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「スコールは真面目なんだよ。だから」
 セルフィが俺の名を呼ぶ。
 真っ直ぐにこちらを見て。


 ドールに行きたい、と言い出したのはセルフィだった。
「あたし、もうすぐトラビアに帰っちゃうでしょ? もっかいあそこに行きたいんだ〜」
 セルフィの言うあそこ、というのはSeeD実地試験で行った電波塔のある山だった。
 あの場所はガルバディアが撤退した後、かつてそうであったように展望のいい場所として観光名所になっているらしい。
 ドールのある西大陸とバラムは鉄道で繋がっているし、一時途絶えていた海路でのルートも復活していたからバラムからなら案外気軽に行ける場所である。
 だがトラビアはそうではない。国が元々辺境にあり、国の要でもあるガーデンの受けた被害からの復旧が最優先事項であって私的理由で国外への行き来をする余裕はないのだ。
「今のうちに色んな所に行っておこうかなと思って〜」
 そう言いながらセルフィは色んなメンバーと休みが合う度出かけていた。
 ティンバーにはティンバー出身の数名の友人と行っていたしガルバディアは当然アーヴァインやリノアと一緒だったらしい。
 そのメンバーの選択でセルフィがやっているのは単なる観光ではなく、将来的に任務で訪れた時に少しでも地理的事情を把握しようとしているのだと気付いた。
「どうしてドールなんだ?」
 特に土地勘があるわけでもない自分が誘われる理由がわからなかった。
 その問いにセルフィはあの大きな目を瞬かせて答えた。
「ほら、あたし達の班が初めて一緒に戦ったのってあそこだったじゃない?」
 それが実地試験の事なのはすぐにわかった。
 結局あの時成り行きで組んだ三人組の班はそのまま正式にガーデンに登録されることになり、この一年任務で共に行動する事になった。
「だから、あそこははんちょとゼルで行きたいな〜、なんて思ったんだ」
 今度のオフは空いてる?と尋ねられ、頭の中でスケジュールを確認した。
 セルフィと班は同じだからオフは一緒だ。
 リノアもその日は用事でガルバディアに行く事になっている。
「構わないが」
 その返事にセルフィはいつもと同じように飛び跳ねた。
「やった〜! じゃあ、チケットとかの手配はあたしがやるね〜」
 セルフィは笑って手をひらひら振ると駆け去って行った。
 その後ろ姿を見送った後、わずかに気分が沈んでいるのに気付いた。
 セルフィがSeeDになるためバラムガーデンに来たのは年度始めの春だった。
 そして同期で正SeeDになりこの一年一緒に過ごした。
 来た時と同じように突然トラビアに戻ると言われた時は驚いた。
「やっぱり今のトラビアガーデン、一人でも人手があった方がいいと思うんだ〜」
 明るい笑顔と声だった。
 セルフィはトラビアガーデンが破壊されたのを目の当たりにしたあの日でさえ、少なくとも人前では涙を見せなかった。
 自分たちと別れる事を決めたくらいで泣いたりしないのはわかっている。
 永遠の別れではなく、会おうと思えば会える。
 ここから離れる事はセルフィにとって大した事ではないのだ。
 だが確かに存在する距離がそんな単純な物でない事もわかっている。
 そんな事を考える事が筋違いなのはわかっていても、心に苦い雫のような感情が生まれたのは確かだった。
「保証はないけど、明日とか明後日とかそんなにすぐにいなくなったりしないよ」
 リノアにいつか言われた言葉だ。
 それを否定しながら「突然」はないのだといつか信じていた自分に驚いた。

「すごーい。きれーい!」
 船のデッキでセルフィは海を見てはしゃいだ声を上げた。
「ね〜、あっちでアイスクリーム売ってるよ」
 セルフィが笑顔で振り返った。そして隣に立つ少女の手を取ってそちらに向かった。
「……いいのか?」
 その質問にゼルは苦笑する。
「いいんじゃねえか?楽しそうだし」
 それはどちらの事なのかと思いながら売店の前でアイスを選んでいる二人を見る。
 くるりと外側にカールした髪といつも通り綺麗に結われた三つ編みの髪。
「一回セルフィと話してみたいって言ってたからな」
 ゼルはこちらを振り返った。
 視線に促され売店の方に同時に歩き出す。
「というより、良かったのか?こっちこそ」
「俺に聞くな」
 当初、SeeDの三人組で出かけるという計画だったドール行きは気付いたら付き合い始めたばかりのゼルの恋人もメンバーに入っていた。
 もちろん言い出したのはセルフィだった。
「ゼルの彼女が良かったら一緒にどうかな〜?」
 その提案に意義を挟む理由は特になく、こうして四人でドールへ向う高速船に乗っている。
「何がいいんだ?」
 アイスのショーケースの前で悩むセルフィに尋ねる。
 その質問にセルフィは、ん〜、と小さく唸った後カラフルなアイスの入ったカートンを指した。
「これがね、アイスにポップロックキャンディが入ってるんだって」
「……なんだ?それは」
 聞いた事のない単語に思わず考え込んでしまった。
「知らない? 食べると口の中ではじけるキャンディ」
 その食感を想像して思わず眉間に皺が寄る。
 おいしいのに〜、とセルフィは笑って言う。
 気が付くとゼルはアイスを買って図書委員の子に手渡していた。
「……これでいいんだな?」
 確認して売り子にアイスを注文した。
「え? はんちょが買ってくれるの?」
 セルフィは驚いたように目を開いた。
 基本的には男女同権だと思うし男が必ず払うべきだとも思わない。
 ただ、なんとなくここは自分が払うのが筋のような気がした。
「いいよ〜、気使わないで〜」
「……そっちこそ。いいから、食べろ」
 コインをケースのショーケースの上に置いてアイスを受け取るとセルフィに差し出した。
「可愛いわね。デート初めて?」
 20代半ばと思しいアイスの売り子の女性はほほえましい、というようにこちらを見ている。
「いいえ〜。友達の彼〜」
 セルフィは売り子の女性に笑いかけた。
「あら、そうなの?お似合いなのに」
「えへへ〜。かっこいいでしょ〜?じゃあ、遠慮なくいただきま〜す」
 セルフィは差し出したアイスを受け取ると付属のスプーンを取ってアイスを一口分すくった。
「はんちょも食べる?」
「いらない」
 アイボリーのバニラらしい生地に混ぜられたとりどりの色のキャンディ。
 ショーケースに記されていた名前は「ジュエルボックス」だった。
 食べ物としてはいかにもケミカルな外観であまり食欲をそそられなかったが上手い名前だと、それだけは感心した。
 セルフィはおいしそうにアイスを食べている。
 春先でまだ風は冷たい。船の上なら尚更だった。
 なのに嬉々としてアイスを食べている様子を見て、ただでさえ不可解な女性という存在がさらに謎を増したように思えた。
 それから間もなく船はドールに到着した。

「うわー懐かしい〜」
 予想通りセルフィは船を降りると真っ先に駆け出した。
「カニ、なくなってる〜」
 セルフィの言葉に図書委員の子はきょとんとした顔でゼルを見ていた。
 ガルバディアの無人機動兵器X-ATM092の通称はブラックウィドウだった。
「黒い寡婦」というのは本来蜘蛛の一種の名で、繁殖のために雄を食い殺す習性になぞらえてそう呼ばれるようになったのだという。
 しかし移動に必要な強度を確保するために脚部が太く、デザイン的に蜘蛛というより蟹だと言う意見がガーデンでは多かった。
 実地試験の撤退時、それに追われて危うく撤退どころか命が危なかった思い出が蘇る。
 ドールの国情もあってかなり長い間この砂浜に放置されていたがようやく撤去が終わったらしい。
 ゼルが実地試験の時のその経緯を説明しているのが聞こえた。
 そんな命がけの出来事の記憶さえ、今では笑って話す事ができる。
 生きている事はそれだけで奇跡なのだと今更ながらに実感した。
「あたしが最初いたのこの辺なんだ〜」
 砂浜から市街に抜ける道の途中をセルフィが指差した。
 そこには確かに公設の情報ネット用ステーションがあった。
「ここからずーっとはんちょ達を探して走ったんだよね〜。だって広場にいないんだもん」
 実地試験の時、班長はサイファーだった。
 受け持ちの中央広場から山頂の電波塔にガルバディア兵が移動するのに気付き、持ち場を離れてその後を追った。
「あれは、しょうがなかったんだよ。結果としてまあ、ああいう事だったけど」
 ゼルがわずかにすねたように声を上げた。
 撤退する時、X-ATM092のせいで市街への道はかなり破壊された。
 外壁の所々が新しい外壁材で補修されて色が違っていた。
 予想通りセルフィは雑談しながら注意深く道をチェックしていた。
「ね〜、お昼このへんで食べようか?」
 セルフィの言葉に全員が賛同し、昼食を摂る店を探す事にした。
 市街の中央部で昼食を摂った後、セルフィのリクエストだった電波塔の方へ向う事になった。
 試験の時はバトルしながら進んだせいもあって、普通に歩くと案外距離を感じなかった。
 山頂までの道は蛇行している。
 ゼル達が二人並んで歩いているので必然的にセルフィと並んで歩く事になった。
 リノアの方がセルフィより背が高い上、出かける時ヒールのある靴をはいている事が多いので、改めて並んで歩くとセルフィは思ったよりずっと小柄なのに気付いた。
「道、綺麗になってるね〜」
 セルフィの言うとおり試験の時は所々落石があったし、石畳もめくれていた。
 アデルセメタリーが落ちて電波放送が復活した事とガルバディアの撤退によりドールがかつての国家産業である観光に力を入れているせいだろう。
 道の途中には展望台への案内のプレートも取り付けられていた。
 山頂は綺麗に手を入れられ、ちょっとした店とベンチが整えられていて他にも観光に来たらしい若い男女が何組かいた。
「すご〜い。こんな感じだったんだ〜」
 セルフィは歓声を上げて周囲に巡らされた柵に沿って歩き始めた。
 ふと見ると、ゼル達は他のカップルに頼まれてカメラのシャッターを押していた。
 そして逆にカメラを向けられていた。
 そして何か会話を交わした後でゼルがこちらを見た。
「おーい!こっち来いよー!」
 ゼルがセルフィとこちらに交互に声をかけた。
「写真撮ってくれるって」
 近づくとゼルにカメラを頼んだカップルが他の二人はいいのかと聞いたらしい。
「わ〜、じゃあこれでお願いします」
 セルフィはバッグからデジタルカメラを取り出すと男の方に手渡した。
「ほら、はんちょはこっち」
 前列に女子二人、後列に男子という風に並んで四人でファインダーに収まった。
「あなた達はいいの?」
 カップルの女の方がセルフィに尋ねた。
 やはりここでもそういう風に思われたらしい。
「あたし達はいいです。ありがと〜」
 セルフィはにこにこと笑ってカメラを受け取った。そしてまたばらばらになり、ゼル達は売店の方に歩いて行った。
「……なんでだ?」
 思わずもれた言葉にセルフィが顔を上げた。
 意味がわからない、という風な顔を向けられて、初めて自分が思った事をそのまま口にしていた事に気付いた。
「はんちょはいいの?」
 セルフィは不思議そうにこちらを見ている。
 なんと答えればいいのかわからなくてただじっとセルフィを見た。
 セルフィはこちらの意図を察したのか再び口を開いた。
「はんちょがそういうの嫌いだと思ったんだけど。ほら、前はリノアとでも恥かしがってたから」
 リノアと付き合い始めの頃を突然口にされて戸惑った。今はそうでもないが女子と二人で写真に収まるというのに慣れなくてやたら写真を撮りたがるリノアからその時だけ逃げていた時期もあった。大抵全員で一緒にいる時はセルフィが写真を撮っていたからそういう風に思われても仕方ないかもしれない。
 その時初めて気付いたのは、セルフィとの間にある微妙な距離だった。
 SeeD候補生時代、極端な人嫌いだったせいであまり他人と口を聞かなかった。
 担任であるキスティスとの会話でさえなるべく回避していたくらいだったからクラスメートの殊に女子と話す事は殆どなかった。
 セルフィは転校して来たばかりという事もあってか、こちらの築いた壁にかまう事なく普通に話しかけてきた。
 リノアは別として、初めて出来た親しい女友達は紛れもなくセルフィだった。
 実を言えばリノアとセルフィは似ている。方向性はまるで違うが他人の壁を看破して相手と親しくなれる性格は共通している。
 むしろ最初は、リノアの方がセルフィに似ていると思っていた。
 だが決定的に違うのは相手との距離の取り方だ。
 リノアが一度好きだと思った相手は性別関わりなく、隙間なく近づこうとするのに対し、セルフィは相手の絶対領域までの距離を測り決してその内側には踏み込まない。その距離を保つのが礼儀だとでも言うように。もちろん二人ともそれは計算ではなく無意識でやっている。
 自分への愛情を隠さず与えてくれるリノアの傍は心地良かった。それは今まで体験した事のない幸福だった。
 セルフィの傍にいる時感じるのはそれと別種の心地よさだった。
 手先が触れるか触れないかの距離で自分を見ている猫のように、いつもセルフィは自分を見ている。
 窓辺の陽だまりのような暖かい気持ちだった。
 もしリノアと出会っていなかったら、今俺はどうしていただろう?
 思いがけなく浮かんだそんな言葉に感情が乱れた。
 何かが手の中からこぼれているような不安感。
 そんな感情が意識を支配した。
「スコールは真面目なんだよ。だから」
 突然の言葉に驚いた。
 セルフィが俺の名を呼ぶ。
 真っ直ぐにこちらを見て。
 いつも舌足らずに班長と呼ぶはずなのに。
「ごめんね」
 セルフィは真剣な、けれど薄い笑みを浮かべた顔で言った。
「何が……」
 ごめんなんだ、と言いかけて言葉が続かなかった。
「スコール、自分で気付いてないでしょ。責任感がすごく強い事」
 セルフィは先回りするように言う。
「たぶんこの一年、色々迷惑とかかけたと思うんだ、あたし」
「そんな事は……」
 言葉は全ていい終わらないうちに何かに絡め取られるように消えてしまう。
「でもあたし、スコールと一緒の班で良かったよ」
 太陽のような明るい笑顔。
 今、感情が支配するセルフィへの気持ちが恋に属するものだったら随分な殺し文句だと思う。
 セルフィは自分の傍からいなくなる。
 恋人ではなく、ただの友達ではない特別な人間。
 もっと早くこの思いに気付いていたら、心はどう揺らいでいたのだろうか。
 セルフィは手をつかんで止めることのできない立場に立っている。
「写真を……」
 どうにかつぶやけたのはそこまでだった。
 セルフィは不思議そうにこちらを見た。
 数瞬の沈黙の後、セルフィは瞳を瞬かせた。
「いいの?」
 視線の先でセルフィはバッグを開き再びカメラを取り出した。
「ああ」
 うなずいてセルフィに答える。
「俺が欲しいんだ」
「ありがとう」
 向けられたのはいつもと同じ笑み。
「誰に撮ってもらおうかな〜」
 セルフィは素早く辺りに視線を巡らせている。
「あ、すみません〜」
 セルフィは数歩の距離を横切ろうとしている中年の夫婦に声をかけた。セルフィの頼みに夫らしい男性がカメラを持ってこちらにレンズを向ける。
「彼、表情が固いよ」
 未だ笑い慣れない表情の薄さをからかい気味に指摘され、ようやく浮かべられたのは苦笑めいた笑みだった。けれど紛れもなくそれが今の自分の、本当の姿だ。
「ありがとうございます〜」
 カメラを受け取った後もセルフィはそれをしまわなかった。
 セルフィの事だ。きっとこの後、ゼルと、ゼルの恋人ともそれぞれ一緒に写すだろう。
「ね、ゼル達の所にいこ〜」
 予想通りセルフィは屈託のない声を上げてこちらを振り返る。
 展望台は春先のまだ冷たい空気に満たされている。
 着て来たコートの衿を直すとセルフィの後に続いた。
 半歩の距離。
 その心地よい距離を保ったまま、動きにつれて跳ねるセルフィの毛先を見るようにゼル達の方へ向かって二人で歩き始めた。



Fin