太正十五年四月十日 夜半

 相模灘−大島北東約20km




 ボゥゥゥゥ──────ッ



 腹にずしりと響く汽笛の唸りが、漆黒の海原に飲み込まれて行く。

 舷窓から漏れ出る燈々の輝きが目にまぶしい。長旅の末に足を踏み出す新天地、あるいは懐かしき故郷の香りか。それぞれの期待と一抹の感傷を胸に、乗客たちは最後の夜を迎えるのだろう。


 イギリス船籍の大型客船「アナー・オブ・ブリテン」。二ヶ月に及ぶ航海の末、翌朝の横浜停泊を目前に控えたラストスパートの航走である。


 そして、主に付き従う忠実な猟犬の如く、闇をその身にまとい二隻の艦が静かにその航跡を辿る。





第1集 少女、遙かなる地より






 駆逐艦「菫(すみれ)」 士官居住区


 作戦行動中──とはいえ、当直任務の要員以外に別段用事はない。最大速力30ノットを誇る本艦のエンジンも、この巡航速度では静かなものだ。

 ふう。

 河原崎和己少尉は軽く一息つくと、再び手にした封書に目を戻した。
 差出人の性格か、和紙製の便箋には几帳面な文字が整然と並んでいる。

 珍しく長文だ、筆無精なあいつにしては珍しい。

 ──奴も、そろそろ古巣が恋しくなってきたか。



 「お、何だそれは、女か?」

 いつの間にやら、先任将校が後ろからにやにやと文面を覗き込んでいた。

 「た、大尉、と、とんでもありませんっ! 野郎からであります、野郎」
 「ははッ、相変わらず女っ気のない奴だ」

 大尉と呼ばれたその男は、手にしたカップに湯気をたてながら河原崎少尉の向かいに腰を下ろした。

 「同期か?」
 「はい、俺とは違って優秀な奴です、兵学校でも常に首位を譲ることはなかった...しかし今は海軍を離れていまして」
 「なに? それほど優秀な候補生がなぜ」
 「帝都防衛特殊部隊、帝国華撃団の、隊長であります」
 「何っ! 帝国華撃団の隊長だとっ、あの降魔戦役の立役者のっ」

 先の降魔戦役、通称「サクラ大戦」で知られる帝都の危機において獅子奮迅の活躍を見せた秘密部隊、帝国華撃団── 大神一郎がその隊長に就いていることは、彼の同期生たちの間ではもはや公然の秘密となっていた。

 「そうか、あの帝撃の隊長が貴様の同期だとは...世の中、案外狭いものだな」
 「さすがに本人は口にしませんが...同じ釜の飯を食った同士ですから。一度奴の勤務地を皆で訪ねてみようと言っているのですが、あいつ、それだけは勘弁してくれと...」
 「それは仕方あるまい、高度の機密を要する任務だからな、たとえ同期といえども」

 まさか彼が美少女スタアの花園、大帝国劇場でモギリなぞやっているとは...彼らの想像にすら上らない。

 懐中時計を手にする。──本来ならば、今頃は同僚と横須賀の繁華街で気炎を吐いていたのだろうが...

 「それにしても...なぜあのような民間船の護衛命令が出たのでしょうか、誰か重要な要人でも」
 「そのような話は聞いておらんが...なにしろ突然の指示の上に、どこからの要請なのかさえもはっきりせん」
 「それで、偶々帰投中であった我々第二十七駆逐隊のうち本艦と『葦』の二隻が急遽廻されたわけですか。とんだ貧乏くじであります、上陸を楽しみにしていた者も多いのに」
 「はは、まあそう愚痴るな。行きかけ、いや帰りがけの駄賃だ」


 その駄賃は、とてつもなく高価なものになろうとしていた。




 ドグゥオォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!

 突如、巨大な衝撃が艦を襲った。
 身構える暇もない。みぞおちをしたたかテーブルに打ちつける。室内の非固定物がそこら中を跳ね回る。

 《敵襲、総員戦闘配置、総員戦闘配置ッ!》

 サイレンの唸りが艦内を走る。河原崎はすかさず床を蹴り部屋を飛び出した。
 主機関の激しい咆哮と共に強烈な加速がかかる。同時に面舵一杯、つんのめりそうになりながらも艦橋へ通じる通路を矢のように駆ける。

 甲板に通じる横扉から当直の水兵が飛び出してきた。

 「状況知らせっ!」
 「は、はっ! 敵不明、突然の攻撃です、視界ゼロ、測敵できませ...」

 水兵の言葉の語尾を待つ余裕は与えられなかった。

 グガァァァァァァァァァァン。

 衝撃と爆風に体ごと吹き飛ばされる。うめきつつ起きあがった彼の目前に...もはや進むべき路はなかった。そこはぐしゃぐしゃにひしゃげた只の金属塊と化している。

 「くそッ」

 彼は右舷に出る横扉を蹴り飛ばし進む。再び強烈な衝撃に壁へと叩きつけられる。
 四方八方を包みこむ轟音と爆発。床が、壁が傾ぐ.....艦は、瞬くうちに左舷へとその傾斜を刻一刻増していたのだ。

 ようやく右舷甲板に出る。何も見えない。絶え間なく襲う衝撃、艦の装甲がメキメキと剥がれ飛ぶ破壊音が闇に閉ざされた大気を満たす。

 か細い探照灯の光が幾筋も虚しく空を切る。前方の闇にあの客船── アナー・オブ・ブリテン。

 装甲を持たない民間船の末路は目に見えている。舷窓の明かりが今まさに喫水線に没しようとしている様が、スローモーションのように河原崎の目に映る。


 もはや最期の時は近かった。

 突如艦尾から紅蓮の炎が吹きあがり、一瞬漆黒の闇に松明がともる。それは姿さえ見えぬ敵に今屈せんとする帝國軍艦の最後の意地であったのかもしれない。




 そう、彼はその目で見た。

 上空を埋め尽くす異形の怪物の群を。







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続きのサクラ大戦−第1集第1部

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