【 配りもの・回覧板 】

 前回の「私は組長だった(?)」で、『岩沢は 「いわさわ」と読む、昔は魚沼郡岩沢村だった。』と書いた。そのHPを公開して数日後、Mさんという方からメールをいただいた。
 私はMさんとは知りあいではなかったのだが、時々HPをご覧になっていたそうで、初めてのメールであった。
 そのメールでご教授いただいたのは「岩沢村はかって魚沼郡のはずで、魚沼郡(ごおり)が3郡になったのは明治12年、小千谷市には昭和30年」ということであった。
 Mさんありがとうございました!。
 
 HPをご覧になった方からメールをいただいたり、仕事先などで出会った人に「HP見たよ」などと声をかけられるのはとても嬉しいことである。

 さて、組長の仕事の一つに市役所などからの配布物を配ったり、お知らせを回覧にまわすという作業がある。
この配布物には様々なものがある。市報、小学校・中学校の学校便り、交通安全協会からのお知らせ、市議会便りなどなど・・・。たまには「昨日配ったのにまたなの?」っていう感じの時もあったし、「こんなのもらわなくてもいいのになぁ」っていうものもあった。
 また回覧板を回すのも組長の仕事である。市役所や農協などの回覧依頼の書類やお知らせがウチに届けられるのだが、それを回覧板にはさんで最初の家に届ける。すると、あらかじめ決められた順に次々と回覧され、ウチに戻ってくる。同じようなこと(回覧・供覧)は会社などでも行われているわけだが、これは素晴らしいシステムだと思う。

 しかし、間もなくこういった作業もインターネットで行われるんだろうなぁ。社内の回覧や連絡がEメールになっている会社も少なくないようだし・・・。市役所も市報はHPでも公開している。

 ところで、初めて配りものをした日、それはちょっとした驚きだった。
 配りものをはじめて少ししてから、私は「し〜らなーい、まぁ〜あぁちーを・・・」って口ずさんでいた。数年間住んでいる地区をちょっと歩いただけなのに、なんで「し〜らなーい、まぁ〜あぁちーを・・・」なんだろう・・・。
 歩いて気付いたのだが、たかが500uの地区のなかで、県外にいた時期を含めると約二十年間足を踏み入れていない場所があったのだ。

 それは、市道からSさんの家へ向かう30mほどの小道。
通勤の途中など、市道からSさんの家を眺めることはあっても、その小道を通りSさんの家のほうから市道方面を眺めたのは二十数年ぶりであった。
 ガキの頃は鬼ごっこや自転車で何度も通った道なのに、久しぶりに行ってみると知らない所の景色みたいで新鮮だった。

 日々の暮らしを送っている小さな地域だけど、思えば、近所にありながら立ち入らない所って結構ありそうだ。なーんにもないところだが、まだまだちょっとした感動を味わう場所がありそうだ。

町内会長への道へ戻る

ホームへ戻る