指輪
「いらっしゃいませ!あら、フルードさん、どうしたのその顔...」
「いや〜チョットねえ」
 セブンスヘブンの常連客の一人であるフルードは照れ臭そうに頭を掻きながらカウンターに座った。フルードの左の頬は真っ赤だった。
 どうやら誰かに殴られたか、あるいは平手打ちを食ったようだ。
「ティファさんいつものくれるかい?」
「あ、はい。今出すわね」
 ティファは冷えたビールの栓を開けてグラスに注ぐと、フルードに前に置く。フルードは待ってましたとばかりにそれを一気に飲み干す。
「ふう〜、やっぱりここで飲むビールが一番だなあ」
 ティファは空いたグラスに再びビールを注ぐ。フルードはやはりそれを一気に飲み干す。
 そうして3杯のビールを飲み干すと、ようやくフルードは落ち着いたようだった。
「フルードさん、落ち着いた?」
「ああ、ティファさんすまないねえ。この顔の事だろ?実はさっきまで妻と喧嘩していてね、平手打ちを食ったって訳さ」
「夫婦喧嘩だったの」
「理由は他愛もないことなんだけどね」
「どんな理由?」
「久々に妻にプレゼントで服を買ったんだけど、そいつが妻にはサイズが小さくて着れなかったんだよ。
 あいつが『私の服のサイズ覚えてなかったの』と訊くから、俺はつい『お前が太ったんだよ、昔は着れたはずだぜ』って言っちまった。
 それであいつは怒っちまって、しまいには『本当は別の女にあげる筈だったんでしょ』なんて言い出すもんだから、後は売り言葉に買い言葉、最後には平手打ちがバーン、っていう訳さ」
「そうだったの。でも、それはフルードさんがいけないわ。女性に『太った』は禁句よ」
「ああ、分かってる。でも、あいつが太ったのは事実なんだよ。ただ、そいつを口にするのはまずかったよな」
 フルードは4杯目のビールを飲み干した。
「それで、どうするの?」
「え?どうするって、ここで飲んだら帰るさ」
「だって、奥さん怒っているんでしょ?」
「いつもの事だよ。俺達は時々こうやって他愛もないことで喧嘩するんだ。まあ、こいつは俺達にとっちゃ一種のストレス発散みたいなもんでね」
「ふ〜ん、そうなんだあ」
 ティファは5杯目のビールを注ぎながら不思議そうな顔をして言った。
「そういやあ、おたくの所では夫婦喧嘩しないのかい?」
「しないわ。クラウドとは結婚前も含めて一度も喧嘩した事なんてないもの」
「そいつは珍しいなあ」
「夫婦喧嘩が普通なの?」
「普通といえるかどうか分からないけど、みんな大概一度や二度は喧嘩しているみたいだね。まあ、うちの場合は特別だけど。
 夫婦と言っても結局は他人だから、気持ちのすれ違いや誤解、それに嘘なんてしょっちゅうあるもんだ。だから喧嘩になる。
 夫の帰りが遅ければ浮気でもしているんじゃないかと妻は思うし、妻がチョット派手な服を買えばそれを誰に見せるんだという具合にね。
 普段はそれでも口にはしないんだけど、ふとしたキッカケでそういう思いがぶつかり合う、つまり夫婦喧嘩だ。
 でも、終わるとお互いに言いたい事を言ってむしろスッキリするんだよ。もっとも、夫婦喧嘩がキッカケで別れる夫婦もいる事も確かだけれどな」
「そういうものなの...」
「もちろん喧嘩しない夫婦だっていることはいる、少数派だろうけどね。結局は互いの関係なんだよ。普段から何でも言えるなら喧嘩は必要ない。
 ティファさんところもそうなんだろ?」
「考えた事ないけど、きっとそうなんだよね」
 ティファはクラウドに疑念を持ったりする事は今まで無かった。何でも言い合える関係なのか分からないけれど、少なくとも自分はクラウドを信じてる。
 クラウドだってきっとそう。クラウドが自分に疑念を持つなんて考えられない。
「ふう〜、そろそろ頃合いかな?帰るとするか」
「夫婦喧嘩も程々にね」
「そうだな、こんな顔してちゃあみんな不思議に思うよな。ごちそうさま、また来るよ」
 フルードは勘定をカウンターに置いて店を出ていった。

(夫婦の在り方っていろいろあるんだな...)
 ティファはフルードのグラスを片付けながら自分たちの夫婦生活をふと思っていた。


    ************************************


 日差しは夕陽に代わり、空を、街を赤く染め上げつつある。
 連絡船はその中をコスタ・デル・ソル港にゆっくりと滑り込んでいった。
 やがて船は港に停泊し、タラップから乗客が降りてくる。その中にはクラウドの姿もあった。

「本当に助かりました。いや〜クラウドさんがいてくれなければ、私は今頃モンスターの餌になっていたかもしれないですよ」
 商人風の男はクラウドの手を握り、感謝の言葉を並べ立てた。
「最近は同じボディガードでも、危なくなると依頼主を置き去りにして逃げるような輩もいると聞きますんでね。
 恥ずかしながら、正直私もクラウドさんを最初は疑っていたところもあるんですよ。でも、クラウドさんは本当に強い。
 正真正銘のボディガードだ。本当に私は幸運だったと思ってるんですよ」
「これも仕事ですから」
 クラウドは少し困惑気味に微笑んだ。

 クラウドはこの商人に依頼され、ボディガードとして5日間旅に帯同した。そして、コスタ・デル・ソルに到着し、その仕事を終えたところだった。
 確かにこの男の言う通り、この旅は危険とされる地帯を通ることが多く、数多くの強力なモンスターに遭遇した。
 恐らく、クラウド以外が帯同していたなら、この男の言うように彼は置き去りにされていたかもしれなかった。

「これはお約束の報酬です。それと、これはほんの私の感謝のしるしです、受け取って下さいな」
 商人は報酬の金と、それとは別の袋に入った金を渡した。
「いや、これは受け取れないよ。俺は何も特別な事をした訳じゃない」
 クラウドは報酬の金だけを受け取り、もう一つの袋は商人に返そうとした。
「困りましたな・・・そうそう、これはクラウドさんじゃなく、奥さんへの感謝のしるしとして受け取ってもらえませんか?」
「妻への、ですか?」
「ええ。クラウドさん、この5日間は家を空けたわけですから、奥さんに大層寂しい思いをさせましたよね。
 だから、これで何かプレゼントでも買って帰られたらいかがです?」
「プレゼント...」
 クラウドは家で待つティファの姿を思い浮かべた。そういえば、こんなに家を空けたのは初めてだった。
 きっとティファは寂しかっただろう。自分自身も毎晩ティファの事を想っていたような気がする。
 一緒にいるのが当たり前になった今、5日間は寂しさを募らせるに充分な時間だ。
「これから街で買っていきなさいな。奥さん、きっと喜びますよ」
「しかし...」
「これはあくまで奥さんへの謝礼です。遠慮なさらずに」
 クラウドは躊躇したが、ティファにプレゼントを買って帰りたいのは確かだった。
「・・・すいません、これ、有り難く使わせてもらいます」
「どうぞどうぞ。では、私はこれから帰ってしなくてはいけない仕事が残ってますから、これで失礼しますよ。
 今度また遠くへ行くような事があったら、またクラウドさんにボディガードをお頼みしてもいいですか?」
「ええ、その時は遠慮なく声を掛けてください」
「またお会いする事になるとは思いますが、その時はよろしくお願いますね。では、これで」
 商人は軽く手を振って去っていった。
 クラウドは時計を見た。少しは買い物をするくらいの時間はあった。
(プレゼントか・・・・そういえば、俺達が結婚してからもうすぐ一年になるが、プレゼントなんてした事なかったな)
 二人で目覚め、二人で食事をし、二人で話し、二人で眠る・・・それは当たり前のように思っていた。
 もちろん、愛し合っている。でも、それを意識する事はなかった。それは当たり前の事だから。
 だが、この5日間という時間は、それがかけがえのない幸せだった事を気付かせてくれるに充分だった。
(本当は俺が自らプレゼントに気付かなければいけないんだよな)
 クラウドは苦笑して、街中へ向かって歩き出した。

(プレゼントか、でも、何を買ったらいいんだろう?)
 プレゼントを買うと決めたものの、何を買ったらいいかクラウドは考えていた。服も考えたけれど、自分には選べるようなセンスは無かった。
 やがて、クラウドは宝石店の前で立ち止まった。
(そうだ、指輪なんていいんじゃないか?)
 宝石なら確実に女性に喜ばれるだろう。これなら無難に喜ばれるだろう。そう思ってクラウドは宝石店に入っていった。

 宝石店に入り、ウィンドー越しに並べられた宝石を見て回る。意外に種類や大きさもいろいろあって、選ぶのに迷いそうだった。
 宝石なんてどれも同じ、大きいか小さいかで値段が違うくらいで、予算が決まれば買う物も自ずと決まるとばかり思っていたが、どうやらそうではないらしい。
「お客様、お悩みのようですね。プレゼントですか?」
 女性の店主が見かねてクラウドに声を掛けた。
「妻に贈ろうと思っているんだけど、いろいろ大きさや種類があって選ぶの難しいね」
「それなら、誕生石ならいかがでしょうか」
「誕生石か・・・なるほど」
「奥様の誕生日は何月ですか?」
「5月だけど」
「5月ならば、誕生石はエメラルドですね。エメラルドはこちらになります」
「エメラルドか...」
 店主に示されてクラウドはウィンドーを覗き込んだ。実際、クラウドは宝石の名前くらいは知っていたが、どんな物なのかは殆ど知らなかった。
 クラウドが良く知っている宝石と言えば、それはマテリアくらいなものだった。
 エメラルドは淡い緑色をしていて、とても美しく見えた。例えていうならエアリスの瞳のようだった。
「綺麗だね」
「これなんていかがでしょうか?お値段も手頃だと思いますよ」
 店主が取り出した指輪には決して大きいとはいえなかったが、むしろ嫌みの無い大きさのエメラルドが輝いていた。
「そうだね、それにするよ」
「ありがとうございます」

「私も、それと同じくらいの大きさのエメラルドの指輪が欲しいのだが」

 その時、クラウドの横から声がした。見ると身なりの良い紳士が立っていた。
「あ、はい。それでは、これなどいかがでしょうか?」
 紳士は店主が差し出した指輪を覗き込み、そして頷いた。
「うん、これもいい。では、これを買うとしよう」
「ありがとうございます」
 店主は同時に二つも宝石が売れて嬉しそうだった。
「お客様も奥様へのプレゼントですか?」
「ええ」
「それなら、指輪にイニシャルを彫って差し上げますが、よろしいですか?」
 クラウドもその紳士も頷いた。
「では、こちらにイニシャルを書いてください。これから作業いたしますので、二時間程かかりますが、よろしいですか?」
 二人は再び頷き、指定された紙にそれぞれイニシャルを書き込んだ。クラウドは「T.S」、紳士は「M.W」と書いた。
「はい、承知しました。では指輪の代金、5000ギル頂戴いたします」
 二人はそれぞれ代金を支払う。
「ありがとうございます。それでは、二時間後に受け取りにいらして下さい」

 クラウドは店を出たが、どう時間を潰そうか考えあぐねていた。二時間という時間はどうにも中途半端な時間だ。
(さて、どうしたものかな)
「あの、失礼ですが」
 クラウドが振り返ると、同じ指輪を買った紳士だった。
「ぶしつけで恐縮ですが、これも何かの縁、少し飲みませんか?二時間もここで待つのも辛いですし、私がおごりますから」
「そうですね。でも、おごりは無しにしましょう」
「では、割り勘という事で。近くにいい店を知っているんですよ」
「いいですね」
「では、行きましょう」
 紳士は歩き始めた。クラウドは紳士についていった。往来を抜け、小さな路地に入ると、やがて小さな店の前で紳士は立ち止まった。
「ここがそうです。さあ、入りましょう」
 クラウドは店の小さな看板を見上げた。『夏のオアシス』と書かれていた。
 二人は店に入っていった。

 店はこんじまりとして、カウンター席が10、テーブルが5つ程あるだけだった。それでも店内は陰気な感じは無い。
 既に店内は先客で埋まっているようだった。
「おや、ワイルダーさんじゃないですか、いらっしゃい!」
 店のマスターが紳士に気が付き、声を掛けた。
「こんばんわマスター、どうやら満席のようですね」
「大丈夫ですよ、奥の特別席は空いてますから。どうぞそっちを使って下さいな」
「マスター、悪いね」
「いいんでさ、ワイルダーさんにはいつもひいきにしてもらってましたから。今晩発つんですか?」
「いや、明日の最終便にしたよ」
「そうですか、寂しくなりますねえ・・・さあ、どうぞ奥へ」
「ありがとう、マスター」
 二人はマスターに案内されて奥の部屋に入った。そこには小さなテーブルが一つ置いてあるだけだった。
 二人が席に着くと、マスターが小料理と水を運んできた。
「今日は珍しくお仲間と一緒なんですね」
「いや、この方はさっき宝石店で知り合った方で、私がお誘いしたんだ」
「そうですか。ワイルダーさん、いつものでいいですか?」
「ああ、頼むよ」
「お連れさんは何にいたします?」
「同じのでいいよ」
「旦那、あれはチョットきついですぜ。いいんですか?」
「構わない。酒は強い方なんでね」
「分かりました。では『エンジェル』を二つですね」
 マスターは店の奥へ消えていった。

「大丈夫ですか?名前は優しそうですけど、『エンジェル』はかなり強いですよ。私も最初は「昇天」したくらいですから」
「妻の作るカクテルもかなり強いから、たぶん大丈夫ですよ」
「奥様がカクテルを?」
「妻は店をやっているんです。俺はいつも実験台でいろんなカクテル飲まされました」
「そうなんですか・・・あ、遅れましたけど、私はティム・ワイルダーと言います」
「クラウド・ストライフです」
「失礼ですが、先程の指輪は奥様へのプレゼントでしょうか?」
「ええ。5日程仕事で家を空けたし、それに結婚記念日も近いので」
「そうでしたか。奥様きっと喜びますよ」
「だといいんですが。ワイルダーさんも奥さんへのプレゼントですか?」
「はい。私は旅行関係の仕事をしていましてね。その関係で出張でこちらに半年ほど滞在していました。
  明日ようやく帰るのですが、半年も独りぼっちにした罪滅ぼしといいましょうか、それで妻に指輪でもと思ったのです」
「半年ですか・・・それはきっと奥さん喜びますね」
「いや、むしろ困惑するのではないかと思っているんです。何しろ結婚してもうすぐ10年になろうというのに、プレゼントを贈るのは初めてですから。
 結婚しても私は仕事が忙しく、仕事柄、家を空ける事も多かった。その頃の私は仕事が中心で、殆ど妻に優しい言葉一つかけずにいました。
 私はそれが当然の事だと思っていました。あの伝説を聞かされるまでは。
 こちらへ来て、伝説の娘の話をふとしたキッカケでマスターに聞かされた私は、自分にとって大切なもの、守るべきものが何であるかを考えさせられました。
 指輪を贈ろうと思ったのも、その話に触発されての事です。でも、妻は私の心の変化を知りません。だからきっと困惑するのでは、そう思うのです」

 マスターが酒と肴を運んできた。
「エンジェルです。お連れの方、こいつは一気に飲んじゃいけませんよ。あっという間にイッていまいますから。ゆっくり、少しづつ飲んでください」
「ああ、分かった」
「では、ごゆっくり」
 マスターは再び店の奥へ消えた。
「さあ、飲みましょう。さっきマスターも言いましたけど、この酒は少しずつゆっくり飲んだ方がいいですよ」
 クラウドはグラスを手に取る。エンジェルという名のカクテルは、澄んだ水色をしている。見た目には強そうには見えなかった。
 クラウドはエンジェルを軽く口にしてみた。すると熱いものが喉から内蔵の中を駆けめぐるような感覚を覚えた。
(これは確かにキツイ。プレミアムハートといい勝負だ)
 もう一口飲んでみる。今度は味を確かめることが出来た。
 味は悪くない。むしろとても旨い。だが、この美味しさを分かるにはかなり酒に強くなくては分からないだろう。
「クラウドさんはこの酒の旨さが分かるようですね。この酒は強いけれど、本当は旨い酒なんです」
「名前通り、昇天させてくれる酒ですね」
 クラウドはこのカクテルの作り方を知りたいと思った。ティファのカクテルのレパートリーに加えたいから。
 いつかティファを連れてここに来ようかと思った。
「そういえば、さっき伝説について話していましたが、どういった話なのですか?」
「3年前、ミッドガルを襲った巨大隕石の事は知っていらっしゃいますよね。伝説はあの巨大隕石の危機を救った一人の娘の話なんです。
    『その娘は不思議な力を持っていました。
     巨大隕石落下の危機を知った彼女は自分にはそれを止める力がある事を知っていました。
     ただ、それには彼女の命が必要でした。
     彼女は生涯で最大の選択をしなければなりませんでした。
     彼女は愛する人がいました。彼女は悩みました。
     彼女は愛する人を取るか、自らを犠牲にして巨大隕石を止めるか。
     結局彼女は星を守る道を選びました。それが愛する人を、全てのものを守る唯一の手段ならばと。
     彼女はメテオ破壊の魔法を唱え、そして自らの命を捧げました。
     愛する人を自分の親友に託して...』
 というお話です」
「・・・」
「私が感動したのはこれが実話だったという事です。彼女は愛するものを守るためにその命を捧げた。なのに自分は愛する人を護る事さえ忘れてしまっている。
 この話を聞いて、私は自分が恥ずかしくなりました。自分は何のために働いているんだろう?それは愛する人の為ではなかったのかと。
 この伝説は自分にとって何が一番大事かを気付かせてくれたんです」

「そうだったんですか...」
 クラウドはそう言いながら、伝説の娘の事を想った。
(エアリス...君の事がいつの間にか伝説になっていたんだね)
 エアリスの事は多くの人が知っている訳ではない。どうして伝説になったのか・・・いや、それはあえて問うまい。
 今、エアリスの想いは伝説という形で多くの人の心の中に生きている。それで充分だった。
 伝説は決して嘘はついていない、おおむね真実を語っていると思った。だた、一つだけ真実とは違う。
(エアリス、君は帰ってくるつもりだった。最後の瞬間まで、君は生きようとしていたよな。最後の笑顔、俺は忘れる事が出来ない。
 君は『クラウド、迎えに来てくれたのね』そう言いたかったんだよね)

「どうしました?」
「あ、いえ、いい話だなと思っていたんです。・・・俺も妻の事を大事にしなくてはと思っていたんです」
 クラウドは束の間、想い出の中にいた。エアリスとの出会い、そして別れ...。
「私のようにはならないで下さいね。今度のプレゼントも、妻がどう思うか心配になるくらいですから。
 きっと妻は急に優しくなった夫を不思議に思うでしょう。もしかしたら浮気しているのでは・・・そう勘ぐるかもしれません。
 何しろ今までが今までですから。そう思われても仕方ないのかもしれませんが」
「きっと奥さんは分かってくれますよ。奥さんだけはワイルダーさんの優しさを知っている筈ですから。
 口に出して言わなくとも、きっとワイルダーさんの心遣いは感じている筈ですよ」
「そうでしょうか・・・そうであってくれるといいのですが」
「きっと、そうですよ」

 二人は小一時間酒を飲みながら語り合っていた。

 二人が宝石店に戻ると、既に指輪は出来上がっていた。
「お待ちどうさまです。こちらがクラウドさんの、こちらがワイルダーさんのですね」
 二人はそれぞれプレゼント用に包装された宝石箱を受け取った。
「ありがとうございました」
 店主の声に促されて、二人は店を出た。
「クラウドさん、先程はとても楽しかったです。また、いつかお会いしたいですね」
「ニブルヘイムの近くへ来た時は『セブンスヘブン』へ来てください。プレミアムハートをご馳走しますよ。
 こいつは俺専用のカクテルだけど、ワイルダーさんには特別に飲んで欲しいです。これもかなりキツイですけど」
「ええ、是非立ち寄らせていただきます。クラウドさんもこちらへ来る機会がありましたら、是非訪ねてください」
「分かりました」
「では、この辺で失礼します」
「ええ、またいつか会いましょう」
 ワイルダーは街中へ消えていった。クラウドは時計を見た。これからチョコボを飛ばせば今夜中に帰れそうだ。
(さて、急いで帰らなくちゃな)
 クラウドは小走りに町外れを目指した。


    ************************************


 クラウドがニブルヘイムに帰り着いた頃は、夜も更けていた。セブンスヘブンももう閉店していた。

「ただいま」
「あ、クラウドお帰りなさい!」
 クラウドがドアを開けると、ティファはソファで本を読んでいた。
「ごめん、もっと早く帰るつもりだったが、寄り道をしていたから遅くなった」
「ううん、いいの。クラウドが帰ってくるのは分かっているから。それより、疲れたんじゃない?」
「ああ、少しね。でも、家に帰ってきたら疲れも吹き飛んだよ。やっぱり我が家はいいな」
 クラウドは上着を脱ぎながらクラウドは家の中を見回した。見慣れたものばかりだったが、5日振りに見ると、懐かしくも新鮮に見えてくる。
「クラウド、食事にする?お風呂なら沸いているわ」
「食事は食べてきたからいい。それより風呂に入りたいな」
 クラウドは何気なくダイニングの方を見た。テーブルの上には御馳走が並んでいる。
「ティファ、あれは...」
「あ、クラウドがもっと早く帰ってくると思って作っておいたの。でも、食べてきたならいいわ。気にしないで」
「すまないな」
 あれだけの御馳走を作るにはティファであってもそれなりに時間はかかった筈だ。きっと店を早く閉めて作っていたに違いない。
 たった5日間であっても、ティファにとっては永い時間だったのだろう。それは自分にとっても同じだった。
 でも、クラウドには何も言えなかった。今の自分にはあれを食べる事は出来ないから。
「クラウド、お風呂に入って。きっと気持ちいいわよ」
「ああ」
 クラウドはバスに向かおうとしたが、プレゼントの事を思い出して、ポケットからラッピングされた宝石箱を取り出した。
「ああ、ティファ、これ」
 クラウドはティファに宝石箱を差し出した。
「これって...」
 ティファはそれを受け取ると、クラウドを見た。
「5日も留守にしたし、それに結婚記念日も近いから、買ったんだ」
「クラウド...ありがとう」
「じゃあ、風呂に入ってくるよ。その間に開けてみてごらん」
「うん」
 クラウドはバスで服を脱ぐと、風呂にゆっくり浸かった。決して広い湯船ではなかったが、クラウドは心からゆったりとした気持ちになれた。
 それは旅先では決して感じることの出来なかった心地よさだった。
(やっぱり家で入る風呂が一番だな...今頃ティファは指輪をはめているだろうな。早くあいつの喜ぶ顔が見たい)
 クラウドは湯船に身体を投げ出し、ゆっくりと眼を閉じる。暖かさが身体中に染み込んでくるようだった。そして脳裏にはティファの喜ぶ顔が浮かんでくる。
 クラウドは自然に笑みが浮かんでくるのを禁じ得なかった。

 クラウドが風呂から上がり、寝間着に着替えてバスから出てくると、居間ではティファがちょっと悲しそうな顔をして座っていた。
「どうしたんだ?」
「クラウド、これ、私の指には小さ過ぎる」
「え?そんな筈はないが...」
 ティファ指先を見る。指輪はティファの指先で止まり、それ以上は入らない。確かにティファの指にはサイズが小さ過ぎる。
「それにこの指輪、内側に『to M.W』って彫ってあるわ」
(M.W・・・まさか...)
 クラウドは指輪を手に取り、内側を覗いてみる。確かに内側に『to M.W』と書いてある。
 クラウドは宝石店の店主が間違えて指輪を渡したんだと確信した。
「宝石店の店主が間違えたんだ!これはワイルダーさんが買った指輪だ」
「ワイルダーさん?」
「ワイルダーさんは俺と同時に同じ指輪を買ったんだ。やっぱり妻へのプレゼントとしてね」
 クラウドはワイルダー氏との出会いについてティファに説明した。
「それじゃあ、あちらでも気が付いているわね」
「それが、ワイルダーさんは明日の船で帰る予定だから、きっとまだ気が付いていない筈だ。帰る前に指輪を交換しないと...」
「どうするの?」
「明日、コスタ・デル・ソルに行くよ。きっと会えるはずだ」
 ワイルダーの乗る船は5時の最終便だから、時間的には充分な余裕があるはずだった。
「とにかく今日は遅いから寝よう。俺も疲れたし」
「そうね、もう寝ましょう。クラウドは先に寝てて。私は片付けをするから」
「そうか、それじゃあ先に寝るよ」
 クラウドは階段を上がっていった。

 ティファはせっかく作った御馳走を片付けながら思った。
(ゴメンね、クラウド。私、『to M.W』の文字を見た時一瞬だけどあなたを疑った。
     『夫婦と言っても結局は他人だから、気持ちのすれ違いや誤解、それに嘘なんてしょっちゅうあるもんだ』
 ・・・誤解してたのは私だったわ。ゴメンなさい...)


    ************************************


 翌朝、クラウドははチョコボに跨りコスタ・デル・ソルへ向かった。

 ティファは掃除、洗濯を済ませると、セブンスヘブンに向かった。セブンスヘブンは昼のランチタイムから開店する。
 ティファは開店前のがらんとした店内で開店の準備を始めていた。
「キィ・・・」
 そんな時、店のドアを開けて入ってくる者がいた。ティファには初めて見る人物だった。
「あ、すいません、開店はお昼からなんですけど」
「ティファさん、ですか?」
「はい、私がティファですけど」
「私はワイルダーという者ですが、クラウドさんにお会いしたいんですが」
「ワイルダーさん・・・あ!もしかして指輪の事ですか?」
「はい。ご存知でしたか」
「クラウドから聞きました。でも、クラウドはあなたに会いにコスタ・デル・ソルへ行ったんです」
「入れ違いでしたか...私も昨晩気が付いて、今朝慌ててこちらへ伺ったのです」
「どうしましょう?」
「それなら私もこれからコスタ・デル・ソルに戻ります。これから行けば会えるでしょう。お仕事中申し訳ありませんでした」
 ワイルダーは会釈をすると、クルリと背を向けた。
「あ、待ってください!」
 ティファの声にワイルダーは再び向き直る。
 ティファは一瞬迷ったが、やっぱり自分の想いに素直になるべきだと思った。
「あの・・・私も一緒に行ってもいいですか?」
「ええ、それは構いませんが。お店はいいんですか?」
「今日は休みにします。今日はクラウドの休暇の筈だったので、もともと休みにしようと思っていたんです」
「分かりました。では、私はそこの給水塔の前で待っていますので、準備が出来たら来てください」
「すいません、直ぐに行きますから」
 ティファは急いで店を閉めて家に戻る。早くクラウドに会って謝りたかった。クラウドの言葉に嘘はなかった。


    ************************************


 クラウドはラグナロクを振り下ろす。モンスターは断末魔の叫びを上げながらその場で息絶えた。
(ふう、またモンスターと遭遇した。もう何回戦っただろう)
 コスタ・デル・ソルへ最短距離で行こうとして山越えのルート選んだのだったが、どうやら裏目に出てしまった。
 何度もモンスターと遭遇してしまったために、通常のルートよりも却って時間が掛かってしまっている。
 しかも雲行きも怪しくなってきた。
(これはひと雨くるかもしれない。とにかく急ごう)
 クラウドはチョコボに跨った。


 結局クラウドがコスタ・デル・ソルに到着したのは2時を回っていた。
 それでも雨が降らなかったのは幸いだった。だが、風も強くなってきており、嵐が近いのかもしれない。
(とりあえず、宝石店に行ってみよう)
 クラウドは宝石店に向かった。

 宝石店で事情を話すと、店主は平謝りだった。ワイルダー氏は来なかったようだ。
「申し訳ありません。これから指輪をもう一度作りますから」
「いや、それよりも一緒に買ったワイルダーさんが気掛かりだ。とりあえず会いに行ってくる。
 この指輪は預けておくから、すまないが、ワイルダーさんが来たら交換してやってくれないか」
「はい、分かりました。必ず交換いたします」
「じゃあ、また来るよ」
 クラウドが店を出ると、既に雨が降っていた。大粒の雨だ。そう簡単には止みそうにもなかった。
 クラウドは雨に濡れながら、ワイルダー氏の宿泊しているホテルへ小走りに急いだ。
(ワイルダーさん、やはり気が付いていなかったか...ホテルにいてくれるといいが)

 ホテルへ駆け込むと、ロビーでワイルダー氏の部屋を尋ねた。
「ワイルダーさんはまだ滞在していますか?」
「ワイルダーさんですか・・・あ、それでしたら今朝早くチェックアウトされましたが」
(まさか、予定を早めたのだろうか)
 クラウドは港に行く事にした。まだこの街にいるならば、港にいる可能性が高い。
「分かりました。港に行ってみます」
「あ、船でしたら、3時のが最終になるそうですよ。5時のは天候不順で欠航になるそうです」
(3時!もうすぐ出航の時間じゃないか)
 クラウドは時計を見る。2時45分だった。
 クラウドは再び雨の中を港に走り出した。雨足はいっそう強くなっていたが、クラウドにはそれには殆ど無頓着だった。
 街中を駆け抜け港に向かう。ずぶぬれになりながら。すれ違う人々は怪訝そうな顔をして振り返るが、クラウドにとってはどうでも良い事だった。
(間に合わないんじゃないか?いや、もうワイルダー氏はその前の船に乗っているかもしれない)
 そんなクラウドの心の中でそんな自分の囁きが聞こえてくる。それを別の自分が打ち消す。
(ワイルダー氏はまだいる可能性だってあるじゃないか。とにかく港へ急ぐんだ)

 やがて港が見えてきた。もうすぐだった。
 だが、その時、出航を告げる汽笛が港に鳴り響く...。
 クラウドが港に到着したとき、船は既にゆっくりと岸から離れていくところだった。
(間に合わなかったか...)
 クラウドはその場に立ち尽くした。
 ワイルダー氏はあの指輪を、恐らく彼の妻には大き過ぎる指輪を渡すのだろう。そしてその指輪が間違っていた事を知るのだろう。
 だが、指輪を交換するのは不可能に近い。ワイルダー氏の落胆はいかばかりか...クラウドにはそんな光景が浮かんでくる。
 船は港を離れていった。
(仕方無い、やれるだけの事はやったんだ...)
 クラウドは自分にそう言い聞かせ港を背にして歩き始めた。正面おぼろげにに一組の男女が傘を差して立っている。
(見送りか...)
 そう思いながら歩いてゆくと、男女の姿が次第にハッキリと見えてきた。
(変だな、女の方がティファに見えてくる。俺はどうかしているな)
 女性の方がこちらの方へ歩いてくる。女性の顔はやはりティファの顔にしか見えない。
(ティファなのか?)
「クラウド!」
「ティファ!」
 それはまさしくティファだった。やはり自分が見間違える事などなかったんだとクラウドは思った。
「クラウド、大丈夫?こんなにずぶ濡れになって...」
 ティファは傘を差しだし、濡れたクラウドの髪をタオルで拭った。
「ティファ...どうしてここに?それに一緒にいる男性は...」
「クラウドさん、すいません私のために...」
「ワイルダーさん!」
「話は後よ、とにかく服を着替えなきゃ駄目。行きましょう」
 ティファはクラウドに寄り添う。3人は街に戻っていった。


    ************************************


 3人はとりあえず小さな宿屋に落ち着いた。クラウドは直ぐに風呂に入り、冷えた身体を暖めた。
 風呂から出ると、脱衣所には着替えが置いてあった。ティファはちゃんと着替えを持ってきてくれていた。
「クラウド、大丈夫?風邪引かなかった?」
「ああ、大丈夫だよ」
「良かった。心配したんだから」
「私も安心しましたよ。私のために風邪を引かれては私はどうお詫びしてよいのか...」
「ワイルダーさん、気にしないでください。これは俺が勝手にしたことですから。それよりも、船にはどうして乗らなかったのですか?」
「クラウド、ワイルダーさんも指輪が違っているのに気付かれてニブルヘイムに来ていたの。クラウドとはすれ違いだったの」
「私が軽率でした。クラウドさんならきっと今日こちらへ来るに違いなかったのに。でも、不思議ですね、途中でクラウドさんとはすれ違ってもいいはずですが」
「山越えのルートで行ったんですよ。早く着くために選んだんですけど、結果的にはむしろ通常のルートより遅くなりました」
「そうですか、でも、お会い出来て良かった」
「クラウド、今、コーヒー入れるね。あ、コーヒー買ってこなくっちゃ!ちょっと買いに行ってくるね」
 ティファは外に出ていった。

「いい奥様ですね。いつもクラウドさんの事を気に掛けていらっしゃる」
「ええ、俺は彼女に支えてもらっているようなものです」
「愛していらっしゃるんですね・・・ああ、そうだ、これを渡さなくては」
 ワイルダーは懐から宝石箱を取り出した。
「こちらがクラウドさんの指輪でしたね」
 クラウドも指輪を取り出そうとした。が、服を着替えたのだからある筈がない。
「すいません、確かさっき脱いだ服の中にある筈なんですが」
「指輪なら先ほどティファさんから受け取りました。確かに私が買った指輪でした。こちらもどうぞ確認してください」
 クラウドはワイルダー氏から宝石箱を受け取る。宝石箱を開け、指輪を取り出す。内側を覗くと『to T.S』と刻まれている。
「確かに俺が買った指輪です。ありがとうございます」
「これで私も安心しました」
「でも、帰りが一日延びてしまいましたね。奥さんには...」
「連絡しました。ご心配はいりません。実は今回の出張も3ヶ月の予定が延びに延びて半年になってしまったのです。
 こういう仕事をしていますと、こういった事は良くある事ですから、妻も慣れていますので。
 あ、そうそう、早速指輪をティファさんに差し上げて下さい。ちょとした手違いで遅れてしまいましたからね。
 では、私は部屋に戻ります。よろしかったら後で例の店に行きましょう」
「例の店、行きましょう。後で伺います」
「お待ちしていますよ」

 しばらくしてティファが帰ってきた。
「あら、ワイルダーさんは?」
「ああ、さっき部屋に戻った」
「そうなの・・・とにかくコーヒー入れるね」
「ティファ、ちょっといいかい?」
「何?」
 ティファはクラウドの側に来た。
「これ。今度こそ本当の指輪だよ。指を出してごらん」
 ティファは手を指し出す。クラウドは指輪をティファにはめる。今度はピッタリだった。
「ちょっと遅くなったが」
「綺麗...ありがとう、クラウド」
 ティファはニッコリ笑った。クラウドはこのティファの笑顔が見たかったんだ、と思った。ティファの喜ぶ顔を見て、今日一日の苦労が報われた気がした。
「なあティファ、相談なんだけど、今日はこのままここに泊まらないか?」
「そうねえ、これから帰ると夜遅くなっちゃうし、たまには外泊もいいわね」
「店は大丈夫かい?」
「夕方までに帰れれば店は大丈夫よ。みんなには悪いけど、ランチは休ませてもらうわ」
「そうか、じゃあ決まりだな。それから夕食なんだけど、ワイルダーさんに誘われているんだ。酒と料理が旨い店があるんだ。一緒に行こう。
 特にティファの『プレミアムハート』くらい強いカクテルがあってね。『エンジェル』っていうんだけど、ティファにも教えてあげたいと思っていたんだ」
「『エンジェル』・・・どんなカクテルなのかしら。楽しみだわ」
「後でワイルダーさんの部屋に行こう。でも、その前に身体を休めないとな。ティファ、コーヒーくれるかい?」
「あ、はい、今いれるね」


    ************************************


「お待ちしてましたよ。例の席を取ってありますんで」
 ワイルダー氏、クラウドとティファの3人が『夏のオアシス』に入ると、マスターはあの特別席に3人を案内した。
「マスター悪いね、無理なお願いだったんじゃなかったかな」
「いいんですよ。それに今日はべっぴんさんが来るというじゃありませんか。楽しみにしていたんですよ。
 いやあ、本当にべっぴんさんですな。こういう人がこの店に来るなんてそうそう無いですからねえ」
「マスター、この方はクラウドさんの奥さんだ。残念だったね」
「そりゃあ残念。・・・ところでご注文は?」
「ああ、例のやつを。それから適当に料理を作ってくださいな。クラウドさん達はどうします?」
「俺も同じのを頼むよ。ティファは飲み物は何にする?」
「そうねえ・・・じゃあ、私もその例のっていうのにする」
「おい、ティファ、例のってさっき言った『エンジェル』だぞ。いいのか?」
「試しに飲んでみるわ。だって飲んでみないと分からないもの」
「そう言うなら・・・じゃあマスター例のをもう一つ」
「エンジェルを3つですね、早速作りますんで少々お待ち下さい」

 やがてマスターがエンジェルと料理をいくつか運んできた。
「これがエンジェルね。見た目は普通のカクテルに見えるけど」
「気を付けて飲んだ方がいいよ。本当にキツイから」
「ちょっとだけ飲むだけだから。後はクラウドに任せるわ。では、とりあえず乾杯!」
 3人はグラスを合わせる。クラウドとワイルダー氏はティファに注目した。ティファはエンジェルを軽く口にする。
 ティファは思わず顔をしかめた。
「うわ、これ本当にキツイ〜」
「プレミアムハートに較べてどうだい?俺は同じくらいキツイと思うけど」
「あれは適度に甘みを加えてるから飲み口は好いけど、こっちはストレートにお酒の味がするわ。強さは同じくらいね。
 私にはちょっと飲めないわ、後はクラウドに任せる」
 そう言ってティファはグラスをクラウド前に置いた。
「ティファには無理だよ。人に飲ませるのは上手いけど、自分では殆ど飲まないからな」
「だって、マスターが酔っちゃったら話にならないでしょ。でも、自分の作るカクテルは全部自分で味見してるよ。
 さすがにプレミアムハートはちょっと口にした程度だけど」
「クラウドさんに聞いて、私も噂のプレミアムハートを飲みたいと思っていたんですよ。
 今日ティファさんに店に行って、運良くクラウドさんにお会い出来たら、是非プレミアムハートを一杯いただけないかと密かに思っていたんです」
「それなら、言ってくれたらすぐにお出ししたのに」
「まさか初対面でいきなりは・・・はは、今度こちらの方に来た折りにでも立ち寄らせていただきますよ。その時はお願いしますね」
「はい...」
 ワイルダー氏の話を聞いていただけに、ティファはプレミアムハートを飲ませられなかった事をチョット悔やんだ。
 ティファは話を聞いて思ったのだ、ワイルダー氏はもしかしたらもう2度と出張する事はないのかもしれないと。
 何となくだけど、そんな気がするのだった。

 それから、3人はしばらく世間話やらで歓談していた。

「悪いけど、ちょっと席を外すわね」
 ティファは席を立った。
「どうしたんだ?気分でも悪いのか?」
「ううん、大丈夫。チョット用を足してくるわ。お二人は飲んでて。すぐに戻るから」
 そう言ってティファは特別室を出ていった。
「どうしたんでしょう?」
「さあ、トイレじゃないですか?あいつもそれなりには飲んでいるし。でも、心配要りませんよ」
 そう言いながらもクラウドはティファの事が心配だった。酔った風には見えなかったけれど、今日はいろいろあったから。
 すぐに戻ってこないようだったら、様子を見に行こうと思った。

「こいつはスゲえ!」
 部屋の外でマスターの大声が聞こえた。

 それから特別席にティファとマスターが入ってきた。
「待たせちゃったね。これ作ってたから」
 そう言ってティファはクラウドとワイルダー氏の前に小さなグラスに入ったカクテルを置いた。
「ティファ、これは...」
「プレミアムハートよ。マスターに無理言って作らせてもらったの」
「いきなりこの人が来て『ちょっとカクテルを作らせていただけないかしら』って言うもんだから、俺も最初は断ったんだ。
 でも、『ワイルダーさんに飲ませてあげたいカクテルがあるの』っていうのを聞いて、『それじゃあ、俺にも飲ませてくれ』っていう条件を出したんだ。
 それでこいつを飲ませてもらったんだが、こいつはスゲえ!強さはエンジェルと同じくらいなんだが、口当たりは抜群にこっちのがいい。
 驚いたぜ、こんなカクテルがあるなんてな」
「そうでしょう。ティファさんはニブルヘイムでセブンスヘブンという店を一人で切り盛りしているそうですから」
「ニブルヘイム・・・俺も聞いたことがある。そこにカクテルと料理が旨い店があるって。そうか、あんたがあそこのマスターだったのか。
 道理でカクテル作りも素人には見えなかった訳だ」
「マスターのエンジェルもスゴイわ。何ていうか、とっても男性的で、私のプレミアムハートとは違う力強さがあるもの。
それに、このカクテルはクラウド専用だから」
「でも、惜しいな。これだけ凄いカクテルを...」
「あ、それならマスターに『ファイナルヘブン』を教えてあげる。これはプレミアムハートの元になったカクテルなの。
 作り方はチョット違うけど、強さはやっぱり同じくらいよ」
「おお、そいつはありがたい。俺もエンジェルの作り方を教えるよ。それじゃあ、また後で。ワイルダーさん、こいつは最高ですぜ。
 エンジェルもいいが、こいつはそれ以上ですぜ」
 マスターは部屋を出ていった。マスターはほんのり紅い顔をしていた。恐らくプレミアムハートを一気に飲んだのだろう。
「これがプレミアムハートなんですね」
 ワイルダー氏はグラスを手に取り、しげしげと眺めた。プレミアムハートは透き通るような紅い色をたたえている。
「どうぞ飲んでみてください。クラウド専用に考えたカクテルなのでワイルダーさんの口に合うかどうか分かりませんけど」
「では...」
 ワイルダー氏はプレミアムハートを軽く口にする。
「・・・」
 ワイルダー氏はカクテルの味をじっくり分析しているようだったが、すぐに一気に飲み干した。
 そして飲み終わった後、ふう〜と息をついた。
「これは、いけない・・・これは禁断の酒です。強さはエンジェルと同じくらいなのに、ライトカクテルのように飲み易い。
 これを自制心をもって飲むのは正直いって難しい・・・」
「お口に合いませんか?...」
 ティファは恐る恐る聞いてみる。
「口に合わないなんて・・・これは誰にでも美味しく飲めるカクテルですよ。とても美味しいです。でも、強さが尋常じゃない。
 口当たりに騙されると、一気に酔いつぶれてしまいます。でも、強いと知っていても、やっぱり飲んでしまう。
 これがクラウドさん専用というのもうなづけます。私では自制心を保ってゆっくり飲むのは難しいです」
「そうなの?クラウド」
「さあ、俺は意識したことが無いから分からない。でも、こいつは引き込まれるような美味さがある。
 いくらでも飲めてしまうと思わせる味だ。こいつをゆっくり飲むのは自制心が必要だ」
「そうなんだ。クラウド、キツくて飲み易い酒が好きだからいろいろ作ってみたの。そのうち出来たのがこのカクテルなんだけど、
 クラウド専用にして良かったわ。そんな魔力があるなんて思いもしなかったから」
「そうですね。このカクテルはティファさんの愛情が生んだカクテル。クラウドさんへの優しさが感じられます。
 でも、今晩だけはその愛情を少し私に分けてもらってもよろしいですか?とても一杯だけでは名残惜しくて。
 今晩は思いっきり飲みたい気分なんです」
「はい、こんなカクテルで良ければ。もっと作りますね。いいわよね、クラウド?」
「ああ。俺も久し振りに思いっきり飲ませてもらうよ」
「うふふ、お二人とも酔いつぶれない程度にね」

 クラウドとワイルダー氏はプレミアムハートを次々に飲み干し、ティファの料理を堪能する。
 マスターとティファはそれぞれエンジェルとファイナルヘブンの作り方を教え合った。
 あっという間に時間は過ぎ去り、店を出る頃は二人ともかなり酔っていた。

 宿屋の入り口でワイルダー氏は立ち止まる。
「今日はとても想い出深い一日になりました。ティファさん、今日はどうもありがとう」
 ワイルダー氏はそう言って軽く会釈をした。
「こちらこそ楽しいひとときを過ごせました」
「私は明日朝の船で帰ろうと思います。見送りは結構ですよ、お二人はゆっくりしていってください」
「いえ、お見送りしますよ。俺達も昼過ぎまでには帰らないといけないので」
「是非、お見送りさせてください」
「そうですか・・・ありがとうございます。では、今晩はこの辺で」
 ワイルダー氏は宿屋に入っていった。

 クラウドは部屋に戻ると、ベットに転がった。
「さすがのクラウドもダウンね。随分飲んだものね。ハイ、お水」
 クラウドは起きあがって水の入ったグラスを受け取ると、一気に飲み干す。そうしてフウ〜と大きく息をついた。
「どう?落ち着いた?」
「ああ、ありがとう。さすがに飲み過ぎたね。あんなに飲んだのは結婚式以来かなあ。でも、気分は最高だよ」
「旅先では飲まなかったの?」
「飲んだよ。依頼主とも何回か飲んだ。でも、次の日も仕事があるからな、やっぱりセーブしている。
 それに、気心しれた相手じゃないしね。心から楽しむって事は無かった」
「そうなんだ・・・じゃあ、今日は良かったね」
「ああ、キッカケはともあれ、結果的には楽しい一日になったよ」
「私も楽しかったわ。エンジェルの作り方も教えてもらったし」

 ティファはそういって笑ったが、すぐに真顔になってクラウドをじっと見つめた。

「ティファ?どうした?」
「・・・ねえ、今日どうして私がここに来たのか分かる?」
「そういえば訊くの忘れていたが、どうしてワイルダーさんと一緒に来たんだい?俺のことが心配だったのかい?」
「心配だったのもあるけど・・・本当はクラウドに謝りたかったの」
「謝る?何かあったのかい?」
 クラウドはゆっくり身を起こした。
「昨日、クラウドがお風呂に入っている間に指輪をしようとしたんだけど、小さくて入らなかったじゃない?
 あの時、クラウドがサイズを間違える筈ないって思ったから指輪の内側を見たの。そうしたら『to M.W』って書いてあった。
 私その時、一瞬だけどクラウドを疑ったの・・・どうしてなのか分からない。でも、疑ったのは本当なの。
 私、自分が許せなかった。信じてるって思いながら、あなたを一瞬でも疑った自分が。だからあなたに謝りたかったの」
「ティファ...」
 悲し気なティファの瞳にはみるみる涙が溢れ出した。
 クラウドは起きあがり、ティファの頭を撫で、自分の胸に引き寄せた。クラウドは静かに囁いた。
「ティファ、それが自然なんだよ。俺達がどれだけ信頼し合っていても、決して完全なんかじゃない。疑う気持ちがあっても仕方が無いんだ。
 俺だってティファを疑うなんて考えてもみないけど、そういう感情が沸き上がるかもしれない。そんな事は無いと思っても、絶対的な保証があるわけじゃない。
 大事なのはそんな自分のある意味で自然な感情を受け止め、そして反省する気持ちなんだ。
 ティファは素直に話してくれた。それこそが俺を信じてくれているっていう証だよ」
「クラウド...」
 ティファはクラウドを見上げた。クラウドは優しく微笑みかけた。
「俺達はまだ若い。まだまだ夫婦としては未完成なんだ。焦ることは無いんだ」
「クラウド・・・ありがとう」
 ティファはクラウドの胸に顔を埋め、そっと涙を拭いた。
「ティファ...」
 クラウドはきつくティファを抱きしめた。今晩はこのまま眠ってしまいたかった。


    ************************************


 翌日、二人はワイルダー氏を見送りに港に来ていた。

「昨日はどうもありがとうございました。いい想い出ができました」
「こちらこそ、ありがとうございます」
「お体に気を付けて」
「今度こちらへ来た折りは必ずセブンスヘブンに立ち寄りますので」
「是非来てくださいね。お待ちしています」
 船の汽笛が鳴る。ワイルダー氏は最後に右手を差し出した。
「では、またいつかお会いしましょう」
「ええ、いつか」
 クラウドはその手を握った。ティファは微笑みながらそれを見ていた。

 ワイルダー氏を乗せた定期便はゆっくりと港を離れていった。

 ティファとクラウドはそれをしばらく見ていた。
「ティファ、ワイルダーさんが出張の帰りに奥さんに贈り物をするのは初めてだったそうだ」
「え?そうなの?」
「ああ。これまで仕事一筋できたらしい。それがある伝説を聞いて指輪を贈ろうと思ったそうだ」
「伝説?」
「俺も初めて聞いたんだが、それが、エアリスの事だったんだ」
「エアリスの...」

 クラウドは伝説をティファに話して聞かせた。ティファは黙って聞いていた。

「エアリスの事が伝説になっていたなんて・・・知らなかった」
「俺もワイルダーさんから伝説を聞かされて驚いたよ。エアリスの事を知っている人間はそう多くは無いのに、伝説はかなり正確にエアリスの事を語っている」
「でも、一つだけ真実と違うと思うの。エアリスは死ぬつもりであそこに行ったんじゃないよね。エアリスは帰ってくるつもりだったんだよね」
「俺もそう思ったよ。・・・でも、これは伝説。人々の口から口に語り継がれ、いつしか普遍的なものになっていくんだろう。
 俺達が知っている昔話や伝説のようにね。俺はそれで良いと思ってる。ワイルダーさんのように大切な人を想う思い出させてくれるならば。
 俺達だけはエアリスの想いを知っている。それでいいんじゃないかってね」
「そうだね。大切なのは人を想う気持ち、愛する人を守りたいと想う気持ちだものね」
「メテオが眩い光に包まれて崩壊していく時、俺達はその中にエアリスの面影を見たような気がした。
 俺、思うんだけど、あの光景を見た誰もが同じように一人の女性の面影を見たんじゃないかって。それで伝説が生まれたんじゃないかってね」
「うん、私もそう思う。エアリスの想い、きっとみんなに伝わったと思う」
「ああ」
 二人はうなずき合った。
「さあ、帰ろうか」
「うん、帰ろう」

 二人は港を背に向け、歩き出した。二人の手はいつしかしっかり握り合っていた。
 そしてティファの左手には指輪が輝いていた...。


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【あとがき】

 みどりさんの「痴話ばなし&クラティのラヴラヴ小説」というリクエストにはとうとう応えられませんでした(^^;)
 ティファの一瞬の疑念なんて、ある意味当然じゃないかっていう気もしますが、ティファにとってはとっても罪に思えるんじゃないかな?
 だから一瞬の疑念さえも自分が許せなくなるんじゃないかって。
 完全に愛する人を信じ切れるっていうのは、意識の上では充分可能でも、刹那に抱く感情まではコントロール出来ないものです。
 そうなるには夫婦として充分に枯れる必要があるのかなって思っています。きっと何十年もかかるのでしょう。
 でも、疑った自分を反省する気持ちはもっと大切なんじゃないかな?それを告白するって凄い勇気が要ることだと思います。
 ティファにはそういう強さがあると思うんです。