「すみません、営業部の毛利さんいたらお願いしたいんですけど」
「はい、主任の毛利ですね。お待ち下さい」
え〜〜〜〜〜〜!!!!
一瞬誰の事を言われたのか分からなくなって、当麻の思考は止まった。が、次の瞬間猛烈な勢いで動き出した。もしかして俺は間違えた所にかけてしまったんだろうか?こんなことなら携帯の方にかけた方が良かったのかもしれない。でも今日は携帯忘れてきてきまったからこっちのTELナンバーしか分からなかったんだ仕方が無いじゃないか、この番号もしかしたら記憶違いか?いや俺のこの絶対を誇る記憶装置がそう簡単に崩れるとは思えないんだけどな、でもな〜、最近携帯に登録してすましてるから記憶力落ちたのも事実だしな〜。ちょっとこれからは機械なんかに頼らないようにしないと駄目だよな。でも、一旦機械に頼ると簡単だから…などと、ぐるぐると自分の思考が本来のものからかけ離れ始めたことにも気付かずに高速で回り続ける。当麻の思考は回りはじめるとキリがない(この文章を読んでる方も普通のところの二倍くらいの速度で当麻の思考を読んでもらえること希望)不安に苛まれつつ、すでに思考はどうでもいい範疇に入り始めていたころ電話の保留音が止まった。
「はい、代わりました。毛利です」
膨大なエネルギーを無駄使いして回転していた事、それは杞憂だった。営業用の明るい声は紛れも無く伸の声だった。
「お前、何時の間に主任になったんだ?」
本物の伸だったことに安心して伝えよとっていた用件より先に、ポロリと本音が漏れた。
「なんだ〜、当麻か」
電話の向うはとたんに当麻には聞きなれた不機嫌そうでなおざりな伸の声に変わった。そんな投げやりな呼ばれ方をしたのにホッとしている当麻だった。


主任と呼ばれた日



「まったく、冷たいよな〜。一言、言ってくれたら即盛大にお祝いしてやるのにさ〜」
ちょっと愚痴をたれながら、秀はその盛大なお祝いの準備をしていた。中華料理各種が手際良く並んでゆく。大学卒業後家業の経営を勉強しているはずの秀は、どうせならオーナーシェフになるんだとかいって作る方の修行にも入ってしまった。もとよりやっていたせいもあるんだろうが、その手際は素人料理の域を出て、特に、ここ数ヶ月でかなり急激に上達をしている。それを祝られる本人は真剣に見て、メモしていくさまははたから見たらだいぶ滑稽だった。
「主任なんて別にたしたことないよ」
「えー、だってやっぱ役付ってことはさ〜」
ジャーと中華なべが美味そうな音を立てた。ひょいひょいと調味料を無造作に入れて行く手際を見る伸の表情は本当に真剣だった。
大さじ何杯と丁寧に指示していくような世界ではない。素人の食べる専門の当麻から見たら、まるで勘だけが頼り、そんなふうに見る無造作さで調理してゆく、その手元を伸は真剣に眺める。
何処までも努力を怠らない男だな〜。力が抜け切った表情で真剣勝負を挑んでいるようなふたりの姿を見ながら当麻は思った。もとより伸の料理の腕は店開けるんじゃないかと言う程の域に達している。それでなお、こんなに伸が真剣なのは遼のせいだ。
この前の帰国のおりに、腕前を披露した秀の料理に「秀の中華って最高だなぁ〜」と遼が何も考えず、舌鼓を打ちながら言ったばっかりに、目前の真剣勝負が展開しているのだ。
遼の一言は伸の運命を左右する。勿論、その事を遼は知らない。知ったら口をきかなくなるにちがいない。伸はそれを知らせる気は当然ないし、もし当麻が伝えたりしたら、当麻の死体が東京湾あたりに数日後浮いているだろう。いや伸がそんな死体が浮かんでくるなんて不手際を行う訳がない。気がつくと行方不明で処理されることになる。思わず浮かんだ恐い考えに当麻は首を振る。当麻もそんな目にあう趣味はないので、その件に関しては伝えようとは思わなかった。せいぜい腕を磨き「すごいな伸、お前のメシは最高だ」そう言われて伸が幸せになることを祈るばかりである。
その原因の遼はというと仕事で遠方に行ったきり、まだ、当分帰ってくる気配がない。だからこそ、遼の知らないうちに秀の中華の腕前に肉薄するつもりなのだろう。秀の手元を見詰める真剣な眼差しがそれを語る。
「これ、美味しいな」そう、遼に言われる為に…。本当に遼の一言は伸の人生を左右するのだ。
伸はいつも、そんなふうに健気な努力をしながら、遼の帰りを待ちわびていた。
いつも一緒にいられたら最高に幸せなんだけど、そう堂々と言う恥ずかしげのない奴だから、帰宅マークがこれ見よがしについているカレンダーでもあってもよさそうだがこの部屋には無かった。
遼のスケジュールを聞こうとしたらさりげなく話題をずらされ、じゃあ本人にと直接聞こうとすると、僕が知ってるからとか答えておきながら決して自分以外に漏らそうとしないのが伸だった。今迄さんざん煙に巻かれたので今更聞く気にもならなくなった。けれど、どっかに書込んでないだろうかと探ってはみたが、口にもしないようなことを書込むなんてそんな粗忽なことを、今目の前で真剣に料理を習っている男がする訳も無かった。一人占めする気でいやがる。伸と遼の間柄を分かっていながら、いっつも思ってしまう当麻だ。
今回、ご馳走のお零れに預かれるだけでも良しとするか…。やることがないので頭の中だけグルグル回わして、相変わらずエネルギーの無駄遣いをし続ける。
「いつなったんだよ」
「4月1日付け」
「なんだよ〜、結構たってるじゃん」
「突然?」
「内示は3月にあったよ」
秀の口も手同様に良く動く。軽い調子でぽんぽん投げかけるもんだから伸の答えかたも軽快だった。当麻が聞けば適当に誤魔化しそうなことを簡単に口にする。どうしてか当麻と伸の会話は回りくどい言い回しが多くて腹の探り合いのようになってしまうのだ。
「だったら、遼、知ってるのか?いたじゃん遼」
流石にその問いには、ちょっと、伸の眉が曇った。
「知らないよ」
「ええ、教えてやれよ。凄く喜ぶぞ」
「そんな事ないんじゃないかな?」
伸は変なところで気弱だった。遼に限って仲間うちの祝い事を自分の事のように喜ばないはずはないのに。
「そうだぜ。知らせてやれよ」
秀が大いに騒ぐのを迷惑げに、伸の瞳が曇りっぱなしになった。それを見て、何気に机の上にあったものを手持ち無沙汰で弄くっていた当麻が口を挟んだ。
「知られたくない理由がある訳じゃないだろう」
「そうだけど…」
その伸の答えに思わず胸をなで下ろす。よかった〜、駄目な理由なんかあった日には俺は半殺しにあってしまうところだった。安堵の溜め息をつきつつ当麻は思った。
その、あまりにも安堵したふうなのをいぶかしむように伸が伺っているように見えた。
話題を変えよう。
そう思うと、そそくさといった仕草で机の上に見つけた玩具を持ち出すことにした。
「こいつみたいに喜んでくれるに決まってるじゃないか」
指に挟んで弄くっていた紙をピッと立てて示した。
「なんだよ、それ?」
好奇心いっぱいにその餌に食いつく秀。本音を言うと、話題を振りたかったのにふたりの真剣さに声をかけそびれ淋しかった当麻だった。
「主任就任おめでとうございます。今後ますますのご活躍を―――――」
勿体ぶった口調で読み上げる。秀の目が丸くなり、伸はちょっと呆れが入ったように見えなくも無い笑顔を作った。
「――――伊達征士」
「それって、もしかして」
「押し花電報、結構豪華。祝電ってやつだな」
とたん、ぶわっはは、と秀が笑いだす。今は故郷にいる征士は連絡を貰ったもののお祝いにはかけつかられないとまことに残念だと言いつつ、その代わりにと送ってきたものだった。その征士の律義さの表われを笑うのは失礼な気がしたが、ちょっと歳の割には老けている行動なので仕方がないかと思ってしまう伸だった。
 彼はきちんと電話でも祝いを言っていたのだ、にのもかかわらず、なおかつお祝い電報。よもや、まさかと、これもらった時は面食らった。ジジイくさい、つい思ってしまった伸だった。
しかし、主任就任祝いのこの祝電はましな方だ、この二人には話してないが遼とこの場所にくらすことが決定した時に貰ったものはまるで結婚式の祝電のようだった。電報のグレードも高く豪華刺繍電報だった。伊達征士のズレた大真面目な感覚をちょっと友人として危惧した瞬間だった。結婚オメデトウなんてつもりがあったのだろうか彼奴(あやつ)には…、認めたということなのか違うのか征士の思考は計りがたくて、考えるとちょっと恐くなる。
世間体を考えれば遼を選んだ自分もずれているのは自覚があるだけに、それよりも自覚もなく、根本からずれた感がある征士の凄さを感じない訳にいかなかった。まったく侮れない。
「いや〜、本当にいいやつだよな。記念だから捨てるなよ!!」
感慨に耽りそうになっていた伸は背中に感じた激しい痛みに現実に戻される。
涙を浮かべ喜んでいる秀には悪いが、お前も、もうちょっと手加減を知れと睨み付けてしまった伸だった。
当麻ならびびりきりそうな眼差しを受けながらなおも爆笑を続ける秀は鈍いというより、ある意味やはり豪快な男だった。
当麻が呆れきってその様子を眺めるしかなかった。



満腹感は人を幸せにする。
しかし、満喫しているのは当麻だけのようだった。伸は食べ終わったあとも秀に味付けについての質問をしている。秀の方もまだまだ駆け出し、研究に余念がないので盛り上がる。
その二人を目の端に捕らえながら時間を伺う。そろそろかな?時差を考えて約束した時間だ。
「なあ、伸。電話借りていいか?」
「…いいけど、携帯は?忘れたの?」
「ちょっと、携帯じゃ無理なんだ、料金はあとで請求してくれや」
ちょっと疑う眼差しを受けつつ、当麻はメモを確認しながら丁寧にダイヤルしていく。その態度を伸も秀も珍しいものを見るような眺めていた。
ああ見えても絶対な記憶力を持つ当麻はくだらないことから良く覚えていて、電話番号の類は一目で覚える特技があったのだ。そうであるため、メモを見ながら電話なんて珍しいことだった。めったにかけないか、絶対間違えたくないかのどちらかだろう。
「お、海外?」
聞き耳を立てていると受話器に向かって話しているのは外国語だった。英語ではないようだ。秀が目を丸くした。
「人の家でかけるか、普通…」
と、伸は気にしてはいなかったが釘をさしておいた。癖になられたら困ると、内心思ったりもした。殆ど我が家同然で出入りしている当麻だ。ちょっとは自覚させないと、また同じ事をする。それはまずい、きちんと躾ておかなければと言う意識もあった。
ふたりの視線を感じて当麻の背中が緊張していた。
二言三言交わすうちに当麻の言葉は、よ、元気?と外国語から気安そうな口調で日本語に代わった。そのあまりにも気安い感じが返って気になって、何故か会話を忘れ二人して当麻の話しに聞き耳を立ててしまった。当麻もそれが分かるのか幾分緊張ぎみになっていた。
その緊張気味の背からちらりと視線が動き伸を見ると受話器を唐突に突き出した。
何!?声にしないで疑問と当麻の勢いに気圧されて、つい突き出された受話器をつい見詰めてしまった伸だった。
そんな、躊躇う伸にやっぱり口に出さないで早く代われ代われと即す当麻。
珍しく気迫で当麻が伸に勝っていた。
伸は勢いに負けたまま受話器を耳に当てる、耳には膜を通したようなざわめき。誰か分からないまま受け取った戸惑いで伸は息を呑む。相手は待っているのか話す様子はなさそうだった。
「あの…」
なんて声をかけたらいいのか分からないまま声を出した。
「ああ、伸か?主任になったんだってな。おめでとう」
なんて言われたか分からなかった。その懐かしい音だけが耳に染み入る。
「 ―――リョウ!?」
「おまえ水臭いぞ、なんにも言ってくれないなんて、帰ったらお祝いしような。とりあえず今は言葉だけしかいえないけど、おめでとう」
一気に言われた言葉が一旦と切れた。けれど、まだ状況を把握しきれていない伸の口からは言葉が出なかった。
それにちょっと笑う気配を持って再び遼の言葉が続いた。
「俺、おまえが認められてとても嬉しい。凄いな伸」
「遼…、全然凄くなんか…」
「そんなことない。絶対に凄いぞ」
「そんな事――――」
ないんだよ。と続ける前に遼の声が被った。
「さすが、俺の伸だな」
きっぱりとそう言った。
「俺、本当に嬉しいぜ。じゃあ、あんまり使うと悪いから切るな。おい、帰ったら絶対にお祝いだ。毛利主任がんばれよ」
続いた言葉は幾分慌て気味でそそくさと言うだけ言ったとばかりの勢いでぷっつり途切れた。
伸は遼の言葉と勢いに負け我を無くして、もう切れてツーと音を立てている受話器を握り締めたまま立ちすくんでいた。
それを、どうしたんだろうと声をかけそびれた秀と当麻は伺うしかなかった。が、そんな状態のままで時間が過ぎることに耐えられなくなった秀が彼独特のちょっとふざけた口調で話し掛けた。
「遼だったんだろ、だったら俺も話したかったけどな〜」
秀の問いかけに、えッ、とやっと二人の存在に気がついたかのような伸が受話器を持ったまま惚けた顔で見返してきた。
「遼なんだって?」
畳み込むように出された秀の言葉にとたん、何を思い出したのか、らしくもない程伸の顔が赤くなった。



今日もご馳走が並ぶ。
ここのところ毎回中華だが当麻の辞書に食に飽きるという言葉は無かった。みるみるうちに伸の中華の腕は上がっている、秀の方も負けてはいられないと力が篭ったものを出すので、ご相伴に預かるだけの当麻の立場は美味しい一方だった。
意外なことに入社してたいした年数もなく主任に抜擢されたことに伸自身、戸惑って一体主任としてどう仕事をしたらいいのかと悩んでいたそうだ。自分は相応しくなにのでは、そう思うと素直に喜べず、プレシャーばかりを感じていたから話す気にもならなかったと、遼の電話の後やけに素直にそう言った。
それを、伸はもっと自信家だと思っていた秀と当麻は神妙に聞いていた。
でも、今すぐじゃなくていいんだよね。それに相応しくなるべく努力すればいいんだと、遼の為にも!!と、きっぱり決意表明を力強くされた。
何故、遼が出るのか解らなかったが、伸は悩むことを止めて前向きに考え始めたようだ。遼は一体なんて言ったんだろう。まことに、遼の言葉は伸の生涯を左右するようだと、その絶大な効果に当麻は唖然としたのだった。
すこぶる機嫌の良くなった伸は仕事も手抜きはしないが、料理上達の為のより一層の努力も怠らない日々を過ごしている。まだ遼の帰る気配はない。
「ねえ、当麻…聞きたいんだけど」
幸せをかみ締めつつ中華を頬張っている当麻に伸がにこやかに話しかけてきた。それにおひしいぞと口一杯に入れてるせいで怪しい発音で当麻は応えた。
「違うよ。何故。僕でさえ知らなかった遼の連絡先君が知ってたのさ」
ぐ、と物が喉に詰まるのを感じた。
今回の遼の仕事は移動が多い取材だから連絡は取れにくいと、いくつかのポイントの連絡先は教えてもらっていたが、先日の連絡では一体君は何処にいるの?今、僕の見ているこの空と君の頭上にある空は続いているのにね〜、といった感じだったのだ。
しかし、当麻は知っていて連絡を取った。遼と話が出来たことは嬉しかったが、別の意味では由々しき問題だった。
「あの、それは」
ごくっくんと、慌てて喉に引っかかっていた物を飲み込んで当麻は狼狽も露に伸を見た。
ああ、なんてにっこり笑ってるんだ。恐い。すごく恐い。
こういう日に限って秀はいなかった。伸がいないタイミングを狙ったのは確かだろう。
「今回の取材。うちの研究室が資料提供していて連絡が入ったんだよ」
そう、だから伸に教えてやろうと電話をしたら伸が主任の昇格していて、どうせだったら驚かせようと、その時は自分だけで連絡を取って遼と打ち合わせしたのだ。ああ、どうしてそんな事考えたんだろう。当麻は正直パニックに陥りそうになっていた。どうも、食生活をこの方に頼りがちになってから自分の地位は失墜したような気がする。
どんな時にも当麻の思考は高速回転をする。
「ふーん」
一言。
面白そうに、目を白黒させる当麻を見ていた。
「今回はありがとうって言っておくよ。また、連絡が入ったら教えてよね。急に受話器突き付けるんじゃなくてね。僕だって遼に話すのに心の準備がいるんだから。まあ、いいや。さ、お礼だから食べてよ」
伸が穏やかに笑う。とても幸せそうに。
それをぽかんと当麻は見上げた。
遼は一体なんて伸にいったんだろう。本当に遼の一言は伸に魔法でもかけてるんだろうか?帰ってきたら聞いてやろう。
そう当麻は思った。



帰国した遼に聞いたけれどその言葉を当麻は知ることは出来なかった。遼もあの時の伸みたいに何故か赤くなって絶対に教えてはくれなかった。
その頃、伸は自信満々な主任になっていた。


END

平成11年12月10日脱稿・12月14日改稿

やっと書き終わった。もっと短くなるかと思って始めたものの、羽柴考え出すと止まらなくてずるずるのびちゃって…。しかし、書いてみてしみじみ「主任」の世界って遼はキーポインターですが側にいることが殆どなくて。毛利と当麻と秀の話だと思いました。征士さんも新幹線があるから割と来てるかも。ハッ!!もしかしたら自動車とばして簡単にきてるかも〜とか思っちゃいました。ようはみんな仲がいいんでうけどね。
如何だったでしょうか?500ヒットリクエスト主任の話で書いてみました。あおきさま気に入って頂けたら幸いなんだけどな〜。