交響曲第2番 ニ長調作品43 Symphony No.2 inD major Op.43


作曲:1901年(完成)
編成:Fl:2 Ob:2 Cl:2 Fg:2 Hn:4 Tp:3 Tb:3 Tub:1 Timp 弦5部
演奏時間:約45分

フィンランドの勝利?イタリアの印象?

 シベリウスの交響曲の中で第2番はご存じの通り最も有名な作品といえるでしょう。ひょっとするとクラシックをあまり聴かない人でも知っているかもしれません。しかしながら、多くの人にとってこの曲は、フィンランド人の抵抗と勝利、解放というイメージでとらえられているのではないでしょうか。確かに、3楽章の激しく急速なスケルツォや、圧倒的な高揚を見せる4楽章はそういったものを連想させるに十分な内容に思えます。しかしながら『北欧の巨匠』(音楽の友社刊)によれば、こうした曲の解釈は、シベリウスの友人でもあった指揮者、ロベルト・カヤヌスにはじまるものであり、シベリウス自身はこの解釈を否定したということだそうです。シベリウスは交響曲という絶対音楽に特定のイメージが重なるのを嫌っただけなのでしょうか。それとも、シベリウスは何か他のイメージで曲を書いていたのでしょうか。皆さんはどう思われるでしょうか。想像に任せるしかないのでしょうか。
 この曲の「内容」を考える上で、一つヒントになることがあります。それは、第2楽章が、シベリウス一家のイタリア滞在と深く関わっているということです。友人、カルペラン男爵らの資金協力のおかげで、シベリウスはイタリアのラパロへ作曲のため、旅行に出かけます。シベリウスはそこでイタリアの風土や文化から強いインスピレーションを得たようです。具体的にはドンファンと石の客のイメージ(前掲の『北欧の巨匠』によれば、これは死の客の訪れへの幻想ということだそうです)が冒頭のファゴットのモノローグとして、キリストのイメージが救いと安らぎに満ちたヴァイオリンによって奏でられる第2主題になったようです。すなわち、イタリアの印象が、この曲の一要素になっているのです。
 こうしたことを頭に入れると、この曲のイメージは別のものに見えてきます。この曲は全体を通してシベリウス的ではありますが、その一方他の作品とは相容れないような、異質な点も見られるような気がします。私の感覚では、この曲は全体を通してかなりオルガン的な響きを指向しているよな気がします。金管楽器によるコラールは、ひんやりした北欧風というよりはもっと暖かみのあるものであるように思われます。誤解を恐れずに言えばこの響きはブルックナー的でもあります。もともと彼はワーグナーを崇拝していましたし、ブルックナーの第3交響曲に感銘を受けたそうですから、こうしたイメージは全く根拠のないものではないでしょう。もしかすると、シベリウスは、ブルックナーをはじめとするドイツ音楽の手法や、その内容に接近しようとしたのかもしれません。そんなことを考えていると、ひょっとすると彼は、自己の内面の葛藤や死への恐怖、それを乗り越える生命力、宗教的なエネルギーといったものをこの曲で書きたかったのかもしれない、などと思えてきます。もちろん、これは一つの想像でしかありません。しかしながら、この曲には多面的なイメージがあるということは間違いないのではないでしょうか。第2番=フィンランドの勝利というイメージだけにとらわれずに曲を聴くと、この曲はいろいろなものを語りかけてくるような気がします。

February 7 2000 by Johansen


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