ファインモールドからホロ車のサンプルをもらいました。せっかくもらったので、久しぶりに模型を作ることにしました。 足廻りを作りました。ここまではチハ車と同じです。 車内を作りました。細かい部品が多くて神経を使います。 操縦席には帯状の背もたれがありますが、これは弾薬箱につっかえるのでチハ車...
これまで紹介できなかった写真を掲載します。 ハーレーのオートバイだが、後ろに座席が付いていて三輪車のようである。救急車と一緒に写っているので、患者輸送用に改造されたものかもしれない。 見慣れない装甲車だが、トラックに張りぼてを被せた模擬装甲車である。昭和4年の演習での写真。(eBay) ザンボ...
公主嶺戦車学校の九五式軽戦車と戦車兵。公主嶺戦車学校は満州における戦車の研究と教育のため昭和15年末に設立された。 満州での冬期戦車訓練。湿地の多い満州では地面が凍結する冬は戦車の機動に適していたが、エンジン始動の困難さやオイルの凍結など満州の厳しい寒さによる問題もあった。 雪上に整列した戦車兵...
富士山麓の演習場で訓練に励む陸軍少年戦車兵。陸軍少年戦車兵学校は富士山に近い富士宮市にあった。 富士を背に訓練中の九七式中戦車。少年戦車兵学校には約70輌の戦車があり、そのほとんどが中戦車だった。 訓練で肉薄する敵を拳銃で射撃する少年戦車兵。実戦でこんなことをしたら自分の方が撃たれてしまうと思う...
満州事変での日本軍のルノーFT戦車。この戦車は車体側面のナンバーの書き方から、奉天軍閥軍から捕獲したものであることが分かる。(詳しくはhttp://mixi.at/a1TJvmY) 支那事変で捕獲された中国軍のドイツ1号戦車。この車輌は調査のために日本に送られたものだが、中国では日本軍によって戦闘...
装甲車は自動車に装甲板を取り付けるだけで作れるので、現地の部隊で改造して作成することも可能だった。そのようにして作られた装甲車は写真は見かけるが、現地改造なので改造の記録は残っておらず、改造内容についての詳しいことは分からない。今回紹介する現地改造装甲車は米軍がフィリピンで捕獲したもので、車輌を調査...
写真は米軍の化学兵器関係の報告書に掲載されている火焔放射戦車である。この車輌については試製火焔発射戦車カホ車として模型も発売されているが、名称の根拠は不明である。この車輌を調査した米軍の報告書では試製九七式火焔放射戦車となっているが、これも米軍が付けた名前だと思われる。この車輌については色々なこ...
九五式装甲軌道車。一見すると戦車のようだが、線路上を走れる鉄道車輌である。ビルマの鉄道連隊が保有していた車輌。(Bond collection) 九五式鉄道力作車。鉄道工事のためのクレーン車で、5トンまでの重量物を懸下できた。これも線路上を走行できる。(Bond collection) 装甲軌道...
一式装甲兵車は全装軌式の兵員輸送車。車体には乗員を銃弾などから守るために軽度の装甲が施されている。 一式装甲兵車の正面。車体前部にエンジンと乗員室を左右に並べて配置した。 一式装甲兵車の左側面。乗員室に2枚、兵員室に1枚の扉がある。 一式装甲兵車の兵員室には屋根はなく、必要に応じて幌を掛けた。...
スキ車は陸軍が開発した水陸両用トラック。既存のトラックに船形の車体を付けて水上を走行できるようにした。 正面から見たスキ車。船首の2つの穴はラジエターのための通気口。 米兵が物珍しそうにスキ車を見ているが、船首の通気口が閉じられているのに注意。通気口は水上走行の時には閉じることが出来るようになっ...
九七式甲号消車。甲号消車は毒ガス消毒車で、当初は九四式軽装甲車ベースの九四式甲号消車が使用されていたが、牽引力などに問題があり九七式軽装甲車ベースの九七式甲号消車が開発された。開発に当たっては、車体後部にハッチを設けるためにエンジンのレイアウトを変更するなど、元の九七式軽装甲車から大幅な改修が行われ...
1930年代前半の防空部隊。左の車輌が九二式牽引自動車で右端が照空燈車。手前では三年式重機関銃を対空銃架にセットして飛行機による攻撃に備えている。 1930年代後半から防空部隊で使用された九六式牽引自動車。先頭の牽引車が牽引しているのは九四式一号高射観測車。 九三式150cm照空燈車。車輌のベー...
支那事変での九七式側車付自動二輪車。九七式は陸王など数社で生産されたが、フロントフォークにバネが4本ある特徴からこれは岡本工業製である。支那事変では岡本製九七式も多数中国に送られたが、完成度が低く兵士からは嫌われた。 サイパンで海軍が使用していた九五式側車付自動二輪車。九五式は日本内燃機が開発した...
九五式小型乗用車は日本内燃機が開発した4輪駆動の乗用車。日本内燃機での呼称は「くろがね四起」。陸軍では指揮、偵察、連絡などに広く用いられた。 初期の3人乗りロードスター型。昭和12年から13年にかけて生産された。 車体を4乗りのボックス型に改めた後の九五式小型乗用車。昭和14年から生産された。 ...
ウーズレーA9型乗用車。大正中期から将校用の指揮連絡車として使用された。日本では石川島自動車製作所がライセンス生産している。 シトロエン・ケグレス半装軌式乗用車。ハーフトラック(半装軌式)はフランス人ケグレスが考案したもので、シトロエン社によって実用化された。陸軍では研究用として2輌を大正12年に...
スミダP型トラック。石川島自動車製作所が製造した6輪自動貨車で、満州事変で使用された。九一式広軌牽引車のベースになった自動貨車。 支那事変における日本軍の車列。自動貨車はフォード1937年型。乗用車も外国製だと思われるが筆者には車種は特定できない。分かる人がいましたら教えてください。 フォード1...
陸軍の傑作牽引車、九八式6トン牽引車(ロケ車)。ロケ車は戦車の技術を導入した高速牽引車で、それまでの牽引車と比べてモダンな外観をしている。 ロケ車の左側面。ロケ車の懸架装置は九七式中戦車と同様のコイルバネ、シーソー式で高速走行に適していた。また、転輪はゴムタイヤ付きで乗り心地を良くしていた。 ロ...
九二式10cm加農砲を牽引する九二式5トン牽引車。九二式5トン牽引車は石川島自動車製作所が開発した牽引車で、堅牢で信頼性が高く砲兵部隊では好評だった。 被牽引貨車を引いて実演をする九二式8トン牽引車。九二式8トン牽引車は九二式5トン牽引車とよく似ているが、一回り大型で15cm加農砲などの攻城重砲の...
第11装甲列車隊は支那事変の時に北支で編成された装甲列車隊。これらの写真はLIFEの写真を除いて米軍が終戦後に北京近郊で撮影したものである。 第11装甲列車隊の満鉄型軽装甲列車。中央が山砲を搭載した砲兵車。第11装甲列車隊はこのような装甲列車を十数編成保有していた。 中央に歩兵車。車輌側面中央...
九一式広軌牽引車は鉄道部隊で警備などに使用された特殊車輌。自動貨車をベースに線路上を走れるようにしたものだが、自動貨車の変速機をそのまま使用しているため後進が低速なのが欠点だった。そのため、2輌を背中合わせに連結して後退しやすいようにしている。 無蓋貨車に兵士を乗せて線路の警備に当たる九一式広軌牽...
日本に初めて輸入された戦車イギリス製マークIV。陸軍式の迷彩に再塗装されている。 同じくイギリスから輸入されたホイペットA型中戦車。こんな第1次世界大戦の遺物が昭和の初めまで演習に使用されていた。 近代的な戦車の始まりとされるルノーFT戦車。日本でもこの戦車とともに戦車隊の歴史が始まった。 F...
海軍陸戦隊の装甲車輌の代名詞のようになっているビッカース・クロスレイ装甲自動車。第1次上海事変での市街戦の一場面。 支那事変では八九式中戦車が陸戦隊に配備された。写真は連雲港城山にて警備に付く陸戦隊の八九式中戦車。 海南島攻略に活躍するカーデンロイド装甲車。カーデンロイド装甲車は陸軍では調査研究...
雑誌などの説明にはビルマ攻略戦でイギリス軍を追撃する装甲車隊とあるが、戦時中の写真週報にはイギリス軍ではなく、「蒋軍」と書かれている。雑誌の説明を書いた人は蒋軍の意味が分からなかったようだが、蒋軍とは蒋介石軍のことで、蒋介石はビルマに国民党の遠征軍を送っていた。写真はビルマ北部で国民党遠征軍を追撃す...
ガダルカナルで捕獲された九七式中戦車。この車輌は艦砲射撃で誘導輪を損傷して後置されていた車輌だと言われているが、快調に走っていて問題ないようである。米軍によって修理されたのだろうか。 戦車第9連隊の九七式中戦車で、サイパンかグアムでの撮影。砲塔の破線は隊長車を示すと言われているが、戦車第9連隊で新...
九州で米軍が撮影した三式中戦車。九州には本土決戦のために多数の三式中戦車が配備されていた。 同じ場所で撮影された一式10cm自走砲。この写真の続きは丸 2014年6月号の「日本陸海軍の自走砲」に掲載されていますので、興味のある方はそちらをご覧ください。 終戦後に日本国内で撮影された新砲塔チハ。砲...
歩兵部隊とともに中国大陸を進軍する九四式軽装甲車。砲塔には戦車第7連隊第2中隊のマークがある。戦車第7連隊がまだ戦車第1大隊と呼ばれていた支那事変初期の撮影と思われる。 攻撃を前に歩兵部隊と打ち合わせをする軽装甲車隊。上海戦線の独立軽装甲車第6中隊の写真。 済南市内に停車する独立軽装甲車第10中...
催し物で九二式重装甲車や九四式軽装甲車とともに展示されている八九式中戦車。八九式中戦車が敵兵を蹂躙している演出に当時の風潮が表われている。 陸軍歩兵学校での記念写真。八九式中戦車は甲型の初期車輌。昭和9年の撮影。 陸軍自動車学校の八九式中戦車。ナンバープレートに自動車学校を示す自校の文字がある...
第1次上海事変の八九式中戦車。中国の民衆が物珍しそうに戦車を見ている。 支那事変初期、北支で永定河を渡河する戦車第1大隊(後の戦車第7連隊)の八九式中戦車。戦車には第2中隊を表す笹の葉のマークが描かれている。 上海陸戦隊の八九式中戦車が捕獲したビッカース6t戦車を牽引するところ。八九式中戦車に...
良く撮れた写真だが、風景や服装から見て南方のどこかと言うこと以外不明。砲塔に平仮名のパーソナルマークがあるので、マーシャル諸島の海上機動第1旅団戦車隊かもしれない。 クエゼリン島の九五式軽戦車。戦車は黄線入りの三色迷彩の上から明るい色で上塗りされているようである。サンゴ礁の白い島では元の迷彩のま...
終戦直後、マーシャル諸島ミレー島で撮影された特二式内火艇。ミレー島には3輌の特二式内火艇があったが、米軍が上陸しなかったため戦闘に参加することはなかった。砲塔には白線と何かのマークが描かれている。(eBayより) アメリカ本土で撮影されたと思われる特二式内火艇の写真。米本国に送られた特二式内火艇が...
クェゼリンで米軍に捕獲された九四式軽装甲車。この車輌はM4と並んで写っている写真が知られているが、錨のマークが描かれていることから海軍車輛であることが明らかになった。 砲塔に日の丸が描かれているが、海軍車輌では軍艦旗や錨のマークを描くのが一般的で、日の丸というのは珍しい。 排気管が奇妙な形状をし...
潜水艦に搭載された特四式内火艇。特四式内火艇は潜水艦により水中を輸送できるように設計されていた。この一連の写真の特四式内火艇は米艦隊を攻撃するために改造されており、攻撃用の魚雷を搭載している。 潜水艦が特四式内火艇を載せて浮上したところ。この後、1枚目の写真に見るように特四式内火艇の発進を準備する...
特四式内火艇は日本海軍の兵員・物資輸送用の水陸両用車。終戦後、米軍によって米本国に送られた特四式内火艇はカリフォルニア州のペンドルトン海兵隊基地に展示された。 これらの写真は戦後間もないころの撮影なので車輌の状態は良い。しかし、現在では特四式内火艇は老朽化して、修復のため他所に移され非公開となって...
ホロ車には直接照準用と間接照準用の2種類の照準器がある。 砲身の左側にあるのが直接照準用の照準器である。これは九七式57mm戦車砲の照準眼鏡を三八式15cm榴弾砲用に焦点鏡目盛を交換したもので、3,000mまで照準できる縦目盛と、左右各100milの方向目盛が刻まれていた。照準眼鏡は乁の字形の支...
前の記事のコメントに書きましたが、ホキ車の屋根には機銃架があります。下の写真の人物の下にあるパイプ状の突起物が機銃架です。 この機銃架は、搭乗した歩兵分隊の軽機を載せるためのものです。フィリピンで米軍に捕獲されたホキ車には、軽機を載せているものがあります。 軽機は銃の真ん中辺で機銃架に固定され...
機動砲兵第3連隊の一〇〇式観測挺進車。これらの写真は、終戦後に北支で戦車第3師団の武装解除に立ち会った米軍が撮影したものである。 一〇〇式観測挺進車の後部。扉の裏側にあるのは電話線の延線装置で、ハンドルの付いている所にリールを取り付け、その上の2本の細い鉄棒の間からケーブルを繰り出す。 九一式1...
アバディーンにある新砲塔チハがドーザー装備型であることはよく知られている。しかし、ドーザー装備型戦車についての詳しい解説と言うのは見たことがない。そこで、その開発経緯などを紹介したいと思う。 陸軍では飛行場建設の機械化が必要になった時、本格的なブルドーザーを小松製作所に発注する一方で、応急的な機材...
二式軽戦車を改造した工兵作業のための発電車。30Kwの発電機は戦車のエンジンを使用して発電し、工兵作業に使用するポンプ、ノコギリ、削岩機などの電動工具に電気を供給した。砲塔には夜間作業のための投光器が装備されている。約25輌が製造されたが、部隊配備には至らなかった。 上記発電車をさらに改造して...
米軍のレポートに掲載されている沖縄の伐開機の写真です。首里北東の飛行場で撮影されたもので、飛行場の整備に使用されていたようです。沖縄に伐開機があったことは、これまでまったく知られていません。 米軍は伐開機の自記径路機に関心を持って調査しています。自記径路機とは密林の中でも進路を誤らず進むためのG...
戦車渡河用ゴムボート 8トンまでの戦車を搭載できるゴムボート。10.75m x 8.75m と言う常識外れの大きさだった。 戦車渡河用フロート 九四式軽装甲車に装備する渡河用の木製フロート。川から這い上がるのが困難で、フロートを離脱するのに外に出て作業しなければならないという欠点があった。
記事が好評なようなので、追加しました。
インド人研究家のインパールの現地調査のために、日本側の資料を調べています。 http://www.facebook.com/pages/Imphal-Campaign/107071002687155 調査しているのはインパール北方のモドブンですが、ここでは英軍のM3リー戦車が日本軍によって撃...
九二式重装甲車に37mm砲を搭載したものがあったというのはかなり怪しい話しです。 「日本の戦車」にはこの写真に37mm砲装備と書かれていますが、これは13mm機銃にカバーを被せているだけだと思います。 また、「日本の戦車」のこの写真も37mm砲ではないかと言われていますが、こんな37mm砲は...
これは丸の記事に掲載した満州事変の時のルノーFTの写真ですが、雑誌では解説できなかった点を書いておきます。 このルノーが奉天軍閥軍からの捕獲戦車である根拠ですが、車体側面に2桁の数字が黒で書かれています。写真では確認しづらいのでその部分を加工した画像をアップします。 これは奉天軍閥軍のルノ...
AM誌の記事に載せている写真ですが、この戦車、操縦席が左側にある以外にも変わった点があります。まず、袖部前角の視察扉がありません。右側は車体の影になって一部しか見えませんが、両側ともないと思われます。それから、車体前面に内蔵前照灯の蓋がありません。車体前面に紐のようなものが下がっていますが、これは前...
これらの車輌は対ソ戦用の工兵用特殊車輌として開発されたものである。昭和16年3月に研究が開始され、翌年の1月にテストが行われた。 鉄条網などの障害物を破壊筒で破壊するための車輌。戦車の中央に破壊筒の発射機を搭載している。 破壊筒を発射した瞬間。約10m飛ばすことが出来た。 発射機には破壊...
eBayに珍しいものが出品されています。(注;オークションはすでに終了しています) 出品者の説明では戦争中にフィリピンで日本戦車から取ってきたものだそうですが、形状を見ると装甲作業機の火焔放射器ではないかと思われます。調べてみたところ、やはり装甲作業機のものでした。米軍の日本軍化学兵器報告書...
丸に盧溝橋事件後と書いた写真ですが、どうも違うのではないかと思えてきました。最近、同じ時に撮影された別写真を入手したのですが、その説明には8月24日とあります。もしこれが昭和12年なら、北京はすでに日本軍によって占領されていて、説明の記述と合いません。おそらくこの写真は昭和11年に支那駐屯戦車隊...
アメリカにある増加装甲が砲塔に付いた新砲塔チハは現在、インディアナ州のRopkey戦争博物館が所有しています。 この戦車の砲塔がチヘ砲塔なのかは以前から議論されていますが、チヘ砲塔は砲架右側にボルトが1本ですが、新砲塔チハにはボルトが2本あります。 下のボルトは、肩当て照準の新砲塔チ...
モスクワに残されているカミ車の履帯です。興味深いのは7枚に1枚、履帯に穴が開いていないことです。手元のカミ車の写真をチェックしましたが、こういう履帯はほかには見当たりませんでした。これは接地圧を下げるための措置だと思いますが、占守島のカミ車の特別仕様なのでしょうか。
イ号は八九式戦車、ハ号は九五式軽戦車。ではロ号は何という話を聞きますが、 気が付いていない人が多いようですが、ロ号は九五式重戦車です。以前オークションに出品されたオイ車などの三菱の資料にそう書かれています。