ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47 Violin Concerto in D Minor op.47


作曲:1903/4(初稿) 1905
編成:独奏ヴァイオリン Fl:2 Ob:2 Cl:2 Fg:2 Hn:4 Tp:2 Tb:3 Timp 弦5部
演奏時間:約30分

  シベリウスのヴァイオリン協奏曲というと皆さんはどのような印象をお持ちでしょうか。おそらく幻想曲風な雰囲気のなかヴァイオリン独奏がモノローグとでも言うべき息の長い旋律を奏でるというイメージがあるのではないでしょうか。それ故にこの曲のファンも非常に多く、広く一般的な愛好家にも好まれているのでしょう。ヴァイオリン協奏曲は民族的、ロマン主義的作品を生みだしていた最後の時期につくられた作品であるため、交響曲第1,2番やその他の初期の管弦楽曲のような、感情をダイレクトに放出するエネルギー感に満ちています。その一方で、従来のスタイルを越えて、新しいものを模索しようとする傾向も見られます。この作品は幻想曲風の雰囲気を持ちながらも、曲全体は主題の生成、展開によって有機的に構成されており、従来の感情移入型の音楽から一歩抜け出したような印象も受けます。

 この曲は1903年に一度完成され、演奏されましたが、シベリウスはスコアを大幅に改定して現在の決定稿が1905年に完成されています。それ以後シベリウスは初稿の演奏を禁止していまいましたが、現在はシベリウスの遺族の許可を得て、初稿の演奏の録音(ヴァンスカ/ラハティ響 Vn=カヴァコス)が行われCDとして発売されています。初稿と現在の決定稿を聴き比べてみるとシベリウスの行った改訂という作業がどのようなものだったかがよくわかります。

 初稿の演奏は、決定稿よりも幻想曲風という印象を強く持ちます。構成よりも自由な感情の表現を重視している印象があります。また、聴いていて非常に興味深いのは、曲中に他の作曲家のイメージがコラージュ的とでもいえばいいのでしょうか、曲中に挿入されているような印象があります。それはとくに1楽章に顕著にみられます。たとえば決定稿では削除されてしまったバロック風、バッハ風な長大なカデンツァや、これはブルックナーの第5交響曲4楽章からの引用ではないかというような音型などがそうです。これらは非常に印象的であり、特に前者は初稿1楽章の目玉とでもいえるのではないでしょうか。しかしながら全体としてはやや散漫な印象は拭えません。決定稿ではこれらを削除し、各部に手を加え、よりシンプルな構成を志したため、全体としての訴えかける力は強くなっているように思われます。

 しかしながら初稿から失われてしまったものもあります。ひとつは優しさ、温かさを感じさせるようなニュアンスで、これは第5交響曲の初稿にもみられたものです。もうひとつは自由奔放な作曲者自身の心情の表現です。改訂という作業によって確かに曲はより強いエネルギーを得たのは確かですが、磨き上げた分だけ、素朴な美しさはやや後退してしまったかもしれません。しかしながら初稿と決定稿を比べてどちらがよいということに関していろいろと言うのは作曲者の望まないところなのかもしれません。作曲者が初稿を演奏禁止にした理由の一つなのかもしれないからです。

 いずれにせよ、シベリウスの改訂作業を音で追いかけてみると、シベリウスが従来の作曲方法に満足せず、新たな方向を模索していたということがよくわかります。改訂という作業を行って、その意図は実現されましたが、それでも有機的な構成への指向と、ダイレクトな表現指向の対立は解消されず、やや不自然な形になってしまっているという見方もできるかもしれません。そういう意味ではこの作品は過渡期のものであって、無限の可能性を秘めた未完成品とも言えるのかもしれませんね。

July 7 2000 by Johansen


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