コバルトブルーの女王



 バストンとハワードは、少しずつ緊張を高めていった。結局、行き着くべき先は見えて
いるのだ。
「グラハム教官、どうやら言葉でどうにかなる段階は終わったようですな?」
「そうかね? それと、いまの私の姓はリーだ。出来ればそちらで呼んでもらいたいね」
「私の知っている教官は、ネオ・ジオン少佐バストン・グラハムです。あと、教官が教え
てくれた話もよく覚えていますよ。『任務遂行のために無駄な行動はとるな』と」
「光栄だね」
「横須賀基地から応援が来るまで、あと三分は必要ですよ。二分あれば充分です」
「そうかね」
 笑顔を浮かべてバストンは言った。ハワードも同じような笑顔で返す。
「ええ」
 二人は同時にスロットルを開いた。ほとんど同時にマーシュのハイザックが、さらに一
瞬遅れてもう一機のゼータ・プラスが動き出した。

 ザク2の脚部にはホバー機能が無い。ゼータ・プラスにはある。つまりスロットルを戦
闘出力まで開いた場合、ゼータ・プラスはホバー移動を行い、ザクは二本の足で走りだす。
より正確に述べるならば、ザクの場合駆動部に余計な負担が掛けないようにするため、フ
ルスロットルに入れたとしても最初の数瞬は「歩いて」いる。
 ダッシュと同時に二機のゼータ・プラスはビームサーベルを抜いた。左腕をほとんど覆
っているシールドにはビームスマートガンが装備されているが、この距離では使えない。
腰部の両サイドに装備されているビームカノンについても同様だ。
 別段問題になるようなことではなかった。ザクもハイザックも丸腰なのだ。

 ザク2が走ってくる。ザクの選択肢は二つしかない。体当たりか、ジャンプで逃げるか。
 体当たりの場合、ビームサーベルで切り倒す。こちらの方がリーチは長い。体当たりだ
けでやられはしないが、ビームサーベルで胴を両断されたら終わりだ。
 ジャンプで逃げたら−簡単だ。その時こそ射殺すればいい。
 ザクが迫って来た。
 間合いにはいる。
 次の瞬間、ザクは目に見えない壁にでもぶつかったかのような勢いで停止すると、おそ
ろしい勢いで左腕を繰り出してきた。反射的にトリガーを叩いた。ゼータ・プラスはそれ
を脅威と判断し、逆手で切り払う。
 そして左腕を残し、ザクは消えた。

 マーシュは父の行動を予測していた。
 戦術原則に従えば、より弱いものから叩くべし。左の方で父と対峙しているハワードは
後回し。
 とはいっても、まともな武器もなく、機体性能では文字通り世代が違うほど開いている。
最低限の条件として、奇襲を成立させる必要があった。
 父とハワードが動き出すのと同時に、スロットルを開いた。ゼータ・プラスとは比較に
ならないが、ハイザックの脚部スラスター出力ならなんとかホバー移動が可能である。正
面のゼータ・プラスに突っ込む。
 ゼータ・プラスのパイロットはビームサーベルを抜いた。間合いが詰まる。
 ぎりぎりまでひっぱいったと思ったところで、スロットルを一杯にまで開き、一気に左
側に跳んだ。
 視界の片隅をビームサーベルがよぎっていくのが見える。右肩のシールドをかすめた。
ショルダーシールドが切り裂かれる。

 マーシュのハイザックと入れ違いに、右脚を軸に強引な急旋回を行ってハワードの攻撃
をかわしたバストンのザク2が飛び込んできた。ビームサーベルを空振りし、機体のバラ
ンスを崩したゼータ・プラスに左肩のスパイクシールドごと突っ込んでいく。
 衝撃。
 なりこそ小さいが、旧式で構造的に洗練されていないザク2は、ムーバブルフレーム技
術の粋を尽くした可変型MSのゼータ・プラスと比べて三四割ほど重かった。それだけに
一番原始的な「体当たり」という攻撃は有効である。もちろん、パイロットがその衝撃に
耐えられたらの話だが。
 バストンは一年戦争で文字通り手足のように操っていたザクの機体特性を知り抜いてい
た。
 ゼータ・プラスが吹き飛ぶ。
 完全にバランスを崩しているはずのザクは、背中のスラスターを吹かし、そのままゼー
タ・プラスを追って走りながらバランスを回復した。
 ゼータ・プラスは校舎にたたきつけられた。
 いかに最新鋭のリニアシートで守られているとはいえ、パイロットは数瞬の間、人事不
省だろう。
 ザクが追いついた。軽くジャンプする。
 ゼータプラスの胴、ちょうどコクピットがある部分に右足をたたきつける。ザクの全運
動エネルギーを打ち込まれ、胴が陥没した。可変型MSであるゼータ・プラスは、あまり
頑丈な作りになっていない。
 ザクはそのまま脚部スラスターを吹かし、ジャンプした。
 もともと宇宙用の機体のため、スラスター出力が弱い上に機体重量が大きすぎる。バッ
クパックのメインスラスターを足してもたいしたジャンプは出来ない。全高の二倍程度の
高さだ。
 ゆっくりと弧を描き、着地する先にはハワードのゼータ・プラスがいる。

 マーシュのハイザックはハワードのゼータ・プラスのすぐ後ろに飛び込むはずだった。
バストンのように直接体当たりを狙った場合、ゼータ・プラスのシールドに阻まれかねな
いし、マーシュの操縦技量では、とてもそこまで無茶な機動もできなかった。
 ハワードのゼータ・プラスは、無理な体勢でバストンのザクの左腕を切り払ったため、
慣性の法則で一瞬動きが止まっている。後ろに飛び込むことが出来たら好機が得られる。
 だが、ハワードはマーシュの動きを読んでいた。あえてマーシュに背中を見せる時計回
りの旋回をしたのだ。
 中腰の姿勢で、むりなくビームサーベルを振り回す。
 ビームサーベルの切っ先が、ちょうどゼータ・プラスの後ろ側をすり抜けようとしたハ
イザックの左脚を直撃した。
 左脚が切り飛ばされ、ハイザックはバランスを失い、機体の上半身が泳いだ。校庭の周
囲に張り巡らされた網を突き破り、水田の方に倒れ込む。

 ハワードがマーシュを片づけるのと、バストンがザクを宙に舞わせるのとはほぼ同時だ
った。
 ハワードの口元がゆがめられる。まさかゼータ・プラスがザクに倒されるとは思わなか
った。
「さすがは教官、だが」
 ゼータ・プラスは左腕を振り上げた。左腕を覆うシールドにはビームスマートガンが備
えられている。
 奇妙にゆっくりと宙を舞うザクをポイントする。
 トリガーボタンを押す。
 ザクの背中が煌めいた。
 戦艦をも貫くビームは、ザクの頭を吹き飛ばし、胸部装甲を融解させたにとどまった。
 元来宇宙用のザク2F型には上向きの姿勢制御スラスターが装備されている。出力はメ
インスラスターとほとんど変わらない。それを使って、急激に機動方向を変えたのだ。
 ザクは、ちょうど跳び蹴りのような姿勢を作ると、ゼータ・ガンダムを貫くような勢い
で飛び降りてくる。頭を吹き飛ばされメインセンサーは失われたが、ここまでくるともう
必要ない。
 射撃はもう間に合わない。上から降ってくる標的にビームサーベルを命中させるのは至
難の業だし、仮に命中させても脚を切り落とすだけだ。運動エネルギーは止められない。
ハワードはシールドを構え、ザクの脚を受け止めた。
 すさまじい衝撃が機体をふるわせる。ゼータ・プラスの左腕には、ザクの運動エネルギ
ーを凌ぎきれるだけの耐久性能はなかった。左腕がへしゃげ折れる。
 かまわなかった。ハワードは右腰のビームカノンを無照準で発射、同時にビームサーベ
ルを振り回す。
 ビームがザクの腰を貫き、ビームサーベルが両脚を切り飛ばす。
 ザクの身体が崩れ落ちた。胸部装甲が跳ね上がり、リニアシートがむき出しになる。
 ゼータ・プラスは大きくよろめいたが、なんとか姿勢を立て直した。役立たずの左腕と
ザクの両足が、轟音と共に落下する。
「残念でしたな、教官。一年戦争ではザクでガンダムの大群を沈めたあなたでも、さすが
に二機のゼータ・プラスは無理だったようですな」
「一年戦争のときには色々と仲間がいたからな」
 バストンの声が聞こえてきた。映像は入らない。落下の衝撃で身体の随所を痛めたらし
い。苦しそうな声だ。
 ハワードのモニターに誰かが走り込んできた。ズームする。
 ラシーダだった。
 彼女はザクの胴体に駆け上ると、リニアシートのハッチを開放した。中からバストンが
出てくる。
 モニターの破片で傷つけたのだろう、頭から血が流れていた。左腕が妙な具合に曲がっ
ているのは、衝撃を弱める代償に使ったかららしい。
 ラシーダはバストンを抱え起こした。ゼータ・プラスを睨む。
「ふん、あくまでも意地を張るか」
 予想外に時間を使い、横須賀基地のスクランブルを考えると、ほとんど時間は残ってい
なかった。
 損傷状況からして、変形・飛行は可能だが、飛行速度が低下することは避けられないし、
航続距離も心許ない。脱出地点まで逃げることを考えると、ラシーダを拾っている時間は
なさそうだった。
 やむをえんな。ハワードは両腰のビームカノンで二人を照準した。音声を外部スピーカ
ーに切り替え、バストンに告げる。
「残念ですが、デルタ・フォーのことはあきらめます。あなたの家族だそうですから、せ
めてあなたと一緒に送って差し上げますよ」
 バストンの表情は血でよく見えなかったが、ラシーダの顔はよく見えた。無表情なまま、
ハワードを睨み付けている。
「兵器の感情か……」
 呟いて、トリガーボタンを押し込む。

 光条が奔り、二人の姿を捉え、閃光を放ち、消えた。
 二人の姿はそのままだ。
 信じられない光景を目の当たりにして、ハワードは混乱した。無意識のうちに再びトリ
ガーを押す。
 やはり閃光を放ち、ビームは二人の直前で消えた。
「Iフィールド!?」
 彼の記憶の片隅に埋もれていた知識を呼び起こし、反射的に上空を見た。
 なにかが浮いている。そこを起点に、大気中の電磁波が干渉しわずかな光を放つ線が二
本、右を見た。同じものが浮いている。さらに光が反対側に。それぞれが正三角形の辺を
作っている。
 ビームを「消した」のは正三角形の面。
「フィンファンネルか!」
 再びモニターに視線を戻した。無表情に彼を睨み付けるラシーダを睨み返す。ライトグ
レーの髪を留めているコバルト色のヘアバンドは、わずかな光を放っていた。
 彼女のヘアバンドに目が行ったとき、以前サイコミュ技術についての講義を受けたハワ
ードは全てを理解した。
 ヘアバンドじゃない。サイコミュコントローラーだ。この娘、MSを遠隔で−
「魔女め……」
 次の瞬間、残る三つのフィンファンネルの一つが放ったビームが、正確にゼータ・プラ
スのコクピットを貫いた。

「ハイザックのパイロット、無事か」
 通信ウィンドゥから呼びかける声が聞こえ、マーシュは意識を取り戻した。
「う、あぁ」
「おい、大丈夫か」
 通信ウィンドゥに目をやる。フルフェイスのヘルメットで表情は分からないが、連邦軍
のパイロット。
 手足の関節を動かしてみる。大丈夫。口の中が塩辛いのは切ったからだな。
「ああ、大丈夫みたいです」
「了解。すぐに救護班が到着する。動けなかったら機体内でじっとしてろ」
 機体……そうか、ここはハイザックのコクピットで、俺は−
 あわてて振り返る。全天周囲モニターの右側は、転倒の衝撃でサブカメラの大半をやら
れたらしく、ろくな映像が出ていないが、左側は比較的鮮明だ。
 俺のハイザックをあっさりと切り倒したゼータ・プラス−
「みんな無事だ。君のお父さんも負傷したが命に別状はない。ゼータ・プラスは二機とも
撃破された」
 モニターに映像が入るが、はっきりと見えない。二機のMSが校庭の真ん中で倒れてお
り、向こう側の校舎は半壊して……
 ズームしようとしたが、メインカメラを搭載した頭部が水田にめり込んでおり、上手く
動かせない。
 小さく舌打ちして、機体を動かそうとした。被害状況をチェックする。
 大丈夫。機体を動か……
「ちょっと待て、ハイザック」
 連邦軍が割り込んできた。
「なんです?」
「いや、いま無理に動かされると、水田の被害が増えそうなんでな。機体の回収は待って
くれ」
「……じゃあ、機体から出てもいいですか?」
「確認する。……大丈夫みたいだな。右腕で機体を左側に起こせ。そのあとでマニュアル
でハッチを開けてみてくれ」
「了解」
 機体を仰向けにひっくり返し、ハッチを開ける。水田のむせ返るようなにおいがコクピ
ットに流れ込んできた。
 上空には航空機−あれもゼータ・プラスだな−が旋回していた。手を振る。ウェーブラ
イダーはバンクで応えた。
 校庭からジープがこちらに飛んでくる。
 ハイザックの右脚を伝い、なんとかあまり汚れずに陸地にたどり着いた。
「マーシュ、大丈夫?」
 アンナとアミだ。
「運良くね。父さんたちは?」
「おとうさんはちょっと怪我したけど、大したことないみたい。お姉ちゃんは無事」
 マーシュはゆっくりと息を吐いた。
「そりゃよかった」

 下校時間を過ぎていたこともあり、半壊した校舎に残っていた者がほとんどいなかった
ため、怪我人もでなかったらしい。連邦軍の救護ヘリに乗せられたのはリー一家のみだっ
た。最大の怪我人、バストン・リー中佐の治療−あと査問もおまけに付いてくるだろうが
−のためだ。
 機体の回収は連邦軍がやってくれるらしい。修理の方は面子にかけてでも機械部がやる
つもりらしいが。
 アンナは学校が半壊し、明日から始まるはずだった試験が延期になったことを最大限に
利用するつもりらしい。バストンの怪我が軽いことだけを確認すると、早速機材の準備に
飛び出していった。
「試験勉強すりゃいいのに」
 窓から校庭を見下ろしながら、苦笑混じりにマーシュは言った。まあ、人のことは言え
ないが。
「マーシュ」
 応急処置を受けながら、父が言った。視線を父の顔に移す。
「父さんも考えたんだがな、やはりこんなことがあった以上……」
「お父さん」
 珍しくラシーダが父の言葉を遮った。
 マーシュとバストンは彼女に視線を移した。
 ラシーダはいつもの通り無表情なまま、言った。
「私たち、ここにいてもいいわよね?」
 女王の勅命だ。二人は顔を見合わせて苦笑した。
 それで充分だった。



もどる

G−インデックス