運命に、今思えば随分早く出逢ったのだ。
その事を幸福に思う。
―――けれど、だから今、不安なのかもしれない。
花が散る。そっとその花弁に手を差し出した。ふわりふわり、儚げな花弁は僅かな空気の流れさえ影響を受けるのだろうか、差し出した手の平を避けるように落ちていった。
もう花も終わりだ。
はらり、はらり。絶えることなく、いやこの花たちが全て尽きるまで散り続けるだろう。
そう解っているから差し出した手の平をそのままに佇む。
ふわりふわり、はらりはらり。いつまでこれは続いてくれるだろうか。
いつまでも続けばいい。
いつも思うこと、そして唇は自嘲で歪む。
―――そう思っているのは自分だけか。その瞬間だけ花の事は忘れた。
◇
えーと、自分の手帳を見ながら遼がスケジュールを告げると伸が熱心にそれを書き写してはいちいち確認する。そして、眉根を寄せて何か悩んでいるようだった。カレンダーを見て、珍しくちょっと口を曲げた。
遼にもう一度これで、解っているスケジュールは全てかと確認する。確かにいつもやたらと丁寧に聞き返してはくるがそれ以上にくどい聞きように驚きながら、ふいな仕事さえ無かったらなと告げると、そうだよね急に入るからね君の仕事はと苦笑した。
そのいつになく渋い表情が意外で遼が不思議そうな顔をすると、にっこりと伸は笑いかけた。
「一緒に旅行にいけないかなって思って」
笑みの割にはもう声音は諦め気味に響く。それに応えようと口を開きかけた遼を制するように伸は言葉を続けた。
「でも、仕事から帰ってきてまた旅行だなんて、君が疲れちゃうよね」
確かに最近の仕事は一時期減っていた遠出が多い。家を空けっぱなしなのも事実だ。以前それが多すぎたのを反省したのにまた以前並になってきていた。だからこんなふうに言われてしまうと少し後ろめたい。だからこそ伸の言いようにカチンときた。
「なんで決めつけるんだ」
そんなつもりはなかったが口調が責めるようにきつくなってしまう。いや一方的に決められたので内心思ったままに出てしまったのかもしれない。自分のそんな気持ちに気付いて自己嫌悪で顔までやたら険しくなった。
「遼、決めつけてだなんていないよ」
それに慌てたように伸が応えた。そしていつものように笑いかける。こんな時遼は自分が更に情けなくなる。こうして一緒に暮らしてそこそこ長くなるけれど、努力してるのは殆ど伸の方だと思い知らされるからだ。なら、早くそう伝えればいいのに、自分の口は頑ななまでにへの字に歪んで笑みに変われない。くそ、いい加減になんとかなれよと、自分に悪態を吐く。
「旅行って何処か行きたい所があるのか?」
それでもなんとか気を取り直し、努めて明るく聞き返す。伸はまだ苦笑気味だ。取り繕ったように思われたんだろうか、笑顔のつもりだったが遼の頬は引きつり気味だ。
「いや何処って訳じゃなくて―――」
伸の言葉を待って真剣に見詰めていると、伸が珍しく言葉を詰まらせて視線を外した。遼はそんなめったに見ることのない伸の様子に首を傾げた。それに素早く気が付いただろう伸は、再び慌てたように言葉を探す。
「その、まだ具体的に考えてたんじゃないんだ。君と旅行とか出来たらいいなとかつい思ったから」
言いながら思いつきで言ってごめんねと付け加えた。
それが更にカチンと来る。
「じゃあ行こうぜ。急に来るような仕事は絶対断るから」
「遼ッ、いいのそれで」
心底意外、そんな驚き方。いつも仕事中心でそんなに伸の意向をないがしろにしていたつもりはなかった。だからかなり、その反応は心外だった。けれどその後の伸の見せた。晴れるような笑みに、まあいいかとあっさり不快感は拭い取られた。
それから伸は自分のスケジュールと遼のスケジュールを見比べては悩んでいるようだが、悩んでいながらも、その様子がかなり嬉しそうなので、見ているだけなのに遼は嬉しくなった。ああでもないこうでもないと自分のスケジュールを弄くり回している。
決して伸の仕事も楽なスケジュールではないのは重々承知だ。なのにわざわざ旅行に行きたいとはどうしてなんだろう。ふと疑問が芽生えたが、その時なんとか合う日程を見つけたようだ。大丈夫かな?と告げられた。それを今度は遼が自分の手帳に書き込む。そして心に誓った。絶対にここは空ける。ごり押しされても絶対に入れない。
ふと芽生えた疑問はそれで霧散してしまった。
「で、何処にしようか?」
え、と聞かれて遼が間抜けな返事をすると、そうだよね、僕から言い出したんだからとブツブツと独り言めいて呟く。
旅行に行くのはいい、でもそれは伸が望んだからだった遼にしてみれば全く行き先なんで考えていなかった。当然、予約やら他のことも念頭になかった。始めっから伸に任せきりな気分だった。こんな事じゃいけない。
「なあ、伸の行きたいところでいいから―――」
「ねえ、遼のいきたいところがあったら―――」
同時に言って顔を見合わせる。う〜ん、とまた同時に唸った。つい遼は睨んで、伸は苦笑を浮かべる。
「あのな、伸」
「うん、そうだね僕が決めるよ」
全て言う前に言葉を攫われた。そんな気分。なんとなく眼差しに不穏なものが混じってしまう。どうも今日の伸とはタイミングが合わないようだ。
その遼の様子には伸は過敏に反応した。笑顔精一杯大売り出しになった。
「あの参考までなんだけど山方面と海方面とどっちがいい?」
「お前は?」
お互い言い淀む。互いに相手に合わせようと思っていることが見え見えだった。
大売り出し状態の伸の笑顔も引っ込みがつかず張り付いてしまった。それで遼の方はといえばやたら怒ったような厳つい顔をするしかなく、気まずい雰囲気で互いを見ていた。そう、遼は自分が言った方に流れるのがなんとなくいやだ。いつも伸が合わせている、合わせてくれているようで、まるで甘やかせばいいと思われてる子供みたいな気分になる。
どうしていつも伸は俺の方に合わせてばかりいるんだろう。俺ってそんなに融通がきかないと思われてるんだろうか、厳つい面構えのまま考える方向も不穏に歪む。
嫌だな。思ったとたん溜息が漏れた。
それに合わしたように伸の方も同時だった。
空気が固まって膠着状態。溜息にお互いまた見合う。
一斉のセ!そんな勢いでまた同時に互いに行きたいと思った所を口にした。
「山」
「海」
ちなみに伸が山で遼が海。多分、お互いに向こうの好きな所と思った方を言った結果だった。
とことん、今日はタイミングが合わないようだ。相手のことを思ってのはずなのに完全にちぐはぐ。その事実が痛い。
互いにまた盛大に溜息をついた。楽しい旅行の計画じゃないのか…。どうしてこうなるんだよ。
なんとなく先行き不安で暗雲立ちこめた気分で、互いに不安を感じて、ついまた同時に溜息が出た。再び嫌な感じで互いを見詰め合ってしまった。
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