A Year Of War 1

第一章　ルウム

２　ダンシング・フリート

宇宙世紀〇〇七九年一月一五日　二二時四八分　サイド５付近　連邦軍第二艦隊旗艦　戦艦『アナンケ』第一艦橋

「第二三戦隊、第四三戦隊、第九四戦隊、第一〇二戦隊、配置転換を開始しました」
「敵主力、第二艦隊の砲戦距離に入ります」
　レビル中将はスクリーンに敵味方の艦隊を示すマーカーが、次々と位置を変えては表示されるのを見つめていた。この段階になると、連邦軍艦隊の総司令官という立場で下すべき命令はほとんどなくなっている。各艦隊の司令や、さらに戦隊の司令レベルの判断で状況が進められていくのである。次の総司令としての命令は、敵軍へのさらなる攻勢命令、つまり追撃命令か、全軍撤退の命令かのどちらかであるはずだった。
「敵艦隊、ミノフスキー粒子散布を開始しました」
　これで照準器はほとんど役に立たなくなった。遠距離から中距離での艦砲戦を嫌ったのだ。
「ＭＳが来るぞ。対空監視を厳にせよ」
　艦長が指示を出している。まるで第二次大戦並のレベルだが、この状況下では肉眼による索敵というのも馬鹿にならない。いや、馬鹿にしていたツケが今のＭＳ開発状況に表れたのだろうな。そんな感想が浮かんできたが、黙っていることにした。かわりに傍らに立つ参謀長に尋ねた。
「こちらの展開情況は？」
「前衛部隊の戦訓から、セイバーフィッシュ隊だけでなく、既にボール隊も発艦を行っています」
「やはりボールでは正面からＭＳと張り合えなかったわけだな」
「ええ。かろうじてセイバーフィッシュの第一撃のみが有効だという結果が出ていますが。セイバーフィッシュの増産も要請せねばなりませんが、それよりもＭＳの登場に合わせたドクトリンを早急に確立する必要がありますな」
「ドクトリンなど新しい現実に合わせて書き換え続けなければならん性格のものだ。試験の成績を出すのには便利なものだが、こんなものにこだわっているようでは何回戦争をやっていても勝てはせんよ」
　参謀長は、かなりあからさまなレビルのもの言いに僅かながら反感を覚えた。とはいっても、昔からの伝統だのなんだのにこだわりすぎて、硬直した連邦軍の参謀達が時代の推移についてこれなくなったのも事実だ。難儀なものだな。参謀長は微かに首を振った。平時の軍隊と戦時の軍隊とでは、要求されることがあまりにも異なってしまう。平時に馴れすぎた連邦軍が戦闘態勢を整えるまで、果たしてどれだけの時間が必要となるのだろうか。

宇宙世紀〇〇七九年一月一五日　二二時五一分　サイド５付近　公国軍総旗艦　巡洋艦『ファルメル』艦橋

　公国軍宇宙攻撃軍司令官であるドズル・ザビ中将は、上機嫌と不機嫌との間を浮沈する感情を味わっていた。不機嫌なのは連邦軍艦隊が予想外の速度でブリティッシュ作戦の結果生じた混乱から回復し、見事な艦隊機動を行って彼の前衛戦闘群を蹴散らしたため、コロニー落としの計画を中断して第二機動艦隊を投入せざるを得なくなったためであり、上機嫌なのは、ＭＳの価値を正当に評価はしているものの、どちらかといえば大艦巨砲主義者である彼にとって、艦隊決戦は一つの夢だったからだ。
　艦艇の絶対数で二対一という劣勢については全く気にしていない。現在の手持ちである二百機強のＭＳに、第二機動艦隊やコロニー作業部隊のＭＳを加えると、総計で千機以上ものＭＳを投入しているのである。ブリティッシュ作戦の際に比べて連邦軍の対空能力が多少の改善がなされたとはいえ、公国軍のＭＳを完全に食い止める事は不可能である。ＭＳ部隊の内、対艦攻撃の要となるのは、約百機の対核処理を施され核バズーカを装備したザクⅡＣ型である。一回の攻撃でこのうち半数が攻撃に成功するものとすると、二回攻撃隊を送り込めば連邦軍艦隊は半数を失い壊滅する。現在の連邦軍艦隊に対する攻撃成功率として、五十パーセントという数字がどの程度適切なのかは前衛艦隊の戦闘を検討した上で判断しなければならないが、ドズルや彼の幕僚達が観るところではそれほど的を外しているとも言えないようだ。機動性能に秀でたＭＳが至近距離から核弾頭を撃ち込むのである。艦艇に回避できるような攻撃ではあり得ない。ＭＳを倒しうるのは同程度の機動性能を持ったものだけである。限定的ながらその能力を持った戦闘艇は通常型の装備をした残りのＭＳが掃除する。艦艇の数はともかく、機動兵器の数は公国軍の方が圧倒的に優勢なのだ。
　負けるはずがない、ドズルはそう確認した。コロニー落としが失敗に終わったことにより、最初の一撃だけで連邦に手を上げさせるサドン・デスが成立するのは難しくなったが、こちらにとって有利な条件で休戦条約を締結するのはまだ無理ではないはずだ。仮に連邦が休戦条約を蹴ったとすれば、その時は地球を制圧すればよい。公国軍にはその能力があるし、そのための計画も練られつつある。
　さて、レビルはどうするつもりだろうか。ドズルは敵将の心中を推し量った。
　ＭＳ部隊が敵艦隊へと切り込んで行く姿をディスプレイに映ったマーカーを通して見つめる。敵もあの妙な機動ポッドの運用方法を変えたらしい。阻止攻撃に出てきたのは戦闘艇だけのようだ。連邦軍とてむざむざやられるつもりもないだろうから、この先もしばらくは楽しませてくれるだろう。
　……おそらくは奴も俺と同じ程度の理解には達しているはずだ。愉快なものではないだろうな。

宇宙世紀〇〇七九年一月一六日　三時七分　サイド５付近　連邦軍第二艦隊旗艦　戦艦『アナンケ』第一艦橋

「第四砲塔大破。本艦の戦闘力、四十パーセントに低下」
「第二主機、火災が治まりません。出力なおも低下中」
　ここまでだな。レビルは思った。戦況を示すディスプレイにはずいぶん前のデータばかりが表示されているため今一つ信用できないが、連邦軍の各艦隊がずたずたに引き裂かれて、今や断末魔のあえぎをもらしている所にまで来ていることは疑いようがなかった。全艦艇の半数近くは既に戦闘力を失っているようだ。
　ブリティッシュ作戦の戦訓を取り入れて行った幾つかの対策は、ある程度までは有効だった。セイバーフィッシュが迎え撃った公国軍の第一次攻撃は、戦闘前の予測通り五分五分で展開され、第二次攻撃についても予定より早めにボールを投入したことによって対空火力を増した結果、最初の内はほぼ互角のまま進展したのだ。
　しかし、そこまでが限界だった。戦闘継続時間の短いボールを補給のため後退させなくてはならなかったために一時的に対空火力が低下したことと、公国軍のパイロットが艦艇からボールを標的にしだしたことから、たちまち連邦軍艦隊の対空防衛網が崩れだしたのだ。そして、この第二次攻撃に、真打ちたる核弾頭搭載型のザクが加わっていたのだ。
　結局、十六日に入ったころから連邦軍の艦船が次々と戦闘力を奪われるか撃沈され始めた。そして戦闘開始から四時間を過ぎた現在、連邦軍艦隊はほぼ壊滅状態に陥っている。レビルの乗艦する『アナンケ』もその例外ではなくなっていた。
「閣下、申し訳ありませんが、旗艦の変更を願います。この艦はダメージコントロールの限界を超えました」
　艦長がレビルに言った。艦長自身も先程の被弾のショックで頭に裂傷を作り、血の滲んだ包帯を巻いている。
　つまりは万骨枯れて一将功ならず。予想通りの結果か。これでも敗北ではないと言い切るには無理があり過ぎるな。普通の人間なら惨敗と表現するだろう。
　レビルは艦長にうなずいてみせた。
「分かった。総員退艦の命令を出したまえ。君も降りるんだぞ」
　艦長は苦笑を浮かべてうなずいた。
「承知しております。部下を降ろしたら私も逃げ出すつもりです。それより、閣下こそお早く」
　レビルは傍らの参謀長に合図して、身体を座席に固定していたベルトを外そうとした。
　その瞬間、猛烈な衝撃が『アナンケ』を襲った。身体の固定が不充分だった艦長はたまらずにはねとばされ、天井に激突した。艦橋内の照明が消え、暗黒の虚空に星々と計器だけが弱々しく光を投げかける。一瞬後に赤い非常灯が艦橋内の惨状を照らし出した。
「状況報告」
　レビルは叫んだ。誰かが叫び返す。
「艦体後部に被弾。損害不明」
　報告が返ってくるのとほぼ同時に、レビルの身体に違和感が訪れた。これまで弱いながら艦体後部側に働いていた力が消えている。ほぼ完全な無重力状態だ。
「機関がやられたようです。現在、本艦は慣性航行状態」
　天井からはねとばされてきた艦長がそう告げた。左腕が変な方向に曲がっている。レビルの視線を受けて艦長は苦しそうに笑ってみせた。
「柔道をやっていたおかげですな。ぎりぎり受け身が間に合いました。もう少し修練を積んでいたら、骨を折らずに済んだのですが」
「衛生兵、艦長に応急処置を」
　レビル同様無事だったらしい参謀長が、早速手当を始めだした衛生兵に命じていた。その衛生兵自身も負傷したらしく、太股の部分にパッドを当てて包帯で仮止めしていた。
「とにかく閣下」
　早急に退艦をと言おうとして艦長は声を凍らせた。黒く塗装された一機のザク１が艦橋の中を覗き込んでいる。いや、一機ではなかった。同じ小隊なのだろう。あと二機のザクが後ろに控えている。
「ザクから通信です」
　通信士が固い声で告げた。
「『貴艦の戦闘力は完全に奪われた。投降せよ。さもなくば破壊する』以上」
　艦橋内の視線がレビルに集中した。
　レビルは一瞬目を閉じた。
「艦長、投降すると返信してくれたまえ」

宇宙世紀〇〇七九年一月一六日　四時一〇分　サイド５付近　連邦軍第九艦隊旗艦　戦艦『ネレイド』第一艦橋

　公国軍のＭＳ部隊による第四次攻撃がようやく終了した時、連邦軍の艦艇はその六割を失っていた。また、各艦隊を指揮統率すべき司令部も、ほとんどの艦隊は旗艦を沈められた際に機能を失っていた。さらに高濃度のミノフスキー粒子と戦闘時の陣形混乱によって、指揮統制能力の低下に拍車がかかっていた。
　本来ならば総指揮を執るレビル中将が撤退命令を下す局面であるが、中将自身が『アナンケ』沈没の際に捕虜となっており、しかも通信状態が極度に悪化していたためその事が他の艦に伝達されなかったことから、指揮権の委譲が明確な形で行われていなかった。もっとも、指揮権を委譲されるべき各艦隊の司令官達も戦死しているか、あるいは指揮能力を喪失しており、『アナンケ』の通信能力が機能していてもこの混乱は避けられなかったかもしれない。
　その中で第九艦隊は比較的まだ恵まれた情況にあった。
　被害が少ないというわけではない。本来の旗艦であった『ヒュウガ』は二時間ほど前に大破、艦隊司令部は艦橋ごと壊滅しており、生き残った乗員達の手でなんとかルナ２へと逃げだしていた。そういうわけで現在第九艦隊の指揮権は、次席指揮官であった『ネレイド』に搭乗するカニンガン准将のもとにあった。
　カニンガンは三八歳の若さで将官の地位を得たエリートで、レビル中将の副官を務めていた頃には彼の懐刀と呼ばれたほどの逸材であった。統率力の高さでは連邦軍でも五指に入ると評されるだけあって、この状況下でも艦隊の統制を損なわずに戦い続けている。被害の面で他の艦隊と特に異なるというわけでもないが、対艦戦闘能力も艦隊対空火力も失われずに公国軍に出血を強い続けている。そのため、現在では第九艦隊のみが連邦軍艦隊で唯一艦隊レベルでの戦闘力を残した艦隊といえた。しかし、その彼の艦隊にしても、戦闘力を維持するにはそろそろ限界が来ていることを認めざるを得なくなりつつあった。
　退き時だな。心の中でそう判断した。ちなみにこの時点でレビル中将は戦死したものと判断されており、他の上級者も戦死したか少なくとも指揮能力を失っているのは確実であると思われた。つまり、連邦軍の全艦隊中、彼が最先任、というか唯一の指揮能力を有した将官であるようだった。
　戦闘開始直後はともかく、高濃度のミノフスキー粒子状況下での乱戦が続いた結果、敵味方とも通信統制能力を大幅に低下させており、かなり無秩序に戦場のみを広げている。その結果、一度の攻撃を行う時間が延び、戦闘による被害が低下しているのは皮肉な幸運ともいえるが、逆の見方をすれば艦隊の秩序が崩壊しているということになる。いずれにせよＭＳにとってはさほど苦になる情況ではないが、艦艇による対空防御力のみに頼らねばならない連邦軍艦隊にとっては、艦隊秩序の崩壊は致命的に不利なファクターであることは間違いない。
　もっとも、カニンガンにとってはそれ以前にこれ以上の戦闘に何らかの意味があるとはとても思えなかった。既に戦局は決しており、このまま戦い続けても無駄に死傷者を増やすだけと思えた。連邦軍の再建を考えるとこれは危険な情況である。フネは造ればいいが、経験を積んだ兵士は再生産が効かない。
　撤退するべきだろう。レビル中将も同じ意見のはずだ。カニンガンはそう決定すると、通信効率が極端に悪化しているレーザー通信や原始的な発光信号から連絡艇まで、あらゆる手段を使って他の艦隊との連絡をつけようとした。
　なんとか撤退の段取りを整え終わったのは〇四一〇時過ぎのことである。公国軍の第五次攻撃の開始は二十分後、〇四三〇時頃であると予想されていた。
　カニンガンは艦隊を三つに分けることにした。本来ならば秩序ある撤退といきたいところだが、艦隊間の距離が開きすぎている状態では現状に合わせた方がいい。それに三つに分ければ一つのグループが捕捉されて壊滅しても、残り二つが生き残って再編への礎となるだろう。非情なようだが、あらゆる軍事行動の内、最も難度の高いとされる撤退作戦をこの陣容で無事に行えるはずもない。とにかく一隻でも多く撤退させればいいのである。最も被害の大きい第四艦隊は比較的支援を受けやすいルナ２方向へ、第一〇艦隊は公国軍艦隊の指向とは逆方向になるＬ－５方向へ、そして一番危険の大きい地球方向を退路とするのは第二艦隊とカニンガンの指揮する第九艦隊と決定された。
　撤退作戦開始は約十分後、〇四二〇時からを予定していた。
　うまくいってくれるといいのだが。

宇宙世紀〇〇七九年一月一六日　四時一二分　サイド５付近　公国軍総旗艦　巡洋艦『ファルメル』艦橋

　顔面を構成する部品から受ける感想とは裏腹に、ドズル中将の脳細胞はその地位にふさわしいだけの精度を持っていた。わずかな連邦軍艦隊の動きからカニンガンの作戦を看破したのだ。それと同時に、自分の艦隊に連邦軍の全てを捕捉して殱滅することが不可能だということも理解していた。
　二対一の兵力差を埋め、さらに勝利するために払った犠牲は決して少ないものではなかった。また、生き残った兵士達も疲れ切っていた。これ以上の無理を強いても疲労を増すばかりで効果が少ないどころか、下手をすると窮鼠に逆襲されかねない。追い討ちを掛けるなら確実性を第一に考えるべきだろう。
　公国軍艦隊の逆方向を目指す艦隊は距離的には一番近いが、反航されていることもあり時間的な余裕が少なすぎる。といってルナ２を目指す艦隊を狙うのも危険だろう。連邦軍の根拠地近くでもう一戦を行うのは不利だし、情報が少ないために機雷原でも敷設されているかどうかも不明だ。万一そんなところに突っ込んだら目も当てられない。とすると地球方向を目指す艦隊を狙うべきだろう。連邦軍もその程度のことは理解しているだろうが、だからといって公国軍の総力を傾けた追撃を凌ぎきれるとはとても思えない。深追いさえせず、第一撃で後退すれば充分に満足できる戦果を得られることが出来るだろう。
　とはいえ、もう一戦交えようと言う程にはＭＳ部隊の状態が良くない。特に核攻撃を仕掛け続けた機体はかなりガタが来ているようだ。核弾頭も尽きたため通常兵器での攻撃しか出来ないが、ほとんど損傷艦の連邦軍相手ならそれで充分だろう。
　艦艇の方は……これも良くない。ＭＳが攻撃を仕掛けるまでの間、二対一の兵力差で艦隊戦を続けていたのだ。ＭＳの攻撃は一撃で済むが、その補給の時間は一瞬というわけではない。その間は艦隊同士の殴り合いを行うことで連邦軍艦隊を拘束していたのだ。その結果、こちらもかなりの損傷を受けている。もちろん連邦軍ほどではないが、それでもほとんどの艦が大なり小なり損傷を受けていた。
　まあ、要は敵艦隊に追いつければいいのだ。その後はゆっくりとサイド３まで戻ればいい。なんなら慣性航行を行ってもいいのだ。よほどの損害を受けた艦以外は、なんとか攻撃に参加してもらうことにしよう。

宇宙世紀〇〇七九年一月一六日　四時二一分　サイド５付近　連邦軍第四艦隊第四三戦隊　巡洋艦『エクゼター』第一艦橋

　ドズルが連邦軍の僅かな動きから撤退計画に気付いたように、連邦軍にもまた公国軍艦隊の動きから、いち早くその目的を見通したものが存在する。四三戦隊を率いるチェン大佐はその一人だった。もっとも彼の場合、レビル中将の命令により、両艦隊が激闘を繰り広げる間中後方からその動きを監視し続けていたのだから、公国軍艦隊の動きに敏感に反応したことはそれほどおかしくもない。
　そういう事情もあり、彼は公国軍の目的が地球方面へと逃走を開始した第二・第九艦隊の捕捉にあることに早い段階で気が付いた。目下の所、彼の任務は第四艦隊（の残骸）をルナ２にまで送り届けることである。しかし、おそらくは公国軍がこちら側に牽制以上の攻撃を掛けてくる見込みはほとんどない。とすると当初の計画通りに第四艦隊のお守りを続ける必要もないはずだ。　チェンは自分の考えが、彼に下されている命令に違反していないかどうかを考えた。現在、四三戦隊に課せられている任務は『指定戦域の哨戒戦闘および後退する友軍の援護』である。誤解の余地のない命令ではあるが、曲解することは充分可能だ。別に彼らが『援護』しなければならないのは、第四艦隊に限ったことではないだろうから。また、この混乱しきった状況下の行動を四の五の言うものもいないだろう。後でなんと言われるかは知らないが、別にこれ以上昇進するつもりもなかった。なんとも都合のいいことに、こちら側に退却中の部隊で最先任は彼なのである。
　よろしい。ではジオン艦隊の脇腹を衝いてやるとしよう。うまくいけば第二・第九艦隊の面々が奈落の底に転落する前に逃げ延びるだけの時間を稼ぐことが出来るだろう。最悪でもこの日に壊滅した幾つもの戦隊のリストの最終行を飾るだけのことである。ありがたいことに時間だけはあったので、応急修理や補給は万全である。兵士の疲労もほとんどない。そう決めるとチェンは第四艦隊の旗艦代行を務めている『ニューデリー』に通信を送った。
「アリ大佐、後始末をお願いしたい」
　四二戦隊司令代行であり、第四艦隊の三人目の代理指揮官でもあるアリ大佐は浅黒い顔をしかめた。チェンの考えを理解したのだ。同時にそれが第四艦隊とチェンにとって、それなりにリスクをもたらす考えであることも理解した。短い時間をおいた後、彼はチェンに提案した。
「貴官には第四艦隊の撤退を成功させる任務があるでしょう。私の戦隊が出ますよ」
「貴官の戦隊では戦力不足だ。それに『ニューデリー』の機関はまだ調子がおかしいはずだ。少なくともウチの赤外線センサーはそう言ってるぞ」
　四二戦隊は四三戦隊と同じようにサラミス級巡洋艦『ニューデリー』をはじめとする四隻の巡洋艦から成っていた。そのうち一隻が沈没、一隻が大破しルナ２へ後送。『ニューデリー』も機関部に被弾して出力が完全に上がりきらない状態だった。アリは恨めしそうな表情を浮かべたが、不承不承うなずいてチェンの指示を受け入れた。
「ではせめて艦載機だけでも連れていってやって下さい。場所は空いているでしょう」
　その申し出はありがたく受け入れることにした。
　チェンは第二艦橋にいるネフとの回線を繋いだ。
「ナンバーワン、さっきの通話は聞いていたか？」
　ネフはコンソールのキーボードで指を踊らせながら答えた。
「四二戦隊のセイバーフィッシュとボールを戦力に加えて作戦案に修正を加えます。多少時間のロスが出ますが、差し引きすればプラスでしょう」
「分かった。頼む」
　チェンはマイクのセレクターを戦隊系に切り替えた。これで三隻の艦に乗る彼の部下全員に声が伝わるようになる。
「あー、戦隊司令のチェン大佐だ。本戦隊は五分後に第一戦速をもってジオン艦隊を追撃、捕捉後に一撃を加え混乱を生じさせ、友軍の撤退作戦を援護し、そのまま離脱する。この度は散々な戦いだったが、最後に一泡吹かせてやる程度のことは充分可能だ。最初と最後の勝利は我々がかっさらってやろう。それが戦死されたレビル閣下の意図でもあられたと小官は信じるものである。これまでに戦死した多くの戦友達のかたきを取ってやるのは無理でも、せめて一矢くらいは報いてやろう。以上だ」

宇宙世紀〇〇七九年一月一六日　四時二二分　サイド５付近　連邦軍第二艦隊第二三戦隊　巡洋艦『アナスタシア』　第一艦橋

　カニンガンの指揮する第二・第九艦隊の殿軍は二三戦隊だった。四三戦隊同様、この戦隊もレビルの布石の一つである。戦隊司令のボース大佐は、レビルの先見の明と自分たちの未来図について思いを馳せようとした。が、後者についてはすぐに諦めた。
　ジオン艦隊がこちらに集中してきた以上、我が戦隊の任務は一秒でも敵を食い止め、味方を逃がすことだけにある。もとより生死を考えていたのでは成り立つような任務ではない。ここが死に場になるだろう。
　ボースは心の中ではそう思ったが、口に出したのは脳天気なほど無邪気な言葉だった。
「敵が来るまで後十分はあるな。各員に朝食を取らせてやれ。腹が減ってはいくさは出来ないというのが戦場の真理だそうだからな。なに、飯を食いながらでも戦争は出来るだろうが」
　艦橋にいた面々は呆れ顔で司令官の顔を見たが、特に反対する者もなく各部署に命令を伝達した。ボースの決断を尊重したのか、厨房から戦闘食のサンドイッチとジュースを配り終わる頃まで公国軍艦隊からの戦闘行動は始まらなかった。

宇宙世紀〇〇七九年一月一六日　四時三四分　サイド５付近　公国軍総旗艦　巡洋艦『ファルメル』艦橋

「先鋒の第一一戦隊が敵の殿軍に追いついたようです」
　ディスプレイに表示されたマーカーが変化し、ドズルにもその様子が分かった。
　まっすぐに敵艦隊を目指す公国軍艦隊に、一個戦隊規模の敵艦が腹を向けて頭を抑えようと図っている。ちょうど車がドリフトをするような動きで、見事ではあるが同時にかなり無理な機動でもある。横方向のスラスターを最大出力で噴かし続ける必要があり、推進剤を大量に消費するのだ。長時間の戦闘をこなしてきた艦にとってはかなり厳しいはずだ。これではこの後の戦闘機動など満足に行えそうにない。
　こちらの艦艇もかなり推進剤を消耗しており、あまり贅沢な真似もできなくなりつつあるが、この戦隊を蹴散らさないことには前に進めない。ドズルは第一一戦隊にそのまま突っ切るように指示するとともに、第一一戦隊の上位部隊である第三戦闘群に敵の殿軍の相手をするように命じた。一個戦闘群も投入するのだ。身動きがとれなくなるだろう。
　残りの部隊をもって敵を捕捉する。連邦軍の最後のあがきも不発に終わったというわけだ。

宇宙世紀〇〇七九年一月一六日　四時三五分　サイド５付近　連邦軍第二艦隊第二三戦隊　巡洋艦『アナスタシア』　第一艦橋
「敵艦隊、分離します」
　ディスプレイに表示される敵の様子が変わった。相対速度としては猛スピードで交戦距離に突っ込んでくる敵先鋒は別として、敵の本隊の内、四分の一ほどがこちらの動きに追随して機動を行い、残りの主力はそのまま追撃を続行しようとしていた。こちらの牽制は別働隊に任せて、あくまで撤退中の艦隊を叩く腹らしい。
「舐めてくれるじゃないか」
　ボースは口に出してはそう言ったが、公国軍がそのような行動を選択した理由は容易に想像できた。二三戦隊を一戦交えた後の部隊と想定しているのだ。確かにぼろ負けに負けて這々の体で逃げ帰るような連中が、無傷の戦力を残していると考える方がおかしい。レビルの厳命があったから投入されなかったが、普通ならとうの昔に戦力の穴埋めに使われていたはずだ。
　連邦軍に勝つつもりがあったのなら。
　レビルはこの戦闘で勝つつもりなど無かった。あるいは作戦目的を果たせたことをもって既に勝利したと考えたのかもしれない。その結果、予備ともいえないような退路確保専用の部隊を残すという、普通なら消極性を弾劾されかねないような作戦を採ったのだろう。
「第二転回点、通過」
　航法士が告げた。ここからはまた強烈な横Ｇに耐えなければならない。
「敵の動きは？」
　情報士が答える。
「我が戦隊の機動に追随できていません。本艦右舷四時方向へ後落中」
　ボースはディスプレイを確認した。こちらに付けられた敵艦隊は、推進剤を盛大に消費して転回を行っている二三戦隊から振り離されつつある。二三戦隊を示すマーカーの横で次の機動開始時刻を表す数字がカウントダウンしていた。
「再機動まで十秒。総員、身体固定の再確認を怠るな」

つづく

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