装甲車は自動車に装甲板を取り付けるだけで作れるので、現地の部隊で改造して作成することも可能だった。そのようにして作られた装甲車は写真は見かけるが、現地改造なので改造の記録は残っておらず、改造内容についての詳しいことは分からない。今回紹介する現地改造装甲車は米軍がフィリピンで捕獲したもので、車輌を調査した米軍の報告書があるので改造内容の詳細について知ることができる。
フィリピン中部パナイ島イロイロで捕獲された現地改造装甲車。1.5トン積みフォードトラックを改造したもので、右ハンドルとあるので捕獲した米軍車輌ではなく日本フォード製だと思われる。装甲車としては一般的なスタイルだが砲塔はない。装甲板は厚さ約6mmの鋼板を2枚、間を開けて取り付けている。6mmの装甲板は日本軍装甲車輌では小銃弾には十分とされている厚さだが、それを2枚使用していることから、これは本当の装甲板ではなく品質の劣るただの鋼板であると思われる。
後方からの写真。スカートのような装甲板が目を引く。後部への出入り口は後ろにある扉のみで、室内には兵士が座るための木製のベンチある。ナンバープレートにある士という文字がどこの部隊を意味するのかは分からない。
追記)この装甲車は独立自動車第63大隊の車輛であることが判明しました。詳しくはこちらをご覧ください。→
https://twitter.com/Taki2121/status/1657924816618553345
ミンダナオ島ザンボアンガで捕獲された現地改造装甲車。1940年型1.5トン積みフォードV8トラックを改造したもので、表面には厚さ約5mmの鋼板を張り、その内側には厚さ約9cmのコンクリートの層がある。この組み合わせはパナイ島の現地改造装甲車の装甲板より耐弾性が高いと思われるが、装甲板は非常に重いものになっている。この装甲車には車体後部に軽機関銃用の砲塔がある。砲塔は旋回可能だが旋回装置のような物はなく、砲塔は天板に直接載せられていて旋回のためのベアリングなどもない。
フィリピンゲリラの話しでは、日本軍はパナイ島の装甲車を兵士の移動に使用していたとのことである。当時の日本軍はフィリピンゲリラに取り囲まれて町に孤立した状態で、町と町とを行き来することすら危険だった。そのため、移動中のゲリラの攻撃から身を守るためにこのような装甲車を製作したのだと思われる。当時、フィリピンで作成された現地改造装甲車はいずれも戦闘用ではなく、後方での交通に使用するのが目的だった。
ネグロス島の現地改造装甲車。装甲板がぶ厚いのでこれも二重装甲かコンクリート装甲だと思われる。後部は兵員室になっており、やはり兵士の移動に使用されたのだろう。側板に城壁の銃眼のような切れ込みがあるのが面白い。