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2006年06月30日(金) オルトラルノに映える太陽
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職人街と呼ばれるオルトラルノ。
フィレンツェの街の中心から少し離れたアルノー川の向こう側。
そこには無数の職人たちの工房が建ち並ぶ。
ここはイタリアの文化を反映させた象徴であるとも言える。
撮影で訪れるのは今回がラスト。
そのつもりでフィレンツェ編の構成を考えながら歩いていた。
この作品には説明カットなどほとんど入れない。
マエストラの工房での映像次第ということもあったが、
どこの工房でもその工房の映像だけでもいけるような撮り方を考えている。
ただ素材としていろいろなものがあった方がいいのは否めないわけで、
街の風景やモニュメント的なものをおさえているのも事実。
ミケランジェロ広場から見える誰もがわかるフィレンツェの風景。
予定調和を取り入れるならば手本となるもの。
撮りに行くことに決めた。
暑さを突き抜けて
ミケランジェロ広場まで歩いていた。
日射しが容赦なく体を突き刺す。
ボウシや水などの用意などない。
こう配のキツい坂を登り、階段を踏みしめ、頂上までたどりつく。
壁も地面も手すりも直に触れないほど、とけるような暑さにまでなっていた。
それでもなんとか形にしたい。
いつブッ倒れてもおかしくないのに、
ヘロヘロになりながら目的遂行に邁進する自分は意外にタフなのだろうか?
そんな状態を楽しんでいるマゾヒスティックな自分がいることも事実である。
限界はどこにあるのか?
ダメになっても自分でいられる K点に近づくことで、
自分がどこまで適応能力があるのか。
しょうもないことをやってしまいたくもなる瞬間がある。
影になって見えない
広場から戻ってくる。
ピッティ宮殿の前を通り過ぎ、
工房でマエストラが仕事をしているのを確認する。
異様なほどに画になる光景を目にした。
ピッティ宮殿前で腰をおろして水を飲み干し、しばらく呼吸を整えた。
マエストラは奥の工房で作業をしていた。
手前は商品が並べられているお店。
僕は失礼なくらいに奥のマエストラのところまでズカズカ進んでいった。
それでも仕事を見ることを許可してくれた。
スカリオーラの修復をしていたマエストラはとても物静かで品があった。
優しい感じがするのに指先は力強く、
「暑い暑い」と連呼しながらも、仕事している目は日射しよりも温度が高い。
彼女のその雰囲気からして、
一度消滅した伝統技術を復活させただなんて想像もできない。
様々な書物文献をたよりにマスターしたのだろうが、
そこまで彼女を駆り立てたものは何だろうか?
感じる促し
ここまで長年継続して孤独にやってこれたのは、
体の隅々までこの仕事が染み付いているのだろう。
本当によほど好きなんだろう。
失礼かもしれないが好きでないとやっていられない。
映画もそうである。
映画が好きだからできる。
いや本当にそうなのだろうか?
好きだけで映画を続けられるのであれば誰もがやっているはず。
映画を続けるには「好き」を超える、
自分を鼓舞させられる他動意志の存在が不可欠である。
映画とは守備範囲が広い総合芸術だけに、
対象とする範囲が多岐にわたり抽象的とも言える。
そこにジャンルや作家性などというベクトルが存在する。
映画を撮りたい、という意志とは同列もしくはそれ以上に、
僕は人間そのものに興味があるのだろう。
「人の想い」を自分と共有して、更に人に伝える。
「想い」を共有することが原点にある。
それは映画も職人技もスカリオーラも同じに思える。
であればマエストラとも僕は通じあえる。
そうでなければ僕は映画にしないし、そこに温度を見ない。
いまも昔も
純粋に「素晴らしい」と思える自分の「好き」なものを知って欲しい。
そんな単純なものなのではないか?
「これしか」「これだけ」というより「これだから」打ち込める。
それぞれマエストロたちと出会う度に作業の興味深さに魅了されるのはもちろん。
その仕事をやってみたいと思わせてくれるのは、
きっとそのマエストロの魅力に翻弄されているからだろう。
こういった素晴らしい人との出会いは自分には欠かせないもの。
撮影が終わってもライフワークとして続ける価値がある。
「人に温かく」「人に優しく」なれるには、
自力で苦労して自分が素晴らしいと思える人との出会いによって、
自分を磨いていくことであろう。
人それぞれ心の奥底にある単純な「想い」が人々の心を支えているのだ。
マエストラが静かな中にも自分を語った。
そんな少しの情熱でも共有することができたのであれば、
自分の背中を押された時間に立ち向かえた証拠ともなる。
扇風機の風が工房を巡る。
同じ気温なのに外気とは色の違う温度が流れていた。
わずらわしさどころか、スカリオーラを削る音ですら、
時を奏でていることに気がつかなかった。
時間に押され、拾い忘れを気にしながら駅に向かう。
仕事に一途に打ち込む目に、
時を隔てて彼女が受け取った、
人々の伝えようとしていた深い優しさを見たような気がする。
この日、撮影した映像の一部を公開しています。どうぞご覧下さい。
渇望していたのは - Firenze 2
愛の体現 - Firenze 3
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