第11装甲列車隊は支那事変の時に北支で編成された装甲列車隊。これらの写真はLIFEの写真を除いて米軍が終戦後に北京近郊で撮影したものである。
第11装甲列車隊の満鉄型軽装甲列車。中央が山砲を搭載した砲兵車。第11装甲列車隊はこのような装甲列車を十数編成保有していた。
中央に歩兵車。車輌側面中央に第11装甲列車隊のマークがある。 マークは上から見た砲兵車を図案化したもので、第11装甲列車隊の高崎部隊長が決めたマークだった。
九一式広軌牽引車と正体不明の装甲軌道車。これと同じ型の車輌が高木氏の鉄道連隊の本に載っているが、高木氏はロシア製ではないかと推測している。
謎の装甲軌道車を正面から撮影した写真。正体の解明につながる手がかりは見当たらない。
第11装甲列車隊の装甲列車は終戦後に国民党軍に接収されて国共内戦に使用された。国民党兵士が覘いている扉に第11装甲列車隊のマークがある。臨城号と言うのは国民党軍が列車に付けた名称。(LIFE)