「散る桜 残る桜も 散る桜」良寛さまの句なのですが、この句が私はとても好きです。そうか、そうだよねと妙にもの悲しい気分をさそうこの句。そう桜って私にとってちょっともの悲しいものなんです。でも悲しくなるような思い出があるわけじゃなんですけど…
 そうここ数年、毎年、桜が咲くと思うとそわそわして桜を見に行かなきゃって気分になり、写真を呆れられるほど撮って、あげく「桜を見ると貴女を思い出すわ」そう友人に言ってもらえるほどに桜好きになったきっかけは至極単純。「鎧伝サムライトルーパー」のアニメにはまったのが原因です。
 このアニメが放送中には3回しか見ていません。その数回でなにやら武装〜ってとこで桜が散り惑い、反物(しかし、あのサクランボ模様は止めて欲しかったね)舞飛ぶ(?)シーンになにやら感じたのか、放送も終わったのに、みんなでビデオ見るよ〜の誘いに乗った時にその後の人生設計(なんてものがあったかは置いといて)がかなり変わった気もします。
 そんな興味の持ち方をしたこのアニメはまさに私に色々な方向性を与えてくれました。
 歴史も彼らの名字にちなんだ戦国大名の事を調べ、そのお陰で実際色々な所に旅行に行きました。そうちょうどタイミング的に自分の自由になる収入が増え始めた時期に重なったせいか、かなり自由に出掛けまくりました。
 趣味も和風趣味が強くなり、鎧からはじまって着物、その装飾品関係、簪その他、文様とかもググと思いっきり偏りました。
 話がだいぶそれましたけど、その中のひとつに桜の花があった状態です。
 確かに4月ともなれば日本の風物詩。桜の花は詩情を誘い、絶対に花見だ花見!!って事になってました。元々、桜の花ってそれこそたくさん植えられているし、住んでたところが井の頭公園の近くで桜の花見をする状況に簡単に成るところだったし、私の親はそういった年中行事を疎かにするタイプではなく、色々としてくれる人たちだったから、桜が咲けば花見に行ってました。
 実際、桜の花を見ているとイマジネーションをかきたてられて絵の一枚も描いたりはしていましたが、桜、染井吉野。桜と言えばそれlこそそこらあたらにある染井吉野しか知りませんでした。
 八重桜が咲いてるよ。そう言われて見に行っても、それが関山だとは、その花に桜以外に名前の有ることも知りませんでした。
 いやはや、それがいつの間にかこんな事になるなんてって感じです(笑)
 元来、生き物の類は嫌いで花も咲いてれば綺麗ね程度で興味もなく、何見て育ってきたんだと周りが気になりだしてから思ったものでした。いい年してすごく遅い…。
 桜はとてつもなく気になって猛烈に好きです。
 でも果たして桜そのものが好きなのかと自問自答すると果たしてそうかと言い切れず、ずっと桜の木の下には、桜を見るきっかけをくれた烈火の遼が居る気がします。なんだかそうすると純粋じゃないな、なんて思いながら、桜を見に行ってしまう私。
 たくさんの人たちと花見に行くのも良いのですが、一人で見に行く方が妄想大爆発状態で迷惑をかけない気がする今日この頃。そう、桜の花をみつつ本当に見えてないかもしれず、矛盾は感じてるんですが、桜の花は私の原動力となりつつあるので見ずにはおれないもんでしょう。
 ただ、見る花は綺麗で綺麗いに咲いているんですが、そこでもの悲しい気分に浸り込んでしまうのでした。
 何書いてるんだ?私って感じですね。「桜」を好きになった訳を書こうと思ったんですが、なんだかまとまっておりませんわ。こんなとこまで見つけてなおかつ読んでくださった方。どうもありがとうございます。
 結構、桜生きていく糧でありながら現実の桜を心底好きなのか疑問なのでありました。だから形を残したいのかな?