第二章 南極会議


2 舞台裏の役者たち



宇宙世紀〇〇七九年一月二五日 一五時四一分 サイド3 ジオン公国首府ズム・シティ 首相官邸 首相執務室

 端末のディスプレイに表示される様々な情報を読みとり決済を行う。
 もう何年も続いてきた日常である。
 決済する業務のほとんどが公国政府首相という肩書きに対してやや格が低く感じられるのが難点だが、それも何年か続くと馴れてしまった。
 卑下抜きに、今の彼の持つ実権に見合っただけの仕事をこなしているのだろうと思う。
 ギレン総帥は、過大な権限の集中が権力の維持に結びつかないことをよくわきまえていた。必要な権限だけ己の掌中に。それ以外は適切な者に。
 そして私は適切な権限を与えられた臣僚というわけだ。
 やはり卑下が入っているかと思ったダルシア首相は、年老いた表情を僅かに歪めた。
 彼が単なる高級官僚と称しても大差のない境遇にいるのは、公国の政治組織に理由がある。
 ジオン公国にはシビリアン・コントロールを行えるだけの余裕が与えられなかったため、優秀な人材は文武の枠組みを越えて活躍することが期待されていた。そのもっとも極端な例が、行政府のトップである最高行政長官と、軍部のトップである統帥総監を兼ねるギレン・ザビ総帥である。事実上の独裁であるが、彼にはそれだけの実力があった。常人のレベルを遥かに超えた知能と絶大なカリスマをもった彼は、開戦以前から一人で公国を担い続けている。
 もっとも、ダルシアには彼が独裁を望ましいものと考えているとは思えなかった。いかに優れた能力を持っていても、独裁ではその能力の大半を現状の把握だけにとらわれてしまう。権限の分担こそが組織の効用であり、各人の才能をもっとも効率よく発揮する方法であるからだ。ギレンにその程度のことが理解できていないはずがない。
 現に彼は自分に集まる権限の大半を部下に配分している。総帥という肩書きの響きに消されて、一見したところではそうは見えないが、実の所、彼の立場は少し権限の強めの大統領という所だろう。軍政のトップとして実務に参加してはいるが、実際の作戦面についてはドズル・ザビにほとんど任せきっているし、行政の実務はダルシアが担当している。そしてその上で自分の権力を行使しているのだ。一歩間違えれば現場の混乱を招きかねない。その難行を可能にするあたりが彼の天才なのだろう。しかし、危険なシステムだと思わざるを得ない。今の公国はギレンの能力だけで平衡を保っている天秤のようなものだとダルシアは思う。彼が天秤に載せる重りを計り間違えたとき、あるいは天秤守の彼がいなくなったとき、公国はどうなるのだろうか。
 ディスプレイの片隅に割り込んだコールが彼を物思いから引き戻した。
「どうした」
「ギレン閣下です」
「お繋ぎしろ」
 ディスプレイに映ったギレンは、相変わらず完璧という語を連想させた。
 知覚を誤らず、判断を誤らず、行動を誤らない。
 つまりは機械と同じなのだが、果たして彼を見た者の幾人がそのような想いを浮かべられただろうか。最近、どうも国内で彼に対する神聖視が進んでいるように思うのだが。
「ダルシア首相、連邦との講和会談の人選だが、終わったかね」
「ケビム外相を中心としたチームを編成しました。今日中にはご報告できるかと思います」
「条約案は?」
「外務院の草案作成が終了しました。こちらの予定通りに講和が締結される場合の第一案、予定通りに進まず戦争が続く場合の第二案の二つです。これも今日中に詳細について報告いたします」
「結構だ。第一案が通ることを願っているがな」
「まったくです。しかし」
「どうした?」
 ギレンの目が僅かに細められた。
「レビル中将を議場に連れて行くのは危険ではありませんか? 先日の潜入騒ぎからして、連邦も必死になって奪還を狙ってくるものと思われますが」
「私も同感だがな」
 そう答えてギレンは滅多に見せない表情を浮かべた。微苦笑、あるいはそれ以下の僅かな感情を表したのだ。
「連邦を屈服させるにはどうしてもそれが必要だ。我々は戦いに勝利を収めたし連邦軍は壊滅に瀕してはいるが、それだけでは連邦政府に対する直接的な打撃として不足だ。もう一撃、誰にでも分かるメッセージが要る。コロニーを落とせない以上、実戦部隊の最高指揮官であるレビル中将の捕虜の姿を直接に見せることこそが、連邦に対する最後の打撃となるだろう。短期間内でそれ以上の打撃を与える方法となると、我が方にも存在しない。我々とてこれまでに受けた損害が少なかったわけではないからな」
 もとよりダルシアもその程度のことは理解していた。今、この時点での公国は、連邦に対して最大の優位に立っている。おそらくこの先、これほどの優位に立てる機会は巡っては来ないだろう。一日戦争が延びればそれだけ連邦軍の建て直しが進み、相対的に公国軍の立場は弱くなる。
 あと一つ、外交という場で勝利を得れば我々の勝ちだ。
 ギレンとの通話を終え、暗転してもとの執務情報を映し出したディスプレイを見ながらダルシアは思った。
 あと一つ。そこで躓いた覇業はこれまで幾つあっただろうか。



宇宙世紀〇〇七九年一月二五日 一七時四〇分 ジャブロー連邦軍本部基地 連邦軍情報局 第五会議室

 ファンが部下との最初の打ち合わせを終え、様子を見に来たときにはリーヴィスの方でも片が付いていたらしかった。
 リーヴィスは閑散とした会議室の正面奥の議長席に座り込んでタバコを吹かしていた。表情には出さないものの、かなり疲れているらしい。
「どうだ?」
 短いファンの問いに、リーヴィスも言葉少なに答えた。
「何とか」
「そうか」
 十年来の腹心の言葉である。ファンにとってそれだけで充分だった。リーヴィスは不可能を可能とするような仕事には全く向かないが、出来ると答えた以上は必ずやり遂げる極端な現実主義型の人間だ。サイド6に潜入してジオンの使節団に破壊工作を行うという困難な任務にも、何らかの成算を見いだしているようだった。
「中佐の方こそどうです」
 逆に問い返してきた。リーヴィスの任務が困難であるとしたならば、ファンの仕事は不可能事に近い。地球にやってくるレビル中将をどう奪還するのか、リーヴィスならずとも気になるところだ。一応、それぞれのグループの踏む手順について頭に入れてはいるが、詳細についてはそれぞれの裁量次第である。先にファンが示した計画案は、リーヴィスにはかなり冒険的な要素があるように思われた。
「ま、大丈夫だろ。あくまでこちらの予定通りに進んでくれたらの話だが」
「そうですか」
 リーヴィスもまた、上司であり友人でもあるファンの言葉を疑ってはいなかった。特殊部隊の人間である以上、彼もまた必要充分なレベルの現実主義者であるが、リーヴィスの目には彼が冒険を楽しんでいる様にも思えることがある。冒険を愛することが出来るほど大胆ではあるが、今まで生き残ってくることが出来だけの冷静な判断力も持ち合わせている。リーヴィスのファン評はそうしたものだった。彼の目には困難を究めているように映るレビル奪還計画も、ファンには成算があるらしい。であるからには、彼を信ずるべきだった。
「もう少し時間があれば飲みに行けたのだが」
 ファンは残念そうに言った。地球からサイド6まで三日ほどかかる。準備時間を考えるとほとんど時間が残っていない。リーヴィス達は、六時間後には発着場に集合していなければならなかった。もちろん、それまでにやらなければならないことは無数にある。一秒たりとも無駄には出来なかった。
「仕事が終わってからになりますね。中佐の奢りですか」
「馬鹿野郎。どうせ部下にたかり尽くされるんだ。お前たちが帰ってくるまでにはすってんてんになってるさ。お前の方が金を持ってるだろ」
「私も部下に奢らされるんですよ。割り勘でいいですからうまい酒を調達しておいて下さい」
 ファンは笑顔を浮かべて頷いた。
「ああ。任せとけ。それじゃ、そろそろ仕事に掛かるか」
 リーヴィスも頷くとタバコをもみ消し、立ち上がった。
 生きて帰って酒を飲むためにはそれなりの準備が要る。そういうことだった。



宇宙世紀〇〇七九年一月二九日 八時一二分 サイド6 七バンチコロニー カーライル通り オカハラ第7ビル 株式会社ウェイガン通商

 リーヴィス達がサイド6に着いた頃には夜が明けていた。もちろん、「夜が明ける」というのもコロニーの集光窓の開閉で調整された人工的なものである。リーヴィスの計画では三時間前には到着していたはずなのだが、戦争の影響で民間航路もかなりの混乱を来していたのだ。
 彼らが乗り込んだ『第8アカシア号』は、情報局のサイド6での隠れ蓑を務めるウェイガン通商の持ち船だった。それだけに安全といえば安全、危険といえば危険な話である。もう少し余裕があれば別の船を仕立てたかったのだが、そこまでするだけの時間がなかった。ウェイガン通商の面が割れていなければ問題ないのだが、そこまでサイド6自治政府やジオンの同業者達を過小評価することは出来ない。しかし、明日までの短い期間に彼らの目的まで割り出すことは不可能だろう。リーヴィスはその時間だけでも保ってくれればいいと思っている。
 部下の半数はここにはいない。ウェイガン通商の面々と共に街中の倉庫を回っては荷物の積み下ろしに追われている。その大半は納品書通りの無害な代物であるが、一部の貨物には舞台道具を紛れ込ませている。明日の公演で使うかどうかは神のみぞ知るというところだ。もっとも、逃走の必要がないほど成功するか、あるいは完全に失敗するかのどちらかでない限り使うことになるだろうが。
 リーヴィスは残りの部下、つまり明日の作戦で彼と一緒に使節団の滞在するホテルに襲撃をかけるメンバーを数人のグループに分け、今日一日街中を歩き回らせることにするつもりだった。明日の作
戦で使うコース等を実際に五感で確認させるためだ。本来ならば同スケールの模擬施設を用いて突入の訓練をするところだが、それだけの時間も情報にも不足していた。イメージトレーニングだけが事前の訓練である。各メンバーの役割分担など、細かい手順は船内で過ごした数日間で全て詰め終わっている。あとはその役割を確実に果たしうるかどうかだけが問題だ。
 ま、ウェイガン通商の連中が上手くやってくれていたからな。
 リーヴィスは朝食を終えて休息を取っている部下を見ながら思った。
 我々が失敗する可能性はかなり低いだろう。任務の達成条件がかなり曖昧なため、何をもって成功したのか採点しにくいかわりに失敗の条件も曖昧だ。少なくともジオンの注意を我々に引きつけて、この先必要以上の警護を交渉団に払い、そして必要以上の注意をレビル中将に割いてくれればいい。連中には同時に双方を完全に守りきるだけの手駒がないはずだという予測が正しければ、レビル中将は単独で、講和会議のクライマックスに登場することになる。
 レビル中将を会議の間中未知の場所に置き続けることは、警護上危険に過ぎる。それゆえ、おそらく必要なときが来るまでは比較的安全な軌道上の戦闘艦に彼を確保しておき、その後シャトルで直接議場に送り込む事になるだろう。ひとたび地上に降り立てば、我々には彼を奪取する方法がない。少なくとも公然とテロ攻撃を行い、会議に参加している多数の民間人を巻き込まない限り彼を奪うことはほとんど不可能だ。
 この予測についてはファンもリーヴィスも異論はなかった。ただしその予測から彼らが下した結論は、一般のものとは異なっている。
 まあ、ここで出来ることは連中にダメージを与え、それなりに警戒してもらう事だけだからな。気軽にやらせてもらいますよ、中佐。



宇宙世紀〇〇七九年一月三〇日 四時一四分 サイド6 七バンチコロニー エセックス通り ホテル『グランド・リーア』地下一階

「F4R2、ツーポイントゲット、ノーミス、クリア(二人射殺、被害無し、制圧)」
「F4R5、フォーポイントゲット、ワンミス、クリア(四人射殺、一人負傷、制圧)」
「こんなものかな」
 リーヴィスは通信機から流れる報告を聞きながら副官に尋ねた。
「九分経過しています」
 副官が答えた。
「戦闘開始からこれだけ経っていれば、すでに迎撃体制が整っていると考えた方が自然です。それでこの程度の反応ですから、おそらく次の階に主防衛戦を張っていると考えるべきでしょう」
「F3、制圧完了」
 三階の制圧任務に回していた第二小隊から報告が上がってきた。四階を制圧している第三小隊が仕事を終えるのももう間もなくのはずだ。第二・第三小隊をまとめて五階に投入すれば、敵の主防衛戦であろうと、力技だけで突破できるだろう。そうすれば六階にいるはずのジオンの外交団に王手を掛けることが出来る。もっとも、その場合、撤収するだけの時間を使いきってしまって、のっぴきならない羽目に陥ることだけは確かである。少なくとも幾度となく繰り返してきたシミュレートではそういう結末を迎えていた。
「F4R3、トラップ、ワンホーマー、ツーヒット、クリア(罠に遭遇、一人戦死、二人負傷、制圧)」
 R3というコードを割り振られた部屋は、この階層での重要なポイントとされていた。部屋自体はラウンジ風で普段は使われず、たまに階層全体を借り切るような客がホームラウンジとして使う程度だが、この部屋の奥には上下階層との搬送用にエレベータを通した小さなシャフトがあった。
 正面から階段やエレベータを攻略していたのでは防御されやすく、時間が掛かるのでこの部屋を制圧する方を優先していたのだが、向こうもそれを予想していたようで大がかりなトラップを配置していたらしい。
「ポスト、F4R3、SG2」
 リーヴィスはR3攻撃を指揮した分隊長を呼び出した。
「SG2」
「MJだ。報告せよ」
「シャフト内に遠隔操作型の爆発物がセットされていました。解体作業に入る前に爆発して、DB2が戦死しました。あとの二人は軽傷です。現在処置中。この部屋から進むのは不可能です」
「MJ了解。待機せよ」
「了解」
 DB2−アンリ軍曹か。爆発物の取り扱いでは隊内でも一、二を競う名手だった。彼の解体ミスではなく、敵の対応を甘く見すぎた私の責任だな。一瞬だけ後悔の念がよぎったが、次の瞬間、指揮官にふさわしい精神状態に戻った。副官に尋ねる。
「どう思う?」
「退き時です」
 副官の返答は明瞭だった。
「作戦の進行状況は順調ですが、R3をトラップにしたということは、もう一つのエレベーターもトラップにして、残る兵力は全て階段に回しているはずです。天井を抜いている時間もありません。現状で作戦目的は達成したと見なして撤収するべきです」
「分かった」
 リーヴィスはそう答えて有線通信機――作戦開始と同時にミノフスキー粒子を散布したため、無線は一切使用できなくなっている――のチャンネルを全部隊に切り替えた。
「MJ。情況C−3。退路B−2」
 あとは作戦前の打ち合わせ通り、分隊長達が最善の撤収を行い、追撃の妨害を計るため退路に仕掛けた爆薬を「目覚めさせる」までの数十秒間を待てばいいだけだ。その後はこのホテルから撤収し、幾つかの撤退路を用いて逃げ出せばいい。最低でもこのホテルからさえ逃げ出せば、ジオンも追撃できなくなる。サイド6の警察にバトンタッチしなくてはならないのだ。つまり、事実上の撤退成功ということだ。
 リーヴィスはそこまでの間で失敗が起こるとは思っていない。問題が起こる前に手を打ち、弱気なぐらいに慎重に事を進めているのだ。不運が重なりさえしなければアンリ軍曹の戦死もなかったはずなのだが、そこまでは仕方がないとしても、撤収そのものは成功するだろう。ジオンもあまりしつこくはしないはずだ。
 オードブルに全力を注ぐものはいないだろうから……。
 後は任せますよ中佐。
 どうもこの先私に出来ることといえば、あなたの成功を祈ることぐらいしか残っていないようですからね。



もどる

つづく

「一年戦争記」インデックス