風のシスティーナ

 

 バクラム人
 ヴァレリア島全人口の2割弱を占める少数派民族である。故ドルガルア王によって建国された旧王国の支配者階級に位置していた。現在は、司祭ブランタの扇動により、バクラム・ヴァレリア国を建国している。
 覇王ドルガルアは、民衆から名君と讃えられた。他民族からなるヴァレリア島を治めるため、ドルガルア王が真っ先にとった政策は「民族融和」であった。多民族間の婚姻を奨励して、国教をフィラーハ教に定めた。
 彼の統治は半世紀(43年間)に及んだ。それはひとえに、彼のカリスマと政治的センスによるものであった。民族融和や国教を一つに定めるという政策は、反対者も多かったはずだ。古来より海洋貿易の中継地として栄えたこの島ではその覇権を巡り、「民族間で紛争が絶えなかった」のである。言うなれば、ドルガルアがいてこそ成功する民族融和政策であった。

 覇王ドルガルアの功績をみていると、一人の人間を思い起こさせる。民族のみならず、文化をも融和させた大帝国を建てたアレクサンドロス大王である。稀代の英雄がつくりあげた帝国ですら、彼が32歳の若さで逝くとすぐさま瓦解した。国の命運が統治者一人の双肩にのしかかる専制国家で、繰り返し起こってきたことである。
 ドルガルアは、多民族国家ヴァレリア王国の国王として、己の存在の大きさをもっと実感しておくべきだった。自分が、この島の平和のためには必要不可欠だという認識が足りなかったのではないか。国の行く末のことを考えるのなら、確固とした後継者を定めておくべきだったのだ。
 もっとも、王の死後、後継者不在が原因で内乱に突入したと言われるが、仮に後継者(王妃との間に生まれた王子)が存命でも、ドルガルアほどの人物でないかぎり、混乱は避けられなかったであろう。ドルガルアほどの人物が半世紀の間、民族融和に努めたにもかかわらず、彼の死後(ブランタの扇動やローディスの介入があったとはいえ)激しい民族紛争が起こったことを考えれば明らかである。



 ロンウェー公爵の密命を帯びたレオナール一行は、暗黒騎士団が駐留するフィダック城への道中、古都ライムガルガスタンの一隊に襲われるシスティーナと遭遇する。
 相手がガルガスタン人ということもあり、デニムはためらいなくシスティーナ救出を決定する。デニムの決定に、レオナールは特に異論をはさまなかった。
「どうせ、ガルガスタンと戦うんだ。運があれば彼女も助けられるさ」
ということであろう。合理的なものの考え方をするレオナールらしい意見だと言えよう。

 システィーナが、ヴァレリア解放線の一員であることを知り、ヴァイスは驚く。
「あの過激派か・・・こいつはやっかいだ」
 ヴァレリア解放戦線は、民族融和を掲げるフィラーハ教原理主義の過激派グループである。フィラーハ教を深く信仰していたドルガルア王を信奉するバクラム極右組織と世間からは見られていた。バクラムにも、ブランタの率いる現政権に反対する人々がいるのである。
 レオナールは同組織について辛辣だった。
「やっていることはただのテロだよ。無関係な住民を巻き込む、恐ろしい破壊工作ばかりを行っている・・・それがヴァレリア解放戦線だ」
 ヴァイスやレオナールの冷ややかな言葉に、システィーナは反論する。それは、現政権による、ヴァレリア解放戦線への民衆の支持を失わせるプロパガンダである、と。
 どちらが正しいのか、この時点でデニムが知ることはできない。だが、ヴァレリア解放戦線に、いくつかの派閥が存在することは間違いない。システィーナのような者もいれば、目的のためならば過激な手段をも良しとする者もいるのである。組織は、目的が同じでも大勢の人間が集まるのだから各人によって最善と考える手段は異なる。それは、ウォルスタ解放軍も同じなのである・・・。
 ちなみに、ヴァレリア解放戦線の存在を、つい最近までウォルスタの一民間人(ゲリラには参加していたが)に過ぎなかったカチュアまでが知っていた。同組織の広報宣伝能力に起因するものか、バクラム政権のプロパガンダの効果なのかはわからない。

 システィーナは、ヴァレリア解放戦線の目的を話す。
「私たちヴァレリア解放戦線は、以前のような・・・人種や思想を問われず、平等だったあの頃を取り戻したい」
 つまり、ドルガルア王による統治時代の復活を目指しているわけだ。
 システィーナには大事なことがわかっていない。「以前のような・・・平等なあの頃」には、ドルガルア王がいた。だが、王はすでに亡い。「あの頃」を再現するために不可欠な、ドルガルアという重要なファクターが欠けている。

 他民族国家は、民衆を国家に束ねる「核」が必要である。近世ロシアではツァーリズムすなわち「皇帝」であり、ロマノフ王朝が倒れた後のソ連では「共産主義」であった。中国も同じだ。
 多民族国家ヴァレリア王国の「核」は、ドルガルアであった。だが、その「核」はすでに存在しない。新たな「核」が必要である。ヴァレリア解放戦線は、政権を取ったら何を「核」にするのだろうか。同組織の上層部や、システィーナはそれを考えているだろうか。
 革命と反乱の違い、その一つは、現政権を倒した後の展望があるか否かであると思う。
 この問いに対して、「フィラーハ教」という解答が人々の支持を受けられるか大いに疑問だ。
 フィラーハ教は、太陽神フィラーハを唯一絶対の神として崇める。一神教である。
 宗教は人々の救済や向上のためにある。その宗教が、いかに争いの起因となってきたかは歴史を顧みれば明らかだ。「自分の神が一番だ」と他人に押しつける者が、戦争を引き起こす。「私に一番の神がいるように、あなたにも一番の神がいるのですね」と言えない信者が、争いを起こす。
 宗教を前面に押し立てるヴァレリア解放戦線は、フィラーハ教徒以外の人間からすれば、独善的な一面があったであろう。
 仮に、フィラーハの名の下に、人々の思想を統一できたとしても、実際に政治を行い、国家を運用していくのは人なのだ。フィラーハ教でもって、ヴァレリアの未来を導いていける人物が、解放戦線にはいるのだろうか。


 「あの頃」は平等だったと主張するシスティーナに、ヴァイスは反論する。
「以前のどこが平等だって言うんだ。おまえらバクラム人にとってはそうだったかもしれないが、俺たちは虫ケラのように扱われていたんだ」
 この言葉に愕然とするシスティーナは問う。デニムたちは何のために戦っているのか、と。
「真の平和のため。争いのない世界を築くために僕らは戦っている」
 デニムは答えた。
 この「真の平和」をシスティーナは「ヴァレリア島全体の平和」と解釈する。一方、ヴァイスは「ウォルスタ人が人間らしく生きていける世界」と解釈する。
 デニムは、どちらの意味で「真の平和」という言葉を使ったのか。もしかしたら、特に意識したわけではなく、本人にも分からないかもしれない。その答えは、デニムの今後の言動によって、彼自身が好まずとも、彼の周囲の人々が判断するのである。

 システィーナは、デニムに共に戦うことを申し出る。目指す世界は同じだから、というのが理由である。システィーナには、ウォルスタ人だから差別するという、人種差別の思想はない。
 それでも、システィーナはバクラム人なのである。彼女が好まずとも、バクラム人として見られるのである。
 バクラム人は、バクラム人ドルガルアの建てたヴァレリア王国でも、現在のローディスの力で建国されたバクラム・ヴァレリア国でも、支配者階級にある。長年に渡って差別されてきたウォルスタ人の気持ちを、システィーナは理解できても、実感できない。「今まで差別してきてごめんなさい。これからは仲良く理想のために戦いましょう」というのは、あまりに虫が良すぎる。事実、ヴァイスは激怒した。
 ウォルスタ人の多くが、バクラム人と一緒に暮らす平等な世界なんて望んではいないのである。それが、長年弾圧され、差別を受けてきたウォルスタ人の気持ちであった。

 どれほどの議論を重ねても、話は平行線をたどることになるのは明らかだった。システィーナはやむなく立ち去って行く。彼女は最後に言った。
「いつか、あなたたちも気づくはず。争いのない真の平和を望むなら、個人の欲望は棄てなければならないことに」
 自分のこの言葉の本当の意味に、システィーナは気づいているだろうか。
 システィーナも個人の欲望を捨てなければならない。自分たちの信じる宗教フィラーハ教こそ一番だと考え、他者に押しつけようとする欲望を。彼女の発言は、宗教の自由を認めることを意味するのである。

 デニムにとって、システィーナとの出会いはどのような意味を持つのだろうか。それは、この時点ではデニム自身にもわからない。ただ、システィーナと出会ったことで、間違いなくデニムは、この戦争についての思考を深くできたはずだ。
 フィダック城は目前である。