音詩「波の娘」(「海洋の女神」)


 1914年、シベリウスは、アメリカのノーフォークフェスティバルにおいて初演を指揮するための新作、音詩「波の娘」を書いた。ギリシャ神話オケアノスの3000の息子と4000の娘の物語からインスピレーションを得た音詩は、大西洋を初めて渡るシベリウスの期待と興味が反映されているとも言われる。

 曲は波のうねりを思わせる弦の5度の上昇下降で開始され、次いで木管により波の精の踊りのような、軽やかに跳躍する第1主題が提示される。次いで、木管が沖合い遠くの暗雲を思わせるような第2主題を提示する。曲は自由に展開するが、海の底で海神が語るようなグロッケン・シュピールが鳴ると、波は次第にうねりを高め、空は暗く、風は強く、波はますます激しさを増し、ついに恐ろしい海の嵐がやって来る。荒れ、狂い、咆哮する巨大な波の間に、波の娘が顔を覗かせるようなハープのグリサンドが鳴る。やがて嵐が鎮まり、あたりが静けさを取り戻すと、晴れた空の下に、穏やかで美しい海が広がっている。

 波の娘に見られる8度の平行進行は、後の交響詩「タピオラ」で顕著に用いられることになる。また、上昇、下降するハープのグリサンドは、前の交響詩「吟遊詩人」で多く用いられている。弦楽により強奏される大きなうねりは、これら3つの音詩のいずれにも現れる。海をモチーフにした波の娘、深い精神性を帯びた吟遊詩人、芬蘭の森に伝承が息衝くようなタピオラと、表現の内容はそれぞれ異なるが、中期から後期にかけての、これら3つの音詩には共通した音の素材が見られる。

 波の娘が書かれた1914年は、初めてのアメリカ旅行と翌年の生誕50年記念式典を控え、作曲家にとって栄光の時期であったと同時に、第一時世界大戦のぼっ発により芬蘭の政情はいよいよ不安となり、シベリウスの身辺も穏やかならざる状態となった時期でもあった。この頃には、中期の主要なピアノ曲や、ユモレスクなど、現在ではそれほどメジャーでない小編成の曲が数多く書かれた。その中にあって、第5交響曲、波の娘は際立った大曲であるが、両者には共通する部分が多い。和声は精緻さを増し、主題や動機はますます抽象的なものとなった。オーケストラは華やかに鳴るように見えて実は室内楽的である。これは、第4交響曲と同時期に書かれた吟遊詩人、第7交響曲と同時期に書かれたタピオラと、それぞれの時期に書かれた音詩と交響曲を対比すると、それぞれに共通したところが発見されて興味は尽きない。

 音詩「波の娘」は、極めて美しい曲であることも忘れてはならない。曲想は夏を思わせる。オーケストラが効果的に鳴る曲でもあり、もっと演奏機会が増えることを希望する。世界のオーケストラがこの曲を演奏すると、それぞれの国々の人々が持っている海のその国特有のイメージが投影されて楽しいのではないだろうか。


2000年 8月07日
滝本雅康

この解説は滝本雅康様にご提供いただきました。


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