ビルマの日本戦車

雑誌などの説明にはビルマ攻略戦でイギリス軍を追撃する装甲車隊とあるが、戦時中の写真週報にはイギリス軍ではなく、「蒋軍」と書かれている。雑誌の説明を書いた人は蒋軍の意味が分からなかったようだが、蒋軍とは蒋介石軍のことで、蒋介石はビルマに国民党の遠征軍を送っていた。写真はビルマ北部で国民党遠征軍を追撃する捜索第56連隊の九七式軽装甲車を撮影したもの。

インパールで英軍に捕獲された戦車第14連隊の九五式軽戦車。車体に材料廠を示すZのマークがあり、材料廠に九五式軽戦車が配備されていた事が確認できる。

同じくインパールで英軍に捕獲された戦車第14連隊第5中隊の九七式軽装甲車。第5中隊の前身は第21師団の装甲車中隊で、九七式軽装甲車5輌を保有していた。砲塔に「はるな」と言うパーソナルマークが書かれている。

バーモ陥落直後に撮影された写真で、九七式軽装甲車は捜索第2連隊がバーモから撤退する際に放棄したもの。砲塔に偽装ネットを張るための棒が取り付けられている。

タンガップ近郊でイギリス軍に捕獲された九七式軽装甲車。タンガップはビルマ南部沿海地域にあり、タンガップ地区隊(歩兵第121連隊、捜索第54連隊第4中隊など)が置かれていた。昭和20年3月、タンガップ北方メイに上陸したイギリス軍に対して捜索第54連隊第4中隊(九七式軽装甲車7輌装備)は反撃を行ったが、イギリス軍中戦車との遭遇戦となり全車を失った。写真の九七式軽装甲車はその戦闘で遺棄されたもの。(HistoryOfWar.orgより)

2014年09月23日 15:55