開幕のブザー。
 観客達の拍手喝采が大天井にこだまする。


 ──今日も大入り満員御礼だな。

 大神はサロンで新聞片手にコーヒーをすすりつつ、舞台から漏れ聞こえる前奏曲に耳を傾けていた。
 午前第一部公演『椿姫の夕』。今日は日曜日とあって公演は午前中から大盛況である。かくいう大神も先ほどまでハサミ片手に切符の山と大格闘してきたところだ。
 モギリ道もすっかり板に付いた大神、しかしこの程度でへたばることはもうない。いつもならその足で舞台裏に向かい裏方の手伝いをこなすのだが...
 今日は少々別の用事があって、時間までこうやってくつろいでいるところだ。


 「よぉ」

 例によってろれつの回らない挨拶が横手からやってきた。

 「あ、米田支配人。おはようございます」
 「大神ぃ、こんな所で落ち着いてやがったか。おめえ時間ちゃーんとわかってやってんだろうなぁ」

 この時間よく米田が楽屋やら舞台袖やらにふらりと現れる。支配人として当然の気配りだとか本人は言っているが、ただの暇つぶしという噂もある。

 「大丈夫です、検疫と入国審査でどのみち昼過ぎ頃までかかるでしょうから、十時過ぎの急行で横浜に向かえば充分でしょう」
 「ならいいけどよぉ。おめえちゃーんと見つけろよぉ、日本に呼び寄せといてさっそく置いてけぼり食らわせたんじゃあ帝劇の面目がたたねぇ」
 「大丈夫ですよ、写真は持っていきますし、一応頭にも叩き込んでありますから。エリナさん...ですよね、彼女」

 大神は懐から白黒の写真を取り出してもう一度確認した。集合写真のため顔があまり鮮明ではないのがいまいち心配ではあるが。

 「エリナと面識がねえのはおめえとさくらぐらいのもんか。歌劇団の創立以来ずぅっと一緒にやってきたんだが、残念ながら親御さんの都合で3年前一旦イギリスに帰ることになっちまった。いい芝居をする娘だぞぉ、彼女の復活でこの帝劇もさらに大繁盛ってぇもんだ」
 「あの、その事なんですが...」
 「言いたいことはわかってらぁ、帝国 "華撃団" としてだろうが? それについても心配はねぇ、何といってもここ帝劇の女優だあ、霊力についても申し分ねえよ、だーっはっはっはっ!」
 「そうですか、それを聞いて安心しました」
 「はっはっは、大神、おめえも帝撃の隊長ぶりが板に付いてきたなあ」
 「え、...そ、そうでしょうか」
 「おおよ。...おい、読み終わったんならその新聞、よこせ」

 米田が大神の向かいのソファに腰を下ろす。

 「えっこらせ。そういやぁおめえもここに来てもう三年か...ふぅあ〜っ、世の中おしなべて天下太平ってかぁ」
 「先の降魔戦役以来二年、特に目立って不穏な動きもないですし...帝都を護る者としてこれ以上の安息はないです」

 帝国華撃団、開店休業中とはいえ無論気を緩めているわけではない。治にいて乱を忘れず、花組団員たちも訓練に余念なく、その練度に衰えはない。

 「とはいえなぁ...わしのような隠居者にはちょうどいいがよぉ、おめえみたいな若い野郎にゃあちょっと刺激が足りん生活だろうよ。
 ──おめえ、海軍に戻るってぇ話は、ねえのか」

 突然の話題にはっと顔を上げる大神。

 「な、何をおっしゃるんですか長官っ! 表面的には平和が続いているとはいえ、夢組によれば未だ帝都に霊脈のディスオウダ(乱れ)は絶えないとのこと。まだまだ油断は出来ません、我々の戦力は帝都に不可欠ですっ、俺がここを去るだなんて考えたこともありませんっ!」
 「お、おお、その通り、その通りだぁ。よく分かってるじゃあねえか、こうやってたまにはカツのひとつも入れとかにゃあなぁ、だーっはっはっはっ!」

 顔を赤くして唾をとばす大神の剣幕に少々押されながら米田は大口開けて笑った。
 しかし.....

 彼は帝国軍全体の資産たる逸材。開店休業の帝国華撃団から彼を引き戻し、あわよくば華撃団の戦力まるごとわが手中に収めんと、米田そして政府首脳への海軍の横やりは日増しに強まるばかりだった。そしておそらくは、大神個人へも──
 彼とて志あって海軍士官を目指した若者、自分で分かっているつもりではあれ、現れるかどうかも分からぬ敵相手にひたすら時間を空費する毎日は...


 ...すまねえ、大神。わしとておめえ自身の将来はおめえに決めさせてやりてえ、花組の娘たちにも普通の娘としての毎日を過ごさせてやりてえ。
 だがな.....

 ニヤケた酔っぱらいじじいの心の奥を垣間見るには大神はまだ若かった。




 コッコッコッ。 タッタッタッ。
 「米田長官、米田長官っ!」
 「大神さーんっ、どこですかぁ〜っ!」

 階下がなにやら騒がしい。

 「おお、かすみくん、ここだ〜あ」
 「米田長官っ! あ、ここにいらっしゃっいましたか、はぁはぁ」

 かすみが柄にもなくあわてふためいた様子で階段を駆け上がってきた。

 「おいおい、今は長官なんかじゃねえぜ。一体何だそんなに慌てやがってぇ」
 「そ、それが...今海軍の横須賀司令部から緊急電報で...《本日未明、客船『アナー・オブ・ブリテン』相模灘沖ニテ沈没、漂流者多数》」
 「ぬぅなにぃぃぃぃ〜っ!!」

 米田がすっとんきょうな声を上げて飛び上がった。

 「《第一水雷戦隊ヲ急派、生存者ヲ救助。現在横須賀海軍病院ニテ収容中。事故ノ詳細ハ不明、但シ生存セシ士官ニヨレバ、異形ナリシ...》」

 電文を読み上げるかすみが突然息を飲んだ。
 米田が静かにかすみに視線を向けている。無言ではあるが...その眼はかすみに告げていた。
 ...制止の眼だ。

 「こりゃ大変なことになりやがったっ! 大神ぃ、何のんびりしてやがるっ、とっとと横須賀に向かえっ、エリナを何としても助け出せっ!」
 「は、はいっ、わかりましたっ!! 行って来ますっ!」

 大神は椅子から飛び上がるとダッシュで階下に消えていった。


 「...何ということだ.....かすみくん、続けたまえ」
 「は、はいっ! 《但シ生存セシ士官ニヨレバ、異形ナリシ怪物多数ノ襲撃ヲ受ケ反撃ノ余地ナク全艦沈没ト。士官乱心セリトミラレルモ現在事実関係ヲ調査中》」



 「ついに...来たか」


 米田が一言、静かに呟いた。







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続きのサクラ大戦−第1集第2部

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