在があるというのが「居」である。「合」は臨機応変、打てば響き・呼べば答えるという風に物事に「居合わす」という意味である。
居合とは、新以心流で「太刀を抜くことと心得たる人多し・・」と言われているように刀の扱いが上手くなることを目的にしていると思われていることが多いのですが、そうではなくて「抜かぬ前の平常・人と相対することを居合と言い、無我の境地に通ずることである。」ということが重要であると思います。よく言われる「無我の境地」とは、簡単に言うと「自分(我)があれば敵がある、自分が無ければ敵もなし」ということです。
すなわち「常に人を立てて己を立てず」に徹することであると言われています。・・・・そのためには、日常に礼儀を正しく、心を正しくしなければならないと言うことになります。
従って、居合の「居」は静を表し、「合」は動を表して、静の中に動があり、動の中に静がある。すなわち静・動一如の境に居合の妙味があると言われているわけです。
よく「居合の勝ちは鞘の内にあり」と言われますが、その勝ちには3つ有り。
第1の勝ちは、刀を抜く前に自分の心の理を持って敵の心を制圧して勝つ。(理想的な勝ち)
第2の勝ちは、それでも敵が刀を抜こうとすれば、気を持ってこれを制し、敵の技の起こりを封じて勝つ。
第3の勝ちは、さらにそれでも敵が害意を失わずに切りかけて来るならば、鞘放れの一刀で敵を倒す。(やられるわけには行かないので、仕方のない最低の勝ち)
このように、なるべく斬り合わないように勝つのが居合の精神とされているわけですが、我々はまず最初に、この第3の勝ちを得るための居合道の業(わざ)を修得する事によって徐々に第1の勝ちのような、「理想的な勝ち」を得る事(人間形成)を目的にしています。
居合道は年齢を問わず体力に合った稽古が出来ますので、これらの修行を通じて広く社会に貢献出来ると思います。是非多くの方が参加されることを期待しています。
松風館道場 居合道部 信武会会長
全日本剣道連盟 居合道教士八段 山田 博