「スーパーマリオサンシャイン」GC(任天堂) |
・最初にいっとこ。 ・いいゲームよ。ホントいいゲーム。 ・ここから本文。 ・ゲームにも「旬」があると思う。今、このときに遊ばないと意味のないようなゲームというのは存在する。 ・それは表現するソース(ハード)が進化し続けているのでアタリマエであるが、たとえば、今、ゲーム史を塗り替えるファミコンのソフトは出ない。全世界を震撼させるゲームギアの新作はない。 ・すなわち、ハードとソフトの時系列の関係により、「旬」というのは生まれる。 ・近年でいえば、「ファイナルファンタジー7」。「バイオハザード」。「パラッパラッパー」がそれにあたる(ほかにもあるけど)。今、これらが新作として出てもどうしようもないだろう?そして、今、「はじめて」プレイするプレイヤーは、これらが楽しいだろうか?ファイナルファンタジー10をシリーズ初としてプレイし、その後に、7をプレイして、それは新鮮な喜びを得られるものだろうか?発売日に買って遊んだ人と同じ感動があるのだろうか?答えはNOだ。 ・かように、「最先端」や「革新」ってのは往々にしてこういう宿命を背負う。もちろん、それを突き抜けて、スタンダード化してしまう作品もある。「スーパーマリオ64」がそうだ。 ・NINTENDO64と同時発売された「スーパーマリオ64」はこれまで2Dの世界にいたマリオを3Dに連れて行き、なおかつ、異常なほどの完成度を誇っていた。任天堂社長の山内氏をして、「(N64の)一番の弱点は最高傑作がもう発売されたこと」といわしめるほどのものだった。いわずとしれたマリオ64のことだ。 ・そして、その最高傑作の不幸なところは、長らくトップの位置にいられたことだ。ほかが追いつけなかった。そして、その不幸は「スーパーマリオサンシャイン」にも伝染した。しかも、ちがったカタチで。 ・スーパーマリオ64の発売日が1996年06月23日。そして、「スーパーマリオサンシャイン」が2002年 7月18日。実に6年以上の開きがある。そして、ほかのメーカーもバカじゃない、その間にマリオ64を目指した作品がキラ星のように出ている。そして、実は、意外なことだが、スーパーマリオ64はその間にとっくに追い抜かれていたのだ。 ・それはたとえば、グラフィック。サウンド。システム。テンポ。そして、それらを含む、全体の「底上げ」で。1996年発売のハードでのゲームが、それ以後のゲームに品質の面で負けるのは当然のことであり、それは小難しい内部の数字でもあり、「スーパーマリオ64」を踏み台にしてのさらなる工夫でもある。そして、様々な面で静かにマリオ64は抜かれていったのだ。 ・しかしながら、それはマリオ64のスタッフにとっても同じ条件であり、新ハードであるゲームキューブでの発売だ。ところが、その旬は見誤られた。それはマリオシリーズという重みだったのか、ゲームキューブというハードの限界だったのか、スタッフの判断ミスか。 ・数多くの「遅い」ところが見受けられる。たとえば、中央広場的なワールドから次のワールドへ渡るというシステム。いちいちセーブしていいか聞いてくるシステム。各ステージで決められた順に動くノルマ、死んだらステージ外に強制排出。そして、マリオ自身のスペック。それらは伝統に則ったもの、システム上、様々な理由はあるだろう。でも、それをして「遅い」と思われる以上、少なくともここに1人いるを、納得させなかったり、不満に思わせたら、それはマイナス面にしかならない。 ・6年前の発売日「スーパーマリオ64」に触れ、その後も様々な3Dアクションに触れていたおれにとっては、マリオシリーズ続編の「スーパーマリオサンシャイン」は6年ぶりというブランクをとても感じてしまう作品となってしまった。すべてに渡って6年前のマリオ64で味わったものに「足りない」と。そこいらが続編の業なんですよね。 ・だから、逆に、マリオ64とサンシャインの期間が短い人、あまり3Dアクションをプレイしてない人は、そう思わなかっただろうな。比較対象を知らないんだから。 ・つまり、マリオ64は「旬」でありながらも、普遍性を兼ね備えていたのが、サンシャインにとって最大の不幸だったのだ。偉大な先代をもった二代目の悲劇というかね。ただ、サンシャインを遊んだらマリオ64は遊べないとは思うがね。 ・で、随所に引っかかったり、アレ?というところがありつつも、「スーパーマリオサンシャイン」はおもしろかった。でも、それは、3Dアクションゲームとして面白いのであって、マリオとしては、あれ?なデキだった。 ・多分、制作の宮本茂氏が「旬」として差し出したゲームは「ピクミン」だったのだろうと思われる。 ・そう考えると、「スーパーマリオサンシャイン」の位置付けは、ゲームキューブでもマリオ64みたいな看板をってノリだった。それが証拠にコピーが「正統派アクション」だったもんねえ。看板にする以上、いろいろな要素が「削られる」ってことはありがちだからねえ。 ・とはいいながら。 ・ここから、バランスをとるためにまたホメていきます。まあ、相反する気持ちがぶつかりあう複雑なソフトってことなんですよ。文体も変えましょうかどうせだし。 ・今回、南の島が舞台ということで、ステージのバリエーションが難しかったでしょうが、それを時間の変化というカタチで打ち出したのが、案外誰も指摘してない新味だと思うのです。また、その変化がイチイチ美しかったです。 ・たとえば、夕暮れのシレナビーチでのマンタという巨大エイが海辺から侵入していくサマは何度みても美しかった。まあ、苦戦したから何度もみたのですが。 ・あと、モンテのむらにいったとき夜というのもいい。南国の夜といった感じが出ていましたね。 ・そして、それらの音楽もすばらしかったです。とくにシレナビーチのラウンジミュージック的なアプローチは、音楽詳しい人が作ってるんだなあと思わせました。 ・新アイテムのポンプアクションという手前、雨が使えなかったのは残念なところですね。あと、雪とポンプなんてのも膨らませがいのある要素でしたね。水をかけて凍らせる、水をかけて溶かすとか。 ・ラスト前の中央広場的なドルピックタウンが水浸しになってるというのもよかったですね。こういった表現にはやはりうなるものがありました。 ・ポンプアクションも練ってあり、そういう基本ベースでの問題はなかったようには思います。 ・ただ、もっと、ここをあーしたらいーのにってのが多すぎたのが今回のマリオだったのですね。1ハード(新作)1本というのがマリオなんすが、今回はもう1個、作ったら?と思ったり。(2002/09/17・14:55:55) |
「はじまりの森」SFC(任天堂) |
・2002年の8月で終了してしまった、コンビニエンスストア「ローソン」のゲーム書き換えサービス。スーパーファミコンとゲームボーイのゲームを専用のメモリカセットで書き換えることが出来た。このサービスに関しては値段と手間がネックであったことよのお。以前にあったファミコンディスクシステムのゲーム書き換えサービスは鬼のように書き換えまくっていたけど、これはあまりそんな気になれなかった。とにかく手間だったからだ。 ・しかし、書き換えサービス専用のゲームには名作が多かった。ハード末期の作品に名作が多いというのは定説であるが、この場合は末期どころの話ではなかった。だって、SFCの次のハードであるNINTENDO64が終了し、ゲームキューブになって1年が経とうとした2002年の8月にその命運を終えたんだもん。まあ、未だに現役のネオジオには負けるけど。 ・おれが書き換えたのだと、「新鬼が島」(挫折しましたけど、面白かったです)、「ファミリーゲレンデ」(ナムコ製、これはPS2のアルペンレーサーに引き継がれている)、「ZOOっと麻雀」(名作。CPUとコンビ打ちで、通常は考えなくてもいい戦略が必要だった)、「レッキングクルー'98」(ファミコンのリメイク。複雑な操作が奥深さを生み出すという任天堂おとくいのパズルゲームながら、真剣に奥深く楽しめる)。 ・で、本作。「ファミコン文庫」と銘打ってシリーズ化する予定でもあったのだろうか、正統派の任天堂アドベンチャーに仕上がっている。「新鬼が島」の系譜に連なるものだな。 ・トンネルを抜けるとド田舎だった。そしてディーゼルの機関車がゆっくりと止まった小さい駅。タイトル「はじまりの森」。この小さな村が物語の舞台となる。 ・主人公でありプレイヤーの分身である少年は、夏休みを利用して、おじいちゃんのいるこの村にあそびに来る。 ・迎えにきてるはずのおじいちゃんがいない。そして、駅のまわりを散策しているうちに線路の向こう側の崖から落ちてしまう。 ・あたりをさまよっているうちに、蛍に導かれて、不思議な少女と出会う。そして、主人公(自分で名前をつけられる)の村での日々がはじまる。 ・と、今だともう手に入れるのは至難の業(なんとか中古のメモリーカセットを手に入れて、任天堂に郵送して書き換えてもらう)なので、以下ネタバラシする。 ・少女は「あやかし」の住人だった。あやかしの住人とは人間と違い、森に住んでいる妖怪みたいなもんかな。しかし、山の神様がお作りになった森を村の人間が、悪徳業者の口車に乗って伐採してしまったために、森の精気が弱まり、住めなくなった。そして、今度の満月に森を捨てて旅立たなければならない。 ・一方、主人公は少女のことが忘れられず、村のいろいろな人に聞いてまわる。そう、ギャルゲーなんですよ実は。 ・通常、ゲームはオーソドックスなコマンド選択型のアドベンチャーで、ときおり、ミニゲームが挿入される。たとえば、村の子供達から情報を得るためにメンコゲームで勝たなければならないとか、川漁師のじいさんに、昔のことを思い出してもらうために釣りゲームしたりとか。 ・そして、彼女に出会うために、主人公は意を決して、彼女のいるあやかしの森へと旅立つことにした。 ・そこから、話は急降下。やっとのことでたどり着いたあやかしの森に行くと、彼女は、山の神様に森を再び作ってもらうよう、神様のいる「はじまりの森」へと旅立ったあとだった。主人公も後を追う。ここから、まったくテイストが変わり、ちょっとしたRPG的展開。 ・そして、彼女と出会ったら今度はアクションゲームになるんだよ。と、冒険冒険の果てに、たどり着いた「はじまりの森」。 ・と、まあ、逆に気持ちいいくらい正面突破な展開なのです。ひねったり匂わせたりとかじゃなくて、正面から「エコ」な展開になるし、少年少女の冒険物語でもある。 ・んまー、あまりにストレートすぎて逆に泣ける。実際、ラスト、さわやかすぎるラストは、ちょいと涙腺緩んだわ。 ・宮崎アニメっぽいテイストもあるね。メイドや妹ばかり出てくるアドベンチャーじゃなくて、こういうのもたまにはいいんじゃないの? ・AVG部はサクサクとテンポよく、つまりそうなところ(ループ)の演出がよかったなあ。ボケて忘れっぽいババアに話を聴くところなんか、フラグ立て損なうとボケて「どなたさんでしたかの?」みたいなループになるところが、ハラ立ちながらもなんか笑ってしまった。 ・ミニゲームは基本的に目押し的なものが多かったが、まあ、いい息抜きになった。 ・「サクラ大戦」の時間制限付きの選択なんかもうまく取り入れていて、スリリングなところもあったなあ。あれもなかなか。 ・ま、そういうところは快適。 ・ということで、値段抑えて(3000円以下)、GBAあたりでシリーズ化するとええなあ。このまま埋もれさせるにはもったいない。あと、GBAのほうが、「文庫」という名にふさわしいし。(2002/09/16・14:56:52) |