A Year Of War 2_4

第二章 南極会議


2 舞台裏の役者たち



宇宙世紀〇〇七九年一月三〇日 四時三一分 月面都市グラナダ 戦略防衛軍司令官公邸 寝室

 もっとも眠りの深い時間に叩き起こされた割に、キシリアの脳細胞はほとんど時を置かずに起動した。基本的に眠りがそれほど深くない体質である上に、これまでの経験がそれを強化していたからだ。
 とはいえ、今朝ばかりはそれだけでもなかった。彼女にはある「予感」があったのだ。第六感とかいうあやふやなものに基づかない「予感」が。
 副官から使節団がサイド6で正体不明の武装集団にテロ攻撃を掛けられたという報告を受けても、全く動揺を見せなかったのはそのためでもあった。
 それは副官も同様だった。彼もまた、キシリアと同じ「予感」を持っていたのだ。
「ところでどのラインでその情報を仕入れたのだ?」
「統帥本部への緊急通信回路に割り込みました」
 副官は露見したら反逆罪では済まない事をさらりと言ってのけた。もともとこうした情報戦は彼の得意分野でもある。
「それで、今現在でこの情報を知る立場にあるのは?」
「統帥本部の向こうまでは分かりかねますが、キシリア閣下と私、あと私の部下が三人ほど」
「その三人には二十四時間の禁足令だ。マ・クベ中佐、お前は十分後に私が到着するまで情報を整理しろ。レビルの安否の確認が最優先だ。以上だ」
「了解しました」
 今頃統帥本部の方でも慌ただしくなりだした頃だろう。立ち上がりは私の方が僅かに早かったが、今回はこれ以上は別段出来ることもない。統帥本部のお手並みを見ているだけだ。
 それにしても連邦め。キシリアは思った。サイド6で中途半端なテロを仕掛ける程度のことしかできないのか。レビルはどうするつもりなのだ?



宇宙世紀〇〇七九年一月三〇日 七時一四分 ダカール 連邦政府議長公邸 第二補佐官執務室

 地球連邦の元首たる連邦最高行政会議議長は、職務を遂行するために幾人かの補佐官を持つことが認められている。その中で特に重要なのは、国務全体に渡って助言を与える首席補佐官、安全保障を担当する第二補佐官、経済を担当する第三補佐官の三人である。
 今年三十七歳になるリュー・ホンユーは、第二補佐官に任命されて三年目になる。職責の割に年若いとも思えるが、任命当初はともかく、現在ではその事をとやかく言う者はいない。彼女の知性と判断力は万人に認められるところだった。
 彼女の朝は早く、午前六時五〇分には夫と三人の子供との朝食を済ませ、官舎を出る。徒歩五分の職場に着き、七時には報告書に目を通し始める。議長に朝の報告を始める八時までが、昨晩の間に届けられた、比較的重要度の低い情報の整理に当てられる時間だ。
 しかし、その原則を外れることも往々にしてある。南極でのジオン公国との和平会談を控えた今朝などもその例外だ。少なくとも六時間は取ることにしている睡眠も、可能な限り欠かしたことのない家族との朝食も、各部局から送られてくる膨大な情報の海に浸食されてしまった。
 そういうわけで、正直なところ彼女の機嫌はそれほど良くない。が、それで仕事の能率が落ちるわけでも、ましてそれが彼女の表情に出ることもなかった。
 だが、今朝始めての来訪者にはそこまで判っているかもしれない。そんなはずはないというのが理性の意見であり、それに反対するのが彼女の感情だった。そして、理性と感情が対立を始めることこそが、彼の術中に陥る者が見せる最初の徴候だというのが彼女の記憶が示した警告だった。
 彼についてはいろいろと破天荒な噂を聞かされてきたが、どうやら火のないところに煙は立たなかったというところが事実らしい。少なくとも彼に気圧されているのは事実だと、彼女は思った。
 連邦軍情報局副局長は淡々と事実を述べただけだった。そして僅かな未来に起こるであろう出来事と。
「取り消しは出来ないわけね」
 少なくとも表面上は何の感情も交えずに、彼女はロイド副局長に尋ねた。
「私は過去を変えるだけの力は持っておりません。未来に属することならばある程度は可能ですが、今回に限ればお勧めはしません。過去の危険を償えるものでもなく、むしろ危険を冒して手に入れた可能性を捨て去るわけですから」
 ロイドの抑揚に変化は起きなかった。確かに正しい。間違ったことは言っていない。
「だからといって、サイド6へのテロリズムを認めることは出来ませんよ」
 例えテロリストの正体が露見せずに終わったとしても。中立サイドでのテロ攻撃と連邦とを結びつけないような人間などいるわけがない。いるとしたら今回のテロがあまりにあざとすぎて、かえって連邦を陥れるためのテロだと思いこんだ者だけだろう。意外と多いかもしれないが、だからといって、それが多数派になるわけでもない。
「認めていただく必要もありません。我々の任務は、明日の調印式が行われるまでにレビル中将を奪還することだけですから」
「それで通じるとでも思っておられるの?」
「まさか。しかし、我々は別にテロ行為を働いたわけではありませんからな。あくまで中将の奪還作戦を執り行っただけですよ」
「そんな小学生も引っかからないような詭弁を書き散らかした原稿を持って、記者会見を行えとでも? 報道官が泣くわよ」
「中将を奪還すれば全ての問題が解決しますよ。詭弁云々なんて記事などより、遥かにニュースバリューの高い記事が舞い込むわけですから。あとになって、何だかんだ言う記者も出てくるでしょうが、今は戦時中ですからな。何とでもなります」
 リューはため息をついた。
「あなたはもう少し理知的な方と聞いておりましたけれど……」
 ロイドの表情に変化はなかった。
「私は理性を捨てたつもりはありません。今、この瞬間でもっとも成功率が高く、もっとも効率よく問題を解決することの出来る計画を実施しているだけです。条件さえ整えてやれば、私の部下は確実に中将を奪還します。それを最優先項目に据えている以上、他の問題は対処可能なレベルまで低下させるだけでよしとするべきでしょう」
「分かりました。いずれにせよサイは投げられているわけですから、今更何も言えませんね。議長閣下には私から説明しておきましょうか?」
「いえ、よろしければ私の口からした方がいいでしょう」
「そう言って下さると助かりますわ」
 彼女は安堵した。理性面ではともかく、感情面で自分自身を納得させることの出来ないテーマの報告を行うという苦行からは解放されそうだった。どのみちロイドが上司の執務室から出てきた瞬間に呼び出しを受けることになるだろうが、それまでは対応について考えを巡らしておくことが出来るというものである。



宇宙世紀〇〇七九年一月三〇日 一一時二八分 南極 和平会議会議場 連邦政府交渉団控室

 一昨日、一月二八日にジオン公国が休戦交渉を申し入れてきた時、連邦が一も二もなく受け入れたのは当然のことだった。一週間戦争ではコロニーを落とされ、さらに先日のルウム戦役ではコロニーを落とされこそしなかったものの、圧倒的戦力を誇っていた(と考えられていた)連邦艦隊が壊滅したことにより、連邦の戦意は地に落ちていたからである。この時点で、連邦には公国政府の『さらにコロニーを落としてみせる』という恫喝を無視できることの出来る政治家はいなかった。一部の軍人は公国にそれだけの戦力が残されていないことに気付いていたが、それを連邦の政策に反映させるだけの力が、ルウムで完膚無きまでに叩きのめされた連邦軍にはなかったのである。
 休戦条約の締結予定日は一月三一日となっていた。つまり、二八日から三一日までの期間が交渉のために設けられた時間というわけである。公式には交渉団の到着は一月三一日となっていたが、現実には公国より交渉の打診があった直後より、双方の官僚団は接触を始めていた。もっとも、休戦条約の内容は早い段階から予想がついていた。公国側の要求ラインとして、ジオン公国の独立自治権承認と連邦の軍備縮小という二本の柱が盛り込まれることは、誰の目にも明らかだったからである。連邦にしてみればそれは降伏勧告に等しい内容であるが、それを覆すだけの力を持っていなかった。要するに、明日、連邦は降伏条約に調印させられるのだ。
 連邦政府から派遣されてきた交渉団のナンバー2を務めるマイケル・ヤング事務次官にも、その事はよく分かっていた。連邦官僚団の中でもトップクラスの交渉力を誇る彼にとって、交渉を行うだけの余地がないという現実は、非常に不本意なものだった。しかも、交渉の時間を引き延ばすという最も簡単な手段さえ使えなかった。公国側の交渉団が開口一番に、一月三一日までに合意が得られなかった場合、それ以上の交渉を行わずに引き上げると宣言したからである。それが交渉術の一つであるとは承知していたが、今の連邦の状況からしてその宣言を受け入れざるを得なかった。以来、彼の仕事は妥協の余地の全くない宣言ばかりをダカールの連邦政府に伝え続けることに終始した。
 正直なところ、匙を投げ出したい気分だった。ここ数日の彼の仕事ぶりは、一応「激務」であったと評されても良い内容のものだったが、実際に行っていたのは休戦条約の語句の些末な修正に過ぎなかったからだ。そのような仕事は、本来ならば彼の部下にやらせておけばよい程度のものである。それをあえて担当していたのは、彼の官僚としての本能−無為であることに耐えられなかったということと、彼のこの場における唯一の上司のためであった。
 彼が何もかも投げ出してさっさとダカールなり、何なら故郷のフロリダに戻ってしまいたいという願望に駆られている主な原因は、どちらかというとその上司にあった。地球連邦政府交渉団団長にして連邦政府自治問題担当議員という肩書きを持つジョージ・オズウェル氏は、そのような人的魅力に溢れる人物であった。
 連邦政府の意向が、まず確実に不本意な結果に終わると予想されるこの会議において、彼をスケープゴートに仕立て上げることにあるのはまず間違いがなさそうだった。ヤングの立場は、実務担当兼贖罪羊の不運な道連れというところだ。
 もっとも、彼の上司はともかく、彼自身は連邦の今日の有様についてそれなりの責任を感じているので、贖罪羊として祭壇に上げられることについてはさほど抵抗を感じてはいなかった。彼が我が身の不運と考えているのは、祭壇への同行者の人選であった。いや、ヤングが頭にきているのは、彼の出身地がヤングと同じマイアミだったということかもしれないが。
 それはともかくとして、あと二十分ほどで報告書をまとめあげなければならない。オズウェル氏との「昼食」の席上で、今日の午前中までの状況を説明することになっていたからだ。こっちは部下共々、食事なんだか栄養剤なんだか分からないようなモノでここしばらくの栄養をとっているんだがな、と思ったものだが、今更その程度のことに目くじらを立てるつもりはなかった。少なくとも食事の間はヤング一人が被害を被るだけで済む。なんにしろ放っておくと知らないうちにその辺を「徘徊」して妙な連中と妙な話を始めかねないので、(それがいかに不愉快なことであれ)目の届くところに置いておかざるを得なかったからだ。
 だからといって、好きでやれる仕事でもない。これが給料の内だというのなら、三ヶ月分の減給処分を喰らってもいいからフロリダで−ああ畜生、あの男の事を思いだしちまった−休暇を取りたかった。いやそういえば、コロニー落としの余波で起きた津波のために、フロリダも大混乱に陥ったままだったはずだ。くそったれめ。俺の背負っている不幸の九割は、あの男とジオンが消滅したら一緒に消えてなくなるのに。
 今日何度めかの溜息をもらして、内容的にも全く魅力を感じられない報告書の文案を練っていると、ディスプレイの片隅にコールの文字が浮かび上がった。それも最高レベルの秘匿度を要求する「パープル」の指定が掛かっている。
 普通は連邦議長と話すときでさえ、ここまでの要求はなされない。規定に従って、幾つかの機密保持条件を再度確認しながら、ヤングはこの通信について思考を巡らした。外交上の用件で、それも何か問題があったと考えるべきだろう。状況から考えてオズウェル氏の所よりも先にこちらを呼び出したようだが、それ自体は問題ない。現場の実質的な最高責任者はヤング以外の何者でもないからだ。問題は、何を伝えようとしているかだ。この段階で俺を呼び出す以上、よほどの問題があるようだが……?



宇宙世紀〇〇七九年一月三一日 一一時一五分 南極 和平会議会議場 大会議室

 十時に始まった会議は、昨日までの折衝で双方の官僚が練り上げた計画通りに進行していた。「双方の」とはいっても、公国側の提案を、ほぼ全面的に連邦側が受け入れていたので、かなり偏った内容に仕上がりつつあるのはやむを得ないところだろう。
 公国交渉団の団長を務めるケビム外相は、連邦側の見せるなけなしの抵抗に対して、(理解は出来ても)苛立ちを禁じ得なかった。彼らが合意案の片言節句についてもいちいちと確認や修正を求めるために、なかなか議題が進まないのだ。それでいて議案自体は、折衝で合意された通りの内容に落ち着いているのである。つまるところ時間稼ぎにしかなっていない。しかも、時間を稼いだ所でなんら得るものがないのだから、これでは彼らの自己満足、あるいは連邦議会に対する言い訳造りにしか見えないのも無理はなかった。
 そう、プロの交渉者として、確かにこの条約案は手厳しい内容だろう。ケビムにしても、彼らに課せられた条件がこれほど悪くなければ、到底認められるものではないだろうと思わざるを得なかった。つまるところ、今、決議されつつあるのは、連邦の遺言状であったのだから。

「一体、私はどの面を下げてこんな条約を持って帰らねばならんのだね?」
 ヤングの上司が彼を詰問した。
「これは条約なんてものではない。降伏文書だよ」
 今更何を言っているのだ。条約の素案については何度も説明した。それを聞いていなかったのか。
「我が連邦の現状では、この案を受け入れざるを得ません。先日の報告でも申し上げたとおり、今ここで条約の締結を蹴って継戦した場合、次のコロニー落としを阻止するだけの力は残っていないのです。」
「私ははっきりと認めないと言ったはずだぞ。あの時の案とほとんど変わっていないじゃないかね」
 だったら少しは自分で何とかしようとは思わなかったのか、いや、それ以前にどうしてそんな案を受け入れざるを得ないのかという、子供でも分かるような状況判断もできないのか。
 ヤングはこのまま連邦が解体されて自分が馘になったら、真っ先にこの男を殺してやろうと思った。ここの所、一日に一度はそう思うようになっている。考えてみればここ数日、この男と直接に会うのは一日に一度、彼の昼食の席上で行われる報告の時だけだ。つまり会う度に殺意を燃やしているわけである。
 昨日説明を受けた計画が失敗したら、すぐにでも連邦を解体して欲しい。ヤングはそんなことを思っていた。この男の前にあと一度立ったら、胃に穴が開くに違いない。あるいは最後の理性の一滴まで汲み尽くして、自分でも知らない内にこの男の首を絞めているとか。
 幸いなことに彼の忍耐力が限界に達するよりも先に、彼の部下が救いの手を差し伸べてくれた。
「事務次官」
 緊張した面持ちの部下が、表情にふさわしい声で呼びかけた。
「お話中の所、申し訳ありませんが、いささか緊急の問題が生じました。少しだけ時間を頂けないでしょうか」
 外交官が備えているべきと見なされている態度ではないな、などとも思ったが、ここは素直に歓迎することにした。この場を離れることが出来るのなら、ギレンに魂を売り渡せといわれても首を縦に振っただろう。
「あー、事務次官?」
 ギレンより鬱陶しい悪魔が彼に何か言おうとするよりはやく、ヤングは口を開いた。
「オズウェル団長、申し訳ありませんが、午後からの会議まであまり時間がありません。会議が始まるまでには間に合わせますので、問題を処理して参ります。退出してよろしいでしょうか?」
 オズウェルが曖昧に頭を揺らしたのを承諾と受け取ることにして、ヤングはまだ何かいいたそうにしている彼に背を向け、この部屋から脱出した。

「それで何があったのだ」
 盗聴を警戒して廊下では口を開かず、ひとまず連邦政府交渉団の控室に戻ると、ヤングは部下に尋ねた。
 もっとも、尋ねながらもだいたいの返事の内容は予想がついていた。
「ジオンの方で何か問題があったようです。軌道上の艦隊が行動を行っています。規模は不明ですが、高度を落として低軌道を周回している模様です。また、軌道上の艦隊と南極との通信量も増大しています」
「で、軍の方はどうみている?」
「示威行動としては不自然だと考えているようです。私が話を聞いた連絡将校は、艦船の場合、高度を下手に落とすと推進剤を無駄に使うとかで、空挺作戦でも行わない限りはあり得ないと言っていました」
「ふむ、で、軍は動いているのか?」
「和平会談中の軍事行動は禁止されていると抗議して、同じく軌道上に配置していた部隊を牽制に回したそうです。我々の方からも抗議してほしいとのことでした」
 分かったと答えようとしたところで通信が入った。部下が受話器を取る。
「ミノフスキー粒子の散布とECMが確認されました。軍は対応レベルを上昇させ、全軍に臨戦態勢を準備発令したそうです」
 ミノフスキー粒子の散布は電波妨害の一手段に含まれるが、この時代、ミノフスキー粒子の散布と古典的な電子的対電波索敵とは分けて扱われていた。
 いずれにせよ、この手の索敵妨害は、普通ならば戦闘開始を意味する。非常に危険な徴候だった。
 しかし、今時ECMとはどういうことだ? ミノフスキー粒子だけでレーダーは沈黙するというのに。
 ヤングは部下に命じ、直接相手をモニターに呼びだした。
「ジオンの対応は?」
 慌てた様子の連絡将校が現れた。背後には会議場に隣接して設けられている連邦軍基地の司令部が映し出されている。司令部の中も混乱しているようだった。
「ミノフスキー粒子の散布・ECMの実施ともに否定しています。現在ジャブローの方で連邦軍側の各部隊について確認を始めているようですが、時間がかかっているようです」
「どういうことだ」
「先日のコロニー落としの結果、特に太平洋沿岸の各地域の有線通信線が切断されていまだ復旧していないため、通常の通信が使えません。無線の方はECMにやられています」
「ちょっとまて、ECMってのはそんなに強力なものなのか?」
「いえ、しかし、現在南半球南部、つまり南極付近を警戒飛行中の早期警戒機との連絡が付かないことから、この付近で重点的なジャミングが行われていると思われます。あるいはEMPジャミングかもしれません」
 核爆発の際に発生する強烈な電磁波で、電磁波の傍受に頼る通常のセンサーを無効化するEMPによるジャミングは、ミノフスキー粒子登場以前のジャミング手段としては究極のものだった。それだけにその実施を察知できないはずがない。
 その点についてヤングは質問した。
「EMPジャミングは、通常低軌道での核爆発によって引き起こされます。しかし、この高度に対する監視は、衛星によるものを除いては、天文観測機関と一部の早期警戒機に搭載されているニュートリノセンサーだけです。衛星は開戦直後に破壊されていますし、天文観測機関の情報は我々のラインに流れてきません」
「連絡の付かないのは南極圏の機体だけだろう。他の地域の機体はどうなんだ」
「残念ながら、ニュートリノセンサーまで搭載した機体はごく少数しか保有していません。現在、それらの機体は全て南極圏に回されていました」
「それでその機体とは連絡が付かないと言うのだな」
「はい」
「しかし、ジオンの連中はどうなんだ、軌道上から全部見ているだろう」
「分かりません。ただ、ここしばらくの連中の対応ぶりから、我々と同程度には慌てていると思いますね」
「つまり、連中にも何が起こっているのか分かっていない?」
「はい」
「分かった、何か動きが出たらまた連絡してくれ」
「了解しました」
 通信を切ったヤングは、部下に公国側交渉団の様子を探らせに行かせることにした。どうせ大したことは分からないだろうが。
 それにしても、ヤングは思った。
 地球規模の連絡途絶と、南極圏での核爆発か。
 地球圏全体の注目がこの地域に集中するわけだ。しかも、皆目様子が掴めないときたものだ。
 あの連絡将校はこのことが何を意味するか気付いていただろうか。
 おそらく気付いていただろうな。ヤングは薄い笑いのようなものを表情に浮かべた。
 気付いていたところで口に出来る性質の話題ではない。
 今の状況がクーデターを引き起こす絶好のチャンス、いや、既にクーデターが始まっているかもしれないという憶測など、口が裂けても言葉に出来ないだろう。
 にしても、どうオチを付けるつもりなのだろうか?



宇宙世紀〇〇七九年一月三一日 一一時二二分 ジャブロー連邦軍本部基地 統合司令室

「メイジャイ2との連絡はまだとれないのか」
 参謀のじれた声に、管制員が無表情な返答を返した。
「依然応答無し」
「アキレス3は?」
「現在エンジェル2−0、8−4−0でSSC(高度二万メートル、時速八四〇ノットで超音速巡航中)。メイジャイ2の行方不明座標まであと十二分。DLM六・五(ミノフスキー粒子の濃度レベル六・五)。レーダーによる索敵不能。九分後に視認距離に入ります」
「クソ、それじゃ間にあわん」
 誰かが吐き出すように言った。確かに、マッハ二〇で降下するシャトルは、九分あれば三千キロを移動してしまう。
 地上と宇宙とをはさんで連邦軍と公国軍とが睨み合う南極圏付近――この場合、地球の南側四分の一を占める――で、局地的なミノフスキー濃度の上昇が見られてから十分足らずの時間が経過したところだが、この場にいる誰もがその十倍もの時間を体感していた。
 ミノフスキー粒子が散布され、レーダーによる監視網が全盲に陥った現在、この『世界』に存在する物理力は双方ともに存在していない。双方共が、レビル中将を乗せたシャトルに干渉できる距離に戦闘力を置くこと、そしてもちろん置かれることを嫌ったためだ。
 その代わりに公国軍は軌道上の偵察艇から、連邦軍は空中の早期警戒機から監視を行っていた。そうした監視の『目』が、突然潰されたのだ。

 その昔、世界の平和とやらを維持するために北米大陸の山中に設けられた司令室の通称を拝借しただけあって、ディスプレイから放たれる光が、薄暗い照明のトーンに抗してクリスタルパレスの各所を照らしあげていた。
 宮殿に勤務する無数の男女は、現在も進行している状況に翻弄されていた。何せ、分からないことが多すぎたし、心配しなければならない事柄も多すぎた。
 その事は宮殿の仮の主、総合防衛戦防空戦闘主任副調整官のイリヤ・キレンコフ准将にも分かっていた。
 南極で開催されている講和会議の決着次第で連邦軍は白旗をあげることになっている。それをいさぎよしとしない連中−まあ、細かい事情はともかくとして、ほとんどの場合、建て前はそうなっているらしい−が不穏な動きを見せ始めていた。
 本来ならばジャブローの地下に設けられた連邦軍の統合司令室は、地球圏で発生しているありとあらゆる状況を完全に把握していることになっており、またそれだけの機能を与えられていた。しかし、開戦後の混乱から情報のネットが随所で分断され、現在では連邦軍の指揮系統はかなりの混乱を来している。
 起こり得るはずがないと言われていたクーデターの懸念が現実のレベルにまで高まりつつあるのは、このことが背景にある。末端の部隊との連絡が取れないのだ。
 今、もしクーデターを起こしたいのなら、一番簡単なのはここを無力化した上で、南極の講和会議を決裂させることだろう。ここに入る情報を制限し、南極には潜水艦から核弾頭を詰めた巡航ミサイルでも撃ち込めばいい。ジャブローさえ抑えてしまえばミサイルの発射を探知できないし、発射を察知されなければ、現在の戦力配置の関係から、事実上迎撃は不可能だ。
 軍と政府が混乱している間に世界各地の軍強硬派を統合、地球連邦はジオン公国との継戦を選択し挙国一致の軍部独裁政権が発足する。どのみちジオンは地球に降りなければ連邦を屈服させられないのだ。宇宙でならともかく、地上でなら我々も負けはしない……。
 ゴッズ・ネイブル。
 イリヤは連邦標準公用語たる英語で嘆息した。彼女がロシア語を用いるのは、彼女の祖父が移住した月面のグラナダに里帰りするときだけである。今やジオンの根拠地と化したグラナダに、この次いつ帰郷できるのかは分からないが。
「キレンコフ准将、状況は?」
 ダカールの連邦議長に報告するために席を外していた防空戦闘主任調整官のカーン大将が戻ってきた。
「早期警戒機との触接はまだです。カザフ方面の状況ですが、オデッサから処理完了との報告がありました。クーデター発生前にに鎮圧に成功したようです」
「ジオンは?」
「依然不明。どうも我々同様、目を潰されているようです。やはりEMPジャミングでした。ルナ2からの報告です。アルプス・野辺山・青海各天文台も同様の結論でした」
「ああ、それは聞いた。分かった。指揮を引き継ぐ」
「了解」
 永らく管制官として目に見えないものを見つける作業に従事していたイリヤは、カーンの様子に引っかかるものを感じとった。何か、自分には知らせられないレベルで、物事が動いているらしい。とすると、このEMPジャミングは、連邦軍のどこかの部局が行ったものなのだろうか?
 とすると何が目的なのだろうか?



次回予告

「『アルファ2』、アプローチ開始。当機のアプローチは二三五四の予定。現在の誤差プラス三。カウントダウンはマイナス二〇より開始。」
「機首部レーザー通信回路のジャック成功。続いて突入口部警報管制にハッキング」

「『カエサル』、こちらでも確認している。……『カエサル1』、『アプリコットGC』は、非常事態の宣言を承認する。コースG−2の使用を許可する。現在の推力でコースG−2を経由可能か?」
「『アプリコット』、不可能だ。現在の荷重ではオーバーランすると判断する。『カエサル1』は、「積み荷」の廃棄か、コースG−4の使用許可を要求する」

「皆さん、ここで突然ですが、連邦政府の特使を紹介いたします」

「そう、もはやジオンに兵はいないのだ!」


『羊よ何処に』



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つづく

「一年戦争記」インデックス